高天彦神社

https://www.travel.co.jp/guide/article/40966/   【その歴史は神話の時代から!奈良「高天彦神社」に潜む超古代史の謎】  より

高天原(たかまがはら)とは、日本神話において天照大御神をはじめとする天津神が住むとされた場所。神話とは何らかの史実を伝えたもので高天原も地上に実在したとする説があり、宮崎県の高千穂などのほか、今回ご紹介する神社が鎮座する御所市高天(たかま)の山麓一帯も、高天原伝説が残る地のひとつです。

奈良盆地を見下ろす神話の里に往古より鎮座する高天彦(たかまひこ)神社と、その歴史の謎に満ちた見所をご紹介します!

神話の時代に遡る!高天彦神社の由緒と歴史

現在の大阪南部と奈良の県境にまたがる葛城・金剛山系は、古代より神奈備山(神宿る山)としての信仰を集めてきました。

高天彦神社は金剛山系に連なる白雲岳という山の麓に祀られた神さびた古社で、大昔にこの山中の聖林で行われていた祭祀が神社の起源であると言われています。

創建年代は不詳ですが、平安時代の延喜式神名帳では、古くから特に霊験が著しいとされる名神大社のうちの一社として記載されており、元々は山そのものを御神体として拝する原始的な信仰の形態がとられていたことからも、かなり古い時代からの信仰の場であったと考えられます。

また、高天彦神社が鎮座するこの御所市の山麓一帯は、日本神話に登場する天孫降臨の舞台・高天原であるとの伝説が残る地として知られています。

神社の御祭神である高皇産霊神(タカミムスビノカミ)は、天地の始まりの時に現れた造化三神の一柱であり、天孫の瓊々杵尊(ニニギノミコト)が高天原から降臨する際に天孫降臨の命令を下した神。それがこの地に伝わる天孫降臨神話の大きな由縁でもあります。

高天彦神社には、宗像三女神のうちの一柱である市杵嶋姫命、学問の神として有名な菅原道真公も御祭神として併祀されていますが、延喜式神名帳での御祭神は1座となっていることから、元々は高皇産霊神だけがお祀りされていたようです。

境内社としてほかに八幡神社や春日神社、三十八社などが配祀されていますが、特に注目すべきは三十八社で、この御社には大和朝廷が成立する以前の時代(初代神武天皇から開化天皇までの時代)にこの山麓一帯を中心に居住し、葛城王朝を築いたとされる有力豪族・葛城氏の歴代の王が祀られているとも言われています。

そもそもこちらの神社の主祭神とも言える高皇産霊神はその葛城氏の祖神ともされており、そのことからも往古の時代に王朝を築いていたとされる葛城一族と非常に深いゆかりがある神社であることは想像に難くありません。

このように、高天彦神社は、天孫降臨から初期の天皇の時代に至るまでのいわゆる神話の時代以来の永い信仰の歴史と由緒を持つ神社と言えます。

神話の虚実の範囲はさておいても、大和盆地を眼下に一望できるこの高台の地域が神住まう天上の国であったと想定されても不思議ではない雰囲気があることは確かで、周辺の葛城古道沿いに古代よりの云われある寺社や遺跡が数多く存在していることもこの一帯が総じて神々の故郷と称される所以でもあるのでしょう。

なお、神社へ向かう上り坂の途中左手に、上の写真のような原始的な形態の鳥居が現れます。

「高天彦神社 参道」とあるようにこちらが元々の参道ではありますが、小山の中にある少々険しい坂道を登っていくコースであり、また山を抜けた先に柵が設置されていて現在では通り抜けできなくなっていますので、自動車以外の方でもこの鳥居の右手にある車道の方を歩いて下さい。

御神体山で祀られていた磐座も境内に!高天彦神社の見所

それではここからは、社殿以外の境内外の見所をご案内していきましょう。

まずは境内から道を挟んで延びる、樹齢数百年の杉の大木で覆われた参道です。

それほど長くない幅の狭い参道ですが舗装もされておらず、昔の人々の神社参拝の様子に思いを馳せることができる古社らしい素晴らしい景色と言えます。

古くからある神社ではこうした古道的な参道(の残された一部)を時折見かけますが、老木の並木の向こうに見えてくる鳥居と社殿の存在がより神秘的に感じられる気がします。

次に、神社の境内に鎮座している「磐座(いわくら)」です。

この磐座は蜘蛛塚(古代、天皇に逆らったとされるその土地の土着の勢力=土蜘蛛が征伐されて埋められた場所)であるとの噂が一部にありますが、実際は御神体山である白雲岳の中腹にあった磐座が神社創建の際に移されたもので、太古の時代には、山にあったこの磐座の周辺で祭祀が執り行われていました。

