煩悩即菩提・リフレーミング

秋の燈や大黒天の笑ひたる  五島高資


大黒天の前身はチベット密教のマハーカーラー・破壊神 

ウィキペディアには「マハーカーラ(Mahākāla)は、ヒンドゥー教の神の一柱で、シヴァの別名のひとつとされる。

マハーは「大いなる」、カーラは「黒、暗黒、時間」を意味し、世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れる。

シャマシャナという森林に住み、不老長寿の薬をもつ。

力ずくでも人を救済するとされる。」と紹介されています。

下図もそこからお借りしました。

破壊の神がなぜ人を救うことになるのでしょう?

大黒天は打ち出の小槌と大きな袋を持っています。

因幡の白兎を助けた話は童謡にもある程よく知られています。(古事記)

打ち出の小槌と言えば 一寸法師を大きくした道具です。

もともとの持ち主は鬼。

マハーカーラーとイメージがダブります。

打ち出の小槌を振る行為は「魂振り」を連想させます。

魂を呼び覚まし奮い立たせる行為になるのではないでしょうか?

一寸法師のお話に登場するこの鬼も閻魔様に統括された鬼の一人でしょうか?

つまりは鬼は潜象界のエネルギー、黄泉の国のエネルギー、破壊エネルギー、遠心力、殻を打ち破るエネルギー、変化のエネルギーと言えるのかもしれません。

ヨブ記では サタンは神の許しのもとに働きます。

天使の中にも堕天使が存在し、反面教師の役割をすると聞いたこともあります。

下の絵のマハーカーラーは如来の見守りのもとに 中心に陣取っています。

大黒様は心の中にちゃんと陣取っていることをしっかり見極め、セルフの管理と見守りのもとに活躍してもらう必要があるということでしょうか?

そんなセルフを培うこと(つまりセルフエスティムを高めること)はありのままの自分を認め、信頼し、心の主になっていくことではないかと思います。

マハーカーラーのエネルギーが強いほど、それを見守る如来は成長せずにはおれません。

自分の中にいろいろな衝動がうごめくことをちゃんと見て、そんな自分とも仲良くして コントロールする。

現実社会と調和バランスを取る。

もしかしたらそれがセルフの役割かもしれません。

真実に自分を生かすことは相手を生かすこと。

世界に貢献すること。

千日修行の700日は 自利の為、300日は他利の為と聞きます。

自分を愛することなしに世界を愛することは不可能です。

本能は生存欲求です。

必要があって、命に備わる力です。

煩悩撲滅のあがきは、自分を押し殺すあがき、抑圧するための努力です。

嫌な自分の一部があれば、「今まで自分を育て、助けてくれたことに感謝し、手放しましましょう」「煩悩を昇華し、エネルギーの発動スタイルを変える学びの勇気を持ちましょう」

セルフは丁度オーケストラの指揮者のように 様々な音色(周波数を持つサブパーソナリティ)のハーモニーをとる役割といえるのではないでしょうか?

人体はオーケストラの様だといわれています。

また煩悩即菩提だといわれます。

インターネット上での解説を観ました。

ウィキペディア では「煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)は、大乗仏教の概念の一つ。

生死即涅槃と対で語られる場合が多い。

悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)とは、ともに人間の本性の働きであり、煩悩がやがては悟りの縁となることである 」と記しています。

セルフエスティムを高め、安心立命の境地に繋がることを指して 煩悩即菩提というのではないかと思います。 

涅槃会や金剛不壊のほの明かり 五島高資

閑かさや常楽我浄の涅槃像 五島高資

偈を捧げ坐したる鶴の林かな 五島高資ー 場所: 清浄華院

頂に空を枕の寝釈迦かな  高資

 関東の高野山

一指李承憲@ILCHIjp

いつも同じことを繰り返し、同じ人と会っている人は「今」に何の意味があるのかと問うかもしれません。しかし「同じ」というのは錯覚です。どんなことであっても同じことを繰り返えすことはできません。昨日は過ぎ去りました。私たちはいつも違う場所に居て、違うことをし、違う人と会います。

