https://www.asahi-net.or.jp/~CF9B-AKO/essay/haikunokihon.htm 【秋尾敏の仕事・エッセイ 俳句の基本】より
基本 1 切れ
俳句の意味が分からない、と訴える人の多くは、「切れ」が読めていない。俳句には「切れ」がある。そのことを知っただけで、ほとんどの俳句が、自分なりには読めるようになる。
菊の香や奈良には古き仏達 松尾芭蕉
菊が香っているということと、奈良に古くからの仏が存在していることの間に因果関係がないことを、「や」という「切字」が明示している。一方に「菊の香」があり、同時に「古き仏達」がいる。そのふたつのものが持つイメージの重なったところに風情が生まれる。なぜなら、「菊」という花が、日本人の生活に深く入り込み、私たちにたくさんの思い出を作っているからだ。そういう言葉を季語と言うわけだが、その季語である菊の香に誘われ、作者は、奈良には古い仏たちがいるなあ、と思ったのである。もちろん作者の目の前にその古い仏像があると読んでもいいし、「古き仏達」を連想したのだなあと読んでもいい。ただ、いずれにせよ読み手は、自分の持っている菊の記憶にまつわる感覚や感情を総動員して、その風情を感じ取ることが大切だ。それが俳句を読むということである。
秋風や模様のちがふ皿二つ 原 石鼎
「模様のちがふ皿二つ」というのは、それだけでは、だから何だと言いたくなる表現である。模様の違う皿を持っていると自慢しているのか、模様が揃わないと嘆いているのか、あるいはもっと別の感情があるのかないのか、まったく分からない。ところがそこに「秋風や」と置かれると、何やら寂しげな風情が漂ってくる。秋風と皿との間に、因果関係はまったくないのだけれど、その二つが合わさることによって、作者の伝えたいことが分かりそうになってくる。
ここで重要なことは、作者が「秋風や」としか言っていないことである。「秋風が吹き込んできたので、ふと寂しい気分になり」とか、「そのとき急に侘びしい秋風が吹き込んできて」などと、小説家が書きそうなことは何も言っていない。ただ「秋風や」とだけ言って、あとは読者の想像力に委ねている。このことが重要である。俳句という短い詩形は、読者の想像力を喚起することによって、豊かな表現を作りだすのである。
実はこの句は作者の貧しい新婚生活から生まれた句である。そのことを知ってしまえば意味は明らかだが、知らなかったとしても、「秋風や」という季語と切れは、作者の侘びしい状況を理解させる力を持っている。
なぜこうした「切れ」という手法が発達してきたかと言えば、十七音という短い詩形の中で、より多くのことを伝えようとするからである。散文の十七音とは比べものにならないほど多くのことを、俳句の十七音は伝えようとする。
この「切れ」という方法は、俳句だけのものではない。映画で、あるショットから次のショットへのつなぎ方をわざと飛躍させ、経緯を説明する以上の新しい意味を生み出そうとする「モンタージュ」という手法も「切れ」と同じ効果を作りだす。この映画のモンタージュ理論は、「戦艦ポチョムキン」で有名な映画監督のセルゲイ・エーゼンシュタインが、日本の俳句の「切れ」の影響を受けて作り出したとも言われている(実際はよく分からないのだが)。
昔のテレビの納豆のCMで、「金の粒食べよう、豆がいいから、タレもいいから」と女の子が室内で歌っているのがあった。そこまでいくと場面は切断され、一瞬母親が映って、「あら、○○チャンは?」と尋ねる。すると次の瞬間場面が変わって、カメラはベランダで犬といっしょに空を見上げている女の子を背後から撮し、「空も青いし」と歌わせて終わる。
この「タレもいいから」から「空も青いし」への飛躍が「切れ」である。この強烈な場面転換を考え出したディレクタは、画面上のモンタージュに詞の「切れ」を重ねている。みごとなできばえであった。
今まで例に挙げた句の「切れ」は、「や」という「切字」によって示されていたが、「切字」の示されない「切れ」というものも存在する。「切字」の示されない「切れ」というのは次のようなものである。
鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
作者は「鰯雲」のことを人に告げないと言っているわけではない。告げるべきでないことはほかにある。作者は「鰯雲」の下で、あることを人に言うべきではないと思ったというのである。
ロダンの首泰山木は花得たり 角川源義
