葉脈に透けるかがちの赤目かな 高資
https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%9B%87%E7%A5%9E 【蛇神・かかち】
蛇神とは、蛇を神格化したもの。
日本では赤城山の赤城大明神、「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」や、大神神社に祀られる「大物主」が有名。中国、インドでも神話の中に登場している。
ここではpop'n music 18 せんごく列伝で収録された楽曲について説明する。
概要
小高い丘の斜面に貧しい民家が寄りそうように密集する集落――ジャコツ。
荒れた土地、小さな畑、集落の脇には牛馬の死体が積み重ねられ異臭が放たれていた。
少年はそこで生まれた。
生まれながらの『不浄なる者』として――。
丘を降り川を挟んだ平野部には大きな屋敷と大きな畑が並ぶ別の集落コノハナがあった。
川に橋は架けられていたが、ジャコツの者達がそれを渡る事は許されなかった。
ある時、コノハナから綺麗な格好をした親子連れが橋を渡ってやってきた。
ムラの者は皆地面に頭をこすりつけるよう平伏し、彼らの顔を見ようともしなかった。
コノハナの者はムラの長に何かを指図しているようであった。
痩せた畑で農作業をしていた少年は木陰から親に付き添う一人の少女を盗み見た。
見たこともない鮮やかな衣服をまとい、とても綺麗で艶のある黒髪の少女――。
ムラでは見られない清らな姿に少年は一瞬にして虜になり、無意識のうちに少女に近づいた。
少女の父親はその様子を見て激怒した。
『カガチの分際で何をしておる!これ以上近寄るな!娘が汚れるではないか!』
ムラに怒号が響き渡り、皆の顔から一斉に血の気が引いた。
少年の父親が急いで駆け寄り、息子を勢いよく叩きはじめた。
『お許し下せえ!こいつはオラからよく言い聞かせます!何卒お許し下せえ!』
まだ幼い少年には分からなかった。
何故父親は自分を叩くのか?
何故皆はひどく恐れた顔をしているのか?
そして、なぜ少女は蔑んだ眼差しで自分を見ているのか――。
それから数年後――成長した少年はムラの立場をおぼろげながらも理解するようになった。
このムラの者達は皆カガチジンと呼ばれ、不浄の者の血を引いているのだと――。
しかし、少年は差別はそれだけで起るものとは決して思わなかった。
ムラの者達は怠慢なだけだ、学問や礼儀も得ようとせず全て宿命だからと決めつける。
カガチの者は志が低く身なりさえも整えようとしない――だから蔑まれるのだ。
自分が立派な人間になれば、コノハナの人々も認めてくれるはずだ。
そう思った少年はあらゆる努力を惜しまず自分を磨く事にした。
ほんの少しでいい。ほんの少しでもあの少女に認めて欲しかった。
剣術は卓越したものとなり、ムラの連中と違い学問の素養も礼儀作法も身につけた。
一度で良いから彼女と話したい、笑顔をもらいたい。
自分が立派な人間になればきっと分かってくれる。
しかし――どんなに頑張っても橋の向こう側――ヤマジジンと同じにはなれなかった――。
少女の口から開かれた最後の言葉。
『二度と近寄らないで…汚らわしいカガチの分際で…』
少女の蔑んだ目はもう変わる事はないだろう
差別と貧困からなる負の連鎖はどこまでも続くだろう
いつからカガチは人としての誇りを失ってしまったのだろう
誰かが断ち切らねばならぬ――
誰かが滅せねばならぬ――
呪われた過去と未来を――
滅せねば――
少年はムラに火を放った。
http://joumon-uzumaki.com/1815.html 【スサノヲの大蛇(オロチ)退治】
