https://www.otsuma.ac.jp/news_other/info/52133/【【学長通信】俳句という愉しみ】より
俳句というとまず何を連想するでしょうか。芭蕉、蕪村、一茶でしょうか。子規、漱石、虚子でしょうか。種田山頭火、尾崎放哉の自由律俳句、新興俳句、プロレタリア俳句を連想する人もいるかもしれません。俳句に親しんでいる人なら、戦後の前衛俳句運動、金子兜太などを思い浮かべるでしょうか。あるいはもっと若い世代の黛まどかなどでしょうか。
今また俳句がブームのようです。今回のブームの火付け役は、MBS/TBSのバラエティ番組「プレバト!!」でしょう。若手アイドル、お笑いタレント、俳優などの芸能人が、水彩画や生け花や料理や切り絵を製作し、それをプロの専門家がコメントを加えつつ査定し、ランク付けするという番組です。なかで、もっとも人気のあるのが「俳句」で、俳人・夏井いつきの辛口コメントに対し、添削を受けた芸能人たちが、嘆き、喜び、時に反論する、その応答がこの番組を盛り上げています。このほかにもTVやラジオにかなりの俳句番組があり、毎週おびただしい投句が紹介されています。
それだけではありません。近年の俳句ブームが若い人たちに牽(けん)引されていることも見逃せません。高校生たちが学校単位でエントリーする「俳句甲子園」(全国高等学校俳句選手権大会)は今年23回目を迎えましたが、年々規模を拡大し、北は北海道から南は沖縄まで、全国100校前後のチームが競ってきました。本学でも、春の大妻さくらフェスティバルのイベントの一つとして「俳句大賞」を実施しており、小学生から社会人まで、毎年1,000を超す作品が、全国各地から寄せられています。審査は、小学生以下の部、中学・高校生の部、一般の部の3つに分けて行いますが、この区分にみられるように、ここでも若い人たちの参加が多いことが特徴です。
俳句は世界で最も短い韻文、定型詩です。原則として、5・7・5という17音からなり、そのうち何字かは季語を含むため、作者の思いを表現するのはとても難しいはずです。ところが、そうした作業に数百万人とも一千万人ともいえる人々が、喜んで参加しているのです。このような一見すると参入の容易さが、俳句や短歌は芸術ではないとする『第二芸術』(桑原武夫、1946年)を、かつて生み出したのかもしれません。
そもそも俳句は、連句の発句が独立したものです。連句とは、何人かの人たちが集まって、575・77・575・77とつなげていって、一つの長い歌を作るというものです。『芭蕉七部集』の「冬の日」とか「炭俵」をみると、その具体例を知ることができます。連句は、いろいろな約束事があるのですが、最初の575を受けて77が付けられ、次の575はその前の77を受けてつくられるという連続性が一番の基本です。この出自そのものから、コミュニケーションの手段、共同体における共同性の担保という性格が俳句にはあるということになります。若い人たちが、俳句に取り組む一つの要素がここにあるのかもしれません。先に述べた「俳句甲子園」の全国大会会場では、審査員の講評とともに、対戦するチームが相互に相手の句を批評するコーナーがあります。
小林恭二『実用 青春俳句講座』(福武書店、1988年)は、共同性、コミュニケーションの手段という点に焦点を絞って、俳句を論じた本です。「もし、あなたが俳句をはじめたいとするならまず何をなすべきか?俳句の入門書を読んでみようみまねで俳句を書く前にひとつすることがある、と僕は思います。それは仲間を集めるということです。俳句とは、句会という共同体における『言葉』です。言葉は使う相手がいてはじめて覚えられ、また上達していくものです。俳句も言葉と同じように、いろいろな人にもまれながら、練り上げられていかねばならないのです」。そして、この句会の最初の頃の経験をつぎのように語ります。「四月、仲間内で題詠が盛んになる。毎週金曜日夜、駒場の喫茶店チャンティックを根城とする。全員落第生だったせいか、意識が急速に先鋭化する。毎週四時間ほども粘り、店主からあからさまな嫌味を言われたがへいちゃらで句会を続ける。はじめのうちは有季定型であったが、すぐに優季へ、無季へと移行する」、この句会は「ただひたすらに楽しかった」というのです。
こうした意味での句会を小林は組織者として実践します。この試みは『実用 青春俳句講座』にも「新鋭俳人の句会を実況大中継する」としておさめられているのですが、小林が理想とする句会の姿は、『俳句という遊び』(岩波新書、1991年)、『俳句という愉しみ』(岩波新書、1995年)で実現されます。前者の句会参加者は、飯田龍太、三橋敏雄、安井浩司、高橋睦郎、坪内稔典、小澤實、田中裕明、岸本尚毅の8人、後者の句会参加者は、三橋敏雄、藤田湘子、有馬朗人、摂津幸彦、大木あまり、小澤實、岸本尚毅、岡井隆の8人です。俳句に多少とも親しんだ人なら、ここに名前の挙がっている俳人たちが(岡井隆は歌人として著名ですが)、流派を別としながら、当代一流の俳人であることが直ちにわかると思います。俳句が何よりもコミュニケーションの手段である、言葉を通して、その意味ではなく感性がどこまで共有できるかが、丁々発止のやり取りのなかから生き生きと伝わってきます。ぜひ、手に取ってもらいたいと思います。
最後に、僕の好きな俳句をいくつか。長谷川の句については、僕の願望か自戒かも。
一月の川一月の谷の中(飯田龍太)
ぢかに触る髪膚儚し天の川(三橋敏雄)
三月の甘納豆のうふふふふ(坪内稔典)
五千冊売って涼しき書斎かな(長谷川櫂)
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