同じ根に立って照り合う黄葉かな 高資
同じ根につながる山毛欅の黄葉かな 高資
前回の写真をズームアップしてみました。二本の木がどうして同じ根っこで繋がっているのか不思議でなりません。ー 場所: 湯ノ湖
コメントのやり取り
相生ということでしょうか?
五島高資 どう見ても一つの根元から幹が二つに分かれたような感じてはないですね。しかし、幹と幹が途中で一つになることも相生と言うようですから、根と根がくっついて一つになるのも相生と言って良いのかもしれませんね。それにしても不思議です。
草木の講座の先生に聞いてみましょうか?
五島高資 どうしてつながっちゃったんでしょうね。春日三球じゃないですが、それを考えると夜も眠れないくらい不思議です。ぜひお願いします。
では、近いうちに・・・ どうぞ夜は寝て下さいね(笑)
絆ではないですか
五島高資 胎蔵界的にはその通りだと思いますが、金剛界的な理解を求めてしまうのは男の性でしょうか。
そこって男女の違いですか?やっぱり考えすぎずに寝てください((笑))明日には答えが出るかも…これも女子的思考でしょうか?
この不思議さを形容するのに
春日三球とは…
春日三球?????????とは人の名前のようですが、シャム双生児のような現象がブナの種子の起こったのではないでしょうか。私が子供の頃ベトちゃんとドクちゃんの分離手術が成功したが、2つの胚が融合したとは考えにくい。むしろ元々そうなるべく配置されたと考えた方が合理である。(^_^)vそう思います。根がくっつくことはないと考えて良いのではないでしょうか!\(^o^)/
もう一つの可能性として根が何かの外傷を受けて治癒段階で融合したと言う仮説を考えて見たのですが。不思議なことが起こりますね。平気(自然)な顔をして・・・(^^)v
五島高資 私も最初は根がくっつくことはないと思っていましたが、知り合いの方から根が融合するとことを教えてもらいました。確かに外傷などの治癒過程で脱分化して多能性を獲得した結果、融合した可能性はあると思います。挿し木のように。しかし、ヒトなどの高等動物では、同種の移植でも強い拒絶反応が起きますので、幹細胞は別として、器官形成した体細胞での融合はほとんど不可能ですね。植物における高度な多能性のなせる技だと思います。
私は以前、私が上下に描いた二本の木を、ハイデッガーと思しき人が、訂正して、根がつながっている絵にしてくれた夢をみたことがあります。先生の写真を見て、そのことを思い出しました。ありがとうございました。
五島高資 それは素晴らしい夢ですね!! まさに「共同存在(mitsein)」を象徴するかのような根ですね。個と全体の相克からの止揚を考えたいですね。まさにユングの集合無意識とも深く関わるような気もします。それからハイデガーが好きだった<雲雀より上にやすらふ峠かな>という芭蕉の句を思い出しました。私は<雲雀より空にやすらふ峠かな>を佳としますが、いずれにせよ上下や左右といった二項対立の超克をそこに感じます。漱石が「雲雀の鳴くのは口でなくのではない、魂全体がなくのだ。」と『草枕』で述べているのもよく肯けます。
スゴイ夢見ですね。Hi出っ画~ですか。(^^)v
根に吸われどちらに登る右左
五島高資 養分や水分の動態はどうなっているのか興味がありますね。向かって右の木は左に比べて幹が細いですが樹高は同じくらいで葉も良く茂っていました。
草木の先生の回答が届きました。「う~ん!この写真だけでは何とも言えませんが、木は幹・枝・根ともよく合体します。一本の木だと思っているのが、実は何本かの木が昔ひっついたという例も多々あります(奈良の飛火野の明治天皇玉座跡の大楠など)。もしくは伸びて行った根から又芽が出て木になる場合もあります。お互いに養分のやりとりをすることは無いと思います。木の生態は神秘的でまだまだ分からないことも多いのでは。まあ、科学で解明されているのはまだこの宇宙の数パーセントとも。こんな壮大でしかも精巧な宇宙や生命を一体誰が作ったのか、これさえも解明されていません。」・・・と言う宇宙的な話になりました^^; 益々寝られませんね(-_-;)
五島高資 大変ありがとうございました。たしかにこの宇宙自体が不可思議ですからね。後天的に個体と個体が結合するというのは植物の驚くべき能力ですね。いろいろとお手間をとらせて恐縮でした。先生にもよろしくご鳳声下さい。あるがままをそのまま諒解した方がいいと気づきました。深謝まで。
総ては同根。しかし和して同せずがよいのではないでしょうか?
競争ではなく共生を求めたいものです。
一指李承憲@ILCHIjp
成功と完成の違い。成功は先着順のレースですが、完成は各自の優勝カップが用意されているレースのようなものです。完成においての社会は戦場ではなく、私たちが蒔いたぶんだけ刈りとって収穫する、実直度100%の畑です。この畑では他の人と競争する必要がなく、相互扶助の精神で収穫を助け合います。
一指李承憲@ILCHIjp
Life is nothing.
