評論詩「切れについて3 又は現代切字論考史」

http://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/11/blog-post_4626.html 【評論詩「切れについて3 又は現代切字論考史」】 より

評論詩「切れについて」の第3回目として、今まで若干触れてきた先人の功績をまとめて紹介しよう。

断片的に利用してきた先人の文献だから正式に紹介する義務もあろうというものだ。

私としては、「資本論」に対する「剰余価値学説史」のような気持ちで謙虚に記述するつもりであるが、これを読む読者にしてみれば、評論詩「切れについて」を読むよりこちらの方がよほど分かりやすいかも知れない。

1.仁平勝の切字論

現代的切字論を初めて提唱したのは仁平勝である。既に数種の論があるが、まず、啓蒙的な分かりやすい「季語と切字」(平成2年『秋の暮』所収)から引いて入門としよう。

発句は格式のあるものだから、ダラダラと脇句にもたれかかるようでは困る。さもなければ和歌の上句と違いがなくなって、連歌さらには俳諧の文芸としての独自性が確立しない。これは当時、連歌などは和歌にくらべて格が低いと思われていたわけだから、そのプロたる連歌師にしてみれば重要な問題であった。つまり和歌にたいする発句の独自性の主張こそが、切れ(原文傍点)だったのである。

では、どうすれば発句が切れ(原文傍点)を持つことができるか。そこが連歌師または俳諧師の腕の見せどころであった。そのうちに、この言葉を使えば切れるというセオリーが生まれてきた。それが切字なのである。

それが、近代俳句で脇句というものがなくなったら、切字とはなんだかわからなくなって、句切れといっしょにしてしまった。エラい先生の書いたものでも、完全に誤解しているのがある。そして誤解の原因は、まさに「や」なのである。

ここから先は、論理構築が必要となるので、「季語と切字」よりはアカデミック風な、

仁平の切字論の原典である「虚構としての定型」(昭和60年『詩的ナショナリズム』所収)から引くことにしよう。

切字にはたとえば「や」のように、一句の中間に句切れ(原文傍点)をつくるものがあるが、それはいわば結果的(効果的)な問題であって、しばしば混同されるように句切れ(原文傍点)がイコール「切れ」なのではない。引用した「去来抄」などの俳諧書が「句を切る」というばあい、それは発句が脇句にたいして切れる(原文傍点)ことであって、俳句の「切れ」(切字)はなによりもそういう本質において論じられるのでなければならない。

仁平勝は、短歌すなわち57577が 発句として切り離されるときの77を<幻肢としての下肢>と呼び、発句がもつ不安定さを生じさせるもとになっていると考える。

ここで「なきがらや秋風かよふ鼻の穴」の句を例に難しい抽象的理論を展開する。

「や」は、初五の「なきがら」(のおもに像)を叙述性から独立させ、同時に、意味的な流れを断たれた中七以下をも相対的に自立させる。そのとき、初五へ連続性として関わることのできない中七以下は、いわばその補償作用として、句切れ(原文傍点)をはさんで初五のほうへ逆行しようとすることによって<幻肢としての下肢>から切れる(原文傍点)のである。

こうして、切字というものは一句を句末で切る(脇句に対して切る)ため

―――句の独自性を保証するための形式的な装置として観察されるべきだというのである。

2.川本皓嗣の切字論

川本皓嗣は『芭蕉解体新書』(平成9年)で初めて独自の切字論を発表しているが、

いまは最新の講演「切字論」(「游星24号」平成12年)をあげよう。

ここでは、仁平に見られない実証的な切字論が展開されている。

もし普通に考えられているように、切字というものが一句を両断するものだとすると、まず切字がこの二つ目、三つ目の例(例句省略)のように途中にある場合は何も問題がありません。確かにその切字の「や」「か」を境目として句が前後二つに切り分けられているのがはっきりと見えるからです。

