ウイルス兵器

https://books.j-cast.com/2020/03/15011108.html  【「ウイルス兵器」・・・日本軍は研究していた!】 2020/3/15

新型コロナウイルスの拡大が止まらない。とりわけ、感染源がはっきりしないことが不気味だ。当初は野生動物由来と言われていたが、否定するような見方も出ている。念頭に置いておきたいのが「人工的」につくられた可能性だ。2020年3月14日には、中国が「米軍持ち込み説」を言い出したので、米国が抗議したとの報道もあった。

本書『陸軍登戸研究所〈秘密戦〉の世界――風船爆弾・生物兵器・偽札を探る』(明治大学出版会)は戦前の日本で行われていた「秘密」の軍事研究について解説したもの。その中には生物兵器の一つ、ウイルス兵器の研究もある。以前から気になっていたので、この機会に手に取ってみた。

明治大生田キャンパスの二倍の広さ

小田急線の生田駅を降り、10分ほど歩くと、明治大学生田キャンパスにたどりつく。そこにはかつて「陸軍登戸研究所」があった。

 前身は1919年設立の陸軍科学研究所(東京・新宿)。その中に27年、「秘密戦資材研究室」がつくられ、37年、生田に「登戸実験場」ができた。諜報・謀略のための兵器開発が主な任務。化学戦の準備もした。42年に「第九陸軍技術研究所」と名前を変え、終戦まで存続した。

 施設の空撮写真を見ると、かなり広大。東京ドーム9個分だという。現在の明大生田キャンパスの約2倍。そこに約100棟の建物があった。ちっぽけな施設ではない。

 類似施設に、「関東軍防疫給水部本部」(通称731部隊)がある。BOOKウォッチで紹介した『731部隊と戦後日本』(花伝社)によると、旧満州ハルピン近郊に本部があった。細菌戦など生物兵器の研究を行い、中国人捕虜などを「マルタ」と呼んで人体実験に使っていたとされる。中国大陸の一部では実際にペスト菌などをばらまき、中国側によれば少なくとも1万5千人が犠牲になったという。こちらも小さな組織ではない。当時の東京大学と同じ規模の予算が与えられていた。約3600人が働いていた。

 ちなみに現在の明大キャンパスは戦後にできたので、この研究所とは無関係だ。しかし、一角には「生田神社」という小さな社が今も残る。1943年の建立。当時は「弥心神社」と言われていた。祭神は「八意思兼神」。天照大神が閉じこもった天の岩戸を開けるアイデアを提供した神様だという。知恵の神、発明の神ということで、研究所がやろうとしたことを体現していた。

 キャンパスの一角には、戦前の研究所の資料などを集めた「登戸研究所資料館」がある。本書は、その資料館の内容を案内しつつ、研究所がやっていたことを振り返っている。

風船爆弾に牛疫兵器を詰める

 登戸研究所では最盛期に約1000人が働いた。全体は四科に分かれていた。資料館は順にその内容を解説している。敗戦翌日にはいったん当時の全資料が焼却されたというが、後年、手記を残した幹部もいた。新たに発見された資料もあった。それらも参照しながら資料館ができた。

 第一科では風船爆弾、第二科では生物兵器などの研究が行われていた。この二つは連動している部分があった。風船爆弾に生物兵器を搭載し、ばらまこうとしていたからだ。

 生物兵器は動物用と植物用の二種類が研究されていた。動物用は牛疫ウイルスの兵器化。牛疫とは牛を死亡させる伝染性の強い感染症だ。満州で採取した牛疫ウイルスを培養し、粉末化して風船爆弾に入れて米国に送り込み、畜産業に打撃を与えることを狙った。実際の実験は朝鮮総督府家畜衛生研究所がある釜山郊外で行われ成功、1944年9月の検討会で20トンの牛疫粉末病毒を風船爆弾に搭載すれば、米国の畜牛に大打撃を与えることが確認された。しかし、作戦は実行されなかった。すでに戦況が悪化、実際に使った場合、逆に米軍に生物化学兵器で報復されることを恐れたためだ。

