https://blog.goo.ne.jp/gorian21/e/f6eebbb48389d7078c2741deb1a63926 【俳句と言葉の可能性と限界】より
最近、木曜日の夜7時から始まる「プレバト」という番組を楽しみにしている。俳句の才能査定ランキングの講師である、夏井いつき先生の解説が素人にも分かりやすくてとても面白い。おかげで若い人にも俳句の人気がかなり浸透しているような気がする。もしかしたら、近い将来に「令和の芭蕉」とか「現代の蕪村」と称されるような天才俳人が輩出するかもしれない。
たった17文字になんらかの気づきや感動を込めようとする、俳人ほど言葉の可能性と限界を知るものはいないではないだろうか。フランスの批評家ロラン・バルトは俳句を絶賛し、次のように評している。
「たいせつなのは簡潔であること(つまり意味されるものの濃密を減少させることなしに、意味するものを要約すること)ではなくて、逆にその意味の根源そのものに働きかけることなのである。俳句の簡潔は形体のためのものではない。俳句は、短い形式に還元された豊な思念ではなくて、一挙にその正当な形をとった短い終局なのである。言語に見切りをつけることは、西洋人がもっとも不得手とするものである。」 (「表徴の帝国 」より 内田樹「寝ながら学べる構造主義」 からの孫引き)
一般に西洋人は(というより大抵の人は)、できる限り自分の心情を正確に伝えようと言葉を尽くすのである。しかし、そのために隠喩を重ねれば重ねる程、意味は拡散してしまうという性質も言葉にはあるのである。そこで、バルトは文学作品から作者の真の意図をくみ取ろうなどという試みはナンセンスであるとまで言い切る。「作者の死」という有名な論文において、文学作品の真の意味は作者の側にではなく読み手の側にこそあると主張するのである。
一般に言語が通じるには、その言葉についての共通の体験がなくてはならない。そのことを最もよく象徴しているのが季語である。季語には日本の気候風土が圧縮されており、俳人は誰もがその共通体験をもつという前提の上に俳句は成り立っている。
菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村
蕪村は画家だけあって、その句は絵画的な趣があるとよく言われる。この句もとてもイメージ喚起力が強い。菜の花が咲いている春のある日、太陽が西の方に沈もうとしている、そして東の方から月が上がろうとしている、という雄大な景色を歌った作品である。しかし、少し考えればわかることだが、この句から思い浮かべる情景は人によって大きく違うのである。ある人は広大な平原に一杯広がる菜の花畑からこの情景を眺めているかもしれないが、ある人は自分の家の裏庭に咲いた菜の花を見ながらその光景を思い浮かべているかもしれない。実際は、この句が詠まれた景色は六甲山中の摩耶山であると伝えられているが、人によって具体的に思い浮かべられる情景は様々なのである。しかし、それでいいのである。読みこんだ蕪村はこの句に確かな手ごたえを感じたはずだし、鑑賞するわれわれもこの句を通じてそれを受け取っているのは間違いないことである。その手ごたえを「意味の根源」とバルトは称しているのであろう。
言葉には偉大さと儚さが同居していることを、もっともよく理解しているのが俳人だと思う。
https://note.com/imaoemiko/n/naae08c4026df 【俳句は言葉で言葉を超える】より
オンライン会議ツールで、人と会話をすることが当たり前になった。時々、この人と直接会ったことあったけな、と一瞬迷うくらい、画面越しに会うことと、直接会うことが、脳内でいっしょくたになりつつある。
何が同じで、何が違うのか。
たとえば視覚。画面で見ているのは、その人の姿ではなくて、その人の姿が電子信号となったもの。それを見ている。
たとえば聴覚。その人が空気を震わせる波動を聞いているのではなくて、その人の声が電子信号となって、それが震わせる波動を聞いている。でも結局、それは波動だから一緒なのだろうか。
いずれにしても、画面越しに届くのは、その人の姿や声や、その他いろいろなものの「情報」に過ぎない。情報に変換される前の「その人の姿や声や、その他いろいろなもの」の「そのもの」ではない。「そのもの」の中に、情報に変換されえない、何かがきっと詰まっている。
そして、俳句。
俳句は言葉でつくる。言葉あるいは言語とは、一般的には、情報伝達するためのもの。言葉ではないものを、言葉に置き換えて、情報として他者に届ける。そのための、媒体。
けれど、俳句は情報伝達ではない。説明を嫌う。
情報伝達という役目を捨てた言葉。それによって、情報に変換される前の「そのもの」に迫り、「そのもの」を「そのもの」として伝えるようとする。
だから、俳句は言葉であって言葉ではない。言葉で言葉を超える。そんなことを、オンラインとオフラインの世界を行き来しながらふと思った。
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