しかし一方、最初の例の「哉」のように句末に来るときには途中のどこにも切れ目ができません。まるまる一句全体が、まあ切字というのですから、その末尾で切れるという妙な事態になります。この場合には、その一句全体がその後にくる何者かから切断されると見るほかはありません。連句の場合には、当然その何ものかというのは、発句に続く脇句(第二句)ということになります。

そうだとしますと、そういう二種類の切断のうちで、切字本来の役割としてはどっちが本質的なんでしょうか。

川本は、切字の発生から発展までの過程を実証的に検証する。

まずはじめに、文献的に最初の切字の列挙とされる『専順法眼之詞秘之事』が掲げる18種の切れ字を紹介する。

助詞=かな、もかな(もがな)、か、よ、そ(ぞ)、や

助動詞=けり、らむ(らん)、す(ず)、つ、ぬ、じ

形容終止形の語尾=[青]し

動詞命令形の語尾=[尽く]せ、[氷]れ、[散りそ]へ、[吹]け

疑問の副詞の語尾=[いか]に

これに後世の切れ字を加えて、川本は新しい切字表を作る。

ポイントは、直後で文が切れるか切れないか(句末に来ないか来れるか)である。

○直後で文が切れないもの(したがって文法上、句末にくることができないもの)

係助詞=ぞ・や・か・こそ

副詞=さぞ・いさ

疑問詞=いかに他

○直後で切れるもの(句末に置けるもの)

 [省略]

長い論述は省略するが、川本のポイントは、ここで浮かび出す「係助詞」にある。

係結の法則が途中の単語を飛んで文末を拘束するように、ここに掲げられた句末にくることのできない切れ字の関係を結びつける。

係結というもの―――その基礎を据えたのは本居宣長で、『詞の玉緒』なんですけれども、そこで認められている考えと、切字が句の途中に置かれながら最後まで句を縛る、そして句末に至って終止感を持たせるということと、この両者は本当に似ているんじゃないか思っています。

したがって、連句の場合には、切字は発句を脇句から切断して独立性を保証する。俳句の場合には続きがありませんから、それではどういう働きをするかというと、切字はもっぱら句を閉じ、一句の完結性に寄与するものと見ることができるでしょう。

最初の設問にもどれば、一句の中の句切れと、句末の切れのうち、「切字」は明らかに、後者の句末の切れのための仕掛けであった。

結論が分かれば、芭蕉や去来などの言葉がすべて明瞭にこの考え方に繋がっていることが分かる。

結局、私の考えますのに、切字というものは一句を句末で切るため、句の完結性、独立性を保証するための形式的な手段―――とりあえず意味問題はおいて、二重構造においても、重さにおいて、ともかく形式的に一句が切れたという効果を生むためのものであって、芭蕉の口伝にも、「第一は、切字を入るるは句を切るためなり」と『去来抄』にあります。それを去来は言いかえて、「長く連ねんがために、一句一句に切る」と言っています。長く連ねんがために、一句一句に切るというのは、連句の極意ですね。ずらずらと長く連ねるためには、逆にぷつぷつと一句一句に切る。切字を入れることによって発句の独立性が保証される。『三冊子』の土芳も、切ることを重要だといっていますが、句のなかのどの位置できるなんていうことは一言も言ってません。

3.筑紫の切れ論

以上を読めば、私の評論詩が新しいことは何も言っていないことは明らかだろう。

仁平勝と川本皓嗣を出会わせたに過ぎない。

もちろん些細な違いはいくらでもある。

例えば、仁平は57577のよって来たるゆえんは全く不問である。

というより、韻律論に不信を持っているかのようである。

仁平にあるのは現在の575ないし57577という定型のみだ。

川本は『日本詩歌の伝統』に「七と五の詩学」の副題を付けたように、正統的な?日本韻律論を踏まえる。

だからこそ句切れへの深い関心が、不可解な俳句の切字と宿命的に出会うことになる。

私は、二人が見捨てたあらゆる切れ

(古代歌謡の偶数句切れ、雑俳の切れ、現代詩の改行など)を悉皆網羅して、

ソートして、それぞれの居場所を与えて、4種類に分けて、<切字の切れ>と<通常俳人・歌人が考えている切れ(句切れ)>のそれぞれに「第3種切れ」と「第2種切れ」の名称を与えた。

