https://www.pen-online.jp/article/000600.html 【アートの視点で、宇宙の謎と魅力をひも解く】より
週末の展覧会ノート15:これまでにないユニークな切り口で“宇宙”に迫る、六本木・森美術館の「宇宙と芸術展:かぐや姫、ダ・ヴィンチ、チームラボ」をレポートします。
もう少し時が経てば、一般の人でも宇宙に行けるようになるかもしれません。そんな時代になっても、宇宙はまだたくさんの謎で満ちているはずです。いま、東京・六本木の森美術館では、そのミステリアスな存在である「宇宙」をめぐって私たち人間がつくり出してきたさまざまなものが展示されています。南條史生館長と共同でキュレーションを行った森美術館のアソシエイト・キュレーター、椿 玲子さんのナビゲートで、話題を集めている「宇宙と芸術」展をご紹介しましょう。
アートを通じて、宇宙のことを考える。
同展を手がけた森美術館アソシエイト・キュレーター、椿 玲子さん。
「いったいなぜ、美術館で宇宙の展覧会を?」と不思議に思う人もいるでしょう。同展を手がけたキュレーターの椿 玲子さんは、以前から「宇宙観に興味があった」といいます。
「父が宇宙物理学者だったこともあるのかもしれませんが、子どもの頃にはたとえばお風呂で水滴が落ちるとその中にもう一つの宇宙があるのでは、といったことを考えていました。もちろんその頃は多元宇宙論など知らなかったのですが、いろいろな世界があってそれがつながっているようなSF小説なども読んでいましたね」
森美術館では以前、「医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る」という展覧会を開いたことがあります。人間の生命の根幹と関わる「医学」と、精神の奥深いところと関わる「芸術」を通じて、人間のさまざまなあり方に迫ろうという試みでした。今回の「宇宙と芸術」展にも似たようなことが言えます。宇宙について考えをめぐらせるとき、人間は哲学者になります。私たちをとりまく宇宙の成り立ちや構造を探ることは、アートを通じて私たちがなぜここにいるのか、どこから来たのか、またどこへ行くのかを考えることと似ているのではないでしょうか。
楼閣の中に、仏の像や仏を蓮華などのシンボルで表現したものが並ぶ立体マンダラ。『グヒヤサマージャ立体マンダラ(インド)』(製作:ギュメ密教大学ゲルク派学僧) 20世紀
今回の展覧会は、4つのセクションに分けられています。最初のセクションには「人は宇宙をどう見てきたか?」というタイトルがつけられて、古代から現代まで、東西の人々が考えた宇宙の姿を展示しています。
その中でも最も古いものの1つが、鎌倉時代に描かれた「両界曼荼羅」と呼ばれるもの。密教の教えを説く最も重要な絵画です。
「2枚セットのうちの『金剛界曼荼羅』は、9つに分かれた画面が9つの宇宙を表していると解釈することもできます。いまから7~800年前に描かれたものですが、最新の多元宇宙論ともつながっているのです」と椿さん。
それまで日本では中国や韓国でつくられた天文図を写していたが、江戸時代の天文暦学者渋川春海は、自ら天体を観測し、日本で初めて天文図をつくった。渋川春海『天文成象』 1699年(江戸時代)
今回の展覧会には出品されていませんが、16世紀のイタリアにジョルダーノ・ブルーノという哲学者がいました。彼は、「宇宙は1つではなくいくつもあり、互いにつながっている」とする本をロンドンで出版します。イタリアに戻った彼は宗教裁判にかけられ、自説を曲げなかったため火刑に処せられてしまいます。
江戸時代に製作された、国友藤兵衛の天体望遠鏡。国友はもともと近江国(現在の滋賀県)の鉄砲鍛冶だったが、江戸屋敷で見た舶来製の天体望遠鏡に驚き、1年あまりの年月をかけて自らの手で製作した。会場には国友による太陽黒点観測図なども展示されている。国友藤兵衛重恭(国友一貫斎)『 反射望遠鏡 銘一貫斎眠龍能当(花押)』 1836年(江戸時代)
「科学は正しいと思われていますが、実際には現代の科学も人間が作り出したルールの1つにすぎません。コペルニクスが天動説を否定して地動説を唱えたときのようなパラダイムシフトがあると、それまで正しいと思われていたことが覆ることもあるのです。でも私たちは、いまある科学でしかものごとをとらえることができません。芸術ができることの1つに、科学と違う自由な想像力を喚起することがあります。私たちが宇宙について想像できることは限られているけれど、可能性もある。いま存在する科学がすべてではない、ということを考えるきっかけにしたいんです」
日本最古の小説である竹取物語が、月からやってきたお姫様というSFなのは面白い。『竹取物語絵巻』(第三巻) 江戸時代前期(17世紀)
現代美術で表現された、宇宙のすがた。
ブラックホールをチープな材料で表現したアート。夕暮れから夜にかけてガラスに映り込む光景も面白い。ビョーン・ダーレム『ブラックホール(M-領域)』 2008年
メビウスの輪のようなオブジェ。近年の宇宙論ではビッグバンの前に2つのブレーンがあり、そのぶつかり合いによって宇宙の誕生が繰り返されているという。森はこれを仏教の輪廻転生に通じると感じている。森万里子『エキピロティック ストリング Ⅱ』2014年
