激流に架かる橋

瀬をはやみ滾つ蛇橋や霞立つ  高資

神橋を過ぎてのどけき流れかな  高資

補陀落へかけたる橋や鐘霞む  高資

https://chiebukuro.travel.yahoo.co.jp/detail.html?qid=1245051677  【神橋(しんきょう)の名前の由来です。】  より


日光国立公園の入口となる大谷川の清流に、古くから神聖な橋として架けられたのが神橋です。

神橋はアーチ形の木造反り橋で、その構造から錦帯橋(山口県)・猿橋(山梨県)と並んで日本三奇橋の一つに数えられています。

橋の起源は神護3年(767)に日光開山の祖、勝道上人が弟子とともに急流を前にした時に、「深沙大王」が現われ、青と赤の2匹の大蛇を放すと絡み合って橋となり、蛇のうろこに山菅が生え、渡りやすくなったということから「山菅の蛇橋」とか「御橋」とも呼ばれています。

初期の構造は「乳(ち)の木」と呼ばれる橋げたを両岸の穴に埋め、補強材で支える「はね橋」形式でありましたが、江戸時代になって東照宮が造営されると、寛永13年(1636)に東照宮を始めとする日光山の表玄関にふさわしいように大造替が行われ、石造の橋脚に切石を用いて補強されました。

この石造橋脚は、天正18年(1590)に京都の三条大橋などで始めて用いられたもので、当時の先端的な土木技術であり、早速神橋に取り入れたものです。この結果、新しい神橋の形式は一新され、木造反り橋として、ほぼ現在の朱塗りの形式となりました。

昭和19年(1944)に国宝建造物に指定され、昭和25年(1950)には国の重要文化財に指定されました。

さらに、平成11年(1999)12月2日、神橋など国の重要文化財94棟と、東照宮の陽明門、輪王寺の大猷院(たいゆういん)などの国宝9棟の計103棟が、「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。

現在の橋は、明治35年(1902)の洪水で流されたのを、同37年(1904)に旧様式に従い再建したもので、その後、昭和31年(1956)一度解体修理をしましたが、老朽化が著しいため、今回の保存修理工事は前回以来の大改修となり、平成9年(1997)に始め、平成17年(2005)3月完成しました。

平成17年(2005)4月20日から渡橋と下部構造が見学できる特別公開を行ってきましたが、平成18年(2006)11月30日に終了しました。日光二荒山神社によりますと、この期間中に約33万7000人が渡橋し、下部構造を見学したそうです。

これからは、渡橋のみの一般公開となります

龍淵に潜む神橋あたりかな  高資

日盛りの橋を支える鳥居かな  高資ー 場所: 鬼怒川 Kinugawa


まさに「おかげ様」と言いたくなりますね。

昔は激流を治めるにも人柱の風習がありました。


人柱

人身御供の伝説の一つ。架橋,築堤,築城などの水利,土木工事技術が未発達の時代,柱の強化の目的で,生きている人間を水底や土中に埋めたこと。神の心をやわらげ,人身のもつ霊質が柱に乗移るようにするためといわれる。日本には人柱の伝説が多いが,実際に行われたかどうかは定かではない。 (→人身供犠 )  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 


すべての存在は相互依存。生かされることは他の命をいただくこと。

生老病死の苦しみといわれる人生をなぜみんな歩もうとするのでしょう?

思春期の私はこの問いに縛られ 生きることも死ぬこともできませんでした。


命の循環の世界で生きることを選んだのは自分だと気づいたときから 少しずつこの袋小路から解放されてゆきました。

夫婦鴨わかれて水脈をむすびけり  高資


日を溜めて足跡あまた冬の浜  高資

足跡の行き交ふ影や冬の浜  高資

足跡の空へと向かふ冬の浜  高資  

ある晩、男が夢をみていた。 夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。 そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。 どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。 ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。 人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。 すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。 しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。

すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。 「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。 しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。 私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」

神は答えられた。 「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。 あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ

http://www.ieji.org/archive/footprints-in-the-sand.html  【砂の上の足跡】より

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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