人生に何ら意味がないということほど大きな祝福はありません。あなたの人生には定められた運命や意図なんてものは存在しません。だから、あなたは自分の人生に自ら意味と価値を与え、その価値を実現するための創造活動に専念すればよいのです。
一指李承憲@ILCHIjp
大変な時ほど自分の価値を知る必要があります。難しい状況になったとしても選択を誤ったわけではありません。現在の苦痛と孤独は未来のための肥やしです。それがゴミにならないようにしましょう。ゴミにしてしまう人はゴミとともに腐っていきます。大変でつらいとき、それが肥やしになり花が咲きます。
一指李承憲@ILCHIjp
始まりがあるものには終わりがあります。つくられたものは必ず変化します。本質的に永遠でない対象を永遠につかもうとする執着から苦痛が生じます。無常の真理に気づくと執着から自由になれます。今この瞬間に経験していることの意味と大切さを深く理解するようになり、本当の喜びがもたらされます。
一指李承憲@ILCHIjp
牛が草を食べれば、草は牛になります。人が牛を食べれば、牛は人になります。人が死んで土に埋められ肥料となり、草が育てばまた人になります。天と地と人は一つ、大きな気づきが必要です。このことを悟るなら、すべての煩悩と妄想は消え去るでしょう。
木はたとえ切り株になっても森の一部となって生き続けることが判明 - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20190803-tree-stump-dead-alive/ より
植物は生い茂った葉で光合成を行い、根から吸い上げた水や栄養を元にエネルギー源を生合成します。そのため、何らかの理由で葉を失ったり、木の一部が枯れて切り株になってしまうと、栄養を作ることができなくなって死んでしまうように思えます。しかし、「切り株は死んでしまっているように見えて、実は森という大きな超有機体の一部として生き延びている」ということが研究によって明らかになりました。
Hydraulic Coupling of a Leafless Kauri Tree Remnant to Conspecific Hosts: iScience
https://www.cell.com/iscience/fulltext/S2589-0042(19)30146-4
A tree stump that should be dead is still alive; here's why
https://phys.org/news/2019-07-tree-stump-dead-alive.html
オークランド工科大学のセバスティアン・ロイツィンガー准教授が同僚のマーティン・ベイダー氏と一緒にウェストオークランドでハイキングをしていたところ、「カウリ」と呼ばれる木の切り株を見つけたそうです。ロイツィンガー准教授は、切り株が葉を持っていないのもかかわらず生きているのを見て、奇妙に思ったとのこと。
そこで、ロイツィンガー准教授とベイダー氏は、同じカウリの切り株とその周囲にあるカウリの木を対象に、内部の水分移動量を測定することで、近くの木がどのように切り株を生存させているかを調査しました。その結果、切り株の水分移動は周囲の木の水分移動と負の相関があったことが判明しました。
以下の画像は、昼間における樹液の流れと量を示したもの。グラフの上は周囲にある木の樹液の相対流量で、下が切り株内の樹液の相対流量を示しています。周囲の木に流れる樹液の流量が増えるほど、切り株に流れる樹液の流量は減っていることがわかります。
夜間の場合でも、切り株と周囲の木で樹液の流量に相関関係があることがわかります。つまり切り株は、地面から上の部分は死んでいるように見えても根は生きていて、吸い上げた水分は切り株ではなく周囲の木に水や栄養分を送り込んでいるというわけです。
このことからロイツィンガー准教授は、切り株と周囲の木が同種であれば、木の根はまるで接ぎ木のようにつながる「相互接続性」を持っていると論じています。木は近くの根の組織が遺伝的に異なっていても、資源の交換が可能なレベルで類似していれば、木と木の間に移植片が形成されてつながるとのこと。
「木の根が相互接続性を持つという事実は、私たちが木に抱いている認識に大きな影響を及ぼします。つまり、木を個として扱うのではなく、森を超有機体として扱うべきです」とロイツィンガー准教授は述べました。
根がつながり合えば、木の根のネットワークが広がり、山の急な斜面でも木は安定して生えることができます。さらに、根のネットワークが森全体を覆うことで、水や栄養素など多くの資源にアクセスがしやすくなります。そして、たとえネットワークに属する木の1本が葉を落としてしまい、光合成ができなくなって炭水化物を供給できなくなっても、周囲の木から「おこぼれを預かる」ことで生き続けることが可能となります。
相互接続性によって、干ばつが起こった場合や水を見つけられなかったりする木がある場合でも、他の木とつながることで資源を共有して生存する機会が増えるといえます。一方で、ロイツィンガー准教授は「相互接続性には病気の急速な拡大も可能にしてしまう」というデメリットも指摘。「木が相互につながっているという事実は、気候変動と干ばつの頻度と深刻さが増すリスクについてさらなる研究を求めるものです。これは私たちが木の生存と森の生態を見る方法を変えます」と語りました。
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