『古事記』は、「アマテラスが石屋戸こもり」神話のあとに「スサノヲの大蛇退治」の話をのせています。場所が突然に出雲国へ飛び、高志から「彼の目は赤かがちの如くして、身一つに八頭・八尾有り」の大蛇がやって来て娘を食べてしまうという話を書いています。
故(かれ)、避追(やら)はえて、出雲国の肥(ひ)の河上(かはかみ)、名は鳥髪(とりかみ)といふ地(ところ)に降(くだ)りましき。此(こ)の時、箸其(はしその)の河より流れ下(くだ)りき。是に須佐之男命(スサノヲノミコト)、人其の河上に有りと以為(おも)ほして、尋ね覓(ま)ぎ上(のぼ)り往(ゆ)きたまへば、老夫(おきな)と老女(おみな)と二人在(あ)りて、童女(おとめ)を中に置きて泣けり。爾(ここ)に「汝等(いましたち)は誰(た)そ」と問ひ賜ひき。故、其の老夫答へて言(もう)さく、「僕(あ)は国つ神大山津見神(おほやつみのかみ)の子なり。僕(あ)が名は足名椎(あしなづち)と謂(い)ひ、妻(め)が名は手名椎(てなづち)と謂(い)ひ、女(むすめ)が名は櫛名田比売(くしなだひめ)と謂(い)ふ」とまをしき。亦(また)「汝(いまし)の哭(な)く由(ゆえ)は何(な)ぞ」と問ひたまひき。答へて白言(まふ)さく、「我(わ)が女は本(もと)より八稚女(やをとめ)在りしを、是(こ)の高志(こし))の八俣(やまた)のをろち年毎(としごと)に来て喫(く)へり。今、其の来(く)べき時なるが故(ゆえ)泣く」とまをしき。爾に「其の形は如何(いか)」と問ひたまへば、答へて白(まを)さく、「彼(そ)の目は赤かがちの如くして、身一つに八頭(やかしら)・八尾(やを)有り。亦其の身に蘿及檜(こけまたひ)・椙生(すぎお)ひ、其の長谿八谷(たけたにやたに)、峡八尾(をやを)に度(わた)りて、其の腹を見れば、悉(ことごと)に常に血爛(ちあえただ)れたり」とまをしき[此に赤かがちと謂ふは今の酸醤(ほうづき)なり]。
これは有名な「八俣の大蛇」の物語です。八俣の大蛇と言えば、八つの頭と八つの尾をもっていることがよく知られております。この話で私が注目するのは、「八つの頭と八つの尾」に加えて、「体一面に苔や檜・杉などが生え、その長さは八つの谷、八つの峰にわたるほどである」と書かれていることです。この記述は、これまでほとんど問題にされてきませんでした。苔(こけ)や檜・杉などが生え、その長さは八つの谷、八つの峰にわたる、という表現は八つの谷と八つの峰をもつ山岳地帯の情景描写そのものです。
『記』編者は、「その形はいかに」と、大蛇のカタチにこだわって
いる節があります。八つの谷と八つの峰をもつ山岳地帯を「八俣の大蛇」にイメージして書いているのではないでしょうか。これな該当するところがあります。それは長野県の八ヶ岳です。この八ヶ岳は、中央道の諏訪湖あたりから、さらに南下して山梨県の須玉市や北杜市あたりからも見ることができます。横たわる八つの峰を見るには、長野県原村の柳沢地区が最適地です。ここからの八ヶ岳は最高です。
この八ヶ岳の山麓には、縄文中期の縄文時代の遺跡が数多くあります。その中の井戸尻縄文文化圏は、見事な土器や土偶を創りだしております。縄文文明の中興の祖を輩出していたことは間違いのないところです。問題はその名、八ヶ岳にあります。八という数は六とともに、わが国の古代人が好んだ数であり、それは縄文の大賢人の「六・八理論」によるものと、私は考えております。