 ちなみに風船爆弾と言うと、名前からおもちゃのように思われがちだが、実際には直径10メートル、総重量182キロ。高度保持装置も付いた当時のハイテクだ。

 植物用兵器は、小麦・稲・トウモロコシを対象としていた。こちらは細菌兵器。実験は中支那派遣軍総司令部と連携し、中国湖南省洞庭湖の西側で行われたが、成功しなかった。

 化学兵器や生物兵器は1925年のジュネーブ議定書で国際的に禁止されていた。しかし、当時の取り決めでは、相手国が使用した場合に報復で使うことは禁止されていなかったという。本書には登戸研究所以外の日本軍の細菌戦部隊と、ノモンハン事件など実戦での使用例も掲載されている。

「支那の捕虜」を使って人体実験

 登戸研究所では対人用の毒物兵器の研究も行われていた。無色・無臭・無味・水溶性の新種の独創的な毒物の研究だ。「人体実験」も行われた。実際に開発されたのが「青酸ニトリル」。実戦でどのように使われたかはわかっていない。

 米軍は戦争中から登戸研究所の存在をつかんでいたようだ。戦後すぐに調査に入ってきた。関係者多数が尋問されている。戦犯とされることを覚悟した幹部もいたが、訴追されなかった。731部隊と同じく、情報を米軍に提供することで訴追を免れたと見られている。実際に戦後は米軍に勤務したり、アメリカに渡ったりした人も少なくなかったという。

 1948年に起きた「帝銀事件」では、「登戸」がクローズアップされた。謎の毒物が使用されていたからだ。警察は登戸研究所の関係者も調べた。担当した捜査員が手記を残している。その中で、当時の「登戸」の部門責任者が語っている。人体実験で「支那の捕虜」を死亡させた時の心境だ。「初めは厭であったが馴れると一ツの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)」。

 731部隊(石井部隊)には東大や京大医学部出身者が集まっていた。「登戸」にも化学・薬学・医学・農学・機械工学など理系の幅広い分野の俊英が集められていた。

 そういえば中野学校でも類似の極秘研究などが行われていた。『僕は少年ゲリラ兵だった――陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊』(新潮社)で当事者の一人がNHKの取材に語っている。京都大出のインテリ。当時の教本をめくり、あるページで目を止めた。「致死量」と書いてある。「どれだけの薬を使えば、人を殺せるかという研究です。サリン事件みたいなことだよ。私ら、謀略部隊だから、悪いこと、何でも許されるという教育だから」。

事実は事実として残す

 本書で意外に思ったのは「登戸」の場合、秘密研究に従事した人の一部が積極的に記録を残そうと試みたことだ。

 最も重要な手記を残した伴繁雄技術少佐は第二科第一班の班長だった。晩年になって「戦争の隠された一段面について、それを正しく伝えることを意義ある使命」と思い立ち、「歴史の証人」として手記を書き始める。人体実験のことも書いている。1993年11月に書き上げ、直後に亡くなった。2001年になって『陸軍登戸研究所の真実』として出版された。

 登戸では市民や高校生による調査活動や保存運動が大きな力になったそうだ。呼応するように元所員らも動き出す。登戸研究所に勤務していた人々の有志の団体は2005年、明治大学の学長あてに資料館設置の要望書を出している。「当時は秘密の研究所であっても事実は事実として残し、歴史の審判を受けるべきだと考えています」。こうした流れが2010年の資料館開設につながったようだ。

 生物兵器や化学兵器は、戦後も現在に至るまで、局地戦や内戦などのたびに使用が取りざたされている。ベトナム戦争の枯葉剤は有名だ。BOOKウォッチで紹介した『猛威をふるう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』(ミネルヴァ書房)によると、監修者の東京大学医科学研究所感染・免疫部門ウイルス感染分野教授の河岡義裕さんらのグループが、アメリカでインフルエンザウイルスの合成に成功したときは、CIAの関係者が訪ねてきたという。医療目的の研究に対しても、諜報関係者は常に神経をとがらせているという証だろう。

 BOOKウォッチでは、今回の新型肺炎との闘いを「新しい戦争」と見る視点で『中国共産党と人民解放軍』 (朝日新書)や、『超限戦――21世紀の「新しい戦争」』(角川新書)も紹介している。『日本の島 産業・戦争遺産』(マイナビ新書)では、戦時中に毒ガスを製造していた瀬戸内海の島が今はウサギの島として有名になっている話なども伝えている。


https://books.j-cast.com/2020/02/05010833.html 【中国で「新しい戦争」が始まっている!】2020/2/ 5

中国が新しい「戦争」に直面している。「新型肺炎」という名の未知の感染症との戦いだ。振り返れば中国の現代史は戦争の連続だった。死屍累々。本書『中国共産党と人民解放軍』 (朝日新書)はその実相を余すところなく伝える。