この句も「ロダンの首」と「泰山木」の花が咲いたということの間に因果関係はない。したがって「ロダンの首」で切れる。だが、そこに「切字」は示されていない。
ただし、この二句に「切字」がないわけではない。一句目の最後の「ず」や、二句目の最後の「たり」は、江戸時代ならば「切字」とされたかもしれないものである。だがこの二句は、それ以外の場所に、「切字」で明示されない切れを持っている。
こういう句が多くなっているので、現代俳句は難しいと思われてしまうのであるが、「切れ」を探して読むという読み方さえ身に付けてしまえば、何も難しいことはない。
江戸時代の「切字」というのは、最初は、その句を自立させるために必要だと考えられていた言葉である。つまり、句の「終止」を明示する語ということである。
当時の「発句」は、「俳諧連歌」という、五七五と七七を連ねていく長い詩の最初の一句ということであった。
「発句」に続く句は、前後の句と併せて読めるものである必要があったが、発句は、それ自体で完結した世界を作りだしている独立した作品であることが望まれた。つまり、その一句だけで鑑賞できる独立性が求められた。そのためには句が完結している必要があり、「切字」が不可欠のものと考えられるようになったのである。
しかし、「切字」は、もう一つ別の働きも持っていた。それは、余韻や余情を明示するという働きである。
猪も抱れて萩のひと夜哉(かな) 高尾(二代)
有名な遊女の一句である。「哉」という「切字」が句を言いとどめ、終止感を際立たせて表現を引き締めている。と同時に、「萩のひと夜」に対する万感の思いをそこに封じ込めてもいる。これが「切字」の二つめの働きである。
五七五という短い形式では、ものごとのすべてを語り尽くすことはできない。どこかで表現を諦め、言い終わらなければならない。そのとき、最後の「かな」という一語に、言い尽くせなかった気持ちの全てが乗り移る。「切字」とは、そういう言葉である。
高尾は、吉原の妓楼三浦屋の遊女の名で、七代続いたとも十二代続いたともいわれる。俳諧で有名なのは二代目で、「仙台高尾」と呼ばれる。仙台藩主伊達綱宗に逆らって隅田川で惨殺されたとか、身請けされて仙台で没したとか言われていて、「伽羅先代萩」のお家騒動の元を作った綱宗の相手である。
句意を考えてみよう。秋ともなれば猪の寝床も萩に囲まれ、優雅なものなるということだが、遊女の句であれば、いささか現実の座敷も見えてこようというものである。萩の模様の入った着物を新調した日に客に贈った句というようなことであったかもしれない。
現在では、切字といえば「や・かな・けり」の三つを指すが、昔は「切字十八字」などと言って、「かな・もがな・し・じ・や・らん・か・けり・よ・ぞ・つ・せ・ず・れ・ぬ・へ・け・いかに」を「切字」とするのが一般的であった。
しかし、これ以外にも「切字」として働く言葉はあって、例えば「て」という接続助詞が強い「切れ」を作る場合もある。
梅咲いて人の怒の悔もあり 露沾
この句は最後の「あり」で切れるのであるが、「咲いて」でも切れていて、意味やイメージがそこで大きく転じている。そこに句の複雑なおもしろさが作られている。
これが「切れ」の三つめのはたらきである。最初に説明した「や」による「切れ」はこの「切れ」である。
芭蕉は、「切れ字に用ふる時は四十八字みな切れ字なり。用ひざる時は一字も切れ字なし」といったといわれる。これは体言止めなども含めたことであろうが、「切字」を形式としてではなく、句の内容とも関わるはたらきとしてとらえているわけで、現代の俳句理論にも通じる優れた考え方である。
「切字」で「切れ」を明示するにしても、「切字」を使わない「切れ」を作るにしても、内容に「切れ」がなければ意味がない。今までのことを易しくまとめると、次の三つを作りだすのが「切れ」だということである。
①言い切った終止感
②言い終えていない余情
③展開の意外性
前に「五七五という短い形式では、ものごとのすべてを語り尽くすことはできない」という言い方をした。これは決して間違いではないが、この言い方では、「だったらもっと長い短歌のような詩形を選べばいいではないか」、というような反論を呼ぶかもしれない。
だが、それは誤解である。俳句は、短いから仕方なく「切れ」を作るのではない。俳句は、あえてその短さを活かそうとする形式である。短いがゆえに、すべては言えない。そのことをプラスに転じて「切れ」という切断を作り、その間合いで、読者に感じてもらったり、考えさせたりするのである。
月朧川に鉄臭横たわる 河合凱夫
