https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020052000004.html 【コロナ禍の今「パンデミック文学」の古典を読む(上)『ペスト』『デカメロン』『赤死病の仮面』】駒井 稔 編集者 020年05月21日
パンデミック、オーバーシュート、ロックダウンという聞き慣れぬカタカナ用語が飛び交い、メディアは当初、ネットを含めて1日中、新型コロナウイルスについての報道に狂奔していました。これまでも伝染病はたくさんありましたが、医学が進歩した21世紀、よもや未知の疫病に世界中が翻弄されると考えていた人は、専門家を除けば、ほとんどいなかったのではないでしょうか。
世界文学における疫病を題材に取り入れた作品といえば、アルベール・カミュの『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮文庫)を真っ先に挙げる人が多いと思います。先日の朝日新聞に版元の新潮社の大きな広告が掲載されていました。93刷110万部とあります。試しにネット書店で調べてみると、パンデミックを扱った有名なフィクション、ノンフィクションは軒並み売り切れているか、古書に異様なほどの高値がついています。
今回、やや生硬な訳文に悩ませられながらこの作品を読み返してみると、確かにまったく違うリアリティを感じます。以前読んだ時は「ペスト」はいわば隠喩でした。東日本大震災のような大災害や原発事故、国際的なテロ、果ては戦争のような災厄と人間はどのように向き合うべきか。カミュが「ペスト」を題材にして描こうとしたのは、人間の生き方に対する普遍的な問題意識だったと思います。
しかしコロナ禍の今読むと、もはや「ペスト」は喩えではないのです。このような純乎たる芸術作品をルポルタージュとして読むのは邪道であることを重々承知しながらも、本物の疫病に襲われている私たちに、ペストが猛威を振るい、封鎖されたオラン市の描写が、非常にリアルな感覚をもたらすことに驚きを禁じえませんでした。フランス文学者の中条省平さんが書いた『NHK 100分de名著 アルベール・カミュ『ペスト』』(NHKテキスト、2018年6月、NHK出版)は、この作品の理解を助ける最上のテクストだと思います。
この小説では登場人物はそれぞれがある理念を抱いています。ペストの発生から終息まで、主人公の医師リウーは、事態に全身で立ち向かいます。彼の周囲にいる人間たちも、保健隊と呼ばれる組織に志願して入り、ペストと戦い続けます。
リウーが新聞記者と交わす会話の中で印象的な一節があります。「今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」。誠実さとは?と新聞記者に問われたリウーは答えます。「僕の場合には、つまり自分の職務を果すことだと心得ています」。
「死を忘れるな』が木霊する『デカメロン』
ペストに関連してよく知られているもう一つの文学作品は、ジョヴァンニ・ボッカッチョ『デカメロン』(平川祐弘訳、河出文庫)でしょう。この作品は、文学青年たちが、奔放なエロティシズムを楽しむ作品だという印象がありました。しかし、この状況下で最初の部分を読み直してみると、これは実に示唆に満ちた、予言的な小説であることが分かります。
この書名『デカメロン』は、ご存じの方も多いとは思いますが、「十日物語」という意味で、その名の通り男女10人がペスト禍に見舞われたフィレンツェ市を逃れ、10日にわたって郊外の家でそれぞれが自分の持っている物語を披露するという設定になっています。しかし「第一日まえがき」で語られるのは、信じられないようなペストの惨状です。
1348年のイタリア・フィレンツェで流行したペストの様子。ボッカッチョの「デカメロン」の挿絵=英ウェルカム・コレクションから
拡大1348年のイタリア・フィレンツェで流行したペスト禍の様子。ボッカッチョ『デカメロン』」の挿絵=英ウェルカム・コレクションから
1348年、はるか遠くオリエントで発生したペストがフィレンツェ市にも来襲すると、市当局によって徹底的な対策が取られ、人々は神に熱列な祈りを捧げます。しかしながら、ペストは春ごろから勢いを増しました。「ガヴォッチョロ」と呼ばれる腫物が、人々の股の付け根や脇の下にできるようになったのです。これが出たら間違いなく死ぬことになります。薬も医学的な処置もありませんし、ほんの少しの接触が感染につながります。
「時には妻も夫を顧みなくなりました。そればかりか信じがたいことですが、父親や母親が子供を、世話をするどころか、そんな子供はいないかのように、面倒も見ずに避けて通ったのです」
極限状態に置かれた人間のありさまを描いた部分は衝撃的です。その後に始まる艶笑譚は、背後にペストが猖獗(しょうけつ)を極めるフィレンツェ市があることを常に意識しながら読まないと、違和感すら覚えそうです。しかし、そこには常に「メメント・モリ」、すなわち「死を忘れるな」というラテン語の格言が木霊(こだま)していることが、この『デカメロン』を不朽の名作たらしめている重要な要素だと思います。
