https://note.com/yamaji230/n/na8c5b813448c 【季語がなくても俳句ですか?|vol.03 俳句の読み方入門】より
俳句に季語が使われるのは、季語が「一言で色々なことを連想させる言葉」だからと説明しました。でも、季節と関連付けられない言葉でも、連想の膨らむ言葉はあるはずです。それをうまく使えば、季語なしの俳句も作れます。それが無季俳句(むきはいく)です。
Q.無季俳句とは何ですか?
季語が出てこない俳句です。
Q.歳時記に載っている言葉が、季節と関係なく使われている場合は、季語と呼んでいいのですか?
グレーゾーンです。
例えば、蝶は春の季語ですが、「蝶の標本」だとオールシーズンです。こういう場合は、「蝶は春の季語だが、作品の季節は春ではない」ということになります。
これを無季俳句と呼ぶかは、分かりません。個人的には、どれを無季俳句に分類するかには、こだわらないようにしています。とはいえ、季語と作品の季節感の関係を考えること自体は、頭の体操になります。
無季俳句
Q.季語がなくて俳句と呼んでいいのですか?
もう100年くらい経って、考えさせてください。
俳句は「季語を入れた五七五」だと言われています。しかし、結果的に季語がなかったり、作品に季節感がなかったりしても、一定の人が「俳句らしさ」を感じる作品があるのは事実です。そういうケースがたくさんある以上、「季語がないから俳句じゃない」と切り捨てるわけにはいきません。
季語という言葉自体は、明治時代にできました。しかし、季節と結びついた言葉を特別扱いする習慣には、千年以上の歴史があります。その積み重ねがあるから、季語が便利に使われています。
一方、無季俳句の歴史は百年弱です。まだまだ始まったばかり。季節と結びつけなくても、多くの人、広い世代に通じるような言葉のストックができれば、「無季俳句は俳句だ」と胸を張って言えるようになるでしょう。
とはいえ、分類にこだわり過ぎて、俳句を味わうのが楽しくなくなるのはもったいない。ですから、季語があろうとなかろうと、ピンと来た作品をじっくり味わうようにしています。
言葉の持つ広がり
Q.ピンと来るのはどうしてだと思いますか?
作者が心動かされた瞬間を想像できたからだと思います。
感性の問題なので、究極的には「人それぞれ」ということになります。ですから、あくまでも私の場合でお答えします。
無季俳句を例にあげます。
ついてくる犬よおまへも宿なしか(種田山頭火)
【読み方】ついてくる/いぬよおまえも/やどなしか
犬に向かって「お前も宿なしか」と問いかけています。「お前も」ですから、「私も宿なし」です。お互い気の毒な状態です。でも、声に出して犬に呼びかけてみると、犬が「山頭火おじさん」についてきている様子全体が、漫画の一コマみたいに見えてきて笑えます。
季語はありませんが、よく知られた「犬」を登場させたことで、多くの人が情景をイメージできます。その犬に向かって、知り合いに話しかけるように問いかけるのもほほえましい情景です。
「宿なし」は、この言葉自体はあまり使わなくなりましたが、字面からして、泊る所や帰る所がない状態が分かります。
困った状況をユーモラスに表現しています。シリアスな俳句にハッとさせられることもありますが、どちらかと言えば、笑える俳句が好きです。
何はともあれ、俳句の味わい方は同じです。季語があっても、なくても同じです。
言葉を手掛かりにして、作者が切り取った瞬間を想像する。
これに尽きます。
俳句の歴史
Q.「おまえ」と読むのに、「おまへ」と書くのはどうしてですか?
ついてくる犬よおまへも宿なしか(種田山頭火)
【読み方】ついてくる/いぬよおまえも/やどなしか
先ほど紹介した俳句に「おまえ」という言葉が出てきましたが、表記は「おまへ」になっていました。古文と同じ書き方、つまり、歴史的仮名遣い(かな づかい)です。
小説は、戦前に歴史的仮名遣いで書かれた作品でも、現代仮名遣いに書きなおして出版されることが多いです。
でも、俳句の場合は、新しい作品すら歴史的仮名遣いで作ることがあります。
これには俳句の歴史が関係しています。というわけで、次回は歴史の話をします。「入門」なので、難しくならないよう頑張ります!
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