世界に属しながら世界にいない

Facebook清水 友邦さん投稿記事「世界に属しながら世界にいない」に写真10件を追加しました。

20代の頃の私はラムダスに多大な影響を受けました。

ラムダスに影響を受けたアップル創業前のスティーブ・ジョブズやグーグルの生みの親ラリーページやフェイスブックのマークザッカーバーグもニーム・カロリ・ババのアシュラムを訪れています。

私は「ビー・ヒア・ナウ」を読み、付録を録音したカセットを聞き、バガバンダスと一緒に声を出し、マントラを唱え、のちにインドのニーム・カロリ・ババ(マハラジ)のアシュラムにも行きました。

「ビー・ヒア・ナウ」とはティモシー・リアリーと共にLSDを研究した元ハーバード大学心理学教授、リチャード・アルパート博士がラムダスという精神世界のグルになるまでの体験を綴った本です。

200万部以上売れた「ビー・ヒア・ナウ」とカスタネダの「呪術師ドン・フアンの教え」とスチワート・ブラントの「ホール・アース・カタログ」は70年代の多くの若者にバイブルのように読まれていました。

ハーバード大学心理学教授だったリチャード・アルパート博士(ラムダス)は、高級車だけでなく、ヨットも飛行機も持っている申し分なく社会で成功した学者でした。

60年から70年にかけてアメリカではヒッピー、ニューエイジと呼ばれる運動が盛んでした。

1960年代はサイケデリックムーブメントが起きた時代です。

1967年にアメリカで法的に禁止されるまでLSDは大量に出回っていました。

アルパート博士(ラムダス)はサンド製薬会社から試薬品を入手して服用すると教授姿の自分を目撃して次には自分自身が消えてしまう経験をしました。

自分だと持っていたアルパート博士(ラムダス)と言う人格は自分ではなかったのです。

アルパート博士ではない私(ラムダス)はアルパート博士のドラマ全体を慈悲深く見守っているのでした。

大いなる自己、真我、純粋觀照者、目撃者と呼ばれています。

しかし、3日もたつと元の落ちつきのない、神経症的な自我に戻るのでした。

どんなに素晴らしい体験をしても体験者がいる限り体験は過ぎ去ってしまうのです。

ラムダスはLSDでいくらトリップしても薬が切れると冷めてしまうのが面白くなくて、絶望的になりました。

そこでハイでいられる方法を探してインドを旅をしました。

インドでニーム・カロリ・ババ(マハラジ)というグルに出会い弟子となりババ・ラム・ダスというヨガ行者となりました。

ニーム・カロリ・ババはニーム・カロリ村に住んでいた聖者という意味です。

ババは尊称なので私もインドに滞在すると道の物乞いからババと呼ばれます。

ラムダスが旅用に持っていた普通の人が飲む6倍もの強烈な効き目のLSDを3錠飲ませてもババはニコニコと笑って全く変わりがありませんでした。

精神世界の旅のゴールは、ドラッグや瞑想やセラピーでハイになることではなく、今ここにあるがままでいること、今に在る事がハイなのです。

ニーム・カロリ・ババはドラッグなど飲まなくとも最初からハイでした。ハイとローの二元性を超えていました。

このマスター、あの覚者、このセラピスト、あの先生とマインドは最高のものを得ようと忙しく働きまわりますが、欲しい物は最初から今ここに最初から持っていたというのが「ビー・ヒア・ナウ」の教えでした。

人生の意義や幸せはお金や物や地位を得ることだという従来の社会的な価値観を「ビー・ヒア・ナウ」は全部ひっくり返してしまいました。

思考の罠にはまっていたと気がつくと、それまで自分がいた世界を放棄する人が出てきます。

俗世である世間を離れてスピリチュアルな世界に入ったとしても、それもまた別なマーヤ(幻影)だとラムダスは語ります。

自由になるためには、世界を拒否するのではなく逆に世間の中に入ってしまうのです。

精神世界の人々は「自分自身が自由でないのにどうやって他の人々を救えるのか」と言い、市民活動家は「世界はたくさんの苦しみに満ちているのにどうしてそれを置いたまま自分のためだけに時間を費やせるのか」と主張していました。

ラムダスは外側の世界のすべての行為と全ての活動をやめる瞑想のバランスを取る事ように言っています。

社会活動家は自分のための瞑想が必要なことに気がつき、精神世界の人々は世界で起きていることは自分にも責任があることに気づいて行動するのです。

ラムダスはただ神に仕えるハヌマーンという猿神と関係が深いという事を語ったことがあります。

ラムダスのグル(師)はラーマーヤナのハヌマーンの物語を好みました。

ハヌマーンがしたように、奉仕をしなさい(ニーム・カロリ・ババ)

