トの教え

Facebook長堀 優さん投稿記事

ホツマツタヱによれば、日本建国にあたり、クニトコタチは、民を治める初代アマカミ(古代の天皇)の心構えとして、トの教えを説きました。

 トの教えとは、

「国民のために尽くすことにより、はじめてアマカミは存在する意義があり、アマカミの手で国を豊かにすることが国民のためになる」というものです。

 そして、私心なくこの国のために尽くしていこう、という指導者の大志が三種の神器の一つである勾玉になったとされます。

 すなわち、この教えは、神器とともに、現代の皇室に至るまで脈々と受け継がれている建国精神の神髄といえるのです。

 その御心のまま、クニトコタチ以来の長きにわたり、この日本は、支配されることなく統治されてきたわけです。

 時代はずっと降ります。

 古代史の英雄ヤマトタケルは、日本全国平定を目指すさなか、非業の死を遂げます。

 父景行天皇は、ヤマトタケルの死を深く嘆き悲しみました。 

 景行天皇がヤマトタケル(ホツマでは、ヤマトタケ)に注いだ深い愛情と信頼が、ホツマツタヱの編纂につながっていきます。

 ヤマトタケルと景行天皇をめぐる神話をホツマツタヱから見てみましょう。

 ホツマツタヱに登場する最後の天皇は十二代景行天皇です。

 優れた人徳と智力に恵まれた皇子のヤマトタケは、景行天皇の期待を一身に集め、騒乱の続く国内に一刻も早く和平をもたらすため、日本全国を駆け巡っていました。

 しかし、エミシやクマソを退治するなど苦難の戦役に明け暮れるなか、志半ばで無念の死を遂げてしまうのです。

 ヤマトタケを跡目にと期待をかけていた景行天皇は、その死を深く嘆き、先の見えぬ絶望感に苛まれます。

 都を離れ、休む間もなく戦闘に追われ続けたヤマトタケは、おそらくは平和な世の中への渇望が人一倍強かったことでしょう。

 今際のきわ、日本国民が古来の心に目覚めるなら平和な社会が訪れるはずとの思いから、ヤマトタケは、ノコシフミ(遺書)をしたためて景行天皇に託しました。

 そして、神代以来の建国の心「アメノミチ(天の道)」と歴史をまとめ、民族本来の生き方を示すように、と最期の力を振り絞って、必死の願いを父に伝えたのです。

 過酷な生涯を通じて紡ぎだされたヤマトタケのノコシフミは、深い悲しみの中にあった高齢の景行天皇を立ち上がらせます。

 そして、ヤマトタケの遺志を実現すべく、景行天皇はついに行動を開始するのです。

 まず初めに人倫を守り、国を治める法則を示すために、アメノミチを書き残そうと決意し、自らは「カグノミハタ」を著しました。

 続いて、伊勢神宮の初代神主であったクニナヅ・オホカシマに「ミカサフミ」の編纂を、さらに奈良・大神神社の神主であったスエトシ・オホタタネコに「ホツマツタヱ」の編纂を命じたのです。

 ホツマツタヱが編纂されるきっかけとなったのは、ヤマトタケの国情への深い憂いであったわけですが、現在の不安定な日本の実情を思えば、このヤマトタケの心情に共感する日本人は少なくないと思います。

 先進国の仲間入りをしたにもかかわらず、日本人はどこか落ち着きがなく、自信を持てないままです。

 経済的に豊かになり、戦争もない世界でも恵まれた国に生まれたはずなのに、毎年多くの自殺者を数え、幸福を感じる国民が世界的に見ても極端に少ないのが日本の現状です。

 今の日本に必要なものは、民族の魂、言い換えれば、ヤマトタケが父に書き残すように願った真実の歴史と建国の精神なのではないでしょうか。

 国際史学者のアーノルド・トインビーは「十二、三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」との言葉を残しています。

 神話は、事実であるかどうかということよりも、人の生きる道や考え方を指し示す真実が含まれていることが重要とされます。

 西洋社会の倫理規範となっている聖書は、いうならば真実を教示する神話といえるでしょう。

 一方、ホツマツタヱには、国祖クニトコタチ以来伝えられてきたアメノミチ(天の道)と、建国以降日本民族が歩んだ歴史が示されています。

 その意味からは、ホツマツタヱこそは、まさに我が民族の生き方や考え方の真実を確認できる神話そのものといえるのではないか、と思うのです。

 日本の古代に、人に優しく華やかな文化を有する社会があったことを知れば、この国に生まれた喜びと誇らしい気持ちが湧いてきます。

 自然と湧いてくる国を愛おしく思う純粋な気持ちこそが今、GHQによる戦後の戦争贖罪政策により滅び去ろうとしている大和心を復活させるために必要なのではないでしょうか。