中国本土内の戦争だけではなく、中国と近隣諸国との戦争についてこってり書いている。したがって、本書を通してアジアの現代史を手軽に復習することができる。10冊分ぐらいの新書が凝縮されている感じだ。

膨大なデータを基に現代史を説き起こす

いま世界が注視する中国の新型肺炎。「主戦場」は武漢だ。短期間で二つの病院が建設された。2600床もあるという。テレビなどの映像で見た人も多いに違いない。驚くべき早業だった。病院は中国人民解放軍に引き渡されたという。これから命がけで治療にあたるのは軍医や軍の看護師だろう。

別の見方をすれば、これは野戦病院だ。戦いの最前線で「軍」が運営する。まさに有事の「戦争対応」だ。各国の軍事関係者が重大な関心を持って観察しているに違いない。

本書にはもちろん新型肺炎は登場しない。しかし、読んでいると、中国が幾度となく経験してきた近年の戦争、とりわけ「内戦」と新型肺炎が二重写しになる。対応に失敗すれば民心を失い習近平政権が危うくなる。「共産党」と傘下の「人民解放軍」にとっては、絶対に勝たなければならない戦いだ。突貫工事の「野戦病院」は、その強い意志の象徴のような気がする。

本書の著者の山崎雅弘さんは1967年生まれ。戦史・紛争史研究家。著書に、『日本会議』『[新版]中東戦争全史』『[新版]独ソ戦史』『「天皇機関説」事件』『[新版]西部戦線全史』『[増補版]戦前回帰』『1937年の日本人』などがある。BOOKウォッチでは『歴史戦と思想戦』を紹介済みだ。

同じように在野もしくはそれに近い形で、膨大なデータを基に現代史を説き起こす気鋭の研究者として辻田真佐憲さんがいる。『大本営発表――改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書)、『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』(光文社新書)などをBOOKウォッチで紹介済みだ。二人とも最近は、全国紙の論壇面などで見かけることが増えてきた。それだけ著作に対する評価が高まっている証だろう。

本書のキャッチフレーズは「中国軍の『強さ』と『限界』に迫る!」。これを見ると、軍事問題の本かと思うが、必ずしもそうではない。20世紀初頭からの中国史を、「共産党」と「人民解放軍」を縦軸にしながら整理し直したものだ。中国国内の権力闘争に加えて、周辺国との局地戦についても詳しく記す。豊富なエピソードもあり、「そうだったのか」というような腑に落ちる話が満載だ。

「日中戦争」は「内戦」の一部

 本書は以下の構成になっている。

 「第一章 中国人民解放軍の誕生」

 「第二章 国民党対共産党(国共内戦)」

 「第三章 中国と台湾の争い」

 「第四章 朝鮮戦争と『抗美援朝義勇軍』」

 「第五章 中印・中ソ紛争とチベット・新疆ウイグル問題」

 「第六章 文化大革命と中国人民解放軍」

 「第七章 中越(中国=ベトナム)戦争」

 「第八章 習近平時代の中国人民解放軍」

この章立てを見てもわかるように、100年に及ぶ国現代史と近隣諸国史が総覧されている。「日中戦争」について独自の章がないのは、著者がそれを「国民党対共産党(国共内戦)」に包含されると判断したからかもしれない。日本から見ると、日中戦争は日本と中国のガチンコの戦いなのだが、中国側から見ると、広い意味で「国民党対共産党」という壮絶な国内の権力闘争の一局面にすぎないというわけだ。

本書を読めばわかるが、毛沢東は対日戦のために、蒋介石の国民党といったん手を結んだものの、戦闘正面に出ることは注意深く避けていた。のちに蒋介石との内戦が本格化することを想定して力を温存していたのだ。つまり対日戦の「終結後」を読んでいた。

一方の蒋介石も同じだった。日中戦争が太平洋戦争に拡大する過程では、国民党軍が前面で戦わざるを得なかったが、終盤では日本の敗戦を確信し、米国が供給する最新兵器を備蓄。共産党との内戦に備えていた。日本が降伏すると、両者はすぐに日本軍の兵器の奪取を競い合った。

