Facebook北條 毅さん投稿記事
いまの時期、多くの人が揺れてるね。そして揺れてる人のほとんどがいろんな情報を見すぎてㅤ不安になったり、自信がなくなったりしてそわそわざわざわと揺れている。
そして、その落ち着かない状態のまま動かなきゃいけないような強迫観念に追い立てられ
誰かの言うがままに盲目的に猛進してみたり 逆に、目的地もわからないままふらふら彷徨い歩いたりしている。
不安を煽られたりむやみにざわざわするようなものをなんでわざわざ気にするの?
何度も言っているようにテレビなんか捨ててしまおう。
不安でいっぱいになるネットの記事なんかわざわざ見に行かなくていい。
世界の誰かのために何かをしようとしたって不安と恐れにまみれたままその渦中に飛び込んだらその負のエネルギーを増幅させるだけ。
テレビなんて捨ててしまおう。スマホなんて切って置いておこう。
そんなことよりもまず、いまの自分を感じること。
自分の身の回りの世界をそのまま、静かに感じてみること。
どこかの誰かの言っているどんな正しそうなことを気にするより
いまの自分と、自分がいる世界とそこにつながり、そこからすべてを始めていこう。
どんなに世界のためを思っても当の自分がボロボロの栄養失調だったり彷徨い歩くゾンビみたいな状態だったらㅤ誰も助けられず何の力にもなれやしない。
まずは自分とつながること。そして自分の可能性を開くこと。
そこから始めることこそが結果として、最大の社会貢献になっていく。
それを信じられるかどうかそして、それを実践できるかどうか それだけなんだよ。
https://www.jibunjiku.com/jibuntotsunagaru 【「自分とつながる」とすべてうまくいく!その驚きの理由とは】より
「自分とつながる」という生き方に出会った。わたしは、自分とつながらない人生をずっと生きてきた。あるとき、なにかが違う!その人生に違和感を感じ始めた。なぜなら、どんなにがんばっても人生がうまくいかないから。
楽しいことをしているのに、面白いことをしているのに、本当には満たされないから。
なぜ満たされない?どうしたら満たされる?
「自分とつながる」という生き方に出会った。そこには、心の平安と、ゆるぎない幸福感があった。それは、今までのような、不安と隣合わせの幸福感ではなかった。
人生が根本から変わった。喜び満たされる人生を知った。もう、自分とつながらない生き方には戻れない。
自分とつながるとは
自分とつながるとは、本当の自分とつながるということ。根源の自分とつながるということ。ハイアーセルフとつながるということ。
他にも様々な表現があると思いますが、自分とつながるということは、自分の内側とつながるということです。自分の内側とつながるとはどういうことか?
それは、自分の価値観を軸に生きること、自分の心に従って生きることです。
逆に、自分とつながっていないときは、自分の内側ではなく外側とつながっている状態です。外側とつながるということは、人の価値観を軸に生きること、世間一般の常識やこれが正しいという集団意識に従って生きることです。
つまり、自分主体の生き方か、他人主体の生き方かの違いです。
わたしは他人主体の生き方をずっとやってきました。
楽しいこともいっぱいあったんですが、本当の意味で満たされませんでした。
それでなんでかなー?とたどり着いたのが、自分とつながる生き方でした。
今思うと、自分主体で生きないと自分を満足できないのは、至極当たり前のです。
他の人を満足させても、自分を満足させていないのですから。
そんな単純なことに、やっと気がつきました。
そしてもう1つ大事なことがあります。
自分とつながるということは、自分に起こったことはすべて自己の責任である、と認めて受け入れることです。
自分とつながっていないで、他の人の軸で生きているときは、他の人のせいにできるという特典(?)があります。
しかし、自分とつながる生き方は、自分に起こったことは全て自己責任です。
自己責任といっても、わたし達が認識している自己責任とは違うかもしれません。
自分とつながったときの自己責任と、自分とつながっていないときの自己責任は、根本的に違うと言っていいでしょう。
失敗したり上手くいかなかったときに自己責任を取らされる、というのが世間一般の共通認識だと思います。
本当の自己責任とは、失敗しようが成功しようが関係なく、自分が発したことに対して責任を持つということではないでしょうか。
それは、現実で起こった事はすべて自分が起こした、すべて自己責任だと認めて受け入れることです。
例え相手が悪くても、相手は関係ないこの出来事は自分が起こした、自分の責任だと認めて受け入れることです。
それは、今までの考え方にはないことだと思います。
今までの常識では、相手が明らかに悪かったら、誰もが相手が悪いと思うでしょう。
しかし、それすらも自己責任と捉えます。自分とつながるとは、そういうことです。
今までの生き方をひっくり返す考え方です。
もしかしたら、受け入れるまで時間がかかるかもしれません。
ただ、この自己責任を持てない限り、自分とつながることはできません。
自分とつながる最も肝心なことです。
自分とつながるとは、自分の心に従った選択をし、自分に起こったことはすべて自己の責任だと認め受け入れることです。
自分自身で生きたい!