 ヤマトタケが強く望んだように、我々日本民族が古来の心を取り戻せば、この国は落ち着きを取り戻し、日本社会に活力が蘇るはずです。

 我が国には、戦前の反省からか、愛国心を口に出すことさえ憚られる風潮もありますが、他の国を見下したり排他することのない正しい愛国心こそは、国民を元気づけ、一つにまとめていくための足懸りになるはずです。

 国を良くするためには、私たち国民がまず国を愛することです。その第一歩は、国の古代の姿を学び、民族の魂を取り戻すことです。

 国の根幹が揺らぐ今こそ、私たち日本人は建国の精神と失われた歴史を取り戻す必要があります。

 この国における過去の出来事を学び、この国がどのように生まれ、天皇と国民がいかに密接な関係を築いてきたのかを知れば、愛国心の根幹となる日本民族としての誇りと自信を呼び覚ます大きなきっかけとなるはずです。

 そして、西洋社会が是としてきた自由主義社会とは異なる日本人が真に目指すべき理想の国造りが理解され、生きる力が湧いてくるのではないでしょうか。

 弱肉強食の経済至上主義が行き詰まったこの混沌とした現代社会を調和のとれた優しい世の中にするためにはどうしたらよいのか、

 その行動指針を世界に示すことができるのは、我々日本人しかいないはずです。

 そのためには、まずは、民族の魂を取り戻し、真っ当な愛国心をもつこと、

 自国を愛する気持ちがあってこそ、他の国を愛することができるのであり、真の国際貢献が可能になるものと考えます。

 ホツマツタヱが伝える美しく情緒豊かな古代社会を通じて、古来日本人が大切にしてきた精神や生き方を確認できたら、そして、この国の素晴らしさに目覚める方が増えてくれたら、と私は願っています。

 いつものように長くなってしまいました。お付き合いいただきありがとうございました。

http://www.cc-creators.com/daisan201506/ 【【第三の道】 縄文の日本人の心を伝える「ホツマツタヱ」から世界観とリーダー像の原点に立ち返る 一糸恭良(ホツマツタヱ研究家) × 由佐美加子】より

「第三の道」第4回は、縄文時代の日本人の世界観を伝えるという歴史書『ホツマツタヱ』の研究家、いときょうさんこと、一糸(いと)恭良氏をゲストに迎えた。古代日本人は世界の始まりをどのように捉えていたのか。そしてあるべきリーダー像をどう描いていたのだろうか。日本人らしい第三の道のあり方を考えるため、「ご先祖様」という原点に立ち返る対談となった。

古事記・日本書紀より古い?『ホツマツタヱ』

『ホツマツタヱ』とは、いったいどのような歴史書なのだろうか。ホツマツタヱは漢字やひらがなではなく、「ヲシテ」文字と呼ばれる、漢字が日本に入ってくる前からあったとされる古代文字で書かれている。分量はそのヲシテで約11万字に及び、40のアヤ(章)から成っている。記紀では神話となっている部分、例えばアマテラス(ホツマツタヱはアマテルカミと記述する)の事績も、実在した人物のものとして書かれており、紀元前5000年ごろ、つまり縄文時代からの日本の歴史が記録されているという。「江戸時代に作られた偽書である」という説がある一方で、「『古事記』『日本書紀』(両方合わせて、記紀と呼ばれる)よりも古い歴史書である」とみている人もいる。

ここまで聞いただけでも、少しでも日本史をかじったことがある人なら、「おいおい、ちょっと待って」と言いたくなることだろう。日本で最も古い歴史書は、いずれも奈良時代に編纂された記紀ではないの? 漢字が日本に入ってくる前、日本に文字はなかったんでしょ?――。といった疑問が湧いてくるはずだ。

いときょう氏も、「ほんまかいな」から始まった

子どもの頃から古代史に興味があったといういときょう氏自身も、「漢字以前に日本に文字があったなんて、ほんまかいなと思った」と、ホツマツタヱに出会った時のことを振り返る。『現代用語の基礎知識』発刊時の編集長としても知られ、現代におけるホツマツタヱ研究の先駆者であった松本善之助氏が1980年に著した、『秘められた日本古代史 ホツマツタへ』を偶然手にしたことが、いときょう氏とホツマツタヱの出会いだった。「その時は、私も書いてある内容がにわかには信じられなかった。それから20年ほど、その本は私の本棚を出たり入ったりという状態が続きました」

ある時いときょう氏は、その本に書いてあるホツマツタヱに関係する神社に行ってみたいと思うようになり、福井県小浜市の若狭彦神社を訪ねた。この神社は「海幸彦山幸彦」神話の、山幸彦ゆかりの神社だった。「大きな古木があり、古のたたずまいを残す威厳のある神社でした」と、いときょう氏。ホツマツタヱでは、山幸彦はホホテミと呼ばれ、アマテルカミのひ孫にあたる、古代の天皇であると記されている。「この旅を終えて、私の心にホツマツタヱをもう少し知りたいという思いが芽生えたようです」