一指李承憲@ILCHIjp

家の大掃除をするように脳にも掃除が必要です。否定的な情報や良くない記憶が長く残っていると脳がうまく働きません。過去の良くない記憶とそれによる感情の支配が現実に影響を及ぼします。脳も時々きれいに整理してあげましょう。瞑想は脳の否定的な記憶やエネルギーを掃除するのにとても優れています

一指李承憲@ILCHIjp

私たちの内面には、お金や権力、世間的な成功、恋人の愛などの外部的なものだけでは満たされない何か、本当の私、尊い私の魂が誰にもあります。このような本当の私に出会ったとき、私たちは本当の自由と平和を感じられます。今日一日、日常から離れ、内面にある本当の自分と出会う時間を作ってみては?

一指李承憲@ILCHIjp

変化はいつも選択から始まります。時には私たちがコントロールできない人生の波によって、時には私たちの怠惰や恐怖、習慣のせいで、何度も失敗することがあります。しかし本気で選択しあきらめずに行動すれば自分の望む人生に一歩ずつ近づいていきます。選択できるということが大事です。

慈愛マスター@TOMMYEL77

希望の灯火は

唯一

自分だけが灯せることができ

自分だけが消せるもの

誰に何を言われても

自分が消さない限り

ずっと灯り続けます

慈愛マスター@TOMMYEL77

希望の灯火に火を灯し

勇気という大きな扉を開くと

そこで差し伸べられる手は

友達の手でもなく

家族の手でもなく

救世主の手でもなく

未来の自分の手なんです

慈愛マスター@TOMMYEL77

本当に自分を救えるのは自分のみです

自分にとっての救世主は

他の誰でもなく自分自身なんですよ

リフレーミング(枠組みを変える)には意味のリフレーミングと状況のリフレーミングがあります。

ゲシュタルトでいえば図地反転・視点変更と言えるのかもしれません。

リフレーミングをすることで、私たちは物事の考え方の枠組みを変え、今までとは別の角度から、物事を見て、解釈することができるようになります。

例えば、営業成績が芳しくないとして、その事実を「どうしてできない?」ではなく「どうすればできる?」

とプラスの考え方を持つ事によって、選択の幅を広げ、自分自身の可能性をさらに広げる事ができます。

意味のリフレーミング 例

長所=短所  即断・即決=短気  慎重=優柔不断 

性格のリフレーミングの仕方をご紹介します。

あなたの欠点は?

できるだけ沢山挙げてみてください。

次は「欠点と思っていることに隠された長所」を探して下さい。

例えば優柔不断が欠点と思っているとします。

隠されていることは?

「優しい」「慎重」「熟慮」…色々考えられると思います。

「それは素晴らしい私は優しい」と言ってみましょう。

自分で数えあげた欠点の全てに隠された長所があることが納得できるまで

次は欠点の反対語を考えます。

「優柔不断」が欠点と思っている人は「即決即断」を理想的なことだと

思い込んでいるかもしれません。

その理想に潜む 一番避けたいことを探します。

「独善」「独りよがり」「孤立」…

これも色々考えられると思います。

「それはいけませんね。独善的な人」と言ってみましょう。

性格は個性であり 長短がないこと、単なる好みであることが納得できる

まで・・・・

誰かと一緒にやってみると ありのままの自分を愛し受け入れる手助けに

なりますよ。

自分の想念、信じ込みから自由になり 本来の自分を取り戻す喜びを

体験してください。

  

状況のリフレーミング例

水害⇔サハラ砂漠 昔は水害で肥沃なデルタ地帯が生まれた。

人に対するストレス⇔山の中で人に会う

雨が降った時に嫌だなと思う方が多くいるかも知れません。しかし、水不足の農家の方にとっては、これ以上ない恵みになります。

「状況を変える事によって、成果を出す事が出来る」

「今の悩みや心の制限は、別のj状況においては強みや自信にできる」

ということが分かってきます。

状況により、意味が変わってくるということを理解することで、

不必要に悩むことなく、可能性にフォーカスすることができるようになります。

http://raise-eyes.jp/dekigoto-hito-nojudge/941     より

【出来事・人をジャッジしないと楽に生きることができる】

ジャッジしないとは、起こった出来事に対して、それが「良いこと」だとか「悪いこと」だとか決めつけないということ。

また、人をジャッジしないとは、「あいつはできる奴だ」とか「ダメな奴だ」とか決めつけないことです。

あなたは、知らず知らずのうちにこんなジャッジをしていませんか?

