六月や川は夜へと流れけり 高資
ゆく川の水烟り立つ筑波かな 高資
冬の日の兆す筑波や秀真国 高資
利根川やただ渡る冬の雲あり 高資
鬼怒川に聳つ城の緑かな 高資
Above Kinu Rever,
an old castle is clad
in verdure Takatoshi Goto
人ごみを抜けゆく川や梅雨の月 高資
Rainy season moon -
river's been flowing away
through the crowd Takatoshi Goto
茂りたる城を廻れる瀬音かな 高資
An old castle
overgrown with the woods
in sound of rapids Takatoshi Goto
鬼怒川からの飛山城(国指定史跡)遠望
利根川の鱗に映える春日かな 高資
春の日に鱗のうねる大河かな 高資
雪解けて漲る利根の光かな 高資
瀬をはやみ映える冬日や思川 高資
底冷を流れて光る田心川(たごりがわ) 高資
冬の日の映える川瀬の流れかな 高資
冬空に極まる利根の流れかな 五島高資
うねりては残る鱗や冬の河 五島高資
石床や留まるもゆくも春の川 高資
分かれては落ち合う春の川瀬かな 高資
せせらぎや残るもみぢのさくなだり 高資
鬼怒川や月を残して冬立ちぬ 高資
川は灯を映しだいだい青みたり 高資
: 長良川温泉 十八楼 岐阜県 岐阜市 · ·
このあたり目に見ゆるものは皆涼し 芭蕉
おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉 芭蕉
夕星や弓手へ向かふ秋の川 高資ー 場所: 長良川
阿武隈の霧より生るる流れかな 高資
神さぶる阿武隈川や竹の春 高資
阿武隈の川面を霧と渡りけり 高資
瀬をはやみ滾つ蛇橋や霞立つ 高資
神橋を過ぎてのどけき流れかな 高資
補陀落へかけたる橋や鐘霞む 高資
春林をさかのぼりたる瀬音かな 五島高資
芽吹く木をよぎれる水の早さかな 五島高資
雪解や磐にしみ入る水の色 五島高資ー 場所: 上長瀞
ペリリューへめぐる緑や川明り 高資ー 場所: Nagatoro 長瀞
荒川の沖する涯や春の雲ー 場所: 埼玉県 朝霞市
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/hiroba-column/column/column_1504.html
【川/河-「天上のまやちゃん」補遺】
「ひょうご歴史ステーション」では、まもなく平成26年度の新コンテンツとして「デジタル展覧会」を設置し、そのなかの最初の番組として「天上のまやちゃん」をアップしました。(※このコラムの内容は、「天上のまやちゃん」のエンディングにもふれていますので、ぜひコンテンツをお楽しみの上でお読みください。)
この「天上のまやちゃん」では、ブッダのお母さんがブッダに会うために、ある日、天上から下界に降りてきます。ところが途中で、雲から落ちて記憶喪失になってしまい、人間界や動物の世界、阿修羅(あしゅら)たちの世界、餓鬼(がき)たちの世界、はたまた地獄(じごく)……といった六道(ろくどう)の世界を巡(めぐ)ります。ここでは「川/河」がくりかえし登場し、行く先を示すモチーフとして重要な役割を果たします。
そこで今回のコラムは、この「川/河」について、すこしだけ説明をつけたしたいと思います。
全8章のストーリーのうち「川」が登場するのは、第4章・第5章・第6章・第7章・第8章の5章分です。このうち第6章は、章名のまま「賽(さい)の河原(かわら)」を舞台としています。
賽の河原とは、子どもが死後に行くという世界。中世の日本で考案されました。
賽の河原を英語に翻訳すると、"the Children's Limbo(子どもたちの煉獄《れんごく》)"や"the banks of the Sanzu River(三途《さんず》の川の岸)"となるようです。「子どもたちの煉獄」はともかくとして、はたして賽の河原が、「三途の川の岸」に位置する世界であるのか? 三途の川に賽の河原がある、という説をわたし自身はこれまで聞いたことなかったのです。(もしご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。)
賽の河原と呼ばれる実在の地名は、わたしの知る限り、けっこう身近にあります。法華山一乗寺の奥の院や、宮島の弥山、加賀の潜戸など……、ときどきうっかりと足を踏み入れてしまうほど、身近です。かつては箱根の芦ノ湖にもあった、という記録もあります。ご当地「賽の河原」は、子を亡くした母の思い、父の思いに応えるため、さまざまな地域で必要とされていたにちがいありません。
では三途の川って、どこにあるのでしょう?