「ホツマサミット」に研究者150人が終結

こうしていときょう氏は、ホツマツタヱにゆかりのある日本各地の神社を訪ねて回るようになった。行った先々で出会った人にホツマツタヱに関心があることを伝えると「ここに詳しい人がいる」「ここで教えている人がいる」と情報が集まるようになり、人脈が広がっていった。2012年には伊勢・二見浦で「ホツマサミット」を初めて開催。全国から約150人の研究者が集まった。「そこでわかったのですが、ホツマツタヱの研究者は、みんなひっそり一人で研究を進めていた。このサミットから、急に横の連絡が密になりました」(いときょう氏)。サミットをきっかけに出来あがった研究者のネットワークで協力し、ホツマツタヱ全体の現代語訳が最近完成した。「ホツマツタヱを読み込んでいくと、これは日本の真の歴史を伝える歴史書であり、縄文時代から受け継がれている日本人の物の見方、考え方を理解できるものだとわかる。私はそう信じているし、こんなすばらしいものをもっと多くの人々に知ってほしいと思い、ホツマツタヱを研究し、出版や勉強会に取り組んでいます」と、いときょう氏は語った。

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富士山が、記紀にはまったく登場しない不思議

ホツマツタヱと記紀。その歴史の記述には、どんな違いがあるのだろうか。最も大きな違いは、「ホツマツタヱには登場する富士山が、記紀にはまったく出てこないことです」(いときょう氏)。ホツマツタヱでは、富士山はアマテルカミが生まれた重要な場所として登場するのに、記紀ではそういったエピソードがきれいにカットされている。またアマテルカミはホツマツタヱでは実在した男性のアマカミ(天皇)であると記述されているのに対し、記紀では女性の神になっている。

こうした記述の違いについていときょう氏は、記紀が成立した時期が関係しているのではないかと語る。「古代の大きな権力闘争だった壬申の乱(672年)から、わずか数10年後に記紀は成立している。権力闘争が何らかの影響を及ぼしたのかもしれない」。また記紀の成立には、中国や朝鮮などからやってきた渡来人が協力している形跡がある。このことも記述の違いに影響しているのではないかと、いときょう氏は話した。

渦から始まる、古代日本人の考えたビッグバン

いときょう氏はホツマツタヱを記している日本の古代文字「ヲシテ」が、古代日本人の世界観とどう関係しているのかについて話した。以下、いときょう氏が語ったことは、基本的にいときょう氏が解釈した、ホツマツタヱの内容に基づいている。

古代日本人は、創造神「アメミオヤ」が大きな息を吐くことで、ビッグバン「アウワ」を起こしたと考えていた。アウワのウは、アメミオヤが吐いた「ウー」という息の音を表わしている。「この息がきっかけとなり、左巻きの渦『ア』と右巻きの渦『ワ』が出現しました」。このビッグバンから生まれた五元素が、ヲシテの母音、ア・イ・ウ・エ・オに対応している。アはウツホで、空、生命誕生のイメージ、イはカセで気体循環、ウはホで火、始動・動き、エはミツで流水、オはハニで土、固まった大地のイメージをそれぞれ指しているという。

タマを喜ばせるため、シヰの欲はほどほどに

現代語で魂(たましい)というと、肉体は伴っていないイメージがあるが、古代人の考えるタマシヰは、霊魂と肉体がセットになったものだった。霊魂にあたるタマは、五元素のうちア・イ・ウが相当し、「この世を楽しむ存在だと考えられていました」(いときょう氏)。一方肉体にあたるシヰは五元素のエ・オに相当し、欲望を持つのはシヰの方だと考えられていた。「タマを喜ばせるためには、シヰの欲はほどほどに抑えなければならないとされていたのです」

また古代人の世界観には宇宙の大本である「アモト」と現世が存在し、アモトからやってきたタマが、現世でシヰと合体することで、人になると考えていた。そして死が訪れると、タマだけがアモトに戻っていく。戻っていくタマのア・イ・ウという元素のうち、ウが生前の記憶を持って、アモトに戻っていくのだと古代の人々は信じていた。こうしたタマが往還するという考え方が、「輪廻転生、『この子(孫)はおじいいちゃんの生まれ変わりだ』といった感覚につながっていったのでしょう」と、いときょう氏は話した。

縄文人のカミとは、指導者だった

ここで由佐は、「古代日本の国家統治のあり方には、他とは違う特徴がありますよね。その話をしてほしい」と注文。いときょう氏は、「日本には神という漢字が入ってくる前から、カミという言葉をもっていました。それは漢字で書くなら、守の方があてはまる。縄文時代はカミとは指導者の意味だったと、ホツマツタヱを勉強するとわかってきます」と説明を始めた。因みに古代の日本では、天皇はアマカミと呼ばれていた。