大山津見神が登場しているように、山には黒曜石やサヌカイトなど縄文人が生きて行くために必要な狩猟道具を作る岩があり、ブナに代表される多くの種類の木の実をつける樹木があります。そんな山が、それも八つの峰が雄大にそびえていたとすれば、縄文人がその地に住みたいと考えたとしてもおかしくはありません。東には円錐形の、それも双曲線をもつ富士山を見ることができます。さきに私は、富士は藤の意味をもつとのべてきましたが、一方で、「二つとない双曲線をもつ」という「不二の山」でもあったと思います。一つ表現に複数の意味を含ませるのは、私たち日本文化の特徴の一つです。その背景には、双曲図形・楕円図形がもつ最大の特徴であるアナロジーの連鎖という方法で、まったく無関係に見える二者を結んでしまうという離れ業をやってのけてしまいます。このことは、わが国固有の芸能文化である能・狂言を見れば、一目瞭然です。能・狂言師のもつ扇子が如実にそれを物語っています。扇子はいろいろなものに変身します。その変身を可能にするのが、能面です。この能面には双曲図形・楕円図形(らせん形など)が必ず描かれております。
私は原村の柳沢を車で通過し八ヶ岳を見た瞬間、八ヶ岳という山名は、縄文人が名づけたと思いました。八つの凸凹は一連を成し、『記』の表現する「身一つに八頭(やかしら)・八尾(やを)有り」にピタリと符合しています。
https://blogs.yahoo.co.jp/mukakubusui/4872841.html?__ysp=5YWr5bKQ5aSn6JuH6Y2b5Ya26IG35Lq6
【『日本神話』の不思議 005 八岐大蛇 ?鵯】
八岐大蛇[ヤマタノオロチ]神話は、日本の神話の中で一番の英雄譚です。日本の神話では、ギリシャ神話と違って怪物と戦う話しは余りありません。その日本の中で最大の怪物が八岐大蛇です。
この神話もよく読みますと奇妙というか不思議な箇所が満載なのです。
真っ先に言えるのは、八岐大蛇の大きさと姿です。大きさは八つの山と八つの谷にまたがり、背には杉や檜の古木が生えていて、頭と尻尾の両方が八つに分かれていると書かれています。いったいどんな形をしているのでしょうか?
背には苔ではなく杉や檜の古木が生えていると言うことは山の様なというよりも山そのものの大きさです。私には蛇というよりも亀の甲羅の様な胴体の周りから頭や尻尾が出ている姿しか想像できません。
世界中の神話の中には巨大な動物や怪物がいますが、人や神と戦うものでは、私の知る限りでは八岐大蛇が最大の怪物です。というよりも巨大過ぎて話の辻褄が合っていません。
これだけ巨大なのに一年に一人の生け贄ですむのは、物凄くエコな怪物です。また、スサノオは毒酒を飲ませて酔い潰れたところを首を切っていますが、ならば体に対して頭はや首がどれだけ小さいのでしょう?甕に酒を入れたとありますが、どんなに大きい甕でも、体との比率を考えますと、頭が異常に小さい事になります。またそうでないとスサノオが山の様に巨大でないと首は切れません。しかし、石上[イソノカミ]神社に伝わる大蛇の首を切ったスサノオの剣は普通の大きさです。
この大蛇退治の神話は、天岩戸神話の次に書かれています。高天原を荒らしてアマテラスに岩戸隠れをさせた罪で、両手の爪を剥がされて、素巻きにされて天の安川に流されたスサノオが唐突に出雲の斐伊川の上流に五体満足で現れるのも繋がりが変です。
スサノオが、大蛇を退治した時に、尻尾から天叢雲剣[アマノムラクモノツルギ]が、出て、その剣を高天原のアマテラスに献上します。爪を剥いで素巻きにして川に流して追放した所に献上するのは変ですし、高天原のアマテラスもそれを神宝として降臨する孫に与え、天皇の三種の神器の一つにするのも変な話です。
この神話の一番の不思議な点は、出雲国創成に関わる英雄神話なのに紀記にのみ書かれていて、出雲国風土記には無いことです。
『白兎神話』の舞台が山陰ではなく九州北部だと推定した事で、紀記の出雲が、島根県の出雲ではなく九州北部の話であると仮定することができます。ならば、出雲神話と呼ばれている神話の中というより日本神話最大の英雄譚とも言うべき八岐大蛇[ヤマタノオロチ]神話も九州北部の話と考えられます。この出雲創成に関わる英雄譚が、出雲風土記に類似する話すらないのは変ですからね!
