Facebook蛯名 健仁さん投稿記事 『運命』
わたしは知っている なぜ、そうなったのか?
いつか死んだ時 あなたは問うでしょう なぜ、自分は死んだのか…?
知りたい人は 知ることが出来ます 知りたくない人は 知ることはありません
自分で死因を調べ 理解しなければ 知ることはないのです
知る権利がある 知らない権利もある 騙される権利がある 騙されない権利もある
食べる権利がある 食べない権利もある 病む権利がある 病まない権利もある
死ぬ権利がある 生きる権利もある …人には選択する権利があります
委ねられているのです すべてが 運命とは 自己選択による因果の顕在化
生きるとは 原因と結果の連続性 委ねられているのです すべてが
だから一期一会の日々に ありがとう さようなら 皆それぞれの人生である
皆それぞれの人生でいい すべてが許されているのだから
わたしは知っているなぜ、そうなったのか… 2022.3.23 蛯名健仁
Facebook船木 威徳さん投稿記事【 何をやりたいか?ではなく 】
モノがあふれ、物質的には「豊か」になったこの国では、もう、いつからでしょう。
「たった一度の人生なんだから『自分がやりたいこと』をやればいい、嫌なことなど
やっている時間が無駄だ。」と言うような考えがはびこり、では、どうやって、「やりたいこと」だけで稼いでいくか?について、教えることで稼いでいる人もいます。
それはそれで、正しいのかも知れません。私も「やりたいこと」をやってきました。
医師として、医療と言う仕事は、やはり、楽しいし、つくづく幸せを感じるものです。
しかし、たくさんの人たちの病気を診て、死にゆく姿を見ていると「たった一度の人生」なのにこの眼の前の、貴重な命を持つこの人は、こうするしかなかったのか?
こんなふうに生きるしかなかったのか?これが望んだ人生だったのか?医師として、やれることは他になかったのか?いや、同じ人間として、力になる術は他にないのか?
そんな思いが、20年以上消えません。
年がら年中、たくさんの方々を看取っているとつまり、やがては死んでゆく、自分の最期を何度も何度も考えると私が「やりたいこと」など、本当に、心から、「どうでもいい、ケチくさいこと」に見えてくるのです。
過去を振り返ってみたら、自分で「やりたかったこと」ができたときの喜びよりも、
「(私に)会えてよかった」「(私たちに)診てもらってよかった」と、泣きながら手を握って感謝を伝えていただいたときの感動や文字通り、笑顔で亡くなってゆく人を見ながら「よかったなあ」と冷たくなった身体を触り、泣きたくなるくらいの想いを持ったときの
方が、何百倍も、強い想い出になっています。
私は、この歳になって改めて思うのです。
自分が「何をしたいか」も大事だけれど、「誰の役に立てるか?そのために、自分には何ができるか?」を、周りの人たちや、お客様や、自分のことを知る人たちに素直に聴くほうが、自分がやるべきこと、「これをやってきてよかった」と深い幸せを感じられることを見つけるには、近道なのではないかと。
たった一度の人生だからこそ、「自分が、自分が」「私が、私が」ではなく、
なにかの縁、不思議な巡り合わせで同じ時代、同じ場所で、逢うことになった人たちが、
あなたや私に「求めている」ことその人たちのためにあなたや私が「役に立てる」こと
同じ人がふたりといない、あなたや私が、「できる」ことにもっともっと、集中するほうが
素晴らしいのではないかとそう感じるのです。
私について言えば「もっと身体にいいもの」「本当に身体に必要なもの」を、食べたい、食べさせてあげたいという声をさんざん聴いてきました。
私が野菜作り、農業について勉強しもうすぐ畑を耕し始めるきっかけになったのも、患者さんたちの声でした。
もう、数日生きられるかどうかわからないおばあさんを診察した後
咲き始めた桜を見ながら、涙が出てきました。
たった一度の人生だからこそ私は「求められている」ことを優先していきたいと思うし、
そうすることが私の一番「やりたいこと」なんだとつくづく感じます。
この春、新しいことを始める方々へ。
〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり
一指 李承憲@ILCHIjp
私の中の真の私が 宇宙の大いなる生命力と 一つであることを悟りその神性に向かって自らを開け放していること。それが生きていく上で見いだせる最も大きな宝です。
神性は皆に等しく存在しますが切に願って心を開いているのかどうかで感じられたり感じられなかったりします。
0コメント