ペストを意識して書かれた『赤死病の仮面』
エドガー・アラン・ポーが1842年に書いた『赤死病の仮面』(松村達雄訳、ポオ全集3、創元推理文庫)も興味深い作品です。この短編は「赤死病」なる疫病が蔓延している国の物語です。まず体が痛み始め、眩暈がすると体中の毛穴という毛穴から血が溢れだして死んでしまう。感染者の体や顔が赤い斑点だらけになると、「赤死病」にかかっている証となり、30分後には死を迎えます。君主は国民の半ばが死に絶えると、城に宮廷から元気のよい騎士や貴婦人たち1000人を招き入れました。
外は「赤死病」の嵐が吹き荒れていましたが、城内にはあらゆる娯楽が用意され、安穏な暮らしが保証されています。ある日、王は仮面舞踏会を催します。すると、背の高い男で、あたかも赤死病患者のように衣装は血にまみれ、顔には血痕のある奇妙な装いの参加者がいます。君主は怒りに震えナイフを手に突進しますが、そのまますぐに倒れて息絶えてしまう。周囲の人間が男を追いかけてその衣装と仮面を取り去ると、そこには何もありません。いや「赤死病」がその姿を現したのです。人々はすぐに感染して絶望的な最期を迎えます。
このゴシック・ロマンの傑作は、もちろん黒死病、すなわちペストを意識して書かれています。「赤死病」とは、なんとも興味深いタイトルではありませんか。
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020052100007.html 【コロナ禍の今「パンデミック文学」の古典を読む(下)『ペストの記憶』『白の闇』「流行感冒」】
前回に引き続き、世界文学における疫病をテーマとした優れた古典作品を紹介しましょう。
誰もが知っている『ロビンソン・クルーソー』がイギリス文学史上、初めての小説であることをご存じですか。作者のダニエル・デフォーが59歳の時に初めて書いた小説です。『ペストの記憶』(武田将明訳、研究社)は、1722年、デフォーが62歳の時に刊行されています。ロンドンをペストが襲ったのは1665年。デフォーは当時5歳です。
これは創作といえば、そうなのですが、当時の公的文書や記録を基に再現された克明な描写や細かな数字など、ルポルタージュの体裁を備えているので、うっかりすると、これはデフォー自身が見聞したことかと錯覚してしまいます。この作品には語り手がいて、一人称で物語は進んでいきます。毎週増えていく死亡報告が数字として残されていますので、まるで小池都知事の会見を見ているような気分にもなってきます。
ペストの流行に対して、ロンドン市長と区長が定めた条例が引用されていますが、患者の隔離やその家屋の閉鎖についての条例は今日でもほとんどそのまま通用する部分が多いのにも驚きます。特に芝居、宴会、店での飲酒を禁じる条例を読むと、ちょうど自粛を要請されている我が国の現状を思い浮かべない人はいないでしょう。ペストに感染していることに気づかず、突然路上でバッタリ倒れて死ぬ人がたくさんいたことも他人事として読むことができません。そしてこの恐るべき状況下でも、盗みなどの悪事を働く人間たちはいたのです。
ロンドンでは、8月22日から9月26日までのたった5週間でペストを中心とした死者が4万人に達しました。死亡週報に載った週単位の細かい数字も挙げられています。それにしても17世紀にこれほど克明な記録が取られていたことは、驚異としか言いようがありません。やがてペストの終焉を友人のヒース博士が告げます。9月の最終週に死者が2000人減少したこと。発病後に2、3日で死んでいた患者が8日から10日は生存するようになり、5人に1人しか回復しなかったのが、5人に2人も亡くならない。
まあ、見ていてください、わたしの言ったとおり、次の死亡週報の数字は下がるでしょうし、前よりも多くの人たちが恢復するようになりますよ」
このヒース博士の言葉は、カミュの『ペスト』におけるパンデミックの終焉と同じ印象を与えます。その言葉通りペストは終息に向かいますが、ロンドンを襲った疫病が奪った命は10万。この物語はH・Fという署名で終わります。もちろんデフォーの名ではありませんが、これは想像力が豊かな人間が書いた架空の物語ではないことはお分かりいただけるでしょう。
訳者の武田さんは解説で次のように述べています。
「一七二二年という、まだ世界が近代に入り始めたばかりの時期、アメリカ独立もフランス革命も経験していなかった時代に、すでに市民が市民を管理するという自律的な権力の抱え得る問題点を理解し、ペストという壊滅的な危機を媒介にして、その光と闇を描き切った点にこそ、本書の普遍的な価値があるのだ」
感染症というメタファーを使った傑作『白の闇』
ポルトガル文学からも1冊ご紹介しましょう。コロナが騒がれ始めてから、この『白の闇』(雨沢泰訳、河出文庫)に言及する記述を見ることが多くなりました。ジョゼ・サラマーゴという作家が書いた長編小説です。
ある日、自分の車で信号待ちをしていた一人の男が、突然目が見えなくなります。失明した男を家まで送り届けた男は車を盗みますが、車を止めて歩き出した途端に自らも失明します。眼前にミルク色の海、まさに『白の闇』が広がるのです。最初に失明した男が妻と共に眼科を訪れますが、原因は分かりません。男の目は医学的には正常なのです。やがて診察した医者も失明し、待合室にいた若い女性や少年も次々と感染して失明します。