自分の心に従って生きるのか、世間の価値観や常識に従って生きるのか、わたし達は常に選択しています。
どちらか一方に固定されているわけではなく、この2つを行ったり来たりしています。
最初は、圧倒的に、世間の価値観や常識に従う選択をするでしょう。
そのように教育され育ったので当然です。
世間の価値観に従う生き方から、自分の価値観で生きる生き方にチェンジするところからスタートです。
わたし達は、長く、自分の価値観や心の声を無視してきました。
自分の心に従った生き方は許されなかったからです。
自分ではない自分を生きてきました。
自分とつながってないから、いつまでもズレたままピタッと合わない、だから満たされなかった。
ここに、違和感を感じたのではないでしょうか。
なにか違う!と感じたのではないでしょうか。
自分自身で生きたい!
それは、自然な、わたし達の心の底からの叫びではないでしょうか。
心の底から求めていることであり、自分自身で生きる生き方に変えていくことが、わたし達の生きる目的の1つと言えるでしょう。
自分とつながることを意識的に選択する。
それを習慣にすると、自分自身で生きる人生を取り戻すことができます。
2人の自分
自分とつながるということは、自分とつながっていない自分を観ているもう1人自分がいる、ということになりませんか?
そうなんです、2人の自分がいて、自分とつながっているときは2人の自分が一致しているときです。
自分と自分が1つに統合している状態です。
心地いい状態です。
自分とつながっていないときは、2人の自分が分離しているときです。
2人の自分が違う意見なので、葛藤が起きます。
葛藤があるときは幸せを感じることができません。
自分とつながるということは、自分自身が1つに統合している葛藤のない幸せな状態です。
ちなみに、3人目の自分もいます。
3人の自分が1つになったとき、三位一体です。
人生はどう変わる?
自分とつながっている人生は、楽しく、喜びやしあわせに満ち満ちています。
ポジティブしかない世界です。
言い方を変えると、自分とつながっているとポジティブな世界にしかいられない、ということになります。
また、自分とつながって生きると、自分の望む通りの人生を生きることができます。
なぜなら、自分が思ったことが現実になる、のがこの世の法則だからです。
自分とつながっていると、自分が望むことに葛藤がありません。
望むことは1つです。
自分とつながっていないと、2人の自分の意見が違うので葛藤が起きます。
望むことが2つに分かれます。
ポジティブな願いが叶うのか?ネガティブな願いが叶うのか?ということになります。
分離している状態のときは、ネガティブな望みの方が叶うと思っていいでしょう。
望むことを叶えたかったら、自分とつながって望むことを1つに統合することです。
自分とつながると、望むことは全て叶う、ということです。
自分とつながっていないと、常に自分と葛藤し、満たされずイライラします。
悲しみ、憎しみ、恨み、自己嫌悪などのネガティブな世界にいます。
ここまで聞いて、あなたはどっちの世界を選択しますか?
自分とつながる方法「解放と意図」
本当は自分とつながりたいのに、実は、邪魔をする自分がいます。
自分の心に従って生きたら怒られるよ。常識や集団意識から外れたら嫌われるよ。
一人ぼっちになるよ、生きていけないよ。と、もう一人の自分が阻止します。
このもう1人の声と対峙し、打ち勝たねばなりません。打ち勝つといっても、戦うわけではありません。戦うのではなく、その声に従うのをやめるだけです。
どうしたらいいのか?
