https://courrier.jp/news/archives/87912/?ate_cookie=1589098954
自分が善であることを疑わず、自分の外側に悪の存在を想定して、その悪と戦うことが自分の存在を正当化すると考えるような思考のパターンが「ペスト」なのだ
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/77_camus/index.html【ペスト】
第二次大戦の只中、「異邦人」「シーシュポスの神話」等の作品で「不条理」の哲学を打ち出し戦後の思想界に巨大な影響を与え続けた作家アルベール・カミュ (1913- 1960)。彼が自らのレジスタンス活動で培った思想を通して、戦争や全体主義、大災害といった極限状況に、人間はどう向き合い、どう生きていくべきかを問うた代表作が「ペスト」である。
舞台は、突如ペストの猛威にさらされた北アフリカの港湾都市オラン市。猖獗を極めるペストの蔓延で、次々と罪なき人々が命を失っていく。その一方でオラン市は感染拡大阻止のため外界から完全に遮断。医師リウーは、友人のタルーらとともにこの極限状況に立ち向かっていくが、あらゆる試みは挫折しペストの災禍は拡大の一途をたどる。後手に回り続ける行政の対応、厳しい状況から目をそらし現実逃避を続ける人々、増え続ける死者……。圧倒的な絶望状況の中、それでも人間の尊厳をかけて連帯し、それぞれの決意をもって闘い続ける人々。いったい彼らを支えたものとは何だったのか?
「ペスト」はナチスドイツ占領下のヨーロッパで実際に起こった出来事の隠喩だといわれる。過酷な占領下で、横行した裏切りや密告、同胞同士の相互不信、刹那的な享楽への現実逃避、愛するものたちとの離別等々。カミュ自身がレジスタンス活動の中で目撃した赤裸々な人間模様がこの作品には反映している。それだけではない。「罪なき人々の死」「災害や病気などの避けがたい苦難」「この世にはびこる悪」……私たちの人生は「不条理」としかいいようのない出来事に満ち溢れている。「ペスト」は、私たちの人生そのものの隠喩でもあるのだ。
番組では、カミュが描き出そうした、人間にとって不可避な「不条理」に光を当て、「ペスト」という作品を通して、人間は「不条理」とどう向き合い、生きていけばよいのかを読み解いていく。
〜「誠実さ」を武器に闘うこと〜
100分de名著・カミュ「ペスト」一挙アンコール放送をご覧いただき、ありがとうございました。SNS上では今までにない数のご意見や感想をいただきました。全て目を通させていただき参考にしています。
今回の再放送決定には特別な思いがありました。再放送に向けてのチェック作業のために番組を見直す中で、医師リウーとその友人タルーたちの姿に、今、日本全国、全世界で最前線で闘う医療従事者の姿が重なってみえたのです。専門家ではない私は、ただ祈り応援するしかありませんが、下級役人のグランのように一市民として彼らを支えたい、そう強く願っています。当面、私ができることは、「名著」の中に、厳しい状況に立ち向かうための智慧や勇気を見出し、お届けすることしかないと思っています。
この作品が何よりも凄いところは、今いるそれぞれの現場で、私たちが何を大事にして行動しなければならないのか、どんな声を上げていかなければならないのかを教えてくれることです。「ペストと闘う唯一の方法は誠実さだ」と主人公のリウーは語りました。「自分の職務を果たすことだ」とも。今の私たちが新型コロナ・ウィルスと闘うために必要なのは、何よりもこの「誠実さ」だと思います。「ペスト」を読み返す中で、私自身も、自らの甘さを痛感させられましたし、心を新たにさせられました。NHKオンデマンドで、現在も配信中です。今後も一人でも多くの人にみていただきたいと願っています。
第1回 不条理の哲学
「ペスト」は、カミュ自身が体験したナチスドイツ占領下のヨーロッパでの出来事の暗喩でもあった。ペスト蔓延という事態の中で繰り広げられる出来事は当時の状況と瓜二つである。それは現代社会にも通じているといってよい。後手に回り続ける行政の対応、人々の相互不信、愛する人との過酷な別離…精神も肉体も牢獄に閉じ込められたような状況の中で、それに照らし出されるように浮かび上がってくる人間の尊厳。極限状況の中で、「誠実さ」「自分の職務を果たすこと」といった言葉を唯一の支えとして敢然と災厄に立ち向かっていく人々が現れる。第一回は、やがて多くの人々や行政をも突き動かしていく医師リウーやその友人タルーたちの姿を通して、極限状況下における人間の尊厳とは何かを考えていく。
第2回 神なき世界で生きる