現実の中で自分の行為を通して覚醒してゆくカルマヨーガがラムダスの道でした。

欲求や執着をあるががままに受けとめるタントラの道とすべてを神にあずけて自我を放棄するバクティの道は同じ道の二つの側面なのです。

それは世界に属しながら同時に世界にいないことでもありました。

ラムダスはスティーブン・レヴァインと共に「ダイイング・プロジェクト」を立ち上げて死につつある人と一緒に生活して瞑想し、ただ「共に存在」し、最後まで見取るホスピスを始めました。

死をサーダナ(修行)のプロセスととらえたのです。

そのほかにセーヴァ・ファウンデーションを創立してネパ一ルで盲目を軽減するプロジェクトやグァテマラの難民援助と農業の復興、ネイティブ・アメリカンの予防医学プロジェクト、エイズ患者を援助するボランティアの養成もしていました。

1997年にラムダスは脳卒中になりますが、老化、衰弱、苦しむことの本質を教えてくれた素晴らしい経験だったと語っています。

人生の多くを他の人を助けるために費やした人は、バランスを取るために他の人に助けさせる役割もしなければならなかったのです。

2004年からマウイ島に住み感染症や脳卒中の後遺症で苦しんでいましたが2019年12月22日の夕方ついに肉体を離れました。88歳でした。

ニーム・カロリ・ババ

https://note.com/utlyoga/n/n31c9de8714fb 【【追悼】ラム・ダス(Ram Dass)を偲んで【ビー・ヒア・ナウ】】より

アメリカのヒッピー文化の象徴、ラム・ダス(Ram Dass)氏が永眠されました。

2019年12月22日、ハワイ・マウイ島の自宅で亡くなられたことが、公式Instagramで発表されました。死因は明らかにされてないそうです。88歳でした。

ラム・ダスってどんな人?

ラム・ダスの名前は日本ではあまり知られてないかもしれませんが、

1971年に出版されたヒッピーのバイブル「ビー・ヒア・ナウ(Be Here Now)」の著者です。

アップル社の創業者スティーブ・ジョブズの愛読書としても知られていますので、ジョブズ氏の影響で読んだことがある人も多いと思います。

ラム・ダスは、ヨガや瞑想をアメリカの若者に紹介した人物で、カウンターカルチャーのアイコンとされていました。

今日の日本で主流とされているヨガ、瞑想、マインドフルネスの生みの親ともいえる人物であり、今ではレジェンドと呼ばれるような西洋人ヨガティーチャーたちがヨガに惹かれていく、きっかけとなった人といえるでしょう。

ちなみに、「ビー・ヒア・ナウ(Be Here Now)」(1971)は世界のヨガティーチャートレーニングの定番の副読本で、Eckhart Tolle著「The Power of Now」とともにヨガティーチャーを目指す人の必読書とされています。

ラム・ダスの略歴

1950年代にハーバード大学で教鞭をとり、合成麻薬LSDなどの幻覚剤(サイケディリックス)による精神療法の研究で有名になりました。

*1968年、アメリカではレクリエーション目的のLSDの使用は違法になりました。

その後、初著「ビー・ヒア・ナウ(Be Here Now)」(1971)が200万部のヒットとなり、ヒッピー文化を牽引しました。

本書が1970年代のヨガ、瞑想、マインドフルネスブームの火付け役となり、現在の世界的なブームと繋がっていきます。

1997年、脳卒中で倒れ、ハワイ・マウイ島の自宅で療養を続けていました。

1)「ラム・ダス 過酷な恩寵(Ram Dass Fierce Grace)」(2001)

2)「ラム・ダス -最期を生きる(Ram Dass, Goging Home)」(2018)

3)「ビカミング・ノーバディ Becoming Nobody」(2019)

で彼の生涯が描かれています。

「ラム・ダス 過酷な恩寵(Ram Dass Fierce Grace)」(2001)はVimeoやAmazonで、「ラム・ダス -最期を生きる(Ram Dass, Goging Home)」(2018)はNexflixで視聴できますので、興味のある方はどうぞ。

