https://japan-geographic.tv/news/0188.html 【パンデミックは今も変わらず。疫病退治の効能: 長谷寺と古典文学】 瀧山幸伸
医学が発達していなかった時代、疫病を恐れた人々は超能力にすがるか薬草にすがる以外に方策がなかった。超能力は神仏、大木、巨岩など、神羅万象のいろいろだ。
地理学は神羅万象を扱う学問だから守備範囲が広い。要するにあらゆる自然現象社会現象の法則を発見し対処する学問だともいえる。
以下は自己流で法則を解釈したものだから定説に反しているかもしれないが。
村の入り口や川のほとりなど重要な交通結節点に置く庚申塚や三界萬霊塔などの賽の神と、ムラに入ろうとするよそ者に危害を加えるなど度を過ぎた疫病へのおそれは、今日のパンデミック騒動で知事自ら「来ないで」と悲痛に叫ぶ姿の背景と全く変わっていない。人々の心の中で科学や合理的判断は追いやられて不安から来る深層心理が異常行動を起こしているようだ。
神仏の超能力として古くから疫病退治の効能があり、祈祷の場所として人々を集めたのは自然界の超能力や薬草に最も近い関わりを持っていた修道者系の寺社だった。
明治以降政府により禁止された修験道だが、現在でも通過儀礼としての修験行や中高年の観音霊場詣では衰えているように思えない。
祈祷に比べはるかに少ない金額でおみくじを引いたり賽銭箱に小銭を入れて神仏の超能力にすがるスタイルはさすがに心広い神仏も苦笑いしているようだ。
長谷寺は古くより疫病退治の寺として著名で、多くの文献、特に古典文学に頻繁に登場している。源氏物語、枕草子、更級日記、蜻蛉日記など、長谷寺への「初瀬詣で」は今日の初詣でよりもはるかに重要な行事だった。
更級日記と蜻蛉日記は知性と感性に満ちた奥深い文学で大好きだが、一般にはあまり読まれていないようだ。一方の枕草子は有名だが軽薄極まりないという人が多い。
源氏物語に登場する長谷寺は、玉鬘の章が情緒豊かで印象的だ。味が薄いけれどなぜか教科書に登場する序章部分とは違う。そもそも源氏物語は宇治十条から逆順に読むほうがもっとも味わい深い。
玉鬘の章を紹介すると限りが無いので、興味ある人はその章だけでもぜひ読んでほしい。おそらく他の章も読みたくなるだろうけれど、原作を体験すると漫画や映像とは違う世界と人生が待っている。
https://www.hasedera.or.jp/promotion/1/blog_index.html?key=category&value=2
【十一面観音の疫病封じ】
4月5日の読売新聞、13面から始まる#紡ぐプロジェクト の中に長谷寺の観音さまが紹介されていました。
文化庁主任文化財調査官の奥健夫氏が「十一面観音疫病封じ伝説」と題して日本に仏教伝来されての黎明期にすでに十一面観音に疫病平癒を祈願していた事を紹介しています。
そもそも十一面観音の功徳、十種勝利の第一に「離諸疾病」とあり、病気を防ぐ事が最も人々が求め、十一面観音がこの時期に多く作られたようです。また、東大寺の修二会を始め、長谷寺の修二会でも「疫病平癒」のために十一面悔過作法が行われています。
現在は衛生環境も良くなり、流行病で困ることが少なくなりましたが、昔から人々は「疫病」に悩まされていました。そして今、新型コロナウイルスが猛威を奮っています。
『長谷寺縁起文』には長谷観音の建造の話が出てきますが、その中で、高島から流れ出た楠の霊木(観音の原木)が大津の港に止まり、村々に災い(火事や疫病)をもたらしていた。西国を開いた徳道上人がその霊木に目をつけ十一面観音の形を与えると、その災を治めたとしています。
また、『長谷寺験記』に初代の観音様が燃えた際、頂上仏面だけが飛んで境内の棕梠に落ちた。新造の観音様を作ったが疫病が起こり、棕梠に落ちた頂上仏面に差し替えると治ったとしています。
我々はその観音様に毎朝、コロナ禍が治るようご祈願しています。観音慈悲が速疾に顕現するように、「念彼観音力」と何度も何度も...