戦後まもなく国共内戦が激化すると、当初は、米国の兵器を保有する蒋介石が圧倒した。やがて毛沢東が盛り返し、1949年に新中国の建国に成功する。なぜ毛沢東が勝ったか。その理由も縷々解説されている。

金門島攻防の思惑

以上のように、本書を読んで強く印象に残るのは毛沢東と蒋介石だ。「第二章」「第三章」に詳述されている。よくいえば、中国現代史を牛耳った両雄ということになる。正直いって二人とも大変な策士であり、権謀術数にかけては引けを取らない。

 それを象徴するのが、「金門島」の攻防戦だ。戦後、台湾に脱出した蒋介石は、中国・厦門の目と鼻の先にある小さな島、金門島に強固な要塞を構築し、中国大陸への捲土重来を期。1950年代に2度にわたり、中国と台湾の攻防戦があった。

台湾から遠く離れ、防衛に大変な経費がかかる金門島。中国本土とは2キロほどしか離れていない。指呼の間だ。蒋介石はアメリカから、さっさと手放し、台湾本島の防衛に専念すべしと勧告されていたが、頑として応じなかった。絶対に死守しなければならない島だったからだ。

その理由は単純。台湾は長く日本が支配しており、戦後も、国際的に中国の領土とはみなされていなかった。ところが、金門島はれっきとした中国の領土の一部。台湾にしか足場がないと、蒋介石は単なる亡命政権だが、金門島を保持することによって、なお中国の一部を支配していることになる。国際的に「中国政府」を名乗ることができる。つまり、中国の内戦はまだ続き、共産党と国民党が、それぞれ支配地区を持ちながら、正統性を争っている状態をつくりだせる。

では一方の毛沢東はどうか。本書によれば、金門島を保持する国民党が、台湾をも支配していることに別の意義を見出していた。台湾にいる蒋介石は自らの国民党を「中国の正統な政府」と主張している。ゆえに、毛沢東の側は逆に、「台湾問題は中国の内政問題である」と主張できる。「我こそは中国全土の指導者なり」と叫ぶ中国本土出身者が台湾を支配している状態は悪くない。金門島を蒋介石の支配下に置き続け、台湾の領有をも委ねるという二点において、蒋介石と毛沢東の利害は一致していたと著者は見る。両者の「腐れ縁」「駆け引き」の象徴が金門島というわけだ。そんなこともあって、人民解放軍は金門島の国民党軍を完全制圧しなかった。

容赦ない粛清や弾圧

加えて金門島での小競り合いは、中国側にとって「手ごろな最前線」でもあったという。国内の政情などがごたついたとき、この島をめぐるミニ戦争状態をつくって、国内の緊張状態を高め、引き締めを図ることができる。中国が戦後に行った対外局地戦のいくつかは、そうした国内事情に基づいていた面もあったという。

それが可能なのは、「人民解放軍」が国家ではなく「中国共産党」に属する軍だからだ。「党」の意向で「人民解放軍」を動かせる。かつてドイツの「武装親衛隊」がナチ党の武力組織だったことと似ているという。

国共内戦に勝利した毛沢東は、経済政策の失敗で一時は国家主席の座を劉少奇に明け渡した。しかし、党主席と、人民解放軍を指導する立場の中国共産党中央軍事委員会主席のポストは死ぬまで手放さなかった。権謀を重ねて粘り腰で復活。今も天安門に肖像が掲げられる。政敵を次々と粛清したことはあまりにも有名だ。最側近だった林彪でさえも、亡命途上で墜落死した。文化大革命では公式記録でも2000万人が命を落としたといわれる。その苛烈さはスターリンを超えるかもしれない。

一方、蒋介石の国民政府も苛烈だ。日中戦争で日本に協力した中国人を対象に、戦後直ちに「漢奸裁判」を行い、1000人以上が死刑や終身刑。その中には戦前の一時期は国民党で同志だったような人物も多かった。台湾では現地の「反国民党」勢力を徹底弾圧、本書によれば、わずか一か月で2万8000人を殺害し、長く戒厳令を敷いた。独裁的な権力者には無慈悲・冷徹さが付きまとうが、毛沢東も蒋介石も十二分にその資質を備えていたといえるだろう。

「血の海」をかき分けてきた!