ペスト蔓延の中で、市民たちは未来への希望も過去への追憶も奪われ「現在」という時間の中に閉じ込められていく。ペスト予防や患者治癒の試みがことごとく挫折する中、現実逃避を始める市民に対して神父パヌルーは「ペストは神の審判のしるし」と訴え人々に回心を迫る。その一方で、保健隊を結成しあらん限りに力をふりしぼってペストとの絶望的な闘いを続ける医師リウーやその友人タルー、役人グラン、脱出を断念し彼らと連帯する新聞記者ランベール。彼らを支えたのは、決して大げさなものではなく、ささやかな仕事への愛であり、人と人とをつなぐ連帯の感情であり、自分の職務を果たすことへの義務感だった。第二回は、人々を絶望な状況に立ち向かわせる「希望の源」は何なのかに迫っていく。
第3回 それぞれの闘い
予審判事オトン氏の幼子に対して試される「血清」。しかし、それは病状を改善させるどころか苦悶の中での死をもたらした。罪なき子どもの死に直面した神父パヌルーの心は大きく動揺。神を信じないという医師リウーは彼に対し「罪なき子どもが死ぬような世界を自分は愛せない。私はそれと闘い続ける」と宣言。それを受け、パヌルーは異端すれすれの思想を人々の前で表明、リウーたちと信条を超えて助け合うことを確認する。一方、リウーの友人タルーは、若き日の挫折から抱き続けた罪悪感を告白し、「神によらずして聖者たりうるか」を自らに課すという信条を吐露する。第三回は、それぞれの闘いを通して、人は「神」という存在なしに倫理を貫き人間の尊厳を守り続けることができるのか…というカミュの根源的な問いについて考える。
第4回 われ反抗す、ゆえにわれら在り
発生から9ヶ月、あれほど猛威をふるったペストは沈静化し始め、不安と楽観の間を揺れ動く市民たち。そんな中、医師リウーを支えてきたタルーがついに発病した。彼は「今こそすべてはよいのだ」という言葉を遺し静かに死を受け容れる。追い討ちをかけるように、遠隔地で結核の治療を続けていた妻が死んだという知らせがリウーのもとに届く。最後までリウーを打ちのめし続ける「不条理」。それでもなおリウーは後世のためにこれら全ての記録を自ら記し残していこうと決意する。第四回は、思想家の内田樹さんを交えて、彼の思想の根幹にあるキーワード「反抗」の深い意味を明らかにし、人間は、私たちを打ちのめし続ける「不条理」とどう向き合えばよいのかを探っていく。
こぼれ話。
グランのように闘うこと
中条省平「実は、こんな風に作品のエッセンスを凝縮してしまうと小説の面白さというものが見えなくなってくるんです。たとえば、いろいろな人生の不条理や悲惨っていうものと闘うとか敗北するといった物語を書いていながら、一方で「セラヴィ(それが人生さ)」と語るおじいさんをぱっと出してくる。カミュは人間を見る目が多面的だから、こういうことができるのであって、英雄が物語を進行させているんじゃない。だから、ぜひ原典を読んでいただきたいという気持ちが強いです」
内田樹「文学作品っていうのは、いろいろな読み方があるわけで、たぶんここで提示したのは一つの読み方であって、本当に無数の読み方がある。今回、焦点を合わせた登場人物とかエピソードとか言葉とかだって、全体の1パーセントにも達しないわけで、残りの99パーセントの中にも珠玉の言葉や場面があります。それを熟読玩味するのが読書の楽しみなわけですから、ぜひ原典を読んでいただきたいと思います」
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第四回目の収録の最後の方で、講師の中条省平さんとゲストの内田樹さんが熱を込めて語ってくださった言葉です。トーク内容の密度が高すぎて、どうしても編集で落とさざるを得なかった言葉ですが、「ペスト」ほど、中条さんと内田さんがおっしゃったことを痛感した回はありません。
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小役人のグランは最後どうなったのか? 密売人のコタールは? それぞれに驚くような結末が待っていて、実にさまざまなことを感じさせてくれます。また、番組ではほとんど触れることができなかったリウーの母親、人生の深みを知りぬいているような、豆を数え続けるおじいさん…彼らのような名もなき人々の存在感もすごい。点描される彼らの人生からも私たちは大きなことを学べます。
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番組は勢い、主人公のリウーとタルーを巡るストーリーを中心に編まざるを得なかったのですが、内田さんが1パーセントというのは大げさでもなんでもなく、番組制作を終えた後での強い実感です。ですから、ぜひ「ペスト」は原典を読んでほしい。これは制作者としての切実な願いです。
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「ペスト」とは高校時代に出会いました。いいようのない衝撃に打ちのめされるとともに、不思議に「生きる力」や「勇気」を与えてくれた本で、何度も読み返しました。信じていた友人の裏切り、両親との意見の相違、受験戦争の空虚さ……スケール感はまことに小さいですが、さまざまな「不条理」に直面していた私にとって、カミュは生きるための武器を与えてくれました。それは、リウーのいう「誠実さ」であり、「職務を果たすこと」というシンプルな言葉。この頃の私にとって、これらの言葉がどれだけ支えになったことでしょう。