ラム・ダスへの追悼コメント

ラム・ダスを偲び、世界中から追悼の声が上がっています。

1)ラム・ダスの兄弟弟子であるシンガーのKrishna Dass

Krishna Das

Today my Beloved Elder Guru Brother, Ram Dass, has left his p

www.facebook.com

訳)本日私が敬愛するグルであり兄のように慕っていたラム・ダスが肉体を離れ我々のグル、ニーム・カロリ・ババの元へ旅立った。1968年以来彼は私の友であり先生であり、スピリチュアル探求の道を共に旅する相手であった。最期の数日間を彼と共に過ごし、マインドとハートの素晴らしい融合を体験した。彼はマハラジをとても近くに感じていて、脳卒中を患ってからの何年もの間の彼の勇気と忍耐、内なる強さは我々にいかなる困難や物理的な痛みがあっても開き続けるハートを持って、この世で生きていくとはどういうことかを眩しいほどに見せてくれていた。彼のマントラは「私は愛の意識である、私は愛の意識である(I am Loving Awareness, I am Loving Awareness.)」というものであった。今、彼にはそこで会える…我々一人一人の中に生きる愛の存在として。

このKrishna Das氏の追悼コメントは約4,000件シェアされています。

ちなみに、Ramはヴィシュヌの7番目の化身、ラーマのことで、Ram Dassは Servent of Rāma(ラーマのつかい)。

Krisnaはヴィシュヌの8番目の化身、クリシュナのことで、Krishana Dassは Servent of Krisna(クリシュナのつかい)。

2)次期アメリカ大統領候補、民主党Marianne Williamson

訳)ラム・ダスは数時間前に私たちの元を離れた。ユダヤの8日間の祝日の最初の日にこの乗り物から去ったというのは完璧なタイミングだった。何百万もの人にとってそうであったように「ビー・ヒア・ナウ」は若い頃の私の世界を一転させた。大きく輝く魂に感謝と賛美を送る。彼がいつまでも神の御加護にありますように。

*ラム・ダスはユダヤ教の家庭に生まれました。

ラム・ダスの人生

ラム・ダスの人生を振り返ってみます。

1)順風満帆な若き日々

ラム・ダスはマサチューセッツ州ボストンの裕福なユダヤの家庭に生まれました。父親は鉄道会社の社長で、「ユダヤ教的で精神的圧力からくる不安の多い、出世欲の強い血筋」に生まれたとラム・ダスは述べています。1952年にタフツ・カレッジで心理学の学位を、1957年にスタンフォード大学で博士号を取得しています。

1958年からハーバード大学で教鞭をとり始めます。ベンツを乗り回し、セスナ機を所有し、カリブ海でバケーションを楽しむ、といった誰もがうらやむような暮らしをしていました。

ラム・ダス自身も「アメリカの出世街道に乗った成功した独身の教授がすべき生き方をしていた」と述べています。

2)サイケデリック・ムーブメントの中心に

ハーバード大学にいる間、ラム・ダスは同僚のティモシー・リーリー(Timothy Leary)に出会いました。ティモシー・リーリーは「ターンオン、チューンイン、ドロップアウト(turn on, tune in, drop out)」のモットーで1960年代のカウンターカルチャーの人気を作りました。

ティモシー・リーリーはあるキノコの幻覚作用の原因となる物質サイロシビンの研究をしており、パーティーでラム・ダスにサイロシビンの服用を勧めました。ラム・ダスははじめて服用した感想を「絨毯が這うように動いて絵が笑っていた。それら全てが私を最高の気分にさせた。」と述べています。

2人はLSDの治療的用途での研究を始めましたが、1963年に2人ともハーバード大学をクビになりました。ラム・ダスは学部生にLSDをあげていて、ティモシー・リーリーは教授としての責任を果たしているとは言えない状況でした。

1968年、LSDが危険な精神反応を引き起こす可能性があることが示唆されたため、アメリカではレクリエーション目的のLSDの使用が違法になりました。

3)ヒッピーのカリスマへ

ラム・ダスは悟りを開く方法を求めてインドに渡り、マハラジ(Maharaj-ji)ことニーム・カロリ・ババ(Neem Karoli Baba)師の元で修行を積みました。ラム・ダスはマハラジにかなりの量のLSDを服用させましたが、彼には何の影響もなかったのを見てラム・ダスは「マハラジが到達していた高次元の意識は麻薬によって左右されるものではない」と信じるようになりました。

マハラジからラム・ダス(ラーマ神のつかい)というスピリチュアルネームを授けられ、ヒンドゥー教、瞑想、ヨガを教わりました。ラム・ダスは長い髭と白いローブ、裸足という出で立ちで、マハラジの教え通り、1968年にアメリカに戻りました。

ラム・ダスはユーモアを交えながらヒンドゥー教、仏教、スーフィー哲学、そしてスピリチュアリティについてアメリカ中で講義をするようになりました。1971年に出版された初書「ビー・ヒア・ナウ」は、ニューエイジ的スピリチュアリティへのガイド書として人気を博しました。前述の通り、アップル社の共同創始者スティーブ・ジョブズは人生を変える本として賞賛した1人でした。

4)晩年は脳梗塞の療養生活となるも、その魂は消えず

1980年代に入ると、ラム・ダスは自身のグルのイメージから脱却しようとしました。髭を剃り落し、ローブを着るのも止めましたが、本名のリチャード・アルパートではなく、ラム・ダスという名前を引き続き使っていました。LSDを推奨していたことを否認するようにもなりました。

またバイセクシュアルであると公表し、90年代には主にホモセクシュアルであったとも語っています。スタンフォード時代の同期の女性との間にピーター・リチャードという息子が存在していたことを2009年にはじめて知りました。

ラム・ダスの名言

"Be here, now."

