古代中国の占い【奇門遁甲】

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古代中国において、卜占(ぼくせん/占い)は、文字(漢字)の発達と大きく結び付いている。

漢字は亀の甲羅(亀甲)や動物の骨に刻まれた象形文字が原型なのである。まず「卜」という文字は甲骨が避けた時に生じる形を示す象形文字であり、「占」という文字は「卜」と「口」を組み合わせたもので、占いの結果を口述するという意味を持つ。

では、古代中国における占いとはどのように進化したのだろうか。

八卦

占い師が、亀の甲羅や動物の骨に窪みを作り、火をつけた木の棒を差し込む。すると棒の熱で甲骨に裂け目が生じるのだが、その裂け目の形や方向を見て吉凶を判断、結果を甲骨に刻み込んだのである。これを亀卜(きぼく)、骨卜(こつぼく)、または「令亀(れいき)の法」という。

占いの方法は様々で、戦いの日取り、収穫前の豊凶、天候不順や異常気象の終わる時期など多岐にわたっていた。

甲骨は紀元前13年頃から紀元前11世紀(約3,300年前)の殷(いん)王朝の遺跡「殷墟(いんきょ/中国湖南省)」から発見されているため、少なくともこの時代には定着していたようだ。

文字を用いた甲骨が登場する以前に様々な発明を行ったとされるのが、伝説上の権力者「伏羲(ふくぎ)」である。

易学の書物『易経(えききょう)』も伏羲の著作と伝わっている。『易経』によれば、彼は天地の理を知り、「八卦(はっけ)」を描いた。

自然の事象を8種に分類し、それに当てはめて占うもので、これが「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という諺の起源となっている。

神話の帝

八卦が本格的に用いられたのは、殷の後に成立した周王朝(紀元前11世紀~紀元前256年)と伝わっている。

「八卦」を用いて行うのが、50本の竹ひごを使う「易(えき)」であり、50本の中から1本を取り、残り49本を分けて両手に持つ。卦や爻(こう)を選び定め、それによって吉凶を占う人が「易者」と呼ばれるようになった。

さて、このような形で発達を遂げた古代中国の占いだが、実際に戦場で使われたことはあったのだろうか。

伏羲と同様に神話上の人物といわれる黄帝(紀元前25世紀頃)は、中国東方に勢力を張る蚩尤(しゆう)との戦いに大いに苦しめられた。

そこで黄帝は戦勝を天に祈ったところ、その夜に霊夢のなかで九天玄女(きゅうてんげんにょ)が現れ、「奇門遁甲(きもんとんこう/占術)の書」を授かったという。黄帝はその秘法に基づいて指南車(方向を指し示す車)を作り、反撃に転じたことで勝利した。

奇門遁甲

時を経て、周の軍師である大公望こと呂尚(紀元前11世紀)、漢の時代に活躍した張良(紀元前180年頃)がその「奇門遁甲の書」を手に活躍したとの伝承もある。また、紀元前3世紀の三国時代に活躍した諸葛亮(孔明)は奇門遁甲に通じ、八卦に基づく八陣図をモチーフにした陣形を組んだり、風向きを読んで戦いを勝利に導くという場面が小説『三国志演義』に描かれている。ただし、『三国志演義』は実際の三国時代から1,000年後の明の時代に成立したもので、諸葛亮の活躍には脚色が加えられている。

だが、すでに中国では紀元前500年頃に兵法家の孫武が記した『孫子』兵法が広まっていた。『孫子』は戦争の勝敗は天運ではなく人為によるものと説く極めて現実的な兵法書であり、その影響で占いには頼らず、人事を尽すとの考えが浸透していた。

管輅という神童

後世になり、古代に活躍した軍師が「奇門遁甲」を使ったとするフィクションが広まったが、それでも歴史書には天文や竹ひごによる占いの記述がよく出てくる。

優れた政治家や軍師たちは、それを実戦に使うかは別としてあくまで知識として『易経』や奇門遁甲を習得していたものが多かったようだ。

その知識を実際に用いていた人物がいなかったわけではない。正史『三国志』には魏に仕えていた管輅(かんろ/209~256年)という占い師の伝がある。

『易経』をマスターし、天文占い、風占い、吉凶占いで多くの人の運命や窃盗事件などの犯人を言い当て、神童と呼ばれていた。そのため、各地の太守や県令などに招かれ、多くの占いを手掛けたという。清河(せいが)県の県令が人を狩りに出し、管輅にその動物を竹ひごで占わせたところ、「狸が獲れる」といって見事に言い当てた。

県令は続いて13個の小物を箱の中に入れ、彼に見せたところ鶏の卵や蚕の蛹など、ほとんどの品を間違いなく言い当てている。

方技

また、同じく魏に仕えた朱健平(しゅけんぺい)という人相見は魏の皇帝、曹丕(そうひ)に対し「あなた様の寿命は80歳ですが、40歳のときにいささか災難がございます」と注意を促した。

事実、曹丕は40歳で大病にかかり、あえなく死去してしまう。何事も無ければ寿命を全うできるが、災難を乗り切る力がなければそれまでということだ。

彼らの能力は「方技」と呼ばれ、権力者たちの関心を得たものの、戦争に出たり国政に携わるほどの地位は与えられなかったようである。

最後に

古代中国は文化的にも現実的な考えを持つ時期が早かった。そのため、占いを権力者が盲信的に扱うことはなく、『三国志』演義のような物語のなかだけの話に終わったようだ。

しかし、中国の占いがなければ漢字も生まれなかったことを考えると文化的な価値は確かにあった。

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