「宇宙という時空間」と題された2番目のセクションには現代美術作家の作品が並びます。
「宇宙に興味をもっているアーティストは意外に多いんです。彼らは勉強熱心で、最新の宇宙論についてよく知っている人もいます」
たとえばビョーン・ダーレムの大きなオブジェはブラックホールを表したもの。超巨大なブラックホールを中心に銀河系がまわっているという考え方を表現しています。
「面白いのは蛍光灯やドイツの家庭ではごく普通に使われている照明のカバーなど、日常的な素材を使って多元宇宙を表現していること。ありふれたもので神秘的なものを表す錬金術師的なアートです」
「日時計や水時計は人類が最初に発明した時計」と椿さん。コンラッド・ショウクロス『タイムピース』2013年
コンラッド・ショウクロスの「タイムピース」は日時計からインスピレーションを得てつくられました。回転する棒状のものはそれぞれ長針・短針・秒針を表しています。
「時間は人間が作り出したもの。時間というものは自然の中にあらかじめ存在しているものですが、それを区切ることで自分たちのリズムを知ろうとしたわけです。この作品は、自然の中に存在する、連続した時間を追体験させてくれます」
終末感が漂うジア・アイリの作品。左から:『星屑からの隠遁者』2015-2016年、『無題』2015年、『無題』2008-2012年
中国の作家、ジア・アイリの巨大な絵画は映画のワンシーンのようです。
「道教では、稲妻は気や精神を表すとされています。そこに完全を意味する球体が浮いているという謎めいた絵です」
ジア・アイリのもう一つの作品では、さまざまな装置が集積したようなところに赤いスカーフを巻いた人が描かれています。赤いスカーフは中国共産党員の印です。この絵は科学の発達からとり残されてしまった人間の姿を描いているのかもしれません。別の作品では皆既日食のようにもブラックホールのように見える絵もあります。どのように受け取るかは観客に任されているのです。
ティルマンスは常に空間を強く意識したインスタレーションを行う。右から2点目の大作品は『ガイド星、ESO』2012年、いちばん上の作品は『名付けられた銀河と名付けられていない銀河、ESO』2012年
ヴォルフガング・ティルマンスはもともと天体少年だったのだそうです。彼は十代の頃、太陽の黒点を記録した日記をつけていたりしました。この展示は、彼が今回のために考えてくれたインスタレーションで構成されています。なかでも面白いのは、チリの天文台の超大型望遠鏡で捉えた星の姿を、デスクトップコンピュータに映し出した写真です。
「高感度で撮影された深宇宙の星々がコンピュータ画面のピクセルと重なりあう。マクロとミクロが交錯するイメージです」
地球外生命体をめぐる、さまざまな記録や考察。
いつか出会うかもしれない地球外生命体に関してさまざまな立場から研究が進められている。
3つめの地球外生命体に関するセクションは、椿さんがぜひとも入れたかったものだそう。
「少し前までは地球外生命体など存在するはずがないと考えていました。そんなものを研究するなんて、まともな科学者のすることではないと思われていたほどです。でも1990年代に入ってから性能のいい望遠鏡のおかげで、地球と似た条件の惑星がたくさんあることがわかってきました。惑星があるのなら、生命体もいるのかもしれないということになったのです」
地球外生命体を探すには、地球上で生命がどのように発生し、発展してきたかを知らなくてはなりません。生命とはどのようなものなのかを知らないと議論が始まらないのです。
「そこでいま、生物学者はもちろん、地質学者や物理学者らが集まって研究を重ねています。そういう世界観が面白くて、そういった状況を見てもらいたいと思いました」
パトリシア・ピッチニーニはこれまでも遺伝子工学などによる未知の生命体をアートによって表現してきた。パトリシア・ピッチニーニ『ザ・ルーキー』2015年
たとえばオーストラリアのアーティスト、パトリシア・ピッチニーニのなんともかわいらしくてちょっと気味の悪い生き物の彫刻は、遺伝子工学など最新の医療技術や理論によって生まれるかもしれない生命体を表しています。過去に存在したかもしれない、あるいは未来に現れるかもしれない生物です。
いずれも江戸時代に描かれたもの。お椀のような形の物体は、UFOとされるものによく似ている。右上:『常陸国鹿島郡京舎ヶ濱漂流船のかわら版ずり』1844年(江戸時代) 左上:滝沢興継(編:屋代弘賢)『うつろ舟の蛮女』(『弘賢随筆』より)1825年(江戸時代) 下:小笠原越中守知行所着舟(『漂流記集』より)江戸時代後期(19世紀)
お椀を合わせたような絵は「うつろ舟」を描いた江戸時代のものです。1803年、常陸国(現在の茨城県)の海岸にお椀のような舟が漂着し、そこには女性が乗っていたというのです。まるでUFOに乗ってきた宇宙人のようです。この「うつろ舟」にはいくつかの記録があり、細かいところに違いはありますが、舟の上半分は透明、年代が近いといった共通点もあります。もしかすると本当にUFOがやってきたのかも、と思わせる不思議な物語です。