"It is important to expect nothing, to take every experience,

including the negative ones, as merely steps on the path, and to

proceed."

"The next message you need is always right where you are."

"If you think you're enlightened, go spend a week with your family."

"Compassion refers to the arising in the heart of the desire to

relieve the suffering of all beings."

"I hang out with my guru in my heart. And I love every thing in the

universe. That's all I do all day."

"The universe is an example of love. Like a tree. Like the ocean. Like

my body. Like my wheelchair. I see the love."

"Unconditional love really exists in each of us. It is part of our

deep inner being. It is not so much an active emotion as a state of

being. It's not 'I love you' for this or that reason, not 'I love you

if you love me.' It's love for no reason, love without an object.'"

"The quieter you become, the more you can hear."

"We're fascinated by the words—but where we meet is in the silence behind them."

"Treat everyone you meet as if they are God in drag."

"If you think you're enlightened, go spend a week with your family."

"We're all just walking each other home."

"You've gotta become somebody to become nobody."

訳)

「ビー・ヒア・ナウ」

「何も期待せず、嫌なものも含めてすべての経験を道の途中の一歩であると捉えて、とにかく前に進むということが大切だ。」

「自分にとって次に必要なメッセージは常に目の前にある。」

「自分を悟った人間だと思うのであれば、家族と一週間過ごしてみるといい。」

「慈悲とは心の中に立ち現れてくる全ての存在の苦しみを取り除きたい、という欲求である。」

「私は心の中でグルと一緒にいる。そして宇宙の全てを愛している。一日それしかしていない。」

「宇宙は愛の実例である。木のように。海のように。私の身体のように。私の車椅子のように。私には愛が見える。」

「無条件の愛というものは我々一人一人の中に本当に存在している。我々の深い内側の存在の一部である。動的な感情というよりはむしろ存在の状態である。これこれこういう理由で「愛して」いるだとか、「私を愛してくれるならあなたを愛する」でもない。理由のない愛であり、対象のない愛である。」

「自分が静かになればなるほど、多くが聞こえるようになる。」

「我々は言葉に魅了される。だがお互いに出会えるのはその裏にある沈黙の中だ。」

「会う人全員を変装中の神かのように扱え。」

「自分が悟っていると思うのなら一週間家族と過ごすといい。」

「結局はみんなお互いを家まで送っているだけなのだ。」

「誰でもない人になるにはまず誰かにならなければならない。」

ラム・ダスの社会貢献(カルマ・ヨーガ)

ラム・ダスは、12か国以上で手術や眼鏡などの眼のケアを提供する非営利団体のセヴァ・ファンデーション(Seva Foundation)の共同創設者でもありました。

Seva, which means “spiritual service” in Sanskrit, is an international foundation which supports programs the helps wipe out curable blindness. According to Seva’s website, an estimated 253 million people live with vision impairment, and 80% of all issues can be prevented or cured with a 15-minute operation.

Dass created the Seva Foundation in 1978, and has helped provide eye surgeries, eyeglasses, medicine, and other eye-related care to more than 40 million people in impoverished communities.

訳)セヴァはサンスクリット語で「スピリチュアル・サービス」という意味であり、彼が共同設立者となったセヴァ・ファンデーションは「治療可能な失明をなくすプログラムを支援する」国際基金です。セヴァ・ファンデーションのウェブサイトによると、2.53億人の人が視力障害を抱えて生きていて、その8割の15分の手術で防ぐもしくは治すことができるそうです。

1978年にSeva Foundationを設立し、眼の手術、眼鏡、薬、その他眼に関係するケアを、4000万人以上の貧困層に提供してきました。

ラム・ダスまとめ

今日、日本で実践されているヨガ、瞑想、マインドフルネスの多くが、彼の人生や思想の影響を受けています。

もちろん、彼らが作ったこれらのムーブメントには否定的な意見もあります。ただ、過去でもなく未来でもなく「いまここ」を生きるという「ビー・ヒア・ナウ」の教えは、これからもずっと語り継がれていくでしょう。

I am Loving Awareness, I am Loving Awareness

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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