若葉

若葉わかば

「若葉」(わかば)は、俳誌。もともとは逓信省大阪貯金局の職場俳誌で、1917年〜27年ころにはじまったと見られるが、1928年5月、発行所が東京に移り富安風生が雑詠選者となったときが実質的創刊と見なされている。風生が1929年に「ホトトギス」同人となったこともあり一般会員が増加、1930年代半ばには風生の主宰誌として俳壇での地位を確立し、1…

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岡本眸は富安風生(とみやす・ふうせい)の指導を受け「若葉」に投句。同誌編集長の岸風三樓(きし・ふうさんろう)の句会にも併せて出席。この二人が眸の「師」となる


http://weekly-haiku.blogspot.com/2015/02/13.html【情緒安定派の鬼っ子・岡本眸】 より

「情緒安定派の鬼っ子・岡本眸」 今井 聖

岡本眸さんとは一度しかお目にかかったことがない。

六、七年も前だろうか、どこやらのパーティの席上で、ほんの一言交わしただけ。僕の方でうかがいたいことがあったのでお声を掛けた。

「以前脚本家の馬場當(ばば・まさる)さんのところで助手をなさってたとか」

「そうなの。あの先生、面白い方でね」ホホッと笑われた。

「復讐するは我に有り」で日本アカデミー賞脚本賞を獲った馬場さんは僕のシナリオの師である。

当時「街」では俳句研究会と称して月に一度、僕がレジュメを作って古今の俳人を読んでいた。次は「岡本眸」をやってみようと思い立って「岡本眸読本」(富士見書房)を読んでいたら、年譜の昭和三十九年のところに、

脚本家馬場當(シナリオ研究所卒業脚本試験官)に就き執筆を手伝う。NHKテレビ「太陽の里」、フジテレビ「三匹の侍」など。とある。驚いた。

僕は平成三年からカルチャー教室の馬場さんのシナリオクラスに通い始め、翌年から彼の仕事場で助手をつとめるようになっていた。毎晩のように馬場さんとは顔を突き合わせている。

眸さんにはそのことを聞いてみたかったのだ。シナリオ作家としての名前は本名の「曽根朝子」。旧姓岡本朝子が句友の曽根けい二に嫁いで曽根朝子となった。

眸さんの主宰誌の「朝」は本名の朝子から取ったのかも知れない。

馬場さんにも聞いてみた。

「ああ、そんな女の人いたなあ。確か、病気かなんかで辞めたんじゃないかな」

四十年も前のことである。しかも馬場さんは売れっ子だったので仕事場に常に複数の助手を置いてきた。記憶が薄れてしまうのも無理はない。

年譜には「昭和四十一年~四十二年、(三十八歳~三十九歳)体調不良のためシナリオの仕事を辞す。四十一年十一月癌研にて子宮癌摘出手術」とある。

曽根朝子というその女の人は、今、俳号岡本眸といって高名な俳人になってるんですけど。

「あ、そう」 話はそれで終わった。

『三匹の侍』は1963年から69年までフジテレビ系列で毎週木曜日の夜8時からの一時間枠で放映された連続時代劇で最高視聴率42パーセントを記録。僕の世代なら記憶にある方は多いと思う。

丹波哲郎、平幹二朗、長門勇(後に丹波の代わりに加藤剛)の風来坊の浪人三人が各地で悪を懲らしめながら旅をする。ちょっとHなシーンあり笑いあり涙ありの一話完結のドラマである。

監督は五社英雄。

全部で157話が撮られ担当した脚本家は石堂淑朗、早坂暁など一般に馴染みのある作家も入って総勢29名。馬場さんはその中の四話を担当した。最近テレビ化もされた有川浩のベストセラー「三匹のおっさん」は「三匹の侍」に着想を得ている。

次に仕事場に行ったとき馬場さんが、「今井くん、これやるよ」と古い台本をくれた。

「三匹の侍」、表紙に馬場當、曽根朝子の連名がある。つまり共同脚本ということ。馬場さんこの間の話を覚えてくれてたんだ。

彼は脚本を助手に手伝わせても滅多に共同脚本という形にしない。あくまで脚本家として名を出すのは自分一人。プロとして「名前」の出し方にはシビアなのだ。

これは彼が特殊なタイプというわけではない。日本映画華やかなりし頃の脚本家の多くは内弟子を取って仕事を分担させるやり方が多く、弟子に指示を与え下書きをさせた上で自分が要所に手を入れる。それを自分一人の脚本作品として出すのは至極当然のこととされた。