作者は、おぼろ月と鉄臭を発する川との関係についてひとつも説明を加えていない。ただ、月がおぼろであることと、その下に流れる川に鉄臭が漂っているということを言っているだけである。作者自身はその光景にどんな感慨があるかとか、どんな意味があるかということを言っていない。その解釈はすべて読者に委ねられている。
読者はこの、十分に言い尽くされていない表現から、感覚や感情や意味を自分なりに構成していくことになるのだが、読者の読みが、作者の意図や作品の言葉からまったく自由なわけではない。読者の読みは、自由の幅を与えられながらも、作者の言葉によって巧妙にある方向に誘導されていく。それが、俳句の切れの力である。
こうして俳句は、表現の後の沈黙の中に読者を誘い込む。その沈黙の中に、不在の感覚を立ち上げ、不在の意味を紡ぎ出すのである。
基本 2 省略・・・短く言って、あとは黙る
長い詩では、言い換えたり、反復したり、譬えたり、否定したりして言葉を接ぎ足し、読み手をその作品の世界に引きずり込んでいく。朗々と続く美しい言葉のうねりに呑み込まれていくことが、詩を聞いたり読んだりすることの悦楽である。詩人の才能とは、一般にそのような言葉を次から次へ生み出せる能力だと思われている。それは、教典や聖書を書き上げたいにしえの宗教家の能力に連なる才能である。
ところが、俳句は違う。俳人は、ひとこと言って、あとは黙る。これは、他のすべての詩形とは違った態度の取り方だと言えるだろう。
いや、詩だけではない。戯曲にしても小説にしても、作家は、次々に言葉を継ぎ足し、読者の気を惹き続けようとする。これもまた反俳句的なやり方である。
とすれば、俳句は、他のあらゆる文学形式を向こうに回す独自性を持った唯一の表現形式だということになる。俳句は、他のすべての文学形式と根本のところで異なる性質を持っている。そこに俳句の存在意義があり、俳句が世界に広がっていく理由がある。
今年竹風生まれねば狂い出す 河合凱夫
このように言い止めるのが俳句である。理由は言わない。意味も言わない。因果の説明もせず、感情さえも定かにしない。だが、その後の沈黙の中には、止むに止まれぬ人間の焦燥というものが、ありありと導き出されてくる。
西洋の詩人たちもこのことに気づき始めている。正岡子規国際俳句大賞を受賞したフランスの詩人イヴ・ボンヌフォアや、ポルトガルの詩人カジミーロ・ド・ブリトーが、「俳句は特別だ」と発言するのを私は聞いている。何が特別かと言えば、饒舌に喋り続けようとしないことが特別なのである。
この、「短く言って、あとは黙る」、という態度は、言葉というものの力をどう考えるかという根源的な問題につながっている。それは、自分が生きていく中で、言葉をどう発するかということの根本の態度にも関わることである。
卑近な例になるが、勉強しなければならない理由を、饒舌に一時間語り続けることが、本当に子どもの心を変えることになるのだろうか。かえって親のひとことのつぶやきが子どもを変えることもあるだろう。俳句は、そのひとことに賭ける。ただしそれは、考え抜かれ、研ぎ澄まされたひとことである。
まずこのことを自分に納得させなければならない。ものごとを饒舌に語り続け、世界を豊饒な言葉で埋め尽くそうとする心を捨てなければならない。俳句では、その言い尽くそうとする心が、甘さを生み出す。俳句は、居合い抜きのような言葉の一太刀なのである。
このことを逆に言えば、俳句は、それにすべてを賭けたひとことだということになる。
ここで終らじ風の出口の菱の花 河合凱夫
作者の最期の作品となった一句である。作者は死を予感していたのではない。いつも、一句にすべてを賭けていたから、最期にこうした作品を残すことになったのである。
何かまとまったことを言うためのぎりぎりの長さが、俳句に与えられた五七五という形式である。
この長さを有効に使うために、意味の重複を避け、省略できることを省いていく。その努力が重要である。その短さに対する執念が、俳句表現の水準を高めていく。
さらに俳句の省略の技法は、近代文学の表現の水準も高めたと私は考えている。近代の小説家の多くが俳句を経験し、その技量を身に付けていた。そこで磨かれた省略の技量は、彼らの研ぎ澄まされた散文に反映していったと考えられる。
省略は、俳句の基本中の基本である。
寒梅やにわかに暮るる白い闇
私の主宰する俳誌「軸」に投句された句である。「白い闇」に着想のよさがあって、見どころのある句である。しかし、どこかおかしい。
