同行二人

日を溜めて足跡あまた冬の浜  高資 

足跡の行き交ふ影や冬の浜  高資 

足跡の空へと向かふ冬の浜  高資  

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ある晩、男が夢をみていた。 夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。 そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。 どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。 ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。 人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。 すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。 しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。 

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。 「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。 しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。 私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」 

神は答えられた。 「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。 あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ 

http://www.ieji.org/archive/footprints-in-the-sand.html  【砂の上の足跡】より

四国のお遍路、しかしなぜ八十八なのでしょうね?

http://kukai.kyoto-svp.com/  

【「同行二人」の意味は弘法大師と道連れではなく、同じ道を歩むという覚悟】  より

お遍路を思い立たれた方は、最初に東寺に赴き弘法大師 空海に発願のご報告をなされます。

そして、全てを終えると高野山で結願のご報告をされます。

その手には金剛杖。

弘法大師 空海の分身といわれています。

そして背中には「同行二人」の文字。

弘法大師 空海と共に歩むと解釈されています。

弘法大師が一緒に歩み、導いてくれると。

弘法大師 空海に惹かれ、学び、調べていくうちに「同行二人」の考えられている意味に疑問を持ちました。

お遍路も修行の内。

自らに課した修行に、弘法大師のお導きなどと他人任せの甘さがあって良いはずがないと。

「同行二人」の意味とは、おそらくこういうことなのだろうと考えます。

弘法大師 空海と一緒に歩む(修行)とか導いてもらうなど傲慢にすぎます。

しかし弘法大師が歩まれた同じ道を行くことならできます。

同じ道(心の持ち方・生き方)は、想像もできないくらい厳しく辛い道であるはずです。

それでも言い訳せず、逃げることなく、真摯に歩み続けていきます。

つまり自らに課した覚悟の言葉なのだと思うようになりました。

そう考えるようになった理由は、弘法大師 空海の凄まじいまでの生き方を知ったからでした。


 「夏も近づく八十八夜〜♪」の歌にもあるように、八十八夜は春から夏に移る節目の日です。 立春から数えて88日目の、5月1日〜3日頃を八十八夜〔はちじゅうはちや〕と言います。

 他に私が連想するのは「米」は「八十八」の手間暇かけねばならない・・・と聞かされてきたことです。 米の漢字を分解してみてください。八・十・八ですよね。八十八歳の祝い、米寿とおなじです。 「ウソ八百」や「江戸八百八町」「八百万の神々」「四苦八苦」「八正道」「八方位」「八方塞がり」「八方美人」「八紘(=世界)」etc.・八を含む言葉は沢山あります 八を「末広がり」といって喜ぶのは、裾が開いた形からくるイメージです。八を数字「8」で表し、8を横にするとメビウスの輪となり、西洋では宇宙にすえひろがりに広がる、無限という意味にもなります。 

八という数字は、中国では古くより非常に重大な意味をもっていました。紀元前十世紀ごろまとめられた易経における八卦に関係していて、宇宙のすべては、陰と陽を八卦で組み合わせることによって生まれるとされています。 

 「古事記」、また「日本書紀」には、八へのこだわりが多く見られます。大八島、八尋殿、八咫烏、八十建,八衢、八重雲・・・、三種の神器は、八咫鏡・八十握剣、八坂瓊勾玉と、鏡、剣、玉にみな八の形容詞を冠らせています。 八という数字は不思議です。

ウィキペディアには「江戸時代頃から西国三十三所観音霊場、熊野詣、善光寺参りなど庶民の間に巡礼が流行するようになり、そのうちの一つが四国八十八箇所である。これを模して四国別格(番外)霊場や小豆島には小豆島八十八箇所霊場・江戸には御府内八十八箇所霊場など、全国各地に大小さまざまな巡礼地が作られた。「移し」または「写し」とも呼ばれ、四国遍路隆盛の証左ともいわれている。」と紹介されています。キリスト教の巡礼としてよく知られるのはヴィア・ドロローサ(イエスが死刑の判決を受け、茨の冠をかぶせられ、自ら十字架を背負って歩いた道のことです。旧市街イスラム教徒地区からキリスト教徒地区へと続くおよそ1キロほどの道です。)ヴィア・ドロローサには、聖書の記述や伝承に従って、14留(14ステーション)が指定されています。  

