http://www.ichijyo-shinya.com/message/2001/10/post-137.html
より
「愛する人を亡くした人へ」
「千の風になって」という不思議な歌が流行していますね。
「私のお墓の前で泣かないでください」というフレーズではじまることからもわかるように、死者から生者へのメッセージ・ソングです。家族や恋人など、かけがえのない愛する人を亡くした人々の心をとらえ、いま、日本中の葬儀でこの歌が流れています。
昨年末、スピリチュアル・ブームなるものが続いています。一種の霊能ブームですが、「スピリチュアル・カウンセラー」と称するカリスマ霊能者が大変な人気を集めています。
そんな中で大事な家族を亡くした人に対して、「ご主人は、あなたを見守っていますよ」とか「亡くなったお子さんは、あなたの隣で笑っていますよ」といったふうに、悲しみを癒す「物語」を提供しています。
考えてみれは、スピリチュアルの本場である英国で大ブームを起こしたのは第一次世界大戦の直後であり、戦争で愛する家族を失った遺族たちが何とか死者と会話をしたいと願って、霊媒による交霊会が流行したのでした。それほど、人は愛する者を失うと、茫然自失となり、心から癒しを求めるものなのです。
「癒し」が時代のキーワードになっています。日本では、阪神大震災後に被災者の心のケアという意味で「癒し」の言葉が頻繁に使われたことから一般的になったようです。
もちろん震災で遭遇したさまざまな恐怖のトラウマもありますが、被災者の最大の心の痛手は家族や友人・知人を震災で失ったことにありました。人間の心が最も悲鳴をあげるとき、それは愛する肉親や親しい人を亡くした時に他なりません。
テレビで「江原啓之スペシャル 天国からの手紙」という番組が放映されていました。江原氏が、死者と会話して、そのメッセージを遺族に伝えるという内容です。この番組では、「スピリチュアル」に代わって「グリーフ」というキーワードが前面に出てきていました。私は、いよいよ来るべき時が来たなと感じました。「グリーフ」とは「悲しみ」という意味です。欧米では、「グリーフ・ワーク」というものが重要視されています。「喪(も)の仕事」と訳されますが、つまり、遺族の悲しみを癒すことです。
私は、今後の冠婚葬祭業、特に葬祭業においては、多くのグリーフ・ワークの専門家が必要だと思っています。それには別に「霊」を持ち出す必要はありません。世界の宗教、たとえば仏教やキリスト教の中には悲しみを癒すノウハウがたくさんあります。また、哲学や心理学や文学も大いに役に立つでしょう。
私は、死別に関連する古今東西のありとあらゆる本を読破しました。その結果、次のように思い至ったのです。
親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子どもを亡くした人は、未来を失う。
恋人や親しい友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。
配偶者を亡くした人は立ち直るまでに平均3年を要し、わが子を亡くした人は10年を要するといいます。愛する者を亡くした時、それはまさに人間の心が最も「癒し」を必要とする非常事態であり、そのための「癒し」の装置として葬儀というものはあるのです。
もちろん、通夜や告別式で、悲しんでいる人に慰めの言葉をかけることは必要なことです。しかし、自分の考えを押し付けたり、相手がそっとしておいてほしい時に強引に言葉をかけるのは慎むべきです。
ただ、黙って側にいてあげるだけのことがいいこともある。一緒に泣いてやることがいいこともある。微笑むことがいいこともある。
ブッダには、こんなエピソードがあります。
シュラーヴァスティーの町で、キサーゴータミーという女性が結婚して男子を産んだが、その子に死なれて気が狂った。死体を抱きしめながら蘇生の薬を求めて歩きまわる彼女の姿を見て、ブッダは、「まだ一度も死人を出したことのない家から芥子粒(けしつぶ)をもらってくるがよい。そうすれば、死んだ子は生き返るであろう」と教えた。一軒ずつ尋ねて歩いているうちに、死人を出さない家は一つもないことを悟った彼女はついに正気に戻れたという。
ブッダは彼女を無理やり説き伏せたりせず、彼女自身に気づかせました。自然なかたちで彼女の心を癒したのです。これこそ、究極の「癒し」ではないかと、私はいつも思います。
考えてみれば、世界中の言語における別れの挨拶には「また会いましょう」という再会の約束が込められています。日本語の「じゃあね」、中国語の「再見(ツァイツェン)」もそうですし、英語の「See you again」もそうです。フランス語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。
これは、どういうことでしょうか。古今東西の人間たちは、つらく、さびしい別れに直面するにあたって、再会の希望をもつことでそれに耐えてきたのかもしれません。
でも、こういう見方もできないでしょうか。
二度と会えないという本当の別れなど存在せず、必ずまた再会できるという真理を人類は無意識のうちに知っていたのだと。その無意識が世界中の別れの挨拶に再会の約束を重ねさせたのだと。
死別はたしかに辛く悲しいことですが、その別れは永遠のものではありません。あなたは、また愛する人に会えるのです。どんなものでもよいですから、死は永遠の別れではないという物語を信じてください。そうすれば、必ず、愛する人に再会できます。
風や光や雨や星として会える。夢で会える。あの世で会える。生まれ変わって会える。そして、月で会える。
いずれにしても、必ず再会できるのです。
ですから、死別というのは時間差で旅行に出かけるようなものなのです。先に行く人は「では、お先に」と言い、後から行く人は「後から行くから、待っててね」と声をかけるのです。それだけのことなのです。
死は決して不幸な出来事ではないのです。
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