古代日本の社会にはカミ、トミ、タミという分業体制があった。カミは前述したように、リーダー、指導者のこと。トミはリーダーの言葉を咀嚼し、タミに伝える役割。そしてタミはトミに教わりながら、働く人々のことを指す。「タミはヲシテ文字では、何かを上から受け取り、下におろしていくという意味。一方漢字の民は、目を潰した奴隷状態の人を指す文字でした。かなりイメージが違うことがわかります」(いときょう氏)。カミ、トミ、タミは身分制というよりは分業体制のイメージに近いものだったという。

指導者が守るべき教えを象徴する、三種の神器

分業体制だからカミは指導者として好き勝手できるわけではなく、カミとしての役割を果たす教えに従う必要があった。いときょう氏は「その教えを象徴するのが、今も天皇家に伝わる、三種の神器なのです」と説明する。三種の神器は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)八咫鏡(やたのかがみ)から成る。その中心となるのは勾玉で、カミが従うべき「トの教え(とのおしえ)」を象徴しているという。「宇宙から大いなるエネルギーをいただき、それを使って民に尽くすことを示しています」

だがトの教えに従っているだけでは、どうしても国が治まらない状況が起こることもある。「その時には、従わない人々を切り従えざるを得ない。現代の刑法に当たるのが剣です」。そして鏡には、人々がその姿を映し、自らの身を正してほしいという願いが込められているという。指導者が守るべき教えを三種の宝物で示すというのは、どこか「政府の権力行使を憲法で制限する」という、現代の立憲主義を思い起こさせるが、日本ではこうした考え方が縄文時代から継承されているということは、とても興味深い話ではないだろうか。

神社とは、ご先祖がまつられている場所

いときょう氏の話は、日本全国に存在する神社へと展開していった。「全国に8万社あるという神社。神様がいらっしゃる場所という感覚をもつ人が多いと思うが、神社とは、かつて人として生きていた、日本人のご先祖がまつられている場所なのです」。古代日本では、カミとは指導者であったことから考えると、いときょう氏の話す神社観にはうなずけるものがある。また東郷神社、乃木神社など、日本のために活躍した人物をまつる神社が存在するのも、こうした考え方から生まれたのではないかと想像できる。

いときょう氏はイタリアのナポリを訪ねた際、地元の人に「イタリアの山々には、神様はいるのか」と尋ねてみた。返って来た答えは「山々にはいない。神様は教会にいる」というものだった。「一方、日本の場合は至る所に神社がある。私たちの祖先があちこちにその痕跡を残している、すごい世界が日本には広がっているのです」

征服者が天皇なら、神社は残っていないはず

8万社もの神社が日本の各地に存在することは、大和朝廷が海外からやって来た征服者によって作られたという説への反証にもなっていると、いときょう氏はいう。「神武天皇は海外からやって来て、この国を征服したという説があるが、もしそうだとすれば征服以前の先祖を祀っている神社は必要がなくなり、すべて潰されているはずです」

これらの話を受けて由佐は、「日本の神は、かつて実在した人が神になっていること、そして古代日本のカミとは、指導者であったということがポイントなのだとわかりました」と話していた。

体内の流れを整える、古代の「アワ歌」

このセッションでは、いときょう氏と来場者が一緒に、「アワ歌」という古代から伝わる歌を一緒に歌う場面もあった。アワ歌はイサナギ、イサナミが人々の「ことは」(言葉)をなおすために歌われたとされるもので、これを歌うことで天から地へ、地から天へと渦巻が起こり、体内の流れが整えられて、宇宙の循環にマッチするようになるという(因みにアマテルカミを生んだイサナギ、イサナミも、ホツマツタヱでは実在した人物として描かれている)。

アワ歌をいときょう氏と一緒に歌った来場者は、「聞いていると気持ちが落ち着く。意味はわからないが、タマのために歌っていることが感じられる」「日本の民俗芸能を聞いている感覚になった。そうした民俗芸能は発祥がわからないものが多いが、ホツマツタヱを学ぶことで、それらの発祥が見えてくるかもしれない」「歌いながら動かす手の動きが、やはり体の中の流れを整える、ヨガの太陽礼拝に似ていると感じた」といった感想を述べていた。いときょう氏はこれらの感想に「インディアンのナバホ族の歌と似ているといわれたことがあります。底に流れているものは同じなんだ、共通しているのだと思います」と応えていた。

最後に由佐は、「日本人の感性は、世界でも独特だと思っているが、ホツマツタヱが語っていることはとても日本人らしいと感じた。ホツマツタヱが伝える感性は、もともと日本人がもっているものだが、それを取り戻していく必要があると思いました」と話して、会をしめくくった。

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