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【「サル化する日本人」が見抜けない危機の本質「今」を考察する力はなぜ失われたのか】
日本社会が“サル化”している――。新著『サル化する世界』でそう鋭く指摘するのは思想家の内田樹氏だ。内田氏が言う「サル化」とは何か。コロナ危機に際して考えるべきこととは。編集部からの質問に回答してもらった。
ーー「サル化する世界」という挑発的なタイトルに込めた思いを教えてください。
「サル」というのは「朝三暮四」のサルのことです。サルが今の自分さえよければそれでよくて、未来の自分にツケを回しても気にならないのは、ある程度以上の時間の長さにわたっては、自己同一性を保持できないからです。
過去・現在・未来にわたる広々とした時間流の中に自分を位置づけることができない人間には確率、蓋然性、矛盾律、因果といった概念がありません。
「文明史的危機」に際会している
「矛盾」も「守株待兎」も「刻舟求剣」も「鼓腹撃壌」も、いずれも時間意識が痩せ細った愚者についての物語ですが、おそらく、春秋戦国時代には「そういう人」が身の回りに実際にいたのでしょう。だから、荘子や韓非ら賢者たちは「長いタイムスパンの中でものごとの適否を判断できること」を未開からのテイクオフの条件として人々に教えようとした。
それから2000年ほど経って、気がついたら、現代人は再びサルに退化し始めていた。この「文明史的危機」に際会して、警鐘を乱打しようと思って、このような挑発的なタイトルを選びました。
ーー過去と未来をふくんだ視点で「今」を考察する力は、なぜ急激に失われてしまったのでしょうか。
最大の原因は基幹産業が農業から製造業、さらにはより高次の産業に遷移したことだと思います。農業の場合でしたら、人間は植物的な時間に準拠して暮らしていました。農夫は種子をまいている自分と、風水害や病虫害を防いで働いている自分と、収穫している自分が同一の自己であるという確信がないと日々の苦役には耐えられません。
でも、いま、最下層の賃労働者は今月の給与をもらっている自分より先の自分には、同一性を持つことができません。だって、1カ月後に自分がどうなっているかさえ予測がつかないから。
それは富裕層も同じです。株の取引はマイクロセコンド単位で行われている。それ以上タイムスパンを広げても意味がない。企業だってそうです。今から10年前にGoogleやAmazonが「こんなふう」になると予測した人はほとんどいなかった。10年後にどうなるかもわからない。長い時間の流れの中に自分を置いて、何が最善の選択なのかを熟慮するという習慣を現代人は失って久しい。
ーー近年、日本社会のどんな面に特にサル化の兆候は表れていると思いますか。
一番わかりやすいのは「うそをつくことについて罪の意識がなくなった」ということです。「Honesty pays in the long run」ということわざがありますけれど、「正直は長い目で見れば引き合う」というのは、「うそをつく方が短期的には引き合う」ということです。短期的な損得だけを考えれば、多くの場合、うそをつくほうが利益が大きい。
その場その場の自己利益を優先
政治家や官僚たちがすぐばれるうそをつき、前後矛盾することを平気で言い、その矛盾を指摘されても別に困惑する様子もないのは、彼らが「矛盾」の武器商人と同じレベルにまで退化しているからです。
その場その場において自己利益が最大化することを優先させて、おのれの言明をできるだけ長く維持することには特段の意味を感じない。「約束を守る、一言を重んじる」を英語では「keep one’s word」といいますが、keepする時間の幅がこれほど短縮されるとは、このことわざを考えた人も想像していなかったことでしょう。
ーーいま一連のコロナ騒動を見ていると、後手後手に場当たり的な対応をする政府から、不足物資を買い占めに走る人々の狂騒まで、まさに“サル化”する日本です。そこにはなにか日本特有の構造的要因もあるのでしょうか。
日本固有の現象ではないと思います。無能な政府であれば、どこでも対策は後手に回るでしょうし、トイレットペーパーの買い占めも世界のどこでも起きていますから。サル化しているのは日本人だけではないよと言われて安心されても困りますが。
