ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
メールヒェンの秘密はイメージの多義性にあるのです。イメージそのものがすでに、伝えられるべき内容なのです。イメージ言語を読むことを、私たちが忘れてしまっただけなのです。 『闇の考古学』
イメージ言語を詠む力の回復は言語を言語で超える方便の一つとなるのではないでしょうか?
時じくの桃カステラや涅槃西風 高資
ふふみたる桃カステラや風光る 高資
日本の昔話を代表する「桃太郎」は陰陽五行説から構成されています。 「陰陽道」では、「丑寅(うしとら):北東」の方角は、邪悪なもの、忌み嫌うものなど「鬼」が出入りする方角で《鬼門(きもん)》と呼んでいます。 これに対して、対極にあるのが「裏鬼門」と呼び、「未申(ひつじさる):南西」で鬼の出入りを封じる方角だとされています。
桃太郎の世界とは、十二支の世界なのです。 鬼ヶ島は鬼門(丑寅→北東)の方向にある、とする。 そして、桃太郎の住む村はその逆(未申→南西)なのです。 下図をご覧ください。 主人公の桃太郎の「桃」は金に属します。金は五行の中では一番硬く堅固です。 昔から桃には邪気を払う力があるとされ、様々な神事や風習「強さの象徴」としに取り入れられてきました。更に「申」「酉」「戌」(猿・鳥・犬)の三支も金に属し、桃太郎は自分と同じ金に属するものを家来にすることで強い大将になったと言えます。 キビ団子の黄色は真ん中の「土」に属し、「土は金の母」と考えられているので、まさにパワーの源です。また「桃」が西の象徴であるのに対し、「鬼ヶ島・鬼門」は艮(牛・虎)の方向。鬼の絵は牛の角と虎柄のパンツを用いて一般的には描かれます。
桃太郎のいる金の世界を守る 裏鬼門は未申・坤です。
ウィキペディアによると庚申は干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされた。そのため、庚申・辛酉は政治的変革が起こるとされ、それを防ぐために2年続けて改元が行われることも多かった。例えば万延元年(1860年)と文久元年(1861年)などである。
冬の日を庚申の碑の貫けり 五島高資
桃はまた桃の節句を連させます。
https://tg-uchi.jp/topics/4017 より
「桃の節句」は、本来は「上巳(じょうし、じょうみ)」の節句」といい、3月の最初の巳(み)の日を指していましたが、のちに3月3日に定まりました。
中国ではこの日に水辺で身を清める習慣がありました。それが平安時代に日本に伝わり、草木、紙や藁で作った素朴な人形(ひとがた)に自分の厄災を移す習わしや、貴族階級の子女の間で始まった「ひいな遊び」という人形遊びが結びつき、海や川に人形(にんぎょう)を流してお祓いをする「流し雛」の習慣となりました。
右大臣の烏帽子を直す雛の朝 高資
お互ひに海を見てゐるひひなかな 高資
雛の間や川は夕べへ流れけり 高資
雛段の裡に洩れてや世の光 高資
一句目からの連想句です。
「はまをもとからパライゾが見えてゐる 高資」
お雛様は海の向こうのパライゾを見ているのでしょうか?パートナーは夢を共有する存在なのでしょうか?
2句目は「夜となり朝となる」を連想します。むしろ復活の春を連想しているのでしょうか?明けない夜はないことを信じて。
3句目は雛壇ばかりを見てると世の光を見失う~~~勝手な連想です。
はまをもとからパライゾが見えてゐる 高資
富士塚の剣いただく冬木立 五島高資ー 場所: 大我井神社
コメント
熊谷市にある大我井神社はイザナギノミコト、イザナミノミコトの国生みの他、この国を統一したとされるオオナムチ(大国さま)など古い謂れのある古社のようですね?又富士塚とは富士浅間社の古代の火を祀る信仰であり、縄文晩期からなる自然信仰の一つとして配石遺跡(巨石、ストーンサークル)なども見られるそうです。明治の時代となってから、神仏習合により本来の社殿および歴史的な遺跡が混合となって、実態が分かりづらくなっています。何れにしましても塚ですから古墳のひとつですね?
涼しさや紋菓の流れ三つ巴 高資
神紋の御饌を賜る薪能 高資ー 場所: 神田明神
日をかへす玉のオブジェや空つ風 高資
玉の緒の現し心や瓊の冴ゆる 高資ー 場所: 二荒山神社
乾坤の梁に浮かぶや秋燈 五島高資
https://kaicoh.exblog.jp/22441074/
【よくわかる写生1◆乾坤の変は風雅の種なり(三冊子・赤)】
「乾坤の変は風雅の種なり」(三冊子・赤)。「乾坤」は天地、つまり世界。そのなかで、変わり続けるものがある。たとえば「昨日と思へば今日に過ぎ、春と思へば秋になり、花と思へば紅葉に移ろふさま」(良基・筑波問答)ということ。それが風雅(詩歌・俳諧)の原点であると言っている。人間の変転たる暮らし、四季の変化が詩を生み出すと言っている。
茶柱の立ちて親しむ燈火かな 高資ー 場所: 上長瀞
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