虹は龍の化身??

https://sirabee.com/2019/10/26/20162186171/

【虹は龍の化身? その美しさに人は古来から魅了されていた】  より

神秘性のある虹

虹は、光の屈折で見えるものではあるが、それが分かっている現代でも、私たちを魅了してやまない。

虹は、古来から旧約聖書や、チベット密教、ギリシャ神話などなど、様々な伝承にも登場する。例えば、中国では虹は龍に見立てられ、日本では神の橋として考えていられることも。科学的な検証もできなかった昔はその神秘性も今以上だったのだろう。

約6割がうれしい気持ち

そこで、しらべぇ編集部が、全国10~60代の男女1653名を対象に調査したところ、「虹を見るとうれしい気持ちになる」人は、全体の60.9%。

男女別では、男性は51.4%、女性は70.1%と、女性のほうが18.7ポイントも高い傾向。女性のほうが日々、綺麗なものが目に入りやすいのかも。

八重雲の晴れ間へ翔る秋の虹  高資 

翔る虹は昇り竜を連想させます。


https://ameblo.jp/lavender-moon-17/entry-12338660037.html  

【幸運のサイン「虹」龍の化身が起こす奇跡① 7つの虹編】 より抜粋

古代の中国では虹を龍神様の化身と考えていたらしいんですよ。

当時は水の神様である蛇や龍を虫だと思っていたそうで、

このため虹の字の左側に虫が入っており、

右側は龍が天地を結んで飛翔する様子なのだとか。

龍天に登る潮合となりにけり  高資


https://ameblo.jp/s-n-umi/entry-12140430562.html  【龍は、春分にして天に登り……】

より抜粋

時は春分。

最古の部首別漢字字書、中国は『説文解字 (せつもんかいじ) 』に在る一文にちなみ、龍の話題を一題――

「龍は鱗虫の中の長なり、能く幽かに、能く明らかに、能く細に、能く巨に、能く短に、能く長なり、春分にして天に登り、秋分にして淵に潜む」

龍は、うろこを持つ動物の中の長である。おぼろげでもあり、明瞭でもある。細くもなれば、巨大にもなり、短くもなれば、長くもなる。春分には天空に登り、秋分には水の深みに姿を隠す。

龍に関しては諸説ありますが、東洋の龍は水を司る聖獣とされ、雨と日照りを自在に操ると考えられていました。稲作文化と結びつき、春分のころには水中から天に昇り雲を起こすと、恵みの雨を降らせ水田を潤します。稲も実りに入った秋分のころには、役割を終えたように深い水の中に戻り、春までの眠りにつくとされています。

上記より、春の季語「龍天に登る (りゅうてんにのぼる)」と、秋の季語「龍淵に潜む (りゅうふちにひそむ)」が生まれました。


それにしても冒頭のアーチを描く虹は「虹の橋」を連想させます。


https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=1013

【愛するペットの死を「虹の橋を渡った」と表現し始めたきっかけ】

ペットが亡くなった時、多くの飼い主が「うちの子が虹の橋を渡った」という表現をする。私も、数年前に飼っていた猫が旅立った時、同じ事を思った。現在、ペットを飼っている人の間では、ごく当たり前に使用されているこの表現だが、人間が亡くなった時には使われないし、私が子供の頃には、こんな事を言う人はいなかった。

一体、この表現はいつから定着したのだろう、そして「虹の橋」とは、どんな橋なのだろう。自分でもごく当たり前に使っていただけに、気になって調べてみた。

ペットと葬儀の関わりと進歩

私は、これまでに4匹の猫を見送った。最初の猫は生まれつき伝染病で、たったの2年しか生きられなかった。その頃はまだ今のようなペットブームではなかった為、動物用の斎場も少なく、うちの猫も、祖母を亡くした時に利用した斎場の、人間用の火葬炉で火葬してもらった。

その後に飼った2匹は18年間生きた。人間で言えば90歳近い大往生だ。年々、動物医療が進歩し、今ではペットの世界も高齢化社会を迎えている。うちの猫たちも、最期は歯が抜け、オムツになり、毎日家で点滴をするという、人間と変わらぬ介護生活を経た後に旅立った。

この2匹と、6歳で亡くなった最後の子は、同じペット用の斎場の、ペット専用の小さな火葬炉で火葬してもらった。待合室にはお骨の一部を使用したメモリアルグッズの紹介などがあり、大きな人間用火葬炉で火葬してもらった最初の子の時と比べて、この20年間でのペットの葬儀事情の進歩を実感した。

そして、彼らは人間と同じように、天国へと向かう小銭を手に、次々と虹の橋を渡って行った。

「虹の橋」の本当の意味

最初の猫を亡くした20年前、私は「虹の橋」の事は知らなかった。なので、その表現が広まったのはここ数年の事なのだろう。そう思って調べていると、私は衝撃的な事実を知ってしまった。

この表現は1992年頃、アメリカの愛犬家が作った一編の散文詩が元になっている。その詩を要約するとこうだ。

「この世を去ったペットたちは、天国の手前の草原に行く。そこで仲間と楽しく遊び回る。しかし、たった一つ気がかりなのが、残してきた飼い主のこと。一匹の目に、草原に向かってくる人影が映る。その姿を認めるなり、そのペットは全力で駆けていき、その人に飛びついてキスをする。飼い主はこうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡って行く」(引用元:Wiki)

そう、ペットたちは虹の橋を「渡った」のではなく、そのたもとで「待って」いたのだ。

この詩は、2000年代に入ってから、おそらくインターネットの普及もあって日本でも知られるようになった。そして、この頃から日本でも認知されるようになった「ペットロス」を癒す効果もあり、日本で定着するようになったと言う。

飼い主の心を救う「虹の橋」

ペットの一生は、人間の倍のスピードで過ぎ去って行く。そして、飼い主だけが常にこちら側に取り残される。その時、ほとんどの飼い主の心は、後悔の気持ちで一杯になる。「本当は苦しかったのに、気づいてあげられなかった」と。

「虹の橋」の詩は、そんな飼い主の願望を描いた一方的なエゴかもしれない。しかし、それでもやはり、私も信じている。それがいつになるかはわからないけれど、いつか橋のたもとで彼らと再会し、みんなで一緒に虹の橋を渡って行ける事を。



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