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/learn/%E5%8D%81%E4%B8%80%E9%9D%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E7%97%85%E5%B0%81%E3%81%98%E4%BC%9D%E8%AA%AC/ 【十一面観音、疫病封じ伝説 文化庁・奥主任調査官に聞く】 020.4.15
古来、人々は身分の上下を問わず、天変地異や疫病など人知の及ばない災禍に苦しめられてきた。日本の文化の中には、厄災を祓って福を招く力を期待した伝統芸能や美術造形などがあり、篤い祈りの気持ちがこもる。
仏像と、疫病の平癒など御利益の関係について、文化庁主任文化財調査官(彫刻部門)の奥健夫さんに話を聞いた。
奈良・長谷寺の本尊「十一面観音立像」(長谷寺提供)
仏像に求められた性格は、大きくわけて二つある。仏像を造ること自体が功徳になることと、仏像が世の願いをかなえて災いを退けること。信仰心が聖なる世界に伝わり、その行為が認められて利益が生じると考えられた。
特に、社会体制など世界の大きな変動期に、仏像が力を持つことが多い。都が遷た奈良時代から平安時代の世情が穏やかならない時期に、非常に迫力のある仏像が生まれた。平安時代から鎌倉時代に変わる時も、仏像の持つ力が表に出てきた。
古来、日本人が拝んでいた神には両義性があり、豊穣をもたらす神は同時に災いを与える疫神にもなる。6世紀に仏教が伝わり、仏像を受け入れた際、逆に疫病が流行して崇仏廃仏論争が起きる事態となった。それ以来、仏教の教義から導き出せない仏の生々しい側面も意識され、造形にも反映されることがあった。
仏像には様々な種類があるが、十一面観音菩薩について説く経典には、頭頂部にある「頂上仏面」の如来の頭部にひもを結びつけて唱えることで、疫病が退散することが書いてあり、平安時代にはその機能が重視されていたことが史料からも明らかだ。
そもそも十一面観音は、7世紀の末に日本へ渡り、8世紀になって「十一面悔過けか」という儀式が行われ、十一面信仰が日本に根付いた。仏の前で悔い改めることで汚けがれを退けて除却する。現在でも、奈良・東大寺二月堂でつとめられている。神道における汚れを祓はらうという考え方との類似性が根付いた要因ともなった。最初期の神仏習合による仏像の姿でいえば、奈良・聖林寺の国宝「十一面観音菩薩立像」(奈良時代)は、その起点になると言える。
仏教側は、仏像を前に行いを積むことが大事だと捉えていたが、人々は「御利益がある仏像」「この仏像を拝むと特に御利益がある」というふうに受け止めた。そこで、ある特定の仏像に霊験がある、というようなとらえ方になっていった。
十一面観音で、たたる神である疫神との関係を一番よく物語る仏像に、奈良・長谷寺の本尊、重要文化財「十一面観音立像」(現存の像は室町時代)がある。
本尊は、川を流れてきた疫病を引き起こす霹靂へきれき木で造られ、観音によって疫神の力が封じ込められたという伝説がある。そして幾度の火災の際にも、頂上仏面だけは自ら飛び去り、難を逃れた。再興した仏像に新造した頂上仏面をつけると疫病などが発生したため、元通りに当初の頂上仏面と取り替えると、疫病が治まったとされる。(談)
文化庁主任文化財調査官 奥健夫さん
◇おく・たけお 1964年生まれ。東京大大学院修了。文化庁美術工芸課技官などを経て現職。「生身仏像」「裸形着装像」などの研究で知られ、主な著書に「仏教彫像の制作と受容」。
2020年4月5日付読売新聞朝刊より掲載