ということで、こちらはおそらく高天彦神社で見ることができる最もプリミティブな信仰の痕跡ということになるでしょうか。

本殿に向かって左側の春日神社の真裏でお祀りされているため、見落としやすい位置にありますが、神聖かつ貴重な太古よりの神籬(ひもろぎ=神の依り代)は必見です!

そして最後にご紹介したいのが、高天彦神社の境外にあるパワースポット、鳥居に向かって右手に置かれているこの石です。

昔からこの村落の道端に「幸せを呼ぶ福蛙」として安置されていた石で、神社との関係はありませんが、幸せを願って触れると幸運が舞い込むというジンクスがあると伝えられています。

意外に知られていない!史跡「蜘蛛窟」への行き方とその謎

さて、高天彦神社をご案内するにあたって、是非とも一緒にご紹介しておきたい重要な史跡が近隣にあります。

神社から田んぼや参拝者用の駐車場を挟んだ向かい側に見えるこんもりとした森の一帯、その中にある「蜘蛛窟(くもくつ)」のことです。

先程、神社の境内に祀られている磐座の説明をした際に「土蜘蛛」という朝廷に抵抗した土着勢力がいたことに触れましたが、その土蜘蛛が住んでいた場所=蜘蛛窟とされています。

初代神武天皇が東征した際、土蜘蛛たちが天皇の使者によって征伐されたという伝説が残っていますが、この蜘蛛窟は実は蜘蛛塚(墓)でもあり、さらには何とここは先でも触れたこの地の有力豪族・葛城一族が埋められた墳墓であるとする説もあるのです。

もしそうだとすると、土蜘蛛というのはこの地にかつて王朝を築き、後に滅んだ葛城氏でもあったという可能性があります。こうなってくるといよいよ、上古の時代にまで遡る超古代史ミステリーの世界ですね!

諸説ありますが、いずれにせよ高天原伝説のみならず、神武東征神話に関連した史跡がこうして存在するということもまた、神話の舞台としてのこの地の奥深さ・神秘性を更に如実に物語っているように思えます。

なお、以前は駐車場付近から蜘蛛窟へと通じる道がありましたが、現在では柵があって森の中にはこのルートからは入れなくなっています。

高天彦神社への旧参道が山道で現在では柵があり通り抜けできなくなっていることを先述しましたが、そう、実はこの2つの柵は同じもので、つまりは葛城氏の祖神と歴代の王を奉斎する高天彦神社への旧参道沿いに蜘蛛窟(蜘蛛塚)の史跡があるということです。この位置関係も何とも意味深と言えます。

現在、蜘蛛窟の史跡は、神社の近くにある「高天山草園」という植物園の入口から入園することで見学できます。

入園料300円を払って山草園の入口からわずかに歩くと、森林の中に入っていく道と仮設のお手洗いに行く右手の脇道とに分かれる箇所があり、そのお手洗いから見上げてほぼ真上の地点に蜘蛛窟の史跡の碑が位置していますので、そのポジションを頭に入れながら園内を歩くと、程なく辿り着けるかと思います。

上古より変わらぬ神話の里の風景!御朱印は高鴨神社で

さて、高天彦神社の歴史とその周辺を含めた見所をご紹介して参りましたが、いかがでしたか?

