冬の燈や鏡の上の如意宝珠 高資
神発ちて如意輪の守る鏡かな 高資
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現実は自分を映し出す鏡といわれますね。
全ては自分が引き寄せているということなのでしょうか?
三種の神器の鏡・・・内なる神を映し出すといわれますが、私は鏡より むしろ仏像そのものからよく魂のメッセージを聞きます。
五島高資 大円鏡智ともつながりますね!!
仏像を目にするとき、数珠と宝輪が目に留まります。
数珠は何のために? 左脳に入らないで 煩悩の数だけマントラを唱えるためなのでしょうか?
私のマントラとの出会いには 3つのスタイルがあります。
一つ目はサダナ瞑想会で 自分のマントラを作ったこと。
これはいわゆる意味を重視するスートラ作りだったと思います。
マントラとは短い祈りの言葉を繰り返し唱えることと言われ「音を重視する呪文をマントラ(音霊)、意味を重視する呪文をスートラ(言霊)という」とも聞きます。
自分の祈りの言葉を短い祈祷文にし 丁度、意守丹田のように意識を常にそこに戻す形の瞑想でした。
二つ目は善光寺のカイロプラクティクのワークショップでの体験です。
薄暗い会場には一本のローソクの炎の明かりがあるだけでした。
いやでも意識が集中します。
一斉に唱え始めたマントラが「オン サンマヤ サトバン」でした。
マントラを唱えながらいつの間にか深い意識に入っていました。
私には今も意味不明なマントラなのに、20年近く前に 一度唱えたきりの マントラが甦ります。
高野山で沢山の僧たちが マントラを斉唱しながら参拝していたさまとも重なります。
倍音声明にあやかっていたのかもしれません。
三つ目の体験です。
密教儀式に参加し、弥勒菩薩のマントラを口にした途端,魂が震えるような嘆きがおこり、指導員に「大丈夫ですか?」と心配されました。
それから色々なマントラに触れましが いきなり涙が溢れることが度々ありました。
一番魂を包むような懐かしく,辛いマントラが 大日如来のマントラでした。
ここで体験したマントラは神仏の名を呼び、賛美をする感じのものでした。
どの体験もマントラ瞑想で深い意識に誘われた紹介となります。
【呼びかけ&名を呼ぶということ】
「名は体を表す。」と言われます。
姓名判断も「自分がどう名乗るかで運命が大きく左右される」と主張します。
名は実体を生んでいくということでしょうか?
観測者がいなければ、現象は不明とされることと類似しています。
あなたの世界では あなたが意識したものだけが この世に存在するものとなります。
地動説を主張したガリレオは宗教裁判にかけられました!!
地動説は多くのものが意識で承認して初めて、真実だと言われるようになりました。
顕在意識で認めることができたものだけが存在を許される。
実態を与えられるとも考えられます。
また「名を知るとは相手に勝つこと」のようにも考えられてきました。
名の知れない化物が 化けの皮をはがされることを「名を呼ぶ」と表現するのでしょうか?
名を呼ぶことに纏わる二つの物語の概略をご覧ください。
「大工とおにろく」 あらすじ
大雨が降るとすぐに橋が流されてしまう川があった。
困った村人たちは相談して橋造りの名人の大工に頼むことにした。
大工が流れの速い川を眺めていると、川から鬼が現れて、目ん玉をよこせば立派な橋を架けてやるという。
翌日大工が川にいくと、既に橋は半分できあがっていた。
(略)
鬼は自分の名前を当てれば目ん玉を諦めるという。
鬼の名前がわかった大工は 翌日鬼にお前の名前は鬼六だ!と言うと鬼は姿を消してしまった。鬼六の架けた橋はどんな大雨でも流されることはなかった。
「スフィンクスの謎」 あらすじ
スフィンクスの謎かけとは「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足で歩く者とは誰のことか?」です。
答えられないものは殺されてしまいます。
そこに、勇敢な若者オイディプスが通りかかります。
スフィンクスはその前に立ちはだかり、同じ謎をかけました。
聡明なオイディプスは直ちに「それは、人間だ」と答えました。
スフィンクスは恥ずかしさのあまり、丘の上から身を投げ出して死んでしまったという話です。
旧約聖書でも神の名をみだりに呼んではならないと説きます。
いずれも名を呼ぶことの力を連想してしまいます。
仏足に触れる額や風光る 高資
額衝ける千輻輪や涅槃西風 高資
魚は氷に上り額に光かな 高資
空風に地水の炎える五鈷杵かな 高資
衣手のなぎさの珠や地蔵盆 高資
地蔵菩薩・安産寺
この地蔵菩薩立像は、奈良県宇陀市室生三本松にある安産寺に安置されています。平安時代前期、9世紀末の制作とみられ、国の重要文化財に指定されています。榧の一木造、漣波式衣文、体幹の形態などが、以前、紹介した大関観音(宇都宮市西刑部町)にとてもよく似ています。また、川を流れてやってきたという伝説も大関観音と同じです。因みに本日は地蔵盆にあたります。(写真は「朝日新聞」2013年8月24日夕刊より)
龍天に登り曼荼羅守りけり 高資
春暁や金胎不二の渦巻ける 五島高資
高野山 赤松院
https://www.night.koyasan-okunoin.com/?fbclid=IwAR2-ucIv-H139gOc-FVHfHEt3MisuXslkzOtzFjvGVFgllmOEAx1-90FrcU 【高野山奥之院ナイトツアー】
胎蔵界曼荼羅が阿(α)であり。金剛界曼荼羅が吽(ω)だということでしょうか?
それは胎蔵界の結縁灌頂が先で金剛界結縁灌頂が後ということと同じ意味合いでしょうか?
調べてみると下のブログが目に留まりました。https://todaysseaway.ttcbn.net/archives/8825
【胎蔵界・金剛界曼荼羅の意味ってなんだろう?】
胎蔵界は、受容。あらゆるものをどこまでも無条件に受容する愛。女性性の力。たとえるなら蓮の花。それも悟りへの道。
金剛界は、意思。高みを目指し、貫きそびえゆく強く輝く意思。男性性の力。たとえるならダイヤモンド。それも悟りへの道。
両者あわせて一つの宇宙の姿。2つの表現ではあるけれど一つのことを言っている。違うけれど矛盾しない。
なぜなら「一つ」とは宇宙根源である大日如来だからです。
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