https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/shou/kokugo/document/ducu7/c01-00-002.html 【井口時男が読む「教科書の俳句」第2回 正岡子規②】より
いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規 季語:雪(冬)
切れ字:けり
明治29年(1896)、「病中雪 四句」と前書がある。
雪ふるよ障子の穴を見てあれば いくたびも雪の深さを尋ねけり
雪の家に寝て居ると思ふばかりにて 障子明けよ上野の雪を一目見ん
伊予松山出身の子規にとって、雪はめったにないハレの出来事だったろう。東京にはめずらしい大雪のようだが、子規はうれしいのだ。心のはずみは一句目「雪降るよ」の「よ」に現れている。そう思えば、「障子の穴を見てあれば」も、何やら子供の仕草めいている。
たしかに、雪は人の心を童心に誘うところがある。芭蕉だって江戸の雪に会えば童心にかえってはしゃいだ。
君火をたけよきもの見せむ雪まるげ *「雪まるげ」は雪をころがして作った大きな雪玉。
いざさらば雪見に転ぶ所まで 芭蕉も雪降ることの少ない伊賀の出だった。
しかし、脊椎カリエスを病んで起き上がれない子規は、じかに雪を見ることができず、術もなく寝ているしかない。だから〈いくたびも雪の深さを尋ねけり〉。あんまり何度もきくので、初めは笑いながら答えていた家人(母や妹)も、やがてはあきれ、しまいにはついつい返事を面倒がるようにもなっただろう。
それでただ黙って寝ていると、しだいに、しんしんと降る雪の底に、病む自分だけが深く沈んでいくような暗鬱な気分にもなる。〈雪の家に寝て居ると思ふばかりにて〉。
そしてついにがまんできなくなって、〈障子明けよ上野の雪を一目見ん〉。「障子明けよ」は命令形だ。もちろん家人は子規の体を気づかって寒気に当てないよう障子を閉めていたのだが、とうとう子規の癇癪が爆発したのだと思ってもよかろう。実際、子規はかなりわがままな病人だった。
以上、四句を連作として読んでみた。
四句の中で一番世評が高いのは〈いくたびも雪の深さを尋ねけり〉である。しかし、ほかの句と違って、この句はただ事実を叙しているだけで、子規の心事を推測する手がかりがまったくない。その抑制された叙事性が「玄人好み」なのだ。「玄人」は、この抑制された十七音の背後に子規の怺えていた「境涯」の重みを読み込むのである。
ここには近代の俳句観の特徴が如実に現れている。俳句は主観を殺してただ客観を叙すべきものだ、主観は客観の背後におのずとにじむだけでよい――つまりは子規の「写生」説に始まって虚子の「客観写生」説に極まった俳句観である。
たとえば芭蕉などはもっとおおらかに主観を流露させていた。
おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな *「鵜飼かな」とも。
むざんやな甲の下のきりぎりす うき我をさびしがらせよかんこどり
近代俳句はこの主観表現のおおらかさを失ったのである。
むろん誰も芭蕉にはなれない。小人の「さびし」も「かなし」もちっぽけで凡庸だ。加えて、俳句詩形の短さを思えば、主観を抑制せよというのはなかなか有益な指導だろう。
しかし、この指導の裏面には、実は自分の主観に対する近代俳人の自信のなさ、ちっぽけで凡庸な主観を他人の目にさらすことへのおびえが隠れているのではないか、と私は意地悪く疑っている。なるほど隠していれば安全だが、それでは鍛える機会もないだろう。「主観」はたんに感情だけのことではない。思想だって「主観」なのだ。
ところで、前述の私の鑑賞は、前書と子規の境遇に関する知識を踏まえた鑑賞だった。では、前書もなく子規という作者名もなく、ただ一句だけ提示されたらどう読むか。
いくたびも雪の深さを尋ねけり
虚心に読めば、意味にもひびきにも、心のはしゃぎを暗示するものは何もない。むしろ音調は重く沈鬱でさえあるだろう。ついでに、これは天明期の越後の俳人・岳嶺の作だ、などともっともらしく言われたらどうなるか。はしゃぐどころか、大雪の気配におびえる雪国の病俳人の句になりはしないか。(「越後の俳人・岳嶺」は私がいま即席にでっち上げた架空の人物だ。)