出雲国風土記が紀記よりも先にできていたのならば、大和朝廷に遠慮して書かなかったとも考えられますが、風土記編纂は書紀が完成した後です。ならば、国が主張する出雲創成神話をむしろ積極的に採用するべきす。
豊後風土記の逸文に一身八頭の鍛治翁[カジオウ]という化け物が出てきます。鍛治翁の大きさは書いてはいませんが、一身八頭というのは八岐大蛇に似ています。この鍛治翁の所に10人行くと7人帰ってこないというのも八岐大蛇が土地神の娘を要求しているのに通じます。
また九州北部の一部の地域の方言で、蛇の事をヤアタロウと言いますし、北九州の八幡[ヤワタ ]はヤマタに似ています。
島根の出雲より九州北部の方が、八岐大蛇に通じそうな物が多いと思えます。
『白兎神話』のウサギやワニが動物ではなく人で、歴史的な事実に基づいた話だという仮定で推理しますと、この八岐大蛇神話も神話ではなく北九州で起きた事件の話が神話とされている事になります。八幡は八本の旗の事で、旗を部族の象徴と考えると、八つの部族の集合と考えられます。八岐大蛇の巨大さは異常ですが、八つの部族のテリトリーと考えれば、八つ山と八つの谷にまたがるというのも一つの部族が山と谷を支配しているとすれば不思議ではありません。
八岐大蛇は通常では考えられないくらい巨大ですが、八つの頭で胴は一つとは八つの部族の集合体と考えるのが一番理にかなっていると考えます。または胴体を元と考えますと、同じ氏族が八つに別れた集団とも考えられます。
それであればスサノオが八人の族長を騙して酒で酔わして首取ったという事になります。
この時に尻尾から天叢雲剣[アマノムラクモノツルギ]が出たというのは、八人の族長を殺した後で部族の集落を制圧している時に見つけたか戦利品か降伏の証しとして差し出された剣だと解釈できます。
ではこの八つの部族とはどんな部族なのでしょうか?
九州北部の伝説をしらべると、一身八頭の鍛冶瓮という化け物がいた事が豊後風土記に記載されて居たことは書きました。この化け物の所に10人行けば8人帰ってこないといわれたと風土記には書いてあります。一身八頭がヤマタノオロチに通じるし、鍛冶から剣も繋がります。
豊前や豊後で昔は蛇の事をヤアタロウと呼んでいたらしい。これもヤマタに通じます。北九州は八幡[ヤワタ ]という地名ですし、宇佐は八幡[ハチマン]宮はヤワタ宮です。この事から豊前豊後に住んでいた部族と推理できます。
蛇や龍は水のシンボルでありますが、川から砂鉄等の鉱物資源が取れますから、鉱脈のシンボルでもあります。これは鍛冶瓮に繋がり剣に繋がります!この事から金属精錬技術に勝れた八部族に圧迫され続けた高天原のアマテラスのところにスサノオが来て八部族の長を騙して酒に酔わして討ち取って、それによってアマテラスと結婚した話が変化したものと考えられます。つまり神話の時系列が違っていて、アマテラスとスサノオの会合の次が八岐大蛇[ヤマタノオロチ ]神話で、その後に岩戸神話へ続く推理したわけです。これならばスサノオが八岐大蛇退治の戦利品である天叢雲剣をアマテラスに献上したのが理解できます。
今の北九州の八幡[ヤワタ ]市は昔から砂鉄が取れ製鉄が盛んな土地がらでありますし、遠賀川流域では銅も取れたようです。天叢雲剣が青銅製であることから、オロチ族は青銅製錬に勝れていたのではないかと推測できます。
青銅製錬には炭酸カルシウムが必要です。これは骨の主要成分で、古代に置いて炭酸カルシウムを手に入れるのは骨です。骨を簡単に手に入れるために死体が必要となるわけです。
