富士塚の粒立ちにけり青葉闇 高資
A Fuji-mound ;
various spirits of the earth are sparkling
with dappled sunbeams T.Goto
島根氷川神社
日と月や青面金剛風薫る 高資
天地人むすぶ薬叉(やきしゃ)や青葉闇 高資
磨滅して常楽我浄や新樹光 高資
木幡神社
潜りてや人麻呂祀る青葉闇 高資ー 場所: 常総市羽生・人丸神社
https://blog.goo.ne.jp/kuma9320/e/37857e18ff2b607ae375f67c12771be9
【夏木立と木下闇(こしたやみ)】
台風も去り、天気予報を見ると明日辺りから関東地方も、そろそろ梅雨明けでしょうか?
炎天下で、涼しい木陰に入るとホッとする季節になりましたが、夏の青葉が広い木陰を
つくって、木々が群れ立っているような様子を夏木立といいます。。
「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな」 ・・・与謝野晶子・・・これ
は夏木立に託して、大仏の生命感あふれる様子を讃えた歌として知られています。
夏は日差しが強いため、木立の影は明と暗がクッキリと濃く、独特の光景を見せます。
社寺の境内や鎮守の森などに鬱蒼と茂った夏の樹木が、ギラギラとした夏の日差しさえ
通さずに、薄暗い空間をつくっている状態を 木下闇(こしたやみ)といい、日差しが強
ければ強いほど日陰はより深く、黒ぐろとした空間となります。。
その黒ぐろとした空間を「暗」とか「陰」と言わずに、「闇」という言葉で表現するところが、日本語の味わい深いところだと思います。。
子供の頃、夏休みに鎮守の森などで遊んでいて、樹下の薄暗いところへ踏み込んで、思わ
ずドキツ!とした時の驚きが、この「闇」 という言葉からリアルに伝わってくる気がします。。。
https://ameblo.jp/ousia/entry-10270999670.html 【木下闇】 より
木下闇(このしたやみ)という季語があります。
夏木立の鬱蒼(うっそう)と茂って昼なお暗いさまに言う。「木下闇(こしたやみ)」「下闇(したやみ)」「青葉闇(あおばやみ)」とも言う。『万葉集』その他の古歌では、「木の晩(このくれ)」または「木暮(こぐれ)」とも言い、「木の暗隠り(このくれがくり)」「木の暗茂(このくれしげ)」などの語もあり、「木暮る(こぐる)」「木暗し(こぐらし)」と動詞・形容詞にも用いている。木下闇というほど語感は強くない。
〔山本健吉『最新俳句歳時記』(文藝春秋刊)〕
私たちは、気温の変化を主とする気象、天文、年中行事、動植物などの変化によって季節の移り変わりを知るわけですが、私は、それ以前に色彩の変化が季節の推移を示しているとかねてから主張しています。
TVの気象情報などで「暦の上では」というコトバを聞くことがあります。
「今日からは暦の上では夏です」とか云いますよね。
このコトバが有意味であるのは、暦の上の季節が太陽の角度に連動し、したがって四季折々の色彩の変化を招き寄せているからではないでしょうか。
「木下闇」なんてのも、太陽の角度すなわち色彩の影響大でしょう。
むろん鬱蒼と茂った夏木立の遮る影の色彩、ということなんですけどね。
これが冬の太陽の高度・光線だと「木下闇」という感じは出てきません。
クスノキなんか冬でも鬱蒼と茂っていますが、その木立がつくる影はけっして「木下闇」という語では捉えられないように思います。
舞台や映画の照明が、演技を際立たせるように、四季それぞれの色彩の下であってはじめて、気象、天文、年中行事、動植物などの移ろいが季節の変化として際立つのではないかと思うのです。
https://floweryseason.com/natsu-shinryoku/ 【夏の新緑、若葉に関する季語】
城壁に沁みる日の斑や青葉闇 高資
蟀谷に流れる汗や野面積 高資
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