和の心・五常の徳・武士道

ますらをや日本海より風光る  高資  東郷平八郎 書 (五島高資 所蔵) 

これは東郷平八郎の座右の銘なのでしょうか?武士道精神と言えるのでしょうか?戦後 ナンセンスな考えとして 日本人は骨抜きにされましたね。              

五島高資 「皇国興廃在此一戦各員一層奮励努力」が有名ですね。「精忠誠義感神明」もまた深いお言葉ですね。 

明治18年(1885年)に創業し、「海軍料亭」と呼ばれ、歴代海軍の幹部らが利用した神奈川・横須賀市の老舗料亭「小松」が、全焼する火事があった。 横須賀市史は「日本海軍の歴史をたどるうえでも重要な遺構」と位置づけている。 店内には、東郷平八郎や米内光政、山本五十六にゆかりのある書なども所蔵されていたということです。 一部には放火という声もあったようですが・・・もしかして日本人骨抜き工作の一つでしょうか? 横須賀の海軍御用達の料亭が火事だった。消防署がすぐ横にあるのに全焼とは。 歴史ある料亭が定休日に火事それに火の回りも半端なく凄いな これて放火じゃねー! https://matome.naver.jp/odai/2146343844995647701 より

http://isoroku.jp/ アメリカとの国力の違いをよく知っていたために、誰よりも戦争に反対していた山本五十 六。真珠湾攻撃までの苦悩を辿る.

 I LOVE JAPAN~世界を融和に~ フェイスブック・ごとう孝二さんの投稿記事 「ベトナム中を感動させた 少年の大和魂」

東日本大震災は数々の人間ドラマを生んだが、 3・11からまもなく、 1人のベトナム人記者が取材で被災地に入った。 避難所で少年にインタビューする。 少年は津波で両親を亡くし、激しい寒さと飢えで震えていた。 一つのおにぎりを家族で分けて食べるような状況だった。 記者は見かねて少年に自分のジャンパーを着せかける。 その時、ポケットから1本のバナナがぽろっとこぼれ落ちた。 記者が、 「バナナ、欲しいか」 と問うと、うなずくので、手渡した。 ところが、少年はそれを食べるのでなく、避難所の片隅に設けられたみんなで共有の食料置き場に持って行き、もとの場所に戻ってきたという。 記者はいたく感動する。帰国すると、 <こういう子供はベトナムにはいない。……> と報道した。 この記事が大変な反響を呼ぶ。 かつて、ドラマ「おしん」が大人気になったお国柄だ。 ベトナムからの義援金は100万ドル (約8000万円)にのぼったが、このうち、 「バナナの少年にあげてください」 という条件つきが5万ドルもあったというのだ。 「少年は大変けなげな日本人の 美質、DNAをきちんと受け継いでいる。 将来の日本を支える若い人たちのなかに、こういう子供は少なくない。」 悲劇と苦難のもとでも失われない民族的な強じんさを、 一少年の小さな行為から教えられた思いだ。 3・11は<第2の敗戦>とも言われるが、 「敗戦の時にも同じような話があったんです」 と言う。 それは、ある会合の席で、五百旗頭真防衛大学校長が ジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事から聞いたエピソードだ。 敗戦の1945年暮れ、占領軍の若い将校だったアリヨシは、 東京・有楽町の街角で少年に靴磨きをしてもらった。 寒風のなか、小柄な少年が懸命に心をこめて磨く。 アリヨシは白いパンにバターとジャムを塗り込んだのをプレゼントした。 少年は頭を下げながらそれを袋に収める。 「どうして食べないの」 「家に妹がいるんです。 3歳で、まり子といいます」 と答えた。 少年は7歳だという。 アリヨシは感銘を覚えた。 「世界のどこの子供がこんなふうにできるだろうか。 モノとしての日本は消失した。 しかし、日本人の精神は滅んでいない。 あの時、日本は必ずよみがえる、 復興すると確信した」 と語ったそうだ。 「日本人の悲しみを共有し、日本人に感服する。」 

【東日本大震災 涙の答辞文字起こし】           

私たちはキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学び舎を57名揃って巣立つはずでした。 前日の11日、一足早く渡された思い出の沢山詰まったアルバムを開き、10数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。 東日本大震災と名付けられる天変地異が起こるとは誰も知らずに。 自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力だ。 私たちから、大切なものを容赦なく奪っていきました。 天が与えた試練というには酷すぎるものでした。 辛くて悔しくてたまりません。 時計の針は14時46分を指したままです。 でも時は確実に流れています。 生かされたものとして 顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、逞しく生きていかなければなりません。 命の重さを知るには大きすぎる代償でした。 しかし苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きることがこれからの私たちの使命です。 私たちは今 それぞれが 新しい人生の一歩を踏み出します。

 聖徳太子から学ぶ日本の心 十七条憲法 冠位十二階  徳・仁・礼・信・義・智 

http://karapaia.com/archives/52162350.html?fbclid=IwAR35IYvsBXUihdmn3u3wEDtP7TvXBx-vKMkoy_OfiBKG2r6uc7kZYGNI9Ac  

【稲作地域は和を重んじ、小麦作地域は個人主義に傾く。作っている穀物の違いと人の考え方・価値観の違いに関連性(米研究)】

龍顔を碑に残してや神の留守  高資

秋夕焼雲舞ふ迦陵嚬伽岡  高資ー 場所: 岩手県 一関市

みちのくの稲穂に遊ぶ雲居かな  高資ー 場所: 福島県 福島市

日と雲と勾玉と映ゆ秋の暮  高資ー 場所: 岩手県 一関市

阿武隈の霧より生るる流れかな  高資

神さぶる阿武隈川や竹の春  高資

阿武隈の川面を霧と渡りけり  高資


https://w-roots.jp/?p=834  【奥行ある和語】より


竜の追ふからたちの実や天の原  高資ー 場所: 竹生島神社

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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