擬人法

古池や蛙飛びこむ水の音

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E4%BA%BA%E8%A6%B3    【擬人観】

https://jphaiku.jp/how/gizinn.html  より

擬人法は月並みなのか?

 明治時代を代表する俳人、正岡子規に連なる俳人たちは、月並み俳句の特徴の一つとして『擬人法』を上げました。

 擬人法とは、植物や動物や自然などを人に見立てて表現することです。例えば、鳥が歌う、花が笑う、などといったものです。

 月並み句とは、要するに駄句のことです。

 しかし、正岡子規の後継者である高浜虚子は、

大寺を包みてわめく木の芽かな

 という植物を擬人化した句を詠んでいます。

 また、松尾芭蕉の名句である

さみだれをあつめて早し最上川

 も川を擬人化したものであるとされます。

 この他にも、擬人法を使った名句は、多々あります。

 『NHK俳句』の俳句選者を務めた高野ムツオも、

うしろより来て秋風が乗れと云う

 という風を擬人化した句を詠んでいます。

 つまり、擬人法を使っているから、悪い句であるとは一概には言えないということです。

 擬人法は意外性のある句を作れる魅力的な手法として知られています。

 子規派の俳人たちが『擬人法』を月並み句の特徴に加えたのは、これを安易に使うと、気取った作意が透けて見える、薄っぺらい句になってしまうからです。

 また、擬人法の発想というのは、どうしても似たり寄ったりになりがちで、陳腐な句が生まれやすいという欠点があります。

 もし擬人法を使うのであれば、常識から外れた発想が必要となるのです。

 しかし、初心者が突飛な発想をしようとすると、人をアッと言わせることに力を入れるあまり、対象を良く観察しないで作ったものになりがちです。

 これでは動物や植物などに接したことで得られた、ありのままの「感動」を伝えることができません。

 「いかにうまい俳句を作るか? ではなく、いかに素材に接した感動を伝えるか?」が俳句本来の醍醐味です。

 初心者の場合は、擬人法に頼ろうとしないで、まずは対象を良く見て、写生するところから始めるのが正解となります。

 しっかりとした写生の表現技法を身につけ、自身の句を冷静に、客観的に見られるようになってから、擬人法に挑戦するのです。

 擬人法は難易度が高い、玄人向けの手法であると言えるでしょう。

https://blog.goo.ne.jp/1804kitamitakatta/e/d7e2fe55952f4adbec53f7eca6ce56c0  【擬人化の功罪】  より

『生理ちゃん』生理を擬人化させ共感広がる

「QテレNEWS24」が6月14日にこういう見出しで報じている。

女性の生理を擬人化させた漫画『生理ちゃん』が先日、権威ある漫画賞を受賞した。映画化も決まる話題作、ヒットの訳を探った。

ほほえましい絵であり女児たちを因習から解き放って気楽させるいい意味の擬人化であると感じた。

さて俳句においてわが鷹は擬人法にどう向き合ってきたかというと、藤田湘子は比喩を非常に警戒し、特に暗喩はほとんど使ったことがないと『実作俳句入門』に書いている。

そして暗喩の先にある擬人化を戒めている。

梅雨深き壺は無言を通しけり

寝転んで自然薯は天仰ぎゐる

などを、陳腐、低俗、幼稚と唾棄している。これらは初心者のできそこないだが、名のある俳人の擬人法の句にも言及している。

最上川田植を率ゐ田を率ゐ 平畑静塔

春潮に飛島はみな子持島 山口誓子

木の根にも聞耳ありて神楽笛 百合山羽公

白露のやからをはなれ父の露 鷹羽狩行

「さすが手馴れたもの、巧いものと思わせる句々ですけれど、擬人法の持つ危うさがまったくなしとはしません。まあ、それほどに擬人法は通俗に堕しやすいということを承知しておくべきです」と釘をさすのを忘れない。

湘子は晩年、擬人法で句を書くことを門弟に禁じた。擬人法のみならず、オノマトペ、比喩の句も低俗なものしかできないと言って禁止した。よって何年か鷹誌にオノマトペ、比喩、擬人法の句はなかったと思われる。湘子や重鎮たちが書いたほかは。

湘子が没し主宰を小川軽舟が継いだ。

新主宰は湘子が禁止していた三つを解禁した。よその結社の人と話して鷹にはその3要素がないことを指摘されてそれでいいのか考えた末の決断であったという。

それで門弟は自由になったのであるが、ぼくは新主宰がいちばん擬人法を使いたかったのではないかと深読みしている。

晩秋の時間が床を踏み鳴らす

覚めてなほ耳眠りをり春の雪

道端は道をはげまし立葵

噴水は冬日貪りやまぬなり

冬の水肩ぶつけあひ流れゆく

スコップにぼんのくぼあり春日影

冬の蠅見れば絶叫してゐたり

首ねつこつよき古釘花曇

枝のさき喰ひ破りたる楤の芽ぞ

川の水うしろ向かざる涼しさよ

につこりと日の差してきし時雨かな

呼ばれし名返事欲しがる桜かな

足許へ波の蹴伸びや秋はじめ

書架の本一つ覚ましぬ巴里祭

以上は小川軽舟句集『呼鈴』より引いた擬人法の句である。彼のいちばんの得意技はこの擬人法ではないかと思うほど頻出する。

これらの句を先師はどのように評価するのか。湘子を黄泉から連れて来たい気さえする。

ぼくは湘子がなんと言おうと軽舟さんは擬人法の名手だと思う。通俗のきわで踏み止まっているように思う。


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