曼珠沙華そのなかいまにかんがえる 高資
潜在意識と顕在意識が一致した人格は稀です。顕在意識の中でも 場面により、関わる相手により 引き出されてくる自分は異なります。まさにパーソナリティが仮面という語彙である所以です。しかし人格の統合は考えても不可能です。マインドでなくハートで感じる必要があります。
一位の実ぬれて奥ある赤さかな 高資
いや光る毘盧遮那佛や未草 高資
石南花に寄り添ふ獅子の親子かな 高資
吽形の獅子石南花を守りけり 高資
石南花の紫立ちて甘露かな 高資ー 場所: 大宝八幡宮
龍天に登る潮合となりにけり 高資
方円をめぐる麒麟や寒茜 高資
鳳の翔たる雲や寒茜 高資
南無大師遍照金剛寒茜 高資
金網を抜けて黄菖蒲咲きにけり 高資
起き直る大根の薹の花芽かな 五島高資
葉隠れに野苺の実の珠となる 高資
白鳥の翔たる空の青さかな 高資
沈む日へ白鳥の羽のあかきかな 高資
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水
facebook・山地 弘純さん投稿記事
今回、姫路の塩田温泉夢乃井で行われた檀信徒研修会に行きました。
今回の講師の武内先生は、実は僕が大学時代に専攻したゼミの恩師です。
もう20年以上前になるんですね。
当時の授業の印象は実は薄いのですが、一緒に行った一泊二日のゼミ旅行が楽しかったな〜とか、ゼミ対抗ソフトボール大会は燃えたな〜とか、そんな思い出が蘇ります。
そういえば、ゼミ旅行の泊まりでの懇親会では、みんな酔っ払っていて、先生も酔っ払っていて、先生がボケると、それを頭をはたいて突っ込む、みたいな楽しい無礼講な時間もあったな〜とも思い出しました。
そんな話を先生と懐かしく振り返る時間がとれて、とても嬉しかったです。
ゼミを卒業し、そのうちに、先生はいつのまにか空海研究の第一人者と呼ばれるようになり、弘法大師空海の漫画に登場したり、研究論文が載っているのを、拝見させていただきました。
大学時代の授業ではわからなかった言葉の読み解きの面白さを多々感じるようにもなりました。
そして今日の講義でも弘法大師の言葉から読み解く死生観を、大変真っ直ぐに語ってくださいました。
「帰真」、つまり真実の場所へと帰る。
「本覚」、つまり本より覚っている。
ここがポイントであると。
往生のように、行くのではない。
帰るのである。
覚れていないのではない。
本より覚っているのである。
このスタンスが、我らが真言宗としての世界の見方なのですね。
魂という存在の肯定もありました。
真言宗の僧侶でも、いろんな解釈がなされています。
その中で武内説は、スピリチュアルとの関わりや、今までの体験などで培った僕のイメージする世界観が、大丈夫ぴったりとフィットしてると太鼓判を押してもらえたような気がして、とても嬉しかったです。
宇宙の原子やニュートリノのワードもでました。
「魂は天に向かいに魄は地に向かう」の言葉も説明されていたので、僕は精神と物質の温度、周波的な推測を先生に尋ねてみました。
憶測を入れない先生らしい言葉が返ってきました。
「僕はそこまでわからない。そこはあなたにまかせるよ。自由にやったらいい。」
さすがだな〜と思いました。
そして、ありがたい言葉もいただいたな〜とも思いました。
大勢の中で話ができないかなと思っていましたが、懇親会の時にお話がちゃんとできて幸せでした。
宇宙に詳しい方々に聞きながら、空海の世界観を現代にアップデートできればいいなと改めて思った次第です。
facebook・相田 公弘さん投稿記事·
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
金子みすず
TAO 自分さがしの旅@ilchi_tao
誰かに認められたり成功から得るエネルギーだけでは、胸の虚しさをいくら埋めようとしても絶対に埋まらない。それは一時的な慰めに過ぎず永遠ではない。永遠のエネルギーの源はあなたの内にある。自分を認めることで感じられる喜びは、人に認められて感じる喜びとは比べられないほど大きい
シェア記事を巡っての フェースブックNobuo Naitouさんとのやり取り
自己肯定感と自己効力感が大事だと私は習いました。
セルフエスティームが世界を愛するベースだと私も思っています。
これが客感的にできるかどうかがポイントですね。だから、難しい。でも汗は流さなくちゃ得られませんね。
潜在意識の浄化がキーではないでしょうか?
私は『我』を無くし真如を得られることではないかと考えています。
ゼロフィールドということでしょうか?
ゼロポイントフィールドと空の関連性は否定できないのではと考えてます。空は悟りの境地ですからかなり難しい。でも科学が一層発展すれば自ずとその関連性は証明されるはずです。逆に空の方から科学的に考察実験できればいいのですが。
ゼロはエネルギー的にはプラス・マイナスの無限の可能性を含んでいますね。悟りを差取りと置き換えたとき、吾の心がゼロ、あるいは無限と一つである、吾であり宇宙である(粒子であり、波動である)実感となるのではないでしょうか?
梵我一如ですか?
多分同じ概念だと思います。
そうですか。梵我一如は宇宙即我と同じだと思われてます。しかし我を離れ無我の境地を説く仏の考察総てを凌駕した、またtranscend したものではないでしょうか?まぁ、こんな事を言っているうちは向こうからやってくるあの真理には到達できないでしょうね。
私は想念を皆手放すワークで魂に対するイメージも無に戻した時、ハートからエネルギーが立ち上がってくるのを実感しました。細胞は元素でできており、元素は新陳代謝や呼吸、エネルギーの交流などで 刻刻入れ替わっているとは頭で理解していましたが「固定しているかに見える肉体」が「粒子であり波動である・実は空間」だということを体感した思いでした。点のようにごく微細な霊魂にも特有の周波数があり、波動干渉・波動共鳴に預かり地球の脳波を生んでいるという思いが吾であり宇宙であるという表現に至りました。
凄い、素晴らしいですね。そして羨ましいような・・・。
赤ちゃんは魂感覚を持っているといわれます。社会化の過程、言語獲得の過程で左脳感覚に支配されるようになり(言葉ですべてを分断、規定するようになり)右脳感覚、すべてと一体の感覚を失っていくといわれています。深い意識、トランス感覚の中で潜在意識と触れていくことが魂感覚エネルギー感覚を取り戻し 魂とつながった自分を取り戻すことになるのではないかと考えています。
それは一歩間違えればトランス状態になるためならなんでも許されるみたいな輩が出てくるのではないかと危惧しています。
麦角やLSDが使われたりもしましたね。今は呼吸法や瞑想、集中した弛緩、などいろいろな方法がありますよ。
マインドフルネス、サマタ、ヴィパサナ・・・。まぁ、兎に角、息ですね!
キャンドルライト、線香の煙などに集中するだけでも、視界を開いたまま自分の体の感覚に意識を向けるだけでも深い意識に誘われますよ。
止観の事を言っているようですね。visalizationもいいような気がします。但し、静寂の中で。
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