雪がどこの誰にとってもハレの現象だなどとは絶対にいえないのである。現に、雪深い信州に帰郷した小林一茶は「雪の深さ」を 是これがまあつひの栖すみかか雪五尺
と詠んだではないか。深刻になるところを「是がまあ」の軽みで救っているのが一茶らしいが、一茶はこの雪の中で長い冬を暮らす(生活する)のだ。芭蕉も子規も雪の中で暮らす(生活する)人ではなかった。一茶にはまた、心からしなのゝ雪に降られけりもある。
「降られ」の受身形には迷惑と被害の意識もにじんでいる。
つまり、子規の〈いくたびも〉は、前書なしに自立できない句、書かれた前書だけでなく、正岡子規という作者名と子規の境遇に関する知識をも「書かれざる前書」として読むしかない句なのである。
その点で、これは子規のあの問題作(後世が問題にした作)、鶏頭の十四五本もありぬべし
に似ている。この句の評価も、子規の「境涯」に関する知識に多く依存しているのだ。
さて、お気づきの読者も多いだろうが、私はここで、桑原武夫の「第二芸術論」と似たことをやってみたのである。
敗戦直後のあの大胆なエッセイで、桑原は、有名無名取り混ぜた俳人の俳句十句を作者名なしで並べてみせた上で、次のような議論を展開していた。
――こうしてみるとどれが誰の作品やらわかるまい。つまり、俳句は作者の「個性」を表現できていない。作者の経験を十全に再現できていない。作品として「未完結」で「脆弱」で、作品が作品として自立できていない。その結果、評価が作者名(人物情報や権威の有無)に依存しがちだ。しかも作者の権威は「中世職人組合的」な「党派」(結社)によって支えられているので世俗的権威と芸術的権威が混同されがちだ。ゆえに俳句は近代的な意味での「芸術」ではなく「芸」(芸事)である。それでも「芸術」という呼称にこだわるなら「第二芸術」と呼ぶべきだ。
文学的というよりは「社会学的」な俳句論だが、近代芸術を範とする限り、桑原の批判の矢は俳句の急所にちゃんと刺さっている。そしてそもそも、俳諧(連句)の発句だけを完全に独立させて「俳句」という呼称を広めた子規自身が、まぎれもなく、近代芸術を志向していたのだから、桑原の放った矢は〈いくたびも〉の急所も貫いている。
では、作者名と前書に依存せざるを得ない〈いくたびも〉は作品として自立できないただの凡句であるか。そんなことはない。小声のつぶやきみたいなものだが、読者の素通りを許さず、立ち止まらせ、耳傾けさせるふしぎな力がある。実は私はこの句が好きなのである。
作者名と作者情報に依存せざるを得ない境涯の句は私小説に似ている。そして、敗戦後、俳句同様、私小説も批判にさらされた。
作者の私生活上の事実に密着した私小説は、非虚構的で非社会的で非思想的で、ひどくいびつな文学だ、それは「個人」が圧殺された近代日本のいびつさに対応している、このいびつな文学を否定して本格的な近代文学を創出しなければならない――というのが戦後文学の気運だった。現に、戦後文学をリードした雑誌は「近代文学」と名乗っていたのだ。彼らの私小説批判はそのまま俳句にも当てはまる。
私は戦後文学が築いた思想性と社会性の骨格をもった壮大な虚構作品の系譜を愛し尊重する者だ。実際、大岡昇平の『野火』や埴谷雄高の『死霊』は私に大きな衝撃を与えた。けれども、小さな私小説には別な魅力がある。いびつに歪んだ嘉村礒多の私小説もまた、たしかに私の心を打つのである。同様に、子規の境涯の句も私の心を打つのである。
最後に、「五尺」どころか七尺も八尺も雪が積もる村で育った私の句を。
雪の夜のわが少年を幻肢とす (BLOG俳句新空間 冬興帖 2019年1月)
雪国の少年にとっても雪は天からのハレの贈り物としてやって来るが、やがて深く重たい雪に閉ざされた少年は、不可能な脱出を夢みて焦燥の夜を輾転反側したりもするのである。幻肢とは「失った腕や脚がまだ存在するかのように、痛み・かゆみや運動感覚を感ずる現象」(『広辞苑』)。
灰かぶりサンドリヨン幾たり眠る雪の村 (同前)
これは雪の村の少女たちに。ことに、私の同級生だったかつての少女たちに。中城ふみ子の歌「灰色の雪のなかより訴ふるは夜を慰(ママ)やされぬ灰娘サンドリアンのこゑ」(『乳房喪失』)への唱和のつもりで。「サンドリヨン(サンドリアン)」は「シンデレラ」または「灰かぶり(姫)」のこと。
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