あなたはどこからきて どこに行こうとしているのか? 「私は誰?」「なんのために生きるの?」「人間に生まれ、人間として生きるとは どんな意味?」「毎日繰り返される命の営みの意味は?」「死んだ後 どうなるの?」人間誰しもが抱える問いではないでしょうか?

思春期は「人生に対する根本的問い」を問い始める時と言われます。思春期の私は生きることも死ぬこともできないニヒリストでした。太宰治の世界に没入し 授業や試験をボイコットし、退学届を出したりしました。 自殺未遂もしました。嵐のように襲う虚無感を 胎児のように身体を丸めて呼吸を止め、やり過ごし 耳に蛸ができるほど「生きる意味、生きる意味」を問い続けました。生まれたことを呪い、息をするのもおぞましく、きりきり舞いを舞いながら時を送り続けました。このような様を、レギオン(新約聖書の物語:自らを墓場に繋ぎとめ 石で打ちつけ吠え続ける悪霊)に譬えられました。私の一旦の救いは「問う」ものから「問われる」ものへの「視点変更」でした。問を一旦神棚にしまいこんで生き抜いたと言えます。生きる意味を問うもの」から 神から「生き方を問われるものになろう」と決めクリスチャンになりました。年を重ね、今一度「生きる意味」を問い直す時が来ました。「人生への意味や価値は 自分で創り出すもの」 これが私の見つけ出した答えです。そのためには魂やハイヤーセルフに繋がり自己一致をする こと。選択の主体としての自分を取り戻すことが大事です。

魂とは? ウィキペディアでは次のように紹介しています。 

「魂(れいこん、英:SoulもしくはSpirit)は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。 肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられている、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在のこと。 人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在、人格的・非物質的な存在。個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在。」

 保江邦夫先生は「魂とは電磁波」だと言われます。私にはよく分かる気がします。以前、自分の「想念をみんな消していくワーク」で魂に対するイメージも消すと、胸からエネルギーが立ち上っていくのを実感したことがあります。   

保江邦夫先生岡山県生まれ ノートルダム清心女子大学大学院人間生活学研究科 人間複合科学専攻教授。 同情報理学研究所所長。 量子脳理論の治部・保江アプローチによる脳機能の 解明および確率変分学の開拓者、量子力学においても 最小作用原理が成り立つことを示したことで世界的に 知られる。

 神道では一霊四魂の考えで魂をとらえています。

秋夕焼雲舞ふ迦陵嚬伽岡  高資ー 場所: 岩手県 一関市

迦陵頻伽・迦陵頻迦・迦陵嚬伽(かりょうびんが)は上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物。サンスクリットのカラヴィンカ(kalaviṅka)の音訳。『阿弥陀経』では、共命鳥とともに極楽浄土に住むとされる。

夫婦鴨わかれて水脈をむすびけり  高資

日の落ちてなほ赫ける冬田かな  高資


同行二人。孤独を受け入れ、孤独地獄から脱するのは 「気づきと選択」

日は沖に遊んで冬の渚かな

海照らす冬の日影や香珠子浜

 香珠子浜

一指李承憲@ILCHIjp

私たちの意識の片隅に、ある存在がいて、じっと私たちを見守っています。私たちが絶望に陥ってもがいていると、その存在は、あきらめるなと力づけてくれて「すべてはうまくいく」と希望を吹き込んでくれます。私たちが瞑想をする理由は心の中にある声を聞くためです。

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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