この展示室にある荒俣宏の雑誌コレクションも必見です。主に第二次世界大戦前にアメリカで発行されたSF雑誌の表紙です。火星人や木星人、土星人などの想像図が描かれていて、当時の人々が想像していた地球外生命体の様相がわかります。これら宇宙人の予想図はまだわかるのですが、不思議なのは「地球に詳しい異星人に、地球人についてインタビューする」といったものや、「火星人が想像する地球人の姿」などの絵もあること。この想像力の方向性はどこに向かっているんだろう、と思ってしまいます。荒俣さんのディープな解説もさすがです。
3Dプリンタで制作した、合成生物学などによって生み出された架空の生物のシリーズ。ヴァンサン・フルニエ『ロボット・クラゲ・ドローン(キアネア・マキナ)』2013年
ロボットなので、解剖学的にはありえないような理想的なプロポーションをつくり出すこともできる。空山 基『セクシーロボット』2016年
空山 基はソニーの「AIBO」のコンセプトデザインも手がけたアーティスト。彼の「セクシーロボット」は美しい女性アンドロイドの姿を表現したものです。クールかつリアルなたたずまいに思わず恋に落ちてしまいそうです。
「近い将来、AI(人工知能)が人間を追い出してしまうかも、という研究者もいます。実際に部分的ではありますが、ロボットが書いた小説が文学賞の選考を通過したり、将棋や碁でプロ棋士に勝ったりしていることを考えると、あり得ないとは言い切れません」
一方で「メトロポリス」以来、ロボットに恋する映画も多く作られてきました。人間と人工知能との関係はこれからどうなっていくのかを考えさせます。
人類は、いかに宇宙を目指してきたのか?
いずれも「宇宙開発の父」とよばれる科学者、コンスタンチン・ツィオルコフスキーによるスケッチ(レプリカ)。無重力状態で漂う人間の様子などは、100年以上前に描かれたとは思えないほどリアルだ。
最後のセクションは「宇宙旅行と人間の未来」と題された、宇宙開発の歴史に焦点をあてたものです。ここで見逃せないのは壁に並ぶ一見地味な手稿です。これはロシアの科学者、コンスタンチン・ツィオルコフスキーによるもの。所蔵するロシア科学アカデミー・アーカイブとの交渉の末、貸し出された貴重なものです。
この手稿が書かれたのは100年以上も前のことです。しかしそこには現在のロケット工学の基礎となる物理的な理論や、宇宙旅行の際の人々の様子などが描かれています。それらは、その後実現した宇宙飛行などの様子を正確に言い当てているのです。
「宇宙と芸術」展と同時公開されている「MAMスクリーン004:宇宙から地球を観る 」でトム・サックスの映像作品が見られる。後ろの壁にあるのはニューヨークの作家、ジュール・ド・バランクールの絵。いろいろな国籍の人々が宇宙遊泳している。国を超えて協力しているのか、それとも領有権を争っているのか、さまざまに解釈できる。中央:トム・サックス 『ザ・クローラー』2003年
その前にはトム・サックスの「ザ・クローラー」という作品がそびえ立っています。これは1986年に事故を起こしたスペースシャトル、チャレンジャー号を模したもの。木やフォーム(発泡スチロールのような素材)など、身近でチープな素材を使って精巧な模型に仕上げています。宇宙開発における輝かしい成功の裏にある失敗をも現しているようです。
自分の周りの空間がぐるぐる回っているように感じられる。チームラボ『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして衝突して咲いていく―Light in Space』2016年
展覧会の最後に登場するのはチームラボの新作「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして衝突して咲いていく‐Light in Space」というインタラクティブなインスタレーションです。4×13×9メートルの空間を八咫烏(やたがらす)という三本足のカラスが縦横無尽に飛び回り、観客にぶつかると花を咲かせます。八咫烏は死にますが、花という新しい生命となって生まれ変わるのです。周囲を360度、インタラクティブな映像に囲まれる体験は圧巻の一言です。まるで宇宙遊泳をしているような気分が味わえます。
今回の展覧会に際して、森美術館館長の南篠史生氏はこう言っています。
「いま、いろいろな思考がジャンルごとに分断されていますが、包括的な視野を提供できるのがアートなんです。以前、ある宇宙飛行士に、なぜ宇宙に行くのかを尋ねたことがありました。すると彼は『いずれ地球上で人類が暮らせなくなる時代がくる。そのときのために準備しているんです』と答えました。この展覧会では、『私たちはこういう時代に生きているのだ』というメッセージを伝えたい。いまは地上で争っている場合ではなく、長期的な視野に立ってものごとを考えるべき時代なのです」
(青野尚子)
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