https://academic.naver.com/article.naver?doc_id=80951833&page=5
人間に官能的な美しさと同時に不気味さや恐怖という矛盾した感情を引き起こす蛇は、古今東西を問わず多くの文明において再生と死、知恵と邪悪な誘惑、豊穣と災いといった両面的な属性を備えた存在として認識されてきた。宇宙や人類の原初的な生命力の根源として崇拝の対象とされる一方、混沌や無秩序の象徴として退治や嫌悪の対象ともなってきた蛇の様相は実に多岐に渡っている。人類文明の始原から現代にいたるまで我々人間にとって蛇ほど無数の象徴や矛盾した意味に迫ってくる存在もいないだろう。 また想像上の動物である龍も超越的で神聖な存在としての蛇にその起源をもち、ときには蛇と同視され、ときには遥かに神聖なる存在として扱われてきた。しかし、水の神であり生命や豊穣の源泉という龍の属性や機能は蛇とほぼ同様と言える。確かに韓国においては龍と蛇は明らかに区別されているが、民俗や民間信仰における両者の機能は重なり合うところが少なくない。日本の場合は龍の観念が相対的に乏しく、両者はいっそう混同されがちである。中国においてもこのような事情はあまり異ならないといえるが、本稿ではこの蛇と龍とをまとめ「龍蛇」と呼ぶことにする。 中国をはじめ、韓国や日本などの東アジアにおいても龍蛇はかつて宇宙や人類の始祖であるとともに、建国の始祖、農耕に欠かせない水を司る水神、仏法や国家の守護神、人間に財福をもたらす豊穣の神であると同時に疫病や災厄をもたらす祟り神、貪欲・愛欲の化身など多様な姿で神話・歴史・宗教・民俗・文学・芸術などを通して人間の生活や意識の中に深く喰い込んでいた。 特に中国文化の強力な影響の下で独自の文化的な伝統を育んできた韓国において龍蛇は神聖なる王権を象徴し、民衆の生活の守護神として信仰されてきたという基本的な特徴は中国と同様である。しかし、その具体的な様相は韓国の風土や時代相を生き生きと映しており、まさに多彩さに溢れている。『三國遺事』、『三國史記』、『東國李相國集』、『高麗史』などの古代の文献資料をはじめ、多様な領域にかけて強力な象徴体系なしている龍蛇は一つの鉱脈のように韓国の文化の根底に流れている。 日本においても繩文時代以来、強力な基層信仰として根を下ろした蛇神崇拝の伝統を基に、龍蛇は『古事記』、『日本書紀』、『風土記』、『日本靈異記』、『今昔物語集』などの神話や説話、宗教、民俗などで日本的な色彩を帯び独自の展開を見せている。天皇家の始祖として王権の守護神でありながら祟り神でもあるという両面性を持ち、農耕や王権など日本文化の核心的な要素と深く関わっており、その比重は決して少なくない。 韓日両国における龍蛇説話に関する基礎的な研究はそれぞれ着実になされてきた。また、歴史ㆍ宗教ㆍ民俗など、多角的な観点から全世界の龍蛇を眺望しようとする学際的な研究も、ある程度成果を擧げている。しかし、龍蛇という題材それ自体に焦点をあて韓日両国の龍蛇説話の具体的な様相を考察し、その総合的な意味を究明しようとした試みは未だに見当たらない。 本稿は、こういう点に着目し、韓日両国の龍蛇に関する説話の具体的な様相及びその意義を考察し、それぞれの普遍性と特殊性を究明しようとした。韓日の歴史や文化は互いに緊密に絡み合い、密接な関わりを持っているだけに片一方への理解だけでその総体がつかめにくいのは周知の通りである。実際、両国間の龍蛇説話の類似性および関連性は数えきれないほどである。日本に比べ相対的に文献資料の乏しい韓国側の資料の空白を埋め、新しい視座を開いていく上で、日本側の豊富な資料から示唆されるところも少なくないだろう。 