ーー危機管理に真に必要な知性とは何でしょうか。
長いタイムスパンの中で、ものごとの理非や適否を判断する習慣のことだと思います。歴史的にものを見る習慣があれば、「危機だ」と騒がれる出来事の多くが「過去に何度も繰り返されていることの新版」であることがわかるはずです。それなら浮足立つ必要はない。どういう文脈で起きて、どう展開するか、だいたいわかるから。
そうやって「よくある危機」をスクリーニングしておかないと、本当の前代未聞の危機に遭遇したときに、適切に驚くことができません。
ーー失われた20年のあと、アベノミクスで株価こそ浮上したもの、一向に景況はよくなりません。日本人の労働生産性は、「1人当たり」「時間当たり」ともに先進7カ国中の最下位という状態が続いていますが、日本の組織を活性化するには何が必要だと思われますか。
管理部門に過大な資源を配分しないことです。今の日本の組織は「価値あるものを創り出すセクター」よりも「人がちゃんと働いているかどうか監視するセクター」のほうに権限も情報も資源も集積しています。労働者よりも監督のほうが多い現場とか、兵士よりも督戦隊(前線から逃げて来た兵士を射殺する後方部隊)が多い戦場のようなものです。それでは生産性が上がるはずがない。
「管理を最低限にする」「現場に自己裁量権を与える」「成果の短期的な査定をやめる」くらいで日本の組織は一気に活性化します。でも、管理部門の人たちはそう言われても「管理部門の肥大化を適正規模に抑制するための管理部門の増設」くらいしか思いつかないでしょうけど。
ーー”サル化した人間”にとって代わってAIが社会の中枢を担う日はくると思いますか? AI時代に人が学ぶ意味とは何でしょうか。
AI時代は「前代未聞」の事態ですから、「こうすれば何とかなる」という正解を知っている人はいません。「こうすれば救われる」と言い立てる人がいても、あまり信用しないほうがいいです。生き延び方は、各自で考えてください。
イエスマンだけで固められた組織
ーー消費増税の影響もあり、新年度の「国民負担率」は44.6%と過去最高になる見通しです。国民は高い税負担を強いられながらも、人口減少、貧困問題をはじめ、医療・介護・年金といった分野が危機的状況にあるのはなぜだと思われますか。
平たく言えば、政策を起案し、実施する人たちが「あまり頭がよくない」からです。
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この四半世紀ほど、日本のキャリアパスは「上位者に対する忠誠心」を「業務能力」よりも高く評価することで、円滑な組織マネジメントを実現してきました。お金が潤沢にあるときは、それでよかったのです。組織が「円滑に回る」ことをイノベーションやブレークスルーよりも優先させても、何とかなった。
でも、こういうイエスマンだけで固められた組織には前例主義と事大主義と事なかれ主義が瀰漫(びまん)しますから、お金がなくなったり、前代未聞の事態に直面すると、「フリーズ」してしまう。
医療、介護、年金さまざまな制度については「頭のいい人」が画期的な制度改革の提言をこれまでも繰り返ししてきていますけれど、日本の役所はまったく相手にしませんでした。上位者におもねらない人の意見は日本では採用されないんです。
ーー人口減少社会において、国民的資源を守り、日本人が共同体として生き残るためには何が必要でしょうか。
とにかく大人の頭数を増やすことですね。最低でも国民の15人に1人くらいが「他の人はどれほど利己的でも、自分1人くらいは公共に配慮しないと……」と思って暮らせば、ずいぶん世の中住みやすくなります。とりあえず道ばたに落ちてる空き缶を拾うとか、妊婦に席を譲ってあげるとかから始めたらいかがでしょうか。
内田 樹(うちだ たつる)/思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授
1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)などがある。
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