蛇は水神で川の神であり、鉱脈等の鉱山神となり、そこから銭が生産されることから財運の神と変化しました。蛇に象徴される古代の部族ならば金属製錬の技術に勝る部族で、青銅製錬に優る部族ならば、骨(炭酸カルシウム)が必要ですから、死体が多くあり、死霊つまり雲が沸きでる場所だから出雲と言われたと推測出来ます。つまり、出雲とは特定の地名ではなくオロチ族がいる場所を指していると考えられれます。これならば、八岐大蛇の所からいつも雲が涌き出ていたという紀記の記載が説明がつきます。逆に大蛇がいる場所が出雲だと言えます。
中国古代の青銅製の名剣には、名剣を作る為に鍛冶屋の妻や娘が炉に身を投げた事で出来たとされる名剣が幾つかあります。この様な話から古代では、金属製錬に使う骨は女性で若くて神力のある(女巫)の骨の方が良い金属ができると信じていた金属製錬の民が多いようです。
国神の娘が毎年いけにえになっていたと書かれている事から、ヤマタノオロチ族もそうである可能性が高いと思います。実際は生け贄ではなく、婚姻という可能性もあると思います。
この様な推理をすると、八岐大蛇神話は単なる作り話ではなく、歴史的事実の話であると考えられるわけです。
私が推理した状況であれば、オロチ族の頭は酒宴に来た事になりますが、スサノオはどうやってオロチ族の頭を酒宴に誘ったのでしょうか?
猨田毘古(さだひこ)の赫き眼や椿の実 高資 ·
http://blog.livedoor.jp/halka_talk/archives/11420173.html
【鉄と妖怪~一つ目妖怪の不思議な成り立ち~】
今日のテーマは一つ目妖怪がどうやって生まれたのか、について。そもそも、妖怪はどうやって生まれるのでしょうか?一つ目妖怪の場合は、人間が鉄を作る過程で生まれた、と聞いたら意外に感じますか?
まず、鉄を作ること、製鉄について少しお話します。映画の、もののけ姫を見たことはありますか。日本の製鉄は、”もののけ姫”の”たたら場”を思い起こしてもらえるとわかりやすいでしょう。巨大なふいごで炉を高温にして、鉄鉱石を鉄に変えます。製鉄について細々話すとキリがないので、ここでは大雑把にそういうものだと割り切ります。
そして、この時の炉の温度管理が重要です。温度が低すぎると純度が下がりますし、高すぎると炉が爆発してしまいます。ですが、温度計のない昔のことです。職人たちは、片目でじっと見つめて、火の色で温度を見ながら、火力の調整をしていました。その結果、歳をとると利き目はほとんど失明か、それに近い状態になったといいます。
そのせいか、鍛冶職人たちの祭る神は、一つ目です。風土記や日本書紀にある天目一箇神(天目一命)がそれです。もっとも古い文献資料として播磨国風土記に”道主日女命、父なくして、み児を生みましき(中略)。その子、天目一命に向きて奉りき。乃ち、その父を知りき。”という記述があります。
天目一命は一般にも信仰され、天目一神社で祀られています。柳田國男曰く、一つ目は神聖な存在です。彼は神官がわざと片目をつぶすことから”片目にした人でなければ神の霊智を映し出し得ぬ”。と言っています。
さて、そんな一つ目の神様を祀る製鉄職人たちですが、どこで暮らしていたのでしょうか。これも、もののけ姫を見るとわかりやすい。まず、燃料として大量の木材が必要なので、たたら場のような、山奥に住んでいました。出雲が代表的な製鉄産業拠点です。
彼らは、農耕民や商人たちから見れば、ときに異形の存在と思われたかもしれません。あとで詳しく考察しますが、一言で言い表せない人々の感情を下敷きに、一つ目の妖怪が出雲に生まれます。
出雲国風土記には”或人、ここに山田を作りて守りき。そのとき、目一つの鬼来たりて、田作る人の男を食らいき”とあります。鬼については今度語りますが、この場合は妖怪と読み替えてOKです。また、水木しげるによると出雲には”のうま”という古い妖怪がいるそういです。彼も出身は出雲=島根県ですね。夜道を歩いている人間を見つけると、襲いかかって、その人を食べてしまう。のうまもまた一つ目だということです。