ジャッジすると苦しくなる

人を評価かして見てしまうと、実は自分が苦しくなるんですよ。

つまり、ジャッジするとは、「自分の意に沿わない行動をしている人間を人を思い通り動かしたい」という欲求の現れだと私は思うんですが、あなたはどう思います?

人間は非言語の関わり、つまり相手に対する態度が言葉よりも伝わってしまうものなので、そういう前提で関わると、相手も感じ取ってしまいます。

あなたは、自分を意のままに動かしたいという人の思い通りに行動したいですか?

私は真っ平ゴメンです。

私は他人の欲求を満たすために生きているわけじゃない。

人の欲求を満たすために生きたって、楽しい人生を送れないと思うから。

また、相手も同じ、これがアドラー心理学でいう「課題の分離」の考え方の1つです。

うつを患っているときに、この考え方に出会って、とっても心が楽になりました。

他人がどう行動するかは、そのが考えることであって、自分がそれを意のままにしようとするのは「他人の課題に土足で踏み込む」ことなのです。

「相手が部下であろうと、自分の子供であろうと」です。

リフレーミングする

NLP(神経言語プログラミング)では、「出来事はいつもフラット」で、それに「良いこと」と「悪いこと」のラベルを貼るのは自分自身だと考えます。

だから、考え方見方を変えることで、「良い」と思っていたものを「悪いこと」だと変えられるし、逆に「悪いこと」だと思っていたことも「良いこと」と看板を掛け替えることができます。

これをリフレーミングといって、例えば、

怒りっぽい人→情熱的な人と変えることによって、印象は正反対になります。

このどちらの面を見るかによって、相手に持つ印象も変わってきます。

だから、いくらでもフレームは交換することができるんです。

アドラー心理学では、「眼鏡を変える」っていうようです。

つまり、それまでピンク色のレンズをはめた眼鏡をかけているのを青色の眼鏡に変えてみる。

そうすれば、また違った世界が見えてきます。

いつもフラットでいる

じゃあ、もう一歩進んで、そもそもラベルを貼ることを辞めてしまえばいいんじゃないでしょうか?

出来事は出来事、自分の気持ちは気持ちと分離する。

人間関係のトラブルでは、仕事で何か上手く行かないことがあって上司に叱られたとしましょう。

ここであるのは、仕事で上手く行かなかったという事実と「上司が叱った」という出来事だけです。

これをどう捉えるかは、あなた次第。

仕事で上手く行かなかったのであれば、どうすれば上手く行くか考える。

そして、上司が叱ったという出来事を叱咤激励と捉えるか蔑(さげす)まされたと捉えるかはあなた次第です。

上司はあなたの将来を期待して叱ったのかもしれないし、単に虫の居所が悪かっただけかもしれない。

それは、解りません。

ひょっとしたら上司にも解らないかもしれません。

だったら、そんなことを気にせずに、あなたはあなたのできることをすればいいだけじゃないでしょうか?

同じように、人に対して何があっても「ジャッジ」せずにフラットに関わると、そんなに感情が揺さぶられることがないと思います。

まとめ

確かに、ある出来事に対して、反応してしまうことはあるでしょう。

それは仕方がないと思いますが、その後まで相手のことを恨んだり、嫌いになったり、あんな奴だと決めつけたりすると、自分がその感情をずっと心の中に抱えていかなくてはなりません。

それって、苦しくないですか?

え?どうやったら、そのように「ジャッジ」ぜずにいられるかって?

私の場合は、瞑想(マインドフルネス)をやり始めてから、できるようになりました。

一歩引いて、俯瞰して出来事を見てみる。

そんなことを習慣にしてください。

きっと、自分の人生を歩くことができるようになりますよ。

そうそう、『人を裁くことなかれ。しからば汝らも裁かれざらん』というイエスキリストの教えってこういうことじゃないのかな?ってふと思った。

もちろん、自分自身に対してもダメ出しせずに。


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吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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