かつて評者は、田中角栄元首相の側近だった人物と知り合いになり、聞いたことがある。「角さんと、中国の政治家とは、どっちが凄いですか」。すぐに答えが返ってきた。「比較にならんよ。白手袋にタスキ掛けで当選したのが日本の政治家。血の海をかき分けて這い上がってきたのが中国の政治家だ」。

日中戦争や国共内戦をくぐり抜けた中国の政治家は、本書に書いてあるように、大半が軍事指導者の経験がある。「政権は銃口から生まれる」と言い切った毛沢東はゲリラ戦を編み出し、蒋介石は軍学校の校長。国民党の国民革命軍の最高指揮官でもあった。ともに「党」と「軍」を握ることで「権力」を維持している。本書を読んで、この100年の中国の政治家たちが、「血の海」をかき分けてきたことを再認識する。

最後に一つ付け加えるなら、20世紀中国の権力闘争の最終的な勝者は、おそらく鄧小平だろう。本書によれば、「綱渡りのような変わり身で、辛くも文化大革命を生き延びた鄧小平は、・・・新たな権力闘争で華国鋒を失脚に追い込んだ後、自らは、『党中央軍事委員会主席』の要職に留まりつつ」、胡耀邦や趙紫陽らを「背後から操る『黒幕』として暗躍」し「院政」を敷き続けたからだ。彼もまた戦前の「長征」時代からの生き残りであり、「血の海をかき分けた」一人だった。

習近平政権に最大級の試練

本書は最終章で「習近平時代の中国人民解放軍」について書いている。実際のところ中国人民解放軍はこの40年、本格的な対外戦争はしていない。ベトナムとちょっとした衝突があったり、天安門事件で軍が鎮圧に乗り出したりしたぐらいだ。この間に軍の要員は約400万人から約200万人に圧縮。一方で軍事費を増やしてハイテク化を進め、軍用地や軍施設の一部は民需転用、中国経済全体の底上げをする役割を果たしてきたという。

そうした中で起きているのが、今回の新型肺炎だ。2003年には広東省でやはりコロナウイルスのSARS(重症急性呼吸器症候群)が発生、多数の犠牲者が出ている。

広大な国土を抱え、そこに50以上の民族が暮らす中国は、日本とは大きく様相が異なる。それぞれの少数民族が独自の伝統や習慣、食文化を保持している。BOOKウォッチで紹介した『世界の少数民族』(日経ナショナルジオグラフィック社)によると、南部の雲南省だけで25もの少数民族がいる。いまだに一部では母系社会も残る。広い国土の中で、いわば「21世紀」と「前近代」が同居しているのだ。超高層ビルが林立する一方で、さまざまな野生動物の肉が並ぶ食物市場がにぎわう1000万人都市、武漢の姿はそんな現代中国の縮図ともいえる。

『知っておきたい感染症―― 21世紀型パンデミックに備える』 (ちくま新書)によると、近年の新種の感染症流行の背景には、交通網の発達や急激な都市化の影響があるとされる。エボラウイルス病はアフリカのごく一部の地域の風土病だったが、僻村と都市との交流が進んだことから都市部に波及、世界に拡散した。

「食は広州にあり」といわれるように、中国の南部などではもともと、日本人が口にしないような野生動物も食べる習慣がある。少数民族も多い。いわば未知の感染症リスクを不断に抱える。SARSや今回の新型肺炎で、そのことがますますはっきりしてきた。共産党と人民解放軍は、いつ襲い掛かってくるかわからないウイルスという「見えない敵」「内なる敵」との戦いでも手腕を試される。見方を変えれば「ウイルス・テロ」、一種の「細菌兵器」との戦いだ。

いま武漢は事実上封鎖され、中国全体がまるで戒厳令下にあるかのようだ。多くの都市や工場が機能不全に陥り、経済の停滞は必至だ。日々増え続ける死者数と感染者数に人心も動揺していることだろう。街には、習近平の「必ずや疫病に打ち勝つ」という特大の決意表明スローガンが掲示されているそうだ。ちなみに、習近平は、毛沢東や鄧小平と同じく、党中央軍事委員会主席でもある。もともと軍人ではないが、地方組織で軍関連の職務を25年間も経験、軍の内情には精通している。「新しい戦争」に勝てるかどうか。習政権にとっては最大級の試練だろう。

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