西洋にも似た例があります。ギリシャ神話でウラノスの子供として登場するキュクロプス(英語読みなどサイクロプス)は、一つ目でその容姿を嫌われて、捨てられます。しかし、ゼウスに助けられたことで、お礼に武器や防具を送ります。鍛冶職人の神様です。ちなみに、師匠のヘーパイトスも火や鍛冶の神様で、彼もまた両足に不具があって、醜い容姿を嫌われて捨てられます。(直接関係ありませんが、ゲルマン神話では、ヴェルンドという職人が脚の腱を切られています。たたらで脚を酷使することの象徴かもしれませんね)
キュプロプスは、のちに乱暴な怪物・妖怪として描かれることも多くなります。ここでもまた、鍛冶・神・妖怪が結びついています。しかし、たとえば中国やほかの地域では、このような例がありません。日本と欧州で、なぜ鍛冶の神様と妖怪が一つ目なのでしょうか。
これまでみてきた、神聖なものとして敬う気持ち。異形として恐れる気持ち。これだけでは妖怪は生まれません。もう一つ必要な要素があります。それは鉄という技術が、外の技術であったことです。
大規模な製鉄は古代中国と中東で生まれました。それが徐々に拡散していって、中東から欧州へ、中国から日本へというように、時代も場所も異なる二つのルートで拡散したわけです。中国や中東地域では、一つ目の妖怪や鍛冶の神様はほとんどいません。
しかし、日本や欧州は、自前で技術を編み出したわけではなく完全に移植された技術です。特に日本の場合は、6世紀ごろから韓鍛冶部という職人集団をスカウトすることで技術を身に着けました。敬意・畏怖・異質さが妖怪を生むきっかけになると推測しています。
片目の人がいた…だけでは妖怪は生まれません。自分とは異なる、異質で”境界線の向こう側”にいる存在で、なおかつ敬意や畏怖がないまぜになった感情が一体化することで、一つ目の妖怪が生まれたと考えています。片目という神聖さ、異形への恐れ+外の技術である製鉄を行うよくわからない不思議な人たちであること。さらにいえば、山や森は境界線の向こう側であり、妖怪がたくさん住んでいると考えられていました。森林の多い山奥に住んでいたことも要素の一つといえます。
前述の要素がミックスした結果、人々の前に、一つ目の妖怪が生まれるようになった。これが私の仮説です。もちろん、これだけが理由ではないと思いますし、違う理由があってしかるべきと思います。しかしながら、製鉄と妖怪、本来縁の遠いはずの二つの存在の縁深い結びつきを考えると、一つの考え方として有りではないかと思っています。
妖怪なんてフシギで不可解なもの、答えが一つでなくていい。とも思っています。
https://ugaya.jimdo.com/2018/03/09/%E3%81%8A%E7%A5%9E%E6%A5%BD%E3%81%8B%E3%82%89%E5%88%A4%E6%98%8E%E3%81%97%E3%81%9F%E7%8C%BF%E7%94%B0%E5%BD%A6%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93/
【お神楽から判明した猿田彦の正体】
大分県豊後大野市に伝わる御嶽神楽に『地割 (ぢわり)』という出し物があります。
これは、ニニギの命の天孫降臨を道案内するため、猿田彦が地上で待ち構えていたところ、アメノウズメと押し問答となった様子を再現したものです。
そこには、『古事記』にも『日本書紀』にも『ウエツフミ』にも書かれていなかった、詳細な会話の内容が残されていたのです。
このことから大変なことが分かりました。
つまり、謎とされていた猿田彦の正体が明かされていたのです。
猿田彦とは、ふなどの神である!