高天彦神社前の道は金剛山への登山ルートにもなっています。古の時代から殆ど変わらない周囲の豊かな自然に身を浸しつつ、神話の里の上古よりの歴史を存分に堪能、探究していただければと思います。

なお、高天彦神社は現在は無人ですが、御朱印や御札はこちらから徒歩40分程の場所にある高鴨神社にて戴くことが可能ですよ。


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https://www.excite.co.jp/news/article/Real_Live_43470/

【鬼は鬼を持って封印すべし、晴明神社】  より

平安時代、人々の生活を脅かす天災や疫病などを、恨みを残して死んだ人の「怨霊」が起こしているものとみなし、この魂を鎮めて「御霊」とすることで平穏と繁栄を願う「御霊信仰」が盛んだった。

 当時は貴族たちの権力争いが盛ん。自らの権力を高めるために権謀術数を使い、密かに政敵を追い落とすことなど日常茶飯事であった。そのため、貴族たちは自身の手を汚さずに相手を消す手段として呪詛を用いようと考えたのである。

 もちろん、自分と同じことを相手も考えているだろうということで、同時に呪詛から身を守る方法も考えなくてはならなかった。そこで呪詛や占術のスペシャリスト・陰陽師の助言を仰ぐようになったのである。なお、陰陽師はもともと宮中で祭祀等を行う文官の一種だった。

 さて、そんな陰陽師の中にひときわ強い力を持った人物が登場する。式神を操り、占術で吉凶を判断し未来をも見通したという別格の陰陽師、安倍晴明である。彼は幼い頃から鬼が見えるなど優れた才能を持っていた。成人してからも式神による呪詛を見破るなどの活躍を見せ、惨殺された父親を生き返らせたとも言われている。

 晴明が1005年に亡くなった時、一条天皇は彼を稲荷神の生まれ変わりであるとして、その屋敷跡に晴明自身を祀(まつ)る社を建立した。これが現在、京都市上京区にある晴明神社である。あまりに強大かつ特異な力を持っていたため神格化されたのだが、この神社がひとつの封印ではないかと見る説もある。

 なぜならこの神社そのものが晴明の自宅であり、その近くには晴明が父を生き返らせたところもある。同時代、武士渡辺綱が鬼から変化した女性と出会った場所でもある一条戻り橋があるからだ。

 もしかすると、この場所そのものが結界であり、鬼と縁の深い場所だったのかもしれない。だからこそ、霊力の強い人物が監視する必要があり、死んだ後も封印のためにこの地にとどめておく必要があったのかもしれない。

(山口敏太郎)


https://www.norikuma2.com/entry/2019/07/14/234535

【聖なる木々の中にある「高天彦神社」はご利益がいっぱい♪】 より抜粋


「高天彦神社」のご神体は、もともとは神社の背後にそびえる「白雲岳」だったそうで、社殿ができる以前は、神体山の聖林に祭神を祀っていました。


こちらの、本殿のご祭神は…

<高皇産霊神(たかむすびのかみ)>

記紀の中で、出雲への国譲りのための使者を遣わしたことで知られる神。

「創造」を神格化した神と言われています。

この一帯の有力者だった、葛城氏の最高神でもあります。

※葛城氏は、古墳時代の豪族で、大和朝廷の有力者だった「武内宿禰」の後裔といわれています。

歴代の天皇に娘を嫁がせていましたが、その中でも、仁徳天皇の皇后であった「磐の媛」(奈良県北部に大きな古墳があります)が有名ですね※

<市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)>

記紀の中で、天照大神が素戔嗚尊(スサノオノミコト)との誓約の時に、スサノオノミコトの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた宗像三女神の一柱。

子守りの神様・子どもの守護神・子孫繫栄・子授けとして知られています。

<菅原道真>

学問の神様として有名。

                      <Wikipediaより、一部抜粋>

有名な神様が三柱も祀られているのです!


ちょっと不思議な石碑たち

さて、この「高天彦神社」には、「…ん?」と思わせるような石碑類もあります(;^ω^)

二の鳥居から向かって左手奥に、あった石碑。

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神武天皇遥拝所 明治天皇遥拝所 と書かれています…

いくら何でも、時代が違い過ぎる!!

なぜ、この二人の天皇の名が記されているのかは、謎です…(;´Д`)

そして、鳥居の右手には、こんな碑もありました。

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「神霊」天孫降臨の聖地なり と書かれています

謎の象形文字??

横に看板がないと、何と書かれているかわかりませんね…(-_-;)

さらに…参道手前の駐車場付近には、本当に謎の石碑があります(汗)。

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不思議な石碑が…

辺りに何か書かれている看板がないか探してみたり、ネットで検索してみたりしましたが…

未だ、調べはついていません(汗)。



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