過ちを改めてはくれんの咲く 高資
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白木蓮は灯火のような不思議な花ですね。これを見ると春も近づいたなという気がします。
涙とともに痛みは何に転換されるのでしょう?何を学び、何をなす必要があるのでしょう?
五島高資 究極的には調和による「共存」が大事かと。
自然界の掟は共存、共栄であり、弱肉強食です。命は他の命をいただくことなしに成り立ちません。 命の循環に預かり、生かされている幸いを感謝し、全ての命への畏敬の念と愛を表現しながら魂の成長の旅をし、感謝と喜びを持って自分の肉体を他の命のために宇宙にお返しする(死)時を迎える・・・人生はそんな魂の旅ではないでしょうか?
私たちの今生きている社会は競争原理が強力な規範となっています。
競争原理に則って生きれば当然敗者とみなされる人々が生まれるわけです。
敗者が卑屈な被害者意識に陥らず「まさに失敗は成功の元」とばかりに失敗から学びながら成長してゆくにはどうしたらいいのでしょう?
ひたすらに翔る烏や雲の峰 高資
西日ならではの光景でした。雲は見ていて飽きませんね。あの雲の中で氷晶が激しくぶつかり合っていると思うとほんとうに不思議な気がします。
殺人は真実に悪でしょうか? 人類の歴史は殺戮の歴史です。
森鴎外著の「高瀬舟」には自殺ほう助をした男の話が綴られています。
尊厳死の問題はどうでしょう?
それに伴う安楽死の問題をどのように考えればいいのでしょう?
以前痴呆で寝たきりの老人の延命装置を外して殺人罪に問われた医師のことが報道されました。
優生思想の問題もあります。
フィジー島では人肉を食べる習慣(カニバリズム)があると聞きます。
戦争下においては敵とみなされた相手を殺すことは善とされます。
善悪優劣はまさに比較が作る実態のないものといえます。
聖書には「人は土の塵から産まれ、塵に還る。」「その塵に神の息吹が吹き込まれ 人は生きたものとなる」と記されています。
息の仕方は生き方とも言われます。
私たちは 瞬間瞬間呼吸をし、新陳代謝を繰り返します。
死と再生を生き続ける存在です。
私はあなたであり、地球であり、全てです。
循環しながら一つです。
普遍的無意識が地球意識として一つであることはよく知られています。
聖書はまた「鎌を鋤に持ちかえる」ことを勧めます。
この勧めは大自然から刈り取るのでなく 大地を耕し 良き土壌を育てること、狩猟生活から農耕生活への変換。
「競い取る,競争原理」から「心を耕し共に育ち合う共生原理」に変容することを促すとも取れます。
心を耕し、共に育ち合おうではありませんか!!
一指李承憲@ILCHIjp
人は生まれながらに完成を追求する存在だと思います。一人では不完全だと感じるから完全性を追求するのです。親密な人間関係や帰属意識を感じられるコミュニティを探すのも、自己啓発や精神修養に励むのも、精神世界やスピリチュアリティを追求して神または宇宙の根源との精神的な一体感を得るのも。
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