だから弟子との連名を許したということは詰るところ馬場さんはよほど何にもせずプロット(筋、構成)を始め脚本のほとんどを曽根朝子が書いたということ。つまりこの作品には「岡本眸」の発想力や構想力が詰っているというわけ。

しかし、残念なことがあとで分かった。

馬場さんが担当し放映された四話の中にはこの台本のドラマが無いのだ。馬場さんの気が変わって曽根朝子を消して自分一人だけの「名前」にしたのだろうかと思い、ストーリーまで調べてみたが、このホンの話はどこにも無い。

つまりこの台本は仮台本で仮は仮、ついに撮られることなくお蔵入りしたとしか考えられない。眸さんにとっては残念なことだったろう。そのことに気付いたのはこの原稿を書こうとして調べているとき。

それについては馬場さんももはや他界されているので経緯をうかがうこともできない。

この台本が映像化されなかったことについてはいささか拍子抜けしたが彼女の内実を知ることはできると気を取り直した。

眸さんはどんなドラマを書いたのだろうか。

江戸時代半ば、衰えかけた体制の立て直しのため幕府は様々な難癖をつけて小藩の取り潰しを図った。小藩の中には城を明け渡すことを潔しとせず抵抗して多くの死者を出す場合も少なくなかった。そういう某藩の話。

取り潰しに抵抗して死んだ多くの藩士を手厚く葬るために藩の隠し金五千両を使うことを決意した元家老と腹心、それを奪おうとする周辺の人物との戦い。そこに巻き込まれてしまった三人の人情がらみの物語である。

三匹による定番の派手な立回りあり、腹心の裏切りあり、三匹の一人が囚われて拷問に掛けられる意外な展開あり。脇役の女が自分が飼っている鷹を駆使して男の眼を狙わせ殺人を行うなどの工夫もあり。娯楽性に富んだよくできた内容である。

ただ、放映に到らなかった理由を感じさせる設定があった。

藩の多くの死者の葬りを被差別部落の住人たちに頼む。そのための五千両であり、「三匹」は被差別部落に出入りする。その折の部落の事情や内部の描写が記されている。

それに関連して、今では放送禁止の様々な差別用語が台詞の中に登場する。もちろん差別意識に根ざす描写ではなく、それどころか「俺たちは藩主が誰になろうと関係ねえ。昔から侍に仲間が虫けらのように殺されてきたんだ」と叫ばせる。

三匹の活躍で金は部落に渡り、葬りは無事に済む。結局、本当に勝ったのは幕府ではなく小藩でもなく被差別部落の人たちなのだという結論。これは階級意識の覚醒を説いているドラマだ。

しかしながらと言うか、だからこそと言おうか被差別部落の描写とそこから立ち上がってくる反権力の意識は民放、ことにフジテレビのゴールデンタイムにふさわしくないと判断されたのだろう。要するに社会意識がアブナイ領域にまで踏み込んでいるのだ。

僕はこのストーリーを書いた「岡本眸」の階級社会への認識と抵抗意識を強く感じたことであった。

岡本眸。昭和3年東京都江戸川区の薬局経営の家に生まれる。18歳で聖心女子学院国語科入学。体調すぐれず退学。21歳で大会社の社長秘書となり、ここの句会で富安風生(とみやす・ふうせい)の指導を受け「若葉」に投句。同誌編集長の岸風三樓(きし・ふうさんろう)の句会にも併せて出席。この二人が眸の「師」となる。

風生は眸の第一句集『朝』の「解説」の中で書いている。

「風三樓君からもらった眸メモによると、学校は聖心女子学院で国文科専攻、踊りは花柳流の名取、いけ花は草月流の師範などなどとある。踊はいつか元白木屋の舞台の公演で拝見した覚えがある。」

こういう評はいかにも功成り遂げた常識人の世俗的な価値観を思わせる。聖心女子学院は言わずもがな美智子皇后の出身校。名だたるお嬢様学校である。また、日本舞踊とお花に精通していることを褒めるのは女としての習い事をこなしているという評価。

そういえばこんな句が風生にあった。

ガーベラを挿し秘書の娘もホ句作る 風生

これ、眸さんのことかな。

行政の頂点に立ち、実質は大臣より偉いとされる事務次官(逓信次官)になれるのは同期入省組の中でただ一人。毎朝運転手付き黒塗りの公用車が自宅まで迎えに来る。トップまで上り詰めた風生は勲一等を戴く。

