問題に取り組む「義務」があるのではなく、問題に取り組む「権利」がある。

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今日は富士山のふもとの中学生が、自分の学校に呼んでくれたのでお話をしてきました。

ヨーロッパの教育機関で教わった、この事について学校でも話しています。

「日本では、義務は教えるけど、権利は教えない」

そうすると、「義務脳」といって、

頭の半分が「やらなきゃいけにない事」で、

残りの半分も「やってはいけない事」でいっぱいいっぱいになり、生きていてしんどいそう。

僕をこの事を意識し始めてから、色々な事がシンプルになり、生きやすくなりました。

例えば、問題に取り組む時、「しなくちゃいけない」と義務で取り組む人がいます。

僕は、これはしないようにしています。

必ず、しんどくなるから。

マジメな話をすると、大人としての「責任」はあると、僕も思います。

だけど極論、「しなくてもいい」ということもできます。

自分にムリヤリなにかをさせれるのは究極、自分自身にはいないのですから。

誰になんと言われようとも、周りがどうであろうとも、「やらない」という選択はありますから。

そんなことよりも、自分は「やりたい」のか、「やりたくない」のか‐。

これが本当に大切かと。

僕は、「しなくちゃいけない」からやっているわけではありません。

自分が「やりたい」からやっているのです。

他の誰でもなく、あくまで自分の選択であるという事を、自分で潔く認める事が大切です。

選択でいえば、僕は自分の仕事や、付き合っている人の事を悪く言わないと決めています。

仕事もパートナーも、「選んだ」のはまぎれもなく自分自身。

それを悪く言う事は、自分自身の選択を否定してる事になります。

それはあまりカッコいい事だとは思いません。

自分が選んだと認めていると、他にもいい事があります。

生きていれば、いい時もあればよくない時もあります。

よくない方の時、自分の選択だと認めていない人は、人のせいにしがちです。

それは自分と周りをしんどくします。

だけど、自分の選択だと認めている人は、スッキリして立ち直るのが早いです。

「自分が選んだ道だから」

「自分がやりたくてやってる事だから」

問題に取り組む「義務」があるのではなく、問題に取り組む「権利」がある。

もし「権利」が無ければ、問題を知っても取り組んではいけないわけです。

これほどツラい事もないと思います。

だけど「権利」があるから、取り組む事ができる。

問題の解決を、「ねばならない」ではなく、「していい」で取り組む‐。

そう考えてみると、それはとても素敵な事だと思います。

未来を自分が望む方向に近づけていい、という事ですから。

問題に取り組む「義務」があるのではなく、問題に取り組む「権利」がある。

コズミックホリステック医療 俳句療法

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