高野槙猶しも果の大師かな 高資
空海お手植えの高野槙(樹齢1000年以上)世界遺産・日光の社寺
日光は天台宗?
http://www.futarasan.jp/bbs/log54.html 日光二荒山神社の 日光と弘法大師との関係についてへの回答です。
『日光山碑』及び日光と弘法大師との関係については以下の2点を参考になさってください。
①空海と勝道上人
僧空海は延暦23年(840)僧最澄と共に入唐しました。
翌24年、最澄は天台宗を開き、空海は大同元年(806)8月帰朝し真言宗を伝えました。
これより先、天應2年春3月に勝道上人は、男体山(二荒山)を登頂して山頂に三神を祀りました。
このことは、空海の遺稿を載せた『性霊集』に「沙門勝道山水を歴りて玄珠を瑩く碑並序」によって知ることができます。
この碑が「沙門遍照金剛文并書」とあることによって空海の文及書であることがわかります。ちなみに遍照金剛とは空海の灌頂名です。
この『日光山碑』は勝道上人が二荒山(男体山)を開山したことを世に知らしめた最初の文として認識され、書かれたのは弘仁5年(814)となっていますが、男体山開山の32年後のことです。
弘仁7年(816)空海は高野山に金剛峯寺を創建します。
そして、弘仁8年(817)勝道上人入寂。
一方、空海は承和2年(835)3月に入寂し、延喜20年(921)弘法大師の諡号を贈られました。
②日光と空海(弘法大師)との係わり
因みに日光は天台宗(二荒山神社と同じ山内にある日光山輪王寺は天台宗のお寺です)であり、空海は真言宗です。
一見、日光と真言宗の開祖である空海はあまり関係のないように思いますが、日光二荒山神社境内には空海御手植えと伝えられる樹齢1千年を越す「高野槙」が現存します。
又、一番言及すべきは最澄・空海の開いた仏教は、山岳仏教として当時の仏教に新風をもたらしたことです。
最澄は比叡山延暦寺に拠って天台宗を、空海は高野山の金剛峰寺で真言宗(密教に基づく)を開いたことを見ても、山中での修行を重んじた山岳仏教的な性格(これがやがて修験道を生む)がうかがえます。
こうした密教僧達の山岳修行は古くからの山岳信仰と結びつき修験道(山岳修行による超自然力の獲得と、その力を用いて呪術宗教的な活動ことを旨とする実践的な儀礼中心の宗教)へ発展していきました。
そして日光は霊峰男体山を核とした山岳信仰の霊場として起こり、やがて神仏習合の信仰が加わって発展してきました。
すなはち、「日光」と「空海」を結ぶ鍵は『山岳信仰』と『修験道』にあると言えそうです。
事実、男体山頂遺跡からは独鈷杵(とっこしょ)・三鈷杵(さんこしょ)・三鈷鐃(さんこにょう)・羯磨(かつま)等の密教法具(ほうぐ)が多数出土しています。これは、密教の修行僧も多数男体山に登り、修行をしたという証拠になりますね。
*密教法具については奈良国立博物館監修の『密教法具』に詳しい解説が記載されていますので、参考になさってください。(男体山頂出土の法具も多数掲載されています)
以上がご質問対する回答になります。
やはり、日光と弘法大師とをつなぐのは『山岳信仰』と『修験道』を追及してゆくことではないのでしょうか?
http://www.komainu.org/tochigi/nikkou/takio/takio.html より
【瀧尾神社】
この神社は本宮脇から稲荷川に沿って遡ると、約1.8kmで左側に鎮座しています。入口左に綺麗な川が流れ、白糸の滝付近でスケッチをしている方が数名いらっしゃいました。すぐ傍には雑草に埋もれるようなお姿の仏像が祀られ、清々しい自然林の中を石段の参道が続きます。
参道が平坦になった辺りで右側に影向石。弘法大師が奥の大岩のあたりで神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられています。その後、気持ちの良い緑の中、参道を進むと運試しの鳥居が建っています。鳥居の真ん中の額束に穴が空いていて、そこに小石を3回投げて通った数で運を試すのですが、前回来た時に私も試してみましたが、コントロールの悪さを露呈するばかり…私には良いことが来ないのかも…哀しい。で、今回は無謀な挑戦は止めておきました。
尚も参道を歩くと、前方に朱の重曹入母屋造、堂々とした感じの国重要文化財指定・楼門が建っています。楼門を潜るとすぐ後ろに国重要文化財指定・拝殿が建ち、国重要文化財指定・唐門と玉垣内にはご神体山の女峰山を遙拝出来るように裏壁に扉が付いている珍しい造りの国重要文化財指定・本殿。本殿裏手の鳥居奥には玉垣に囲まれた、古代より滝尾神社の最も神聖な場所とされている場所に二代目のご神木・三本杉が堂々とした姿を見せていました。
その左側には末社・滝尾稲荷神社。この稲荷神社は弘法大師が滝尾神社とともに弘仁11年(820)に創建したと伝わっています。その稲荷神社から左手、川の方に降りていくと日光の三霊泉の一つで、日光二荒山神社の二荒霊泉にもこの水が引かれているという「酒の泉」があり、渾々と清水を湧きだしていました。
川向こうには霊石・子種石が祀られ子宝に恵まれない方、安産祈願の方から今でも崇敬を受けているようです。
御祭神:田心姫命
例祭日:4月13~17日 弥生祭例大祭 日光二荒山神社・滝尾神社・本宮神社(日光二荒山神社)
境内社・滝尾稲荷神社
由緒:聖地日光の中でももっとも聖なる地と言われ、東照宮北側より石畳の参道が約1kmも続く、日光二荒山神社の別宮です。古く女体中宮と称えられ、本宮神社、日光二荒山神社と共に「日光三社」の一つです。
女峰山の女神が降臨し、弘仁11年(820)に弘法大師により創祀されたと伝えられ、御本殿・唐門・拝殿・楼門・鳥居・石畳は国の重要文化財に指定されています。(以下略)
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