研究方法としては、一応韓国の『三國遺事』、『三國史記』、『高麗史』、『東國李相國集』、『東國輿地勝覽』、『慵齋叢話』などの文献資料、日本の『古事記』、『日本書紀』、『風土記』、『日本靈異記』、『今昔物語集』などをテキストとして、その中に登場する龍蛇の性格をいくつかに大別してみた。その結果、龍蛇の持った性格は大きく「王権」、「仏教」、そして「民間信仰」という3つのカテゴリにまとめることができた。つまり、古代王権の誕生や確立に関わる龍蛇、仏教と伴って受容され土着化した龍蛇、そして生命力の源泉という属性そのものに基づいた豊穣や辟邪進慶の神として龍蛇がそれである。 本稿はこの中でも龍蛇の持つ最も本質的で核心的な属性と思われる「王権」を中心に両国の説話の様相を対照・考察してみた。 まず、第Ⅱ章の「龍蛇と王権の誕生」では、龍蛇が王権誕生の起源となる説話を考察してみた。韓日両国の建国始祖はほとんど例外なく龍蛇との神聖婚による非凡で神異な誕生が強調されている。それは、龍蛇が水(井戸、池、川、海も含む)を司る神として、降雨、落雷などを調節し大地の豊穣をもたらす存在であるだけに、古代の農耕社会における王者は龍蛇との血縁を通じてそのような能力を与えられ、保障されたのである。 最初に、韓国の例として高句麗の建国始祖である朱蒙について察してみた。天神(太陽神)の解慕漱と、河伯の娘の柳花との間で生まれた朱蒙は、天界と水界という両方の呪力を受け継ぐ。川の神である河伯は龍蛇といえるが、朱蒙は母系から与えられた水(雨)を治める権能により危機を乗り越え、王権を獲得するようになる。王位についた朱蒙は治世19年目に龍の頭を踏んで昇天するが、遺体の代わりに彼の遺品である玉鞭が龍山に葬られるなど、龍と関わる要素が少なくない。 また、新羅の建国始祖である赫居世とその后の閼英夫婦の誕生にも龍蛇の要素が色濃く見られる。赫居世が蘿井に卵として現れた時、その誕生を知らせたのは電光とともに伏し拝む白馬であったが、白馬は龍との関係が深い。中国神話の伝説の聖君といわれる禹の父親である鯤も龍とされるが、彼は元々一頭の白馬であったという。赫居世の死後、その遺体は地に落ちてバラバラになったが、これを集めて葬ろうとした時、突然現れた大虵によって阻まれる。バラバラとなった五体をそれぞれに葬って五つの陵としたが、この蛇は五穀の豊穣を象徴する存在といえる。一方、閼英井に現れた雞龍の脇から生まれたという閼英の誕生からは、鶏を神聖視した新羅固有の観念が窺われ、養蚕を勧める后の姿からは穀母神としての性格も見られる。 遥か海の彼方の国で龍王の息子として生まれ、新羅の昔氏王朝の始祖となった昔脱解は、龍蛇としての非凡な面貌を色々と現わしている。脱解が吐含山に登り、七日間岩窟に籠もったことは王として生まれ変わるための一種の入社式と解釈できるが、「七日間」という時間は古代の製鉄工程と関わり深く、彼の鍛冶王としての性格が窺われる。また山に登る時、少年の脱解が杖をついていたのは不自然であり、彼が跛であって不具である可能性があること示している。脱解自ら「我本冶匠」と言っていることも彼の鍛冶王としての可能性を裏付けている。ちなみに、日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神である天目一箇神は多度大社の一目連と同一視されるが、この一目連も本来片目の潰れた龍神であり、脱解とは「龍蛇」「不具」「鍛冶」という接点があって興味深い。一目連が天候(風)を司る多度山の神とされ、伊勢湾での海難防止の祈願や雨乞いの信仰の対象となったのと、脱解が死後、吐含山の山神となったのも共通しており、注目される。 