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カミュに再会するのは、内田樹さん著「ためらいの倫理学」という一冊の本がきっかけでした。今から15年くらい前のことと記憶します。社会人になって中堅どころの位置をしめるに従って、どこか惰性に陥っていた私に冷や水を浴びせてくれました。この本をきっかけに猛烈にカミュの著作を読み返したのを今でもよく覚えています。
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単純な正義を信じこみ、いろいろな社会現象を図式だけで解釈し、なんでも善と悪に分けてなで切りにする。そこまで極端ではなかったかもしれませんが、カミュがもっとも忌み嫌ったそんな思考法に、当時の私は陥っていたと思います。世界は複雑で、シンプルに色分けして理解できるわけはないのに、善と悪という二色で塗り分けることにどこか快感を覚え、その論理を振り回してしまうこともありました。
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そんな私に、カミュが教えてくれたのが、今回、中条さんと内田さんがテーマにしてくれた「ためらう感性」の大切さ。中条さんが執筆した番組テキストからその解説を引用させていただきます。
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「哲学者の内田樹さんは「ためらいの倫理学」というカミュを論じた鋭い文章のなかで、人間が、国家や社会という立場から異論の余地のない正義を引き合いに出して死刑に賛成したり、全体的な真理や未来の幸福のために革命のための殺人や戦争やテロをおこなったりすること「ためらい」を感じる倫理的感性こそ、カミュの精神の本質的な特徴だと見ています。そして、自分が善であることを疑わず、自分の外側に悪の存在を想定して、その悪と戦うことが自分の存在を正当化すると考えるような思考のパターンが「ペスト」なのだ、ときわめて示唆的な読解を提示しています」
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「自分が善であることを疑わず、自分の外側に悪の存在を想定して、その悪と戦うことが自分の存在を正当化すると考えるような思考のパターン」こそ、当時の私が陥っていた罠でした。この現実には完全に正しいことも完全な間違いもない。それなのに、この世界を善と悪、白と黒に塗り分け、自分を正義の側に置き、邪悪な存在を「外側」に作り出して糾弾をし続ける精神のありよう。それこそが「ペスト」という象徴を使って、カミュが指し示そうとしたことだったのだと気づきました。そして、自戒をこめて思うのですが、「ペスト」が暗示したこのような精神のありようは、今、世界やこの国にも蔓延しています。
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では、私たちは、どのようにこの事態に向き合ったらよいでしょう。この点については、番組の中でもいろいろなポイントが語られましたが、ここでは、時間の関係でどうしても番組の中にいれられなかった議論を一つご紹介いたします。
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内田樹さんは、カミュが、こうした状況と闘う人のあるべき姿を「グラン」という存在に一番託したかったのではないかと指摘し、以下のように語ってくださいました。
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「リウーの語る「人間であること」っていうのは、凡庸な役人であること、何の文学的な価値もない作品を書き続けること。でも、そこに深い愛情をもっているわけですよね、グランっていう人間は。それと同じような情熱をもって、淡々とペストとの闘いを引き受けていく。読んでいると、グランっていう人間に、書き手がずっと敬意を込めていることがわかる。普通の、凡庸な人間が、日常生活の延長にある市民的常識の中で、「それは間違っているよ」「これはちょっと理不尽でしょ」という風に判断して闘っていくべきだというのがカミュのメッセージじゃないかという気がします」
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番組制作を終えた今、中条さんと内田さんの解説を胸に刻みつつ、猛威を振るう「ペスト」に対して、「グラン」として闘っていきたい。そんな思いを新たにしました。
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