まず、そのネガティブな思考や感情が自分にあったことを、認めて受け入れます。
そして、そのネガティブな思考や感情を「このネガティブな思考や感情はいらない!手放す!」と、自分と切り離します。
その思考や感情にコントロールされることを拒否します。
自分をそのネガティブな思考や感情から解放します。
いろんな表現がありますが、そのネガティブな思考や感情はもう選択しない!ということです。
これからは選択しないと決めることが、「解放」です。
解放したら、必ずその後に、自分が心から望むポジティブなことを意図します。
例えば、「わたしは今、心に従った生き方をしている!」と喜び幸せを感じている自分をイメージをします。
すでに心に従って生きている自分を、有り有りとポジティブにイメージすることがポイントです。
これが「意図」です。
解放と意図はセットで行ってください。
常に自分を観察し、ネガティブな思考や感情が出てきたら、解放と意図を繰り返します。
1回ではなかなか解放されませんが、繰り返していくと、そのネガティブな思考や感情は出てこなくなります。
そうすると、自分とつながる邪魔をする因子がなくなっていき、自分とつながります。
自分とつながっていない体験は必要不可欠
自分とつながらないことが駄目なのではありません。
自分とつながらない体験は、わたしたちにとって必要不可欠、必然の体験です。
ネガティブな出来事が発生すると悩み苦しみ、なんとかその状況を変えようとします。
ポジティブになろうとします。
自分とつながっているときはポジティブしかないと書きました。
逆を言うと、自分とつながっていないときはネガティブしかありません。
わたし達はポジティブでいたいという本能があります。
それゆえ、自分とつながりたいと思うんです。
そして、自分とつながるために、ネガティブからポジティブに自分を変えようとします。
そのプロセスの体験は、わたし達を進化成長させます。
実は、自分を進化成長することが、生きている大きな目的です。
つまり、ネガティブな出来事があるから、進化成長できるんです。
ポジティブな出来事は、進化成長させるというより、進化成長を維持すると思ってください。
進化成長させるのは、ネガティブな出来事です。
ネガティブな出来事が発生しないと、進化成長しない、ということです。
ネガティブはすごい役目をしています。
自分とつながるもう1つの大きな効用
自分とつながっていないと、自分を変えることはできません。
自分とつながっていないのに、一生懸命自分を変えようとしても、残念ながら自分を変えることはできません。
自分とつながっているときだけ、自分を変えられます。
また、自分が変われば、相手が変わります。
まとめ
自分とつながるとは、本当の自分とつながる、根源の自分とつながる、ハイア―セルフとつながる。
いろんな言い方がありますが、自分の内側とつながることでした。
自分の内側とつながるとは、目の前で起きているすべての出来事は自分が創った、と自分の発することに自己責任を持つことでした。
簡単にいうと、自分に起こったこと、人のせいにしないで自分のせいにするということです。
誰が見ても、明らかに相手が悪いとします。
それでも、そういうことが起こったのは自分のせい、自分が原因を創って自分に返ってきたということです。
自分とつながると、喜びとしあわせのエネルギーの湧き出る根源(ソース)とつながります。
ポジティブなことしか起こりません。
自分とつながっていないときは、ネガティブのソースとつながり、ネガティブなことしか起こりません。
一番強く思ったことが現実化する、というこの世の法則があります。
ポジティブな心でいると、ポジティブな現実を創ります。
ネガティブな心でいると、はネガティブな現実を創ります。
人生はとても複雑に感じますが、人生を構成している仕組みは、単純明快です。
自分とつながって生きると、自分とつながらないで生きるか、どっちで生きるか自分で選ぶことができます。
自分で自分の望む人生を選ぶことができ、現実化できます。
わたし達は自由なんです。
自分とつながらない体験は、必要不可欠な、必然の体験です。
自分とつながっていない状態から、自分とつながっている状態に変える。
そのプロセスこそが、進化成長する貴重な体験である。
それは、わたし達の生きる目的である。
そんなことを書きました。
自分とつながると、人生は驚くほど変わります。
自分の望む人生に、自分で変えていくことが可能です。
自分の人生をポジティブにコントロールする醍醐味、面白さ、喜びを体験しませんか?