一方、池の龍と寡婦との間で生まれたと伝わる武王は、百済末期の中興を試みた王として評価されている。百済の建国始祖ではないが、第二の建国に準ずる時期の君主として王権強化のために龍蛇という神聖な出自が強調されたのであろう。また、武王と善花公主との結婚譚として知られた薯童説話の中の黄金のモチーフは韓日両国に広く分布している‘炭焼き長者’型の民話と同一である。この‘炭焼き’の原型をさらに遡っていくと、そこには古代の統治者としての冶匠の姿があるということから、龍の息子とされる武王も脱解と同じように鍛冶屋としての可能性を持っていることがわかる。なお、彌勒による理想的な龍華世界の具現を夢見て、弥勒寺の創建に力を尽くした武王の姿から龍と弥勒との習合という独特の展開がみられる。 また後百済の始祖である甄萱は百済の継承者を名乗っただけに、その誕生神話も百済の地に根付いた夜来者型(三輪山型)説話の形式をとっている。毎晩、娘のところに訪れてくる得体の知れない男の正体をつきとめるために衣の裾に糸を通した針を刺す。翌朝この糸を頼りに尋ねて行くと、そこには大きな蚯蚓がいた。その後身ごもった娘は息子を産んだが、その子が甄萱である。甄萱が建国した後百済は長続きできず、失敗した王権であるが、このような歴史的な背景は説話にも反映され、貶められた神聖性は龍でも蛇でもない、「蚯蚓」として表現されたものと考えられる。しかし、蚯蚓も大地の豊穣と水の生命力を象徴するという意味では龍蛇とその本質は同じであると言い得る。 最後に、高麗の太祖王建の祖父である作帝建と龍女との結婚は、人間と龍蛇の神聖婚による王権誕生の決定版といえる。その内容は、『三國遺事』「眞聖女大王居陀知条」の説話をそのまま借用しているが、龍蛇との神聖婚を通じて龍の後裔である建国始祖が誕生するという王権起源神話としての体裁が整っている。王建の第6代祖に当たる虎景から始まった神聖な系譜の最後を飾り、歴代の三韓の建国始祖の神聖な属性を一身に受け継いだ作帝建は帝王に必須の条件といえる水德を保障してくれる龍王の娘との神聖婚を通じて高貴な血統を完成しているのである。 一方、日本は古代の大和政権から現在に至るまで天皇家の万世一系を打ち出しているだけに整然とした神話体系をもって天孫(天皇家)による天上(高天原)、地上(葦原中津国)、海上の三界に渡った統治の正統性を物語っている。天孫降臨した番能邇邇芸と山神である大山祇神の娘の木花之佐久夜姫の結婚が高天原の王権の地上への拡大を象徴するならば、火遠理命が地上から海神宮へと降下して海神の娘である龍女の豊玉姫と結婚したのは地上に定着した王権の海へのさらなる伸張を象徴すると言えよう。つまり、龍蛇との神聖婚を通じて天上の高天原、地上の葦原中津国に次いで海の世界にまで天皇の統治権が拡張されていくのである。 また、龍蛇との神聖婚によって誕生した神武天皇自身も、蛇體の雷神である大物主神の娘と結婚する。大和の地主神であり、守護神である大物主神の娘を后として迎えて神武が獲得したものは、天皇家の守護と農耕の豊穣といえる。 結局、古代の韓日両国の王権の誕生において龍蛇は建国始祖の神聖なる出自として位置づけられているが、韓国の場合蛇との関わりは殆んど見かけず、多くは龍の後裔として想定されている反面、日本は龍よりは蛇の方が神聖婚の主体としてよく登場しているのが対照的である。 次に第Ⅲ章の「龍蛇と王権の確立」では龍蛇が王権強化や正統性の確立に寄与し、王権の尊厳性の守護者として描かれたり、或は疫病や災難を呼び起こす祟り神として王権を脅かし、結局は祀られる神として位置づけられる様相を考察してみた。 