まず結論から先に書きますと、
◆猿田彦とは、縄文人が信仰していた「クナト神」「岐の神」または「ふなどの神」、中国流には「道祖神」のことである。
◆縄文神のクナト神は世界中を渡り歩いて、「五色人」を創造したということ。
◆そして、ここで行われた「押し問答」とは、縄文的な世界観と弥生的な世界観の対立であったということ。
以上の三点が明らかになってきました。
いやあ、文字で書き記したものとは違い、お神楽は一子相伝で極秘裏に受け継がれてゆきますので、第三者が介入する余地は全くなく、本当のことが語り継がれている可能性が高いということです。
すごいぜ、大分県豊後大野市!
庶民レベルでここまで詳細で正確な記述が残されているということは、豊日の国とはただの田舎ではなく、本物の天皇を生んだ聖地だということです。
それでは、その内容を詳細に見てゆきましょう。
御嶽神楽 第31番『地割(ぢわり)』の番組内容
≪登場する神と装束≫
猿田毘古神(さるたびこのかみ)・・・・猿田面(赤)
天宇受売尊(あめのうづめのみこと、舞台上では神主として登場)・・・・烏帽子
御供神一 ・・・・ 毛頭(丸毛)
御供神二 ・・・・ 毛頭(丸毛)
≪最も大切な会話の現代語訳≫
【ウズメ】(神主の姿で)いったいどうやって真偽を判断したらよいのやら?
正しきを行い、神の意思を実行しようと(猿田彦が)おっしゃるのなら、(神よ!)その詔を教えてください。
【ウズメ】このような(荒れた)世の中を、神の世に変えてゆこうとしているときに、世にも恐ろしい顔立ちでお供を申し出た人、よくよく見れば(中略)、全くこの世界の人の姿ではありません。
東国の人ならば顔色が青く、南国の人なら赤く、西国の人なら白く、北国の人なら黒く、アジアの人なら黄色いはず。
とても五色人とは思えないので、この手に持った御笏(みてぐら)で、境界の外まで追い払ってしまいましょう。
【猿田彦】聞けよ、聞け、よく聞け。
天の言い伝えにもあるではないか。
大海に船を浮かべ、小川という小川に橋をかけ、士農工商の職業を家ごとに定め、それ天地がまだ開かずに混沌としているとき、九億十万八千丈の内から出てきた「猿田彦の明神」とは私のことである。
だから天孫降臨に際して「導き」を行うため、今日はおれい(?)を締めて、禊(みそぎ)を祓って、不浄を除いてきた。
もしも大切なときに極悪の神敵が現われるならば、その体中を斬って、斬って、斬り鎮めるためである。
つまり国を踏み開くことが(私の)目的なので、よくよく聞き給へ。
【猿田彦】東方、東方、わが東方。
六万里にも十二漕の舟をそろえ、それに青金を積んで、持っている剣を櫓棹にして、東方六万里にも漕いで行き、漕ぎ返して、東方の段の柱とした。
同じく、南方は赤金、西方は白金、北方は黒金を、それぞれ段の柱とした。
このように東西南北、道を踏み開いた私こそ「ふなどの神」、またの名を「道祖神」とも言うのである。
かくのとおりなので、(神よ!)アメノウズメにも分かりやすく詔をお伝えください。
0コメント