まず闇が暮れるのではなく、暮れて闇になるのであるから「暮るる白い闇」は気になる。まずは「にわかに暮れて白い闇」としたい。しかし、そうすると、「暮れて」と「闇」の重複が気になる。暮れて闇になるのは当たり前だからである。この句における作者の発見は「白い闇」にあるのだから、「暮れて」を省略する。すると、そこに別の言葉が入れられる。その言葉は、作者の実感であるべきだ。不安感があれば「騒ぐ」、安心しているのであれば「包む」、淋しいのなら「沈む」などいろいろあるだろう。心を投影させるのである(もっとも、この句の添削としては、上五の季語を「探梅の」に変えてしまうという方法もある。それは省略とはまた別の問題である)。
啓蟄や関節ふわりと軽くなる
この句の場合は、「ふわり」だけで軽くなる感覚は十分伝わる。つまり「ふわり」と「軽くなる」は、かなり重なりのある言葉である。そこで下五では、その先のことまで言える。例えば、
啓蟄の関節ふわり跳びこえる
啓蟄の関節ふわりと子を抱く
しかし、次のような名句もある。
ちるさくら海あをければ海へちる 高屋窓秋
昭和初期の新興俳句の代表作であるが、その後の太平洋戦争の悲哀や、戦後の叙情までも予感させる句で、平成になっても教科書に採られた句である。「ちる」と「海」が繰り返され、そこに深い叙情が作られている。
つまり、何でもかんでも切りつめればよいというものではない。一方で、調べや響きを感じとりながら、省略によって言葉を引き締めていくのである。
基本 3 凝縮
「省略」は重要である。しかし、それは俳句の目的ではない。省略は、「凝縮」のための手段である。余計なことを言わずに、重複した部分を削ぎ取ることによって、一句の密度を最大に増やす。それが「凝縮」ということである。
金剛の露ひとつぶや石の上 川端茅舎
無駄のない引き締まった表現は読んでいて気持ちがいいばかりでなく、明確なイメージを浮かび出させる。
また、この句からも分かるように、「切れ」もまた凝縮した表現を生み出す。余計な説明を加えず、ただ「石の上」と置いたところに、読者の眼前にありありとした光景を作りだす秘訣がある。
さて、凝縮した表現を生み出すもう一つの考え方として、言葉を増やすという方法がある、これは省略とは逆の発想のようであるが、句の密度を増そうとする点は共通している。
正岡子規は、俳句は短いから単純なことしか言えないと考えた。複雑は社会の出来事を短い詩形に詰め込むのは無理があると思ったのである。
しかし、戦後になって、中島斌雄は、その短い詩形の中に、どれだけのことを言えるかということを考えた。それは社会性俳句の潮流とも関わっている。社会性俳句というのは、戦争中の俳人の生き方への反省から、俳人も文学者の一人として社会認識を深め、そのことを表現すべきだという考えから生まれている。
複雑な現代社会の問題を俳句に詠むとなれば、五七五でどれだけ言えるかということの限界に挑戦していくしかなくなり、そこに言葉を増やすという手法が生まれる。
置手紙西日濃き匙載せて去る 中島斌雄
「草田男氏を訪ねしが」という前書きがある。斌雄は中村草田男と仲がよかった。その草田男を訪ねたが留守だったので、置き手紙が風で飛ばないようにスプーンを載せて帰ったというのであるが、散文的な内容をよく五七五にまとめたものである。
海眞蒼水着の褪せを子よ羞づるな 中島斌雄
物の乏しかった戦後の句である。不自然さなく社会状況を詠んでいる。この句も散文的な内容だが、「海眞蒼」の切れが、詩としての叙情と深まりを作りだしている。
都心の銀河臑を楯とし孤児眠る 中島斌雄
これも路上に孤児の多かった戦後の句。細かく区切られた五七五が、それまでの俳句とはだいぶ違った複雑な社会状況を詠んでいるのが分かるだろう。
こうした複雑さは、それまでの俳句より使う単語を増やすことによって成立している。言い方を変えれば、五七五を、より細かな文節に区切ったのである。
しかし、こういう手法がいつもうまく行くとは限らない。切れがなかったり、説明的であったり、言葉に重複があったりすると、ただの散文と変わらなくなってしまう。そういう失敗作は「腸詰め俳句」と呼ばれた。ソーセージを作るときのように、俳句の形式の中に単語を詰め込もうとするからである。
要するに、単語数の多い俳句を詠むときも、それまでの俳句を詠むときと同じように、無駄な重複のない凝縮されている表現を作りだすことが重要なのである。
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