浄土宗常念寺
秋雲の巴と湧くや常念寺 高資
浄土宗 光琳寺 【六道の光琳寺】にいます。·
地蔵会の身のほとりなる地獄かな 高資
地獄絵に膝を乗り出す秋燈 高資
今を生きる姿勢を糺されます。
六道のしるべや布袋葵咲く 高資ー 場所: 浄土宗 光琳寺 【六道の光琳寺】
コメントのやりとり
少し調べましたが、六道とは「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」であり、人のこの世に生きるときに行った行為により、死後にこの六つの内何処かの世界へ落され、その落ち着き先を求めて魂がぐるぐる彷徨い続ける事ですとか?布袋葵の咲いている様子が、そのしるべとなっているようである・・。とは大変納得致します。人は生きている内から「人として道に適った生き方」が求められる、との御仏の教えとも・・。
五島高資 ご感想ありがとうございます。この光琳寺には空海作の閻魔大王もあり、宇都宮藩主の帰依も絶大なものがありました。地獄絵は今も子供達に親しまれています。
https://shizenkaze.exblog.jp/19826381/
【『布袋葵(ホテイアオイ)は青い悪魔の花・・・?』】という記事が目に留まりました。
「花が美しいので日本には明治時代に観賞用に持ち込まれて路地での金魚飼育などの場合には夏の日陰を作るのに良くてそれに根が金魚の産卵用になるので便利なようでした・・・・・^^
でも水面に浮かぶので水槽での栽培には用いられることは無かったです~
大繁殖する殖力が強いので肥料分の多い水域では『あっ』と言う間に水面を覆い尽くして水の流れを滞らせ水上輸送の妨げとなったり漁業にも影響を与えるなど日本だけでなく世界中で問題となっています
そんな事から『青い悪魔』と呼ばれ恐れられているようです・・・・・
冬季に大量に生じる枯死植物体も腐敗して環境に悪影響を与えたり水面を覆い尽くすことから在来の水草を競争で排除する事態や水生動物への影響も懸念されています・・・・・
セイタカアワダチソウやヨモギのようなアレロパシーを出して周囲の植物を排除してしまいます・・・・・」と紹介されています。
光林寺の布袋葵は瓶の中で美しく咲いています。狭い区切られたその世界だと調和バランスして美しい花を咲かせ、人々に愛でられる!
大繁殖する殖力が強いので問題???1年草の布袋葵が種を絶やさないためには大事な長所ですね。まさに長所イコール短所です。
命は置かれた環境次第で如何様にも育つといえるのでしょうか?換言すれば、自分らしく生きるために環境を選ぶということなのでしょうか?
命は自分が輝いて生きるために 六道のいずれかに引き寄せられることを(転生することを)布袋葵は示唆しているのでしょうか? もしかしてそれゆえの六道の導なのでしょうか?
facebook 浄土宗 光琳寺 【六道の光琳寺】の投稿記事
【六道閻魔大王縁起と閻魔大王祭のご案内】
今からおよそ一千二百年前のいにしえの過去から
この六道の地には閻魔大王がお祀りされてきました。
古い伝説によると、この閻魔大王は奈良東大寺の大仏建立の大勧進であった行基菩薩の作と云われております。
その閻魔大王像を背中に担ぎ日光を目指した弘法大師がこの六道の地を訪れたとき摩訶不思議なことにこの像がとてつもなく重くなって微動だにできなくなってしまいました。
そこで弘法大師は、この六道の地を加護する本尊として閻魔大王像を置き残して行かれました。
以来、千年以上の時を越えてこの六道の地でお祀りされています。
特に小さなお子さんに物事の善悪を教える存在として地域の信仰を集めています。
そして、八月十六日午前十時より光琳寺本堂に於いて
この秘仏 閻魔大王の年に一度の御開帳法要が厳修されます。
夕焼けに立つ幻日や常念寺 高資ー 場所: 亀井の水
怨親を超える瞳や法然忌 五島高資
かげろふや塚より外に住むばかり 内藤丈草ー 場所: 浄土宗 光琳寺 【六道の光琳寺】
宇都宮城二の丸御殿から市役所前通りを真西に進むと浄土宗・清映山光琳寺に至ります。境内には、戊辰戦争における官軍・旧幕府軍の戦没者が一緒に祀られています。石碑にある<討つ人も討たれる人ももろともに同じ御国の為と思えば>という歌が琴線に触れます。また光琳寺の専誉上人が建立した近くの六道閻魔堂には、空海作と伝わる六道閻魔大王像が祀られています。ー 場所: 宇都宮市西原1丁目
大内義隆の<討つ者も討たるる者も諸ともに如露亦如電応作如是観>も思い出されました。
ゆく道に曼珠沙華咲く不動かな 高資
浄土宗大本山・清浄華院
日の洩れる柿の若葉や閻魔堂 五島高資ー 場所: 浄土宗 光琳寺 【六道の光琳寺】
光琳寺の専誉上人が建立した六道閻魔堂に参拝しました。空海ゆかりの六道閻魔大王像が祀られています。ー 場所: 浄土宗 光琳寺 【六道の光琳寺】
