磐座のうからやからや冬紅葉 高資ー 場所: 日光二荒山神社
https://blog.goo.ne.jp/goo20052010/e/8f83abd11831c0f03ad6619d5a0a2d31 より
☆由緒
二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)は、1200年以前から男体山(2486メートル)を御神体山として祀られた神社で、ご祭神は二荒山大神と称し、親子三神で、主祭神の大己貴命・妃神の田心姫命・御子神の味耜高彦根命が祀られる。当社は日光市内三ヶ所、男体山山頂に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠、市内には本社が鎮座します。境内は、華厳の滝・いろは坂・日光連山が含まれ日光国立公園の中枢をなし、伊勢の神宮に次ぐ広大な神域を有します。
☆地名の由来
・日光:アイヌ語で熊笹を「フトラ」と言い、変化してフタラとなり二荒山となった。男体山、女峰山に男女の二神が現れた言い伝えから、「フタアラワレの山」→「フタラの山」になった。古代、インド仏教で菩薩の住むところを「ポータラカ」と呼び、中国を経て「補陀落浄土」と伝えられた。「フダラク」が「フタラ」に変化した。いろは坂の大きな洞穴に風の神と雷獣が住んでいて、雷をおこし豪雨を降らせ、春と秋に暴風が吹いて土地を荒したので二荒山となった。
・・・と諸説があり、古くから「二荒山(ふたらさん・ふたあらさん)」と呼び習わされていましたが、
弘法大師・空海が二荒山(男体山)に登ったとき、二荒の文字が縁起が悪いとして、
フタラをニコウと音読し、佳字をあてて「日光」にしたと伝えられています。
https://ameblo.jp/yashima-jin/entry-11886819151.html より
<八洲>ってどういう意味?
これから歴史に埋もれた八洲人(日本人)を紹介する前に、
「八洲」の意味を確認しておきましょう。
「八洲」(やしま)は「日本」の古称であり、『古事記』『日本書紀』に記載されている「大八洲国」(おおやしまぐに)に由来します。
では、『古事記』「国生み」の段には、日本建国はどのように描かれているのでしょうか。
早速みてみましょう。
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天と地が分かれた頃、地上の大地はまだ存在しませんでした。
そこで高天原にいた伊耶那岐イザナキ(男神)と伊邪那美イザナミ(女神)が聖なる矛で海をかき混ぜると、オノコロ島ができました。
二人はそこに降り立ち結婚し、最初に水蛭子(ヒルコ)を生みました。
しかし水蛭子は不完全に生まれてしまったため、二人は葦船に乗せて流しました。
次の淡島(アワシマ)も生み損じてしまいました。
二人は高天原にいる神に相談すると、
伊邪那美が伊耶那岐より先に告白したことが間違いであると指摘されました。
そこで二人は言われた通りに伊耶那岐から伊邪那美に告白すると、
次々と立派な島が誕生し、日本の国土が完成しました。
最初にできた島が、淡路之穂狭別島(アワジノホノサワケノシマ、淡路島)
次に伊予之二名島(イヨノフタナノシマ、四国)
そして隠伎之三子島(オキノミツゴノシマ、隠岐島)
筑紫島(九州)
伊伎島(壱岐)
津島(対馬)
佐渡島
最後に大倭豊秋津島(本州)が創られました。
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この八つの洲(島)を大八洲国といいます。
このように、私たちの国「日本」のルーツは「八洲」(やしま)なのです。
(東日本と北海道が含まれていないのは、古事記編纂当時に政権統治外だったためと考えられます。)
面白いのは、愛の告白は「男性→女性」が正しいという恋愛術が、神様によって語られているところですね。
【室の八島 1章~5章】
中世室の八島の地に、「本来の室の八島の景勝地は、かつて下野国府の集落があった辺り一帯の土地(つまり中世室の八島の地)のどこかにかつて存在 ...... もちろん、『(室の八島の)八島は大八洲(オホヤシマ)を表せり』は誤りです。
http://tntenji.sakura.ne.jp/gaiyou.html
http://tntenji.sakura.ne.jp/heian.html
http://tntenji.sakura.ne.jp/chusei.html
秋潮へ光を反す王位石かな 高資
王位石・野崎島ー 場所: 小値賀島
わたつみの雲居に通ふ青嶺かな 高資
浅茅湾・対馬
Along the blue mountains
the sea god “Watatsumi” comes and goes
into the cloudy sky Takatoshi Goto
ー 場所: 対馬
対馬国には延喜式内社が29社もあり、これは伊豆国に次いでとても多い数です。山や海がそのまま御神体といった感じです。そのため今でも禁足地として原生林が多く残っています。
富士塚の粒立ちにけり青葉闇 高資
A Fuji-mound ;
various spirits of the earth are sparkling
with dappled sunbeams T.Goto
島根氷川神社ー 場所: さいたま市西区
昔はこのような富士塚が多くあったようです。富士講へ行けない人々が自らの土地に富士山を造ってしまう曼荼羅構造が覗われます。実際に頂上までには幾筋かの道がありました。対馬の天道信仰におけるオソロシドコロという八丁角(卒塔)にも似ています。
http://yurapuka.net/tsushima/?p=1526
【ご利益ヨロシク 天道信仰の聖地 八丁角(郭)】
富士塚の頂上に祀られているのは浅間神社で、そこから富士山を拝むらしいのですが、もうほとんど忘れられた風習ですね。
翔りゆく天下の嶮や夏の雲 高資
色変えぬ杉や難斗米の実の点る 高資
大国殿(重要文化財・世界遺産)・大国田道間守ー 場所: 日光二荒山神社
卑弥呼あるいは垂仁天皇が常世国に派遣した難升米(難斗米・田道間守)が右手に非時香菓(不老長寿の仙薬)を持っていました。橘(非時香菓)は黒田家の替紋にも用いられています。黒田の黒も大黒に由来するのかもしれません。たしかに筑前守ですから筑紫の日向の橘とも関係ありそうです。写真は、東照宮大鳥居の石柱(一部)で黒田筑前守藤原長政が寄進したものです。
大国殿のすぐ近くに何と高天原もありました。三柱は造化三神でしょう。
日光二荒山神社の主祭神は大己貴神すなわち後の大国主命(大黒様)ですから習合されているのかもしれません。
マハーカーラとの習合ですね。しかし、二度死んでも生き返るすごい神でもあります。日本神話では少名毘古那と共に医業の神様です。
高天原は日本の原風景ですから色々なところにあって良いのだと思います。もちろん、佐々木さんがお好きでない阿頼耶識にもです。二千年以上も言い伝えられていることの不思議です。
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