大臣の決断で、治療法が見つかるまで、そしてワクチンが開発されるまでは、感染した人間を隔離することが決められます。もし伝染病であるならこれから拡大していくことは間違いない。空っぽの病院に失明した医者とその妻、最初に失明した男、医院の待合室にいた娘と少年と車を盗んだ男の6人が送られます。突然盲目になった彼らにはトイレに行くことすら大仕事です。
さらに最初に入れられた6人と接触があった人々が運ばれて同部屋に収容されます。それから軍隊に監視される生活が始まりますが、実はその中にたった一人目が見えている人間がいました。医者の妻です。彼女はすべてをその目で見て、夫に報告をします。飢えと恐怖に満ちた収容所生活は壮絶の一語に尽きます。
やがて収容所はごろつきたちに支配されるようになり、食料のために女性を差し出すというところまで追い詰められますが、火事が起こり、一同は逃亡に成功します。
街に戻った医者のグループは、目の見える妻のお陰で何とか生活をしていくことができました。といっても食料を手に入れるだけでも大変ですし、自分が住んでいた家に戻りたいと考えても、すでにそこは廃墟のようになっていて、街には失明した人間が溢れています。皆で訪れた医者の家には少し食料がありました。残っていた本物の飲料水を飲んだ時、感動のあまり人々は泣き出します。エンディングはこの小説にふさわしい見事な終わり方をしますが、あえて触れないでおきましょう。
この作家の文体は独特で会話のカギ括弧を一切使いません。ですから改行もほとんどないので、慣れるまでは読みにくいかもしれませんが、物語に引き込まれると、最後は全く気にならなくなります。しかも登場人物には一切名前がありません。
感染症というメタファーを使いながら、独自の文学的な世界を構築した手腕は見事です。サラマーゴは1998年、ポルトガル語圏では初めてのノーベル文学賞を受賞しました。訳者あとがきにもあるようにウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』を彷彿とさせる傑作だと思います。
スペイン風邪を描いた志賀直哉の短編
さて、最後に日本の作品を取り上げましょう。志賀直哉の「流行感冒」(『小僧の神様 他十篇』所収、岩波文庫)です。1919年に発表された短編です。この作品の存在は近代文学を専門にする国文学者から教えていただきました。ちょうど日本にスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザが上陸、40万を超すとも言われた死者を出した最中に書かれた作品です。
「口覆(マスク)を着けて(第一高女学生の登校)」という説明が付いた新聞写真(1920年1月12日付の東京朝日新聞紙面)。東京府立第一高等女学校は現在の東京都立白鴎高校
拡大スペイン風邪流行当時、東京府立第一高等女学校(現在の東京都立白鴎高校)生の登校風景=1920年1月12日付の東京朝日新聞
作家である「私」は最初の子供を亡くしているので、幼い女の子を神経質すぎるくらい大事に育てています。やがて「私」の住む我孫子にもインフルエンザはやってきました。この家には「石」と「きみ」という名の「女中」がいますが、この「石」が「私」の禁じた夜の芝居に出かけてしまうのです。
今回のコロナと同じ「密」な空間に行くことを厳に戒めていたにもかかわらず、「石」は出かけてしまいます。芝居には行かなかったと嘘を言う石に、「私」はインフルエンザが移るのを恐れ、大事な子どもを抱かせません。「石」に暇を出そうということになるのですが、妻のとりなしで首がつながります。それから3週間、流行性感冒も大分下火になってきますが、出入りの植木屋からなんと「私」自身が移ってしまうのです。
「四十度近い熱は覚えて初めてだった。腰や足が無闇とだるくて閉口した」
翌日にはよくなったのですが、今度は妻に移り、女中の「きみ」にも感染。とうとう可愛い娘にも移ってしまい、健康なのは「石」とすでに罹患して免疫のある看護師だけになってしまいます。この時、「石」はとてもよく働いたのです。「私」が最初の感染者になって家族に移したのに、「石」はそれを責めるそぶりもなく働いてくれました。
当時はまだウイルスの存在さえ知られていなかったことを考えると、「私」の対応の的確さがとても印象的です。短編小説としても読後に静かな余韻の残る、味わいの深い作品だと思います。
私は昨今見かけるようになった「このコロナの時代に文学に何ができるか」という問いかけに強い違和感を抱いてしまいます。このような問いかけは大きな自然災害や政治的事件が起きるたびに繰り返されてきました。人々が文学に望むものは安直な答えではないはずです。ここに紹介した作品は、それぞれが永遠の命を持つ古典作品であると思います。今こそ読んでみませんか。
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