    *

時事的な話題となるが、俳句と川柳の違いを「切れ」の有無にあると言う論争があった【注1】。

俳句界における「切れ」論議のわけのわからなさが、北川のような明敏な詩論家までをもかかる混乱に陥れているかと思うと、なんだかざまみろとでも言いたいような気分になってくる。(高山れおな「死と詩と俳句」「―俳句空間―豈weekly」第12号)

詩人はともかく、川柳作家には迷惑な話であったと思う。

既に何度も言うように「切字」とは<句末(五七五の末尾)の切れを保証するための装置>である。

<特殊な切字(特に「や」)とその直後の切れ(古池や/)>は切字論と関係がない、

俳句の句中の切れが必要か否かも切字論からは出てこない。

それは作者の体質問題なのである。

前句付の付句を精選した呉陵軒可有の『誹風柳多留』も付句選集であるから当然川柳に(発句の条件である)切字はない、

しかしそれは「切れ」の有無ではない。

おそらく仁平は、その後句切れに深入りすることはないであろう、もっぱら五七五の装置の方に関心がありそうだ。

川本は安んじて句切れ論(切字論ではない)を新たに出発させ、「俳句の詩学」で発見した基底部と干渉部を踏まえて

新たな切れを発見する【注2】。

私は第2種切れ(句切れ)を軽蔑し虚子のような切れのない俳句を実践しようとする。

しかし言ってみればそれはいずれも「それからの武蔵」に近い。

二人の出会いが世の浅薄な切字論や切れ論を蹴散らし、天誅を加え、「天保水滸伝」のように、そこでクライマックスを迎えればこのドラマは登場人物も含めて静かに幕切れとなってよいのである。

    *

次回は余韻を残して、切字論の周辺を散策することにしよう。

とはいえやはり「それからの武蔵」ではあるが。

【注1】私が川柳に関心を持ったのは、近年の柳俳問題による。きっかけは俳文学者復本一郎氏が、講談社新書『俳句と川柳』(平成11年)で俳句と川柳の違いを「切れ」の有無にあるとし、さらにこの本に対する歌人、俳人、柳人の反響を日東書院『知的に楽しむ川柳』(平成13年)で総括した事件である。もちろん、復本氏の総括だから川柳人の総括ではない。そこでは復本氏と対峙する形で川柳作家の主張が批判的に取り上げられている。

【注2】川本によれば、次の句は俳人の常識である「や」の次で切れるのではなく、「を」の次で切れるのだそうである。

<蛸壺やはかなき夢を>(基底部)夏の月(干渉部)

この切字の「や」というものは、「蛸壺」と「はかなき夢」という二者の対立を強調してはいるけれど、一句全体を二つに割るという機能は果たしていません。

切字は一句を大きく二つに分ける、そういう役割を本当に果たしているだろうか。むろんそういう場合もあるでしょうが、そうでない場合も多い。だから必ずしも境界の目印にはなっていないのではないか。だからそもそも切字というもの一つを楯にとって、俳句という大きなジャンル、その作品群を二つに分別するということ自体、一句一章と二句一章の句に分けること自体、本末転倒ではないかという疑問が出てきます。

川本はこれも彼の切字論(切字は句末を切るものだ)の根拠としているが、川本の「基底部・干渉部」説(これは平成3年『日本詩歌の伝統――七と五の詩学――』に初出)自体はまだ議論が多いので、本論ではことさらこれに触れないで紹介した。論者の趣旨には添わないかも知れない。

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