新羅の第38代の元聖王は、当時の有力な王位継承候補であった太宗武烈王の6世孫の金周元との王位争奪戦で勝利し、即位した。暴雨を降らし政敵の金周元の足を縛り、金敬信の即位に決定的な役割を果たした北川神は、朱蒙の外祖父の河伯と同じ様に水や雨を司る神であり龍蛇と看做すことができる。当時、不安定な政局の中で王位についた元聖王にとって、龍蛇の庇護は王権の正統性の確立に欠かせない要素であったろう。 また、新羅の第48代の景文王の寝殿には日暮れになると無数の蛇が集まってきたと伝えられる。宮人が気味悪がって蛇を追い払おうとしても、王は蛇がいないと安眠できず、王の寝るときには蛇が舌を出して王の胸を覆いつくしていたという。『三國史記』などの記録によると、王は在位期間中に引き続き起こされた謀反によって王権を脅かされ、天災地変や倭寇の侵入などにも悩まされっぱなしであった。この蛇は、不安定な政局の中で危うく生きていた王の命を保護し、ぐっすり眠れるように守ってくれた守護者のようなものであったと解釈できよう。 さらに、滅びた伽倻王室の始祖である首露王陵が盗掘された時、彼らの前に現われた大蛇も王墓と王権の尊厳性を守護する存在といえる。 このように、韓国の龍蛇は王権の守護神としての位相が著しい反面、日本の天皇家における龍蛇の位相は非常に複雑で多面的である。 日本の国土や神々を産んだ創造の女神であり大地母神である伊邪那美は火の神を産む時陰部に火傷を負って亡くなってしまうが、死後、冥界である黄泉の国の主宰者となる。自分に逢いに黄泉国までやってきた夫のイザナギに腐敗した死体を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける姿からは荒ぶる神としての属性が窺える。また彼女の腐敗した死体から八雷が生まれており、蛇神としての相貌が指摘されているが、このような伊邪那美の属性は、出雲を主舞台に活躍した須佐之男命、大国主神、阿遅鉏高日子根神、大物主神などの国神に受け継がれていく。中でも、龍蛇としての多様な側面を持ち、出雲から大和へ進出して天皇家と深く関わり合っているのが大物主神である。この神は丹塗矢に姿を変え勢夜陀多良比売と結ばれるが、この二人の娘は神武天皇の皇后となる。一方、この神は自分に恥じをかかせた皇女の倭迹迹日百襲姫を死に至らせたり、自分への祭祀を怠ると疫病を起こしたりして、容赦なく厄災を呼び起こす荒ぶる神の側面も現している。 また、垂仁天皇の皇子である本牟智和氣御子は、天皇家の子孫であるが、須佐之男命、大国主神、阿遅鉏高日子根神など出雲系の雷神たちの属性をそっくりそのまま受け継いでおり、異彩を放っている存在である。この皇子は長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、赤子のように泣いてばかりいたというが、これは大国主神の息子である阿遅鉏高日子根神と同じである。泣き虫の息子たちを慰めるために父親である大国主と垂仁天皇がそれぞれ舟遊びをしたことも共通している。 このように伊邪那美から本牟智和氣に至るまで、綿々と続いてきている雷神としての龍蛇は天皇家の助力者や配偶者として活躍し緊密な関係を保つ一方、様々な災難や疫病をもたらす祟り神として皇権を脅かす。時には天皇家の祟り神として、また時には守護神として繰り返し緊張関係を維持しながら對極の存在としての位相を維持しているのである。 次に韓日両国において中央の王権秩序が地方にまで拡げられていくうちに、地域の土着の神としての龍蛇が退治されていく様相を察してみた。 