手がかりの一つが、地獄を記したお経です。
中国撰述の偽経(ぎきょう)「十王経(じゅうおうきょう)」には、奈河(なが)という川が、初広王(しょこうおう)の王庁の近くを流れていることが記されています。ちなみに初江王は、閻魔王(えんまおう)の同僚で、十人の王うちでも最初の死者の裁判を担当します。
この川のたもとには、脱衣婆(だつえば)という老婆(ろうば)がいて、この川を渡る死者から着物をはぎとる、ともいいます。
この地獄の手前を流れる奈河、すなわち奈落の川は、三途の川のイメージと重なるようです。
そうだとすれば三途の川は、地中深くにあるという地獄と、死者の裁きを行う冥府とのあいだに位置しており、けっこう近い距離感にあると推測されます。
そして、この三途の川の岸辺に、賽の河原があるのだとすれば、子どもたちも大人たちと同様、死後に冥府や地獄の近くの世界に堕ちていることになります。
それでは賽の河原は、三途の川の渡しとは、どれくらいどの方角に離れているのでしょう?
そもそも三途の川はどこからきて、どこへとそそぐ川なのでしょうか? 小石があるような河原は、川の中流域あたりかと思いますが、よくわかりません。
いまいちすっきりとしません。
考えれば考えるほど、煮つまってしまいそうです。
視点を変えてみましょう。
「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」という言葉があります。
煩悩(ぼんのう)を中間の川や海にたとえるところから、生きているこの世を此岸として、悟りの世界を彼岸というようです(『日本国語大辞典』「彼岸」の項)。あるいは、彼岸は、生死の海をこえた悟りの世界ともされています(『仏教語大辞典』「彼岸」の項)。
つまり「此岸」は迷いの世界、「彼岸」は悟りの世界というわけです。
この「此岸」と「彼岸」のあいだに想定された川や海ですが、これは輪廻転生のある迷いの世界の延長でもあり、なおかつ彼岸はもはや人間の世界ではないことから、生と死を分かつ境界のようでもあります。そしてこの川や海には名前がありません。そもそもが比喩なのですから、固有の地名と結びつくはずはないのです。
それにしても、この迷いや煩悩のたとえである川や海の性格は、まるで三途の川のようではないでしょうか。
川の手前に生死や迷いがあり、川の向こうに悟り《涅槃;ニルヴァーナ》の世界が存在する。
三途の川の手前は、此岸である生きた人間の世界。三途の川の向こうは、彼岸である死者たちの世界。
さらには川を渡りきらないと、悟りの世界や地獄(まったくの正反対ですが)には到れない……。
どちらの川も、たしかに場所は茫漠としているのですが、性質が似ています。
大きな川の両岸に、悟りと生死、迷いといった人間の可能性・潜在性がすべて収められているという発想が認められます。
川の両岸に人間の可能性をたとえるという発想は、インドと日本とで共通するものなのかもしれません。あるいは、インドや中国から伝わった思想が、のちの日本でも共有されていたのでしょうか。
「仏涅槃図 部分図(跋提河)」館蔵
悟りについて付け加えれば、お釈迦さま(ゴータマ・シッダールタ)がはじめて悟りをひらいたのも、悟りを完成させたのも川の岸辺でした。
ブッダガヤの尼連禅河(にれんぜんが)という川のほとりで、菩提樹の下にて悟り、ブッダとなったと信じられています。いっぽうで、お釈迦さまが亡くなったのも川の岸辺です。これを涅槃(ねはん)といい、肉体を離れて悟りを完成させたととらえられています。クシナガラの跋提河(ばっだいが)という川のほとりで、沙羅双樹(さらそうじゅ)のあいだに横たわり、お釈迦さまは涅槃に入られました。
このように、川岸という場所は悟りや死という人間の可能性・潜在性と、結びついているようです。
「天上のまやちゃん」の「第7章 来迎(らいごう)」と「第8章 涅槃」でも、それぞれ川が登場します。このストーリーの中で、地獄ちかくの三途の川や、賽の河原、跋提河などを一本に連なる川として描いたのは、悠久の仏教文化において築かれてきた川岸と人間の潜在性の重層的イメージを、織り込みたかったからでした。
きっと昔の日本人も、三途の川や賽の河原、尼連禅河や跋提河といった仏教に登場する川に関して、地理関係をすっきりと理解できないままに、それでもばくぜんと思い描きながら、川岸のイメージを心にそぐうものとして形づくっていったのでしょう。
逆に、地理関係がばくぜんとしているからこそ、さまざまな実在の地を「三途の川」や「賽の河原」として地域でイメージを共有し、ご当地「あの世」を形成することができたのかもしれません。
さてさて、この学芸コラムも開始から6年目となりました。「ひょうご歴史ステーション」は12年目に突入です。これからもさまざまな世代のみなさまに楽しんでいただけるよう、工夫を凝らしてまいりますので、どうぞ末永くお付きあいくださいますようお願い申しあげます。
https://ameblo.jp/nihonlovelove/entry-11546469244.html
【世界中にある「三途の川」】