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この自分軸を書いている私たちが体験したように…。
ニチメコであなたの人生のステージを引き上げる学びを体験してみませんか?
◆幸せなはずなのに、なぜか心が満たされない…
◆この人生でまだやり残している大切なことがあるんじゃないか…
◆漠然と出てくる不安や恐れ、怒りをどうやって解放したらいいのか…
◆「こうあるべき」に縛られた窮屈な人生からなかなか抜け出せない…
解決の糸口を見いだせなかった問題も、それを作ったステージより高いステージから見下ろすとカンタンに答えに辿りつけることがよく起こります。
なぜなら問題の原因と結果の因果関係が見いだせるようになるからです。
それによりあなたが手にするものは、物事に翻弄されず、冷静に全体を俯瞰できる広い視野と心のゆとり。
さらに、あなたを縛ってきた根本原因を解放することで、自由にキラキラと輝いて生きられる理想の自分へとシフトすることだってできるのです。
https://dananet.jp/?p=9184 【『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(13)
石嶌 岳】より
水遊びする子に先生から手紙 田中裕明
子どものころ、夏休みに庭先でまるいビニールプールを広げて遊びませんでしたか。水遊びをしているところに、郵便屋さんが手紙を届けにきたのです。それは学校の先生から子ども宛の手紙です。
「夏休みを元気にやっていますか」といった内容ではないでしょうか。そんな微笑ましい世界を俳句に詠んでいます。
小鳥来るここに静かな場所がある 田中裕明
秋になりますと、小鳥たちが日本に飛来してきます。小鳥たちも森の静かな場所を知っているのでしょうね。「ここに静かな場所がある」から小鳥たちがやって来るのだと作者は気づいたのです。
ぼうふらやつくづく我の人嫌ひ 田中裕明
水たまりに湧いているボウフラを見ていると、「つくづく自分は人間嫌いなんだな」と思ったのです。一人静かに自然のなかに佇んでいるのが好きなのです。ですから旅行をしていても〈もの言はぬ旅のつれよし蝉の殻〉と呟いてしまうのです。
一生の手紙の嵩や秋つばめ 田中裕明
それにしても一生のうちで貰う手紙の量ってどのくらいなのでしょうかね。いろいろな人と縁があって仲良くなって手紙のやりとりをするのでしょう。その縁の数だけ手紙があるわけですから、その縁の数が「手紙の嵩」となって視覚化されてくるのです。
その一角が大文字消えし闇 田中裕明
京都の大文字の送り火です。大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形と点火されます。それは、お盆に六道の鐘を搗いてお迎えしたお精霊さん(おしょらいさん)を、お経(妙法)を唱えながら船に乗せて、彼岸の入り口である鳥居に向かうのだそうです。その大文字の火が消えた後の闇を作者は見つめているのです。
空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明
空を見つめては、この空を上ってゆく階段はないのだと言うのです。地上では稲が花を咲かせているのですが……。天国への入り口を探しているのでしょうか。この句から有元利夫の「厳格なカノン」という絵を思い浮かべます。
糸瓜棚この世のことのよく見ゆる 田中裕明
糸瓜といいますと正岡子規の〈糸瓜咲て痰のつまりし佛かな〉を思い起こしますが、子規の末期の眼差しとこの作者の眼差しとが重なって見えてきそうです。ある距離を置くことによってすべてが見渡せるような、いわば彼岸からの視点がこの句にはあるように思われます。
この句は、句集『夜の客人』の最後に置かれています。『夜の客人』は入院中の病室でまとめられた遺句集であり、そのあとがきに、「入院生活の中でないと、本をまとめることができないのも、(中略)けがや病気であらためて、自分あるいは世界を見つめてみるということも関係あるかもしれません。」と作者は述べております。
* * *
私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。
芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。
石嶌 岳(俳人)
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