まず、朝鮮の統治のイデオロギーの儒教的な価値や観念が中央の王権の支配体制とともに地方の隅々まで拡張されていく過程において、土着の神としての蛇が退治されていく様相を、伝統的に蛇信仰の根強い済州道の金寧の蛇窟と廣靜堂に関わる蛇の説話を通して考察した。 また、日本においても韓国と同様に、地域の伝承が王権神話の中へと組み込まれて行くうちに、元々水神であり農耕神であったはずの八俣大蛇が王権秩序の拡大や蛇神信仰の色褪に伴って、英雄に退治されるべき邪悪な怪物へとその位相が変わっていった過程を辿ってみた。同じく、『常陸國風土記』行方郡の伝承を通して、中央の王権秩序を代弁する壬生連麻呂が蛇神である夜刀神を退治する過程においても、大和朝廷の支配力の進出により、土着の地主神であった夜刀神が邪悪な神として敬遠される様相を窺うことができた。 最後に第Ⅳ章の「龍蛇の世俗的な変容」では、神聖性を失い、徐々に零落の道をたどっていった龍蛇の意味や位相について考察した。古代における龍蛇と人間との結合は穀物の豊かな実りを促し、強力で神聖なる王権を誕生させる生命力の根源であった。しかし、時代の流れに伴って龍蛇の持った本来の意味は失われ、その位相は揺れ始める。龍蛇と人間との聖なる結合は拒まれ、龍蛇の子である蛇は捨てられるようになり、夜な夜な女を訪れてきた龍蛇は女を殺す邪靈として描かれるようになる。龍蛇の零落はこれだけではない。超越的で恐るべき威力を持っていた龍蛇は人間の助けを必要とし、人間や動物との対決において敗北する存在へとに変貌していく。韓国では沙彌に化けた古狐に一族を殺された龍王が人間に助けられる無力な姿で登場したりする。日本でも天狗に捕えられたり、鷹や犬のような動物にまで殺される愚かで弱い存在として描かれるようになる。 一方、生命力の源泉とされていた蛇と人間の聖なる結合は次第に男女の性的な交わりに焦点が当てられ、龍蛇には愛欲や情念の象徴という官能的なイメージが極大化していく。 これは韓日両国に共通した現象であるが、特に日本の場合、蛇は仏教的な観念の枠組みの中で罪障の深い愛欲の象徴とされ、法華経の霊験によって救済されるべき対象として認識されがちである。そして、そのような観念の頂点には僧への抑えられぬ情念により、毒気を噴き出す大蛇となってしまった清姫という人物がいる。そして清姫の姿を遡っていくと、その原象には怒りにかられて夫を追いかける伊邪那美や肥長姫、豊玉姫などの人物が浮かび上がる。彼女たちは自ら龍蛇であり神妻であって、王権の誕生と確立を前提とする神聖な婚姻の主体であった。龍や蛇の姿をしたこの女神たちは、原初的な生命力を噴き出しながら、自分に恥辱を与えた男神に激怒して追いかけたり、子どもを置いて自分の国へ帰ってしまったりする。自分の燃え上がる思いを受けとめてくれず、逃げてしまった僧を恐ろしい毒蛇となって追撃する清姫の姿には、このような女神たちの面影があるが、清姫はもはや神聖婚の主体ではない。ただ男性に拒否されて絶望し、死んでも消えない情念により毒蛇となった女に過ぎない。蛇はもはや神聖な存在ではなく、愛欲と情念の化身として‘蛇道’に堕ちた者の苦しい形象に過ぎない。それはもっぱら法華経の功徳によって救済されるべき対象である。 このような情念の化身としての蛇のイメージは、中世や近世以降も愛欲や嫉妬により蛇に変身していく無数の蛇女の話として展開されていく。 一方、韓国の場合も王権の象徴であった龍蛇は零落し、神聖婚の主体ではなく、男女間の性的な結合と関連する官能的なイメージが蛇と結び付く。このような傾向を最もよく現わしているのは相思蛇説話という話型である。