http://www.rokudou.jp/event/index.html?fbclid=IwAR2JhfKHgKnNOhv2PriKqXNGGmAMV57Xnyiq3A4qece0mcZOKsm3NMuQu3k
【六道珍皇寺 夏季ゑんま詣特別寺宝展】より
七月十六日は「閻魔さまの大斎日」
毎月十六日は、閻魔さまの斎日(縁日)で、この斎日の時期には、仏教徒は、身体、言葉、心、(身・口・意)の三業(さんごう・行い)を慎むとともに、この半年間の己のおかした罪業を懺悔(さんげ・反省)し、清らかな心でもって善事を行う日とされています。
なかでも、陰暦の七月十六日頃は盂蘭盆(うらぼん)とも重なることより、閻魔さまの縁日の中でも、もっとも大きな縁日「大斎日」(だいさいにち)と呼ばれ、古来よりこの日頃に「閻魔詣」をすれば、無病息災、延命長寿が得られるともされます。
そこで、本年は、令和の慶年の門出の年でもあり、例年の大斎日法要に加え、新たに『茅の輪(当寺では篁にあやかり「竹〈ちく〉の輪」とも解す)くぐり』にての厄除け、邪気払いの行事や、「茅の輪くぐり」のもととなる神話では祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神ともされる牛頭天王[素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一視されるインドの疫病神で後に厄除けの神となる]を描いた寺宝、『祇園八坂神社垂迹曼荼羅図(江戸時代前期)』の久々の公開とともに新元号の入った閻魔さまや冥官伝説をもつ小野篁卿の特別オリジナル朱印さらには厄除け腕輪なども授与させていただき、信者各位の一層の閻魔信仰でもって、後半の半年間を無事に、そして安心(あんじん)の心でもってお暮らしいただくことを願うものであります。
◆ 特別拝観内容
寺宝展では、重要文化財であります「薬師如来像」、江戸時代(元禄二年)法橋院達作の小野篁像や、篁作の「閻魔大王像」、桃山時代に描かれました「参詣曼荼羅図」(京都府指定文化財)、「十王図」、「祇園八坂神社垂迹曼荼羅図」(江戸時代前期)、小野篁卿の「冥途通いの井戸」等を公開いたします。
◆ 十王信仰における閻魔さま
人間の死後は永遠の謎であり、物理的には説明できない精神世界といえますが、仏教ではこの世界を独特の死生観と輪廻思想でもって分かりやすく説いています。
それは、悟りを開かない限り永遠に現世の業(ごう)(善悪の行い)によって、天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六つの世界を廻り続けるといわれています。
唐代中国ではじまったとされる十王信仰は、日本には平安時代末期に伝わり、『地蔵菩薩発心因縁十王経(じぞうぼさつほっしんいんねんじゅうおうきょう)』(地蔵十王経)が作られました。
その十王経によると、臨終から前述の六つの世界(六道界)に生まれ変わるまでに、中間の世界が存在すると説きます。臨終から49日間のことを「中陰(ちゅういん)」といいますが、この間に死者は、7日間ごとに十王のうちの七人の裁判官(秦広王(しんこうおう)・初江王(しょこうおう)・宋帝王(そうたいおう)・五官王(ごかんおう)・閻魔王(えんまおう)・変成王(へんじょうおう)・太山王(たいざんおう))の裁きを受け、そして49日目の「満中陰(まんちゅういん)」には、それぞれの罪の重さによって、次に転生(てんしょう)(生まれ変わる)する世界(来世(らいせ))が決まるとされています。
ただ49日目以降の継続審査(再審)も認められており、100日目(100箇日…平等王(びょうどうおう))、1年目(一周忌…都市王(としおう))、3年目(三回忌…五道転輪王(ごどうてんりんおう))と、遺族が死者にかわって功徳を積む追善供養を行えば、「裁判で少しでも罪の許しを請うことができる」ともいわれています。
また鎌倉時代になると、臨終を迎えた者の来世を決めるために7日ごとの審理を行う十王は、実は仏さまの化身でそれぞれの本来の姿(本地仏(ほんじぶつ))を持つという考え方も定着しました。人の罪を暴きたてる恐怖の裁判官という十王たちの裏には、慈悲深い仏の顔があるということです。
初七日(しょなのか)を司る秦広王は、不動明王が本地仏であり、五七日(いつなのか)(死後35日目)が閻魔大王で地蔵菩薩、そして六道輪廻という観点より輪廻転生を司る七七日(なななのか)(死後49日目)「満中陰」の太山王は薬師如来というわけです。
ですから、あの怖い表情の閻魔大王も実は、内心は慈悲の心に溢れた地蔵菩薩さまの化身なのです。
◆ 記念朱印の授与
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