★三途の川★
此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。
俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」ともいわれる。
これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、
軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、
重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。
平安時代の末期に、「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、
その後は全員が渡舟によって渡河するという考え方に変形する。
渡船の料金は六文。
懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の係員がいる。
★ストュクス★
ギリシャ版三途の川。
船渡しのカロンがいる。
ステュクスの水には神々さえも支配する特別な力が宿っており、
猛毒であるという説や逆に不死をもたらす神水であるという説が唱えられている。
アキレウスも、この水に浸されて不死になったという。
地下の冥界を七重に取り巻いて流れ、生者の領域と死者の領域とを峻別している。
ステュクスの支流には火の川プレゲトーン、忘却の川レーテー、
悲嘆の川コーキュートス、アケローン川がある。
★ガンガー★
恒河 (ごうが))は、ヒンドゥー教に伝わる、ガンジス川を神格化した女神。
神話によると、始めはガンガーはヴィシュヌ神の足の指から流れ出て、
天界にあるブラフマーの町の周囲を周っていた。
賢者バギーラタは、誤ってカピラ仙の怒りにふれ焼き殺された祖先の霊を
浄化するために必要なガンガーの聖水を地上にもたらそうと、ヒマラヤ山中で修業を積んだ。
ガンガー女神はその願いを受け入れたが、天界から地上へ落下するガンガーの
奔流を受け止められるのはシヴァ神のみであると伝えた。
バギーラタはカイラス山に赴きシヴァ神に祈りを捧げ願いを聞き届けられた。
シヴァ神は地上に落下するガンガーを豊かな髪で受け止めヒマラヤ山中に注いだ。
バギーラタの先祖の遺灰はその水で浄化され、霊は天国へ昇ることができた。
それ以来、ガンガーは聖なる川として地上の人々に恵みをもたらし続けているとされる。
この神話を受けて、シヴァ神の像の髪の毛の中にガンガーが描出されているものが見られる。
ガンジス川(ガンガー)は現在でも「聖なる川」としてヒンドゥー教徒の信仰の対象であり、
この川の水で沐浴すればすべての罪は浄められ、死後の遺灰をこの川に流せば
輪廻から解脱できると信じられている。
★ギョル川★
北欧神話
ニヴルヘイム(霜と氷の国。冥府でもある)へ至る道の途中にある川。
「ギョル」とは「凍える」の意。
ギョル橋という(生者が渡れない)黄金(水晶とも言われる)で舗装され、
髪の毛でつるされた橋が架かっている。
橋の番人はモーズグズという娘で、棺の衣を着ているという。
冥府の川には他に、スヴァル(冷たい)、グンスラー(反抗するもの)、フィヨルム、
フィムブルスル(あわ立つ)スリーズ(恐ろしい)、フリーズ(荒れ狂う)、
スュルグ、ユルグ、ヴィーズ、レイプトである。
ニーズヘッグ
・・・三途の川とは関係ないけど、終末論で面白いなと思ったので・・・
北欧神話に登場する黒い蛇、または龍。名前は「怒りに燃えうずくまるもの」の意。
「嘲笑う虐殺者」の二つ名を持ち、
ラグナロク(終末の日)に至ると、その翼に死者を乗せて飛翔するといわれる。
普段はニヴルヘイム(氷の世界)の泉に棲み、リスのラタトスクに煽られて
世界樹ユグドラシルの樹上にいる大鷲フレズベルグと罵り合いをしている。
★ナイル川★
「古美術の背景を歩く エジプト・カルナック神殿を訪ねる」
http://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/art/antique/antique_4/post_905.html
ナイル川がいわゆる三途の川で、閻魔大王が冥界を支配するオシリス神であること、
死者は生者(ナイル川の東岸に住んだ)の国である日の出の東岸側から、
死ぬと三途の川であるナイルを渡り、日の沈む死者の国である西岸におもむく
(墓はすべてナイルの西岸側につくられた)。
そこでオシリス神による裁判があり、生前の行いによって極楽と地獄行きに分けられる。
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神話の類似性はたくさんありますが、やっぱり集めてみると、
なかなか奥深いものですねo(^-^)o
あちら側のセカイに生きたまま行ける日がくるのでしょうかにひひ
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