身分の差や倫理的な制約などによって恋の相手と結ばれなかった人が焦がれ死し、或は生きたまま蛇となって恋の相手の体にくっついて離れないという話である。この蛇はいろいろな方法で退治されるが、恋の相手だった人を巻き込んでと一緒に死んでしまう場合もあり、恨みを晴らされて帰る類型もある。 愛欲や情念のために蛇となった日本の女性たちは、主に法華経の霊験によって救済されるが、韓国の相思蛇は仏教的な力よりは人間の努力によって、叶えられなかった恋の恨みを晴らしたり、或は恨みを晴らせないまま破滅したりする。恨みは晴さなければならず、それは残された人間の分け前だという認識が相思蛇説話には込められている。また、相思の対象として高徳や忠義を備えた歴史的な人物や護国の英雄が登場することもあるが、自分たちにの苦痛をいたわってもらいたいという支配層への民衆の期待や念願が窺える。蛇として形象化されたのは、もしかすると個人の性的な欲求だけではなく、すべての社会的制約から切り抜けようとする民衆の願望であったかもしれない。欲望の化身に零落した蛇であっても、その基底に流れているのは帝王を誕生させる龍蛇であるからである。 以上、韓日の龍蛇説話を王権を中心に考察してみた。しかし、仏教の受容という文化的な革変を契機に両国の龍蛇がそれぞれどのように変化し、土着化してきたかについては本稿では考察できなかった。また、龍蛇の持つ普遍的な象徴といえる豊穣の源泉としての側面が両国いおいて具体的にどのように展開されたかというのも今後の課題である。 韓日両国における龍と蛇に関する神話や説話は、単なる動物の物語ではない。わずか数十年前までも、両国が確固として維持してきた共同体の根幹は農耕社会であった。この農耕社会における最高の価値と言えるのは、ほかならぬ農業の生産力であり、この生産を左右する核心的な要素は水と大地と太陽である。この3つの中で、龍蛇は水を司る水神であると同時に死と再生を繰り返す大地の原理を象徴している。人間の生存や生活の質を左右する最も大切な要素である水と大地を意味するものが龍蛇なのである。このような水神的・地神的な属性を基に龍蛇は、穀神、雷神、鍛冶神、酒神、医神、疫神など数多くの派生的な姿をもって展開されてきた。農耕社会において王権の誕生と確立にはこのような龍蛇の神聖さや超越的な能力が不可欠であった。それゆえ両国の建国始祖はみな龍蛇の血筋を受け継いだ非凡で神聖なる存在でなければならない。そうでなければ国家という共同体に毎年豊かな収穫を保障し新しい生命力を更新することはできないのである。また、仏教や儒教など新しい価値体系やイデオロギーが取り入れられた時にも、龍蛇は当時の社会を映し、変化を重ねてきた。このような龍蛇説話の展開様相は、両国の説話を伝承してきた人々の歩んできた精神の遍歴を生き生きと窺える貴重な資料である。現代社会は急速に変化し、もはや韓国は農耕社会ではない。しかし、壮大な人類の歴史に流れに比べれば、比較的最近までも韓国人の生活を営む根本は農耕であった。長い間我々の祖先の生活の根幹であった農耕社会の核心的な価値を象徴していた龍と蛇の歴史に関する研究は、まさに私たちの生活の歴史に関する報告書である。自然環境の破壊などにより毎年世界各地で起きている水害をみていると、荒ぶる神の龍の姿を思い出さずにはいられない。平気に人を殺すサイコパスのことを「スーツを着た蛇」にたとえる表現を見て、神聖なる王権の象徴から邪靈化した化物へと零落してきた龍蛇の歴史を振り返ってみる。今後も時代とともに変身していく龍と蛇の姿を見守っていきたい。
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