水原秋桜子が勲三等、虚子が勲一等だから叙勲では風生は文化勲章の虚子に並ぶ。官僚としての経歴がものを言うのだ。勲三等以上は皇居に参内して陛下から直接戴くのですぞ。

風生を語るときどうして今井さんは逓信次官だったということをことさらあげつらうのかと誰かに聞かれたことがある。ああ、そう言えばそうかもしれない。帝大出の大学教授や医者など社会的にもお偉い俳人は山ほどいるのに。

そういう俳人たち。たとえば高野素十には「草の芽俳句」と言われた特殊性に「花鳥諷詠」を逸れた「異端」を感じるし、草田男は天からの啓示を受けノイローゼを克服しながら絶望からの出発を説いた。誓子は反情緒という鋭利な刃をもって花鳥諷詠の情緒に対する強烈なアンチ・テーゼを示した。

これらの俳人はみんな従来の傾向に対して異を突きつけているところがある。僕はこれが「芸術」に於ける基本的態度だと思うのだ。ところが風生は従来的なものに対して調和的つまり現状肯定。そして何より情緒安定的なのだ。

残生をおろそかにせず暑気払ひ 風生

何もかも知つてをるなり竈猫

鞄のもの毎日同じ木の葉髪

著ぶくれて浮世の義理に出かけけり

一生の楽しきころのソーダ水

菜の花といふ平凡を愛しけり

みちのくの伊達の郡の春田かな

古稀といふ春風にをる齢かな

まさをなる空より枝垂桜かな

ね、安定してるでしょ。

漂へる手袋のある運河かな 素十

竹馬の立て掛けてある墓籬 爽波

金剛の露一粒や石の上 茅舎

酌婦来る火取虫より汚きが 虚子

誓子、草田男まで言わずとも、「写生」を標榜するホトトギスの仲間の句と比べてもその特徴は顕著。素十の非情緒的近代性。爽波の日常の中にある意外性。茅舎の演出、構成。虚子の感情露出。こう並べると風生の句がいかにブレない中道、通念、穏健の只中にあるかが分かる。

一般通念の範囲内で世俗の生活や意識を肯定する。それのどこが悪いという声もありそうだが本当は通念を逸れたものを書きたくても立場上書けないというところがあるのではないか。

例えば子規の日露戦争時の「写生」句、

徴発の馬つゞきけり年の市  子規

徴発とは一般の馬を軍馬として強制的に買い上げること。子規はその風景を詠んだ。この風景描写が反戦の意識を表すのかその逆かは別の論議が要るとして、仮に風生がこんな社会事象に関することを句に詠んだとしますか。それは政権の中枢にいる側としては禁忌じゃないのか。自分は日本社会を運営する方に居るのだから。つまり情緒不安定な内容や思いの屈折が暗喩として働いてもまずいのだ。会社の重役がその会社の不安を詠めますか。それが直截な吐露にせよ直喩にせよ暗喩にせよ。内面の不安は即社会的な不安をも暗示する。そうなったら立場上まずいでしょ。

官僚トップは政権党のトップと同じ。現状肯定の内容を詠わねば自己矛盾に陥るという「難しい」立場にいる。社会的通念の範囲で詠まねばならないという自己抑制を強く感じるのだ。

氏の師虚子だって感情をむき出した句はたくさんある。「常識」からブレるところ、情緒安定せざる「個性」にこそ「詩」の魅力が存するのではないか。

僕が「逓信次官」を言うのはそこに起因している。

当然ながら岸風三樓の句も師の風生の傾向を踏んでいる。

手をあげて足を運べば阿波踊 風三樓

山焼のすみたる月のまどかなる

自然薯の全身つひに堀り出さる

仲秋や雲のうへなる雲流れ

桔梗や水のごとくに雲流れ

子規の方法「写生」に於いて、ものを写すのは自分がそこに在って見ているということ。見ている自分を確認して「生」を実感することであって、季語に堆積してきた情緒を再現することとはまったく筋が違うと僕は思う。

虚子提唱の「客観写生」だって「主観」の表出を極力抑え「もの」に見入ることによって結果的に対象に自己投影するという手法ではなかったか。古い情緒を再現することは「客観写生」の要諦ではなかったはず。

風生作品、風三樓作品、これでは「自分」を出さないようにするというより通念の再現としか思えない。通念の再現だって難しいと言われればその通りかもしれないけど。そうは言っても「若葉」系はもとより、「若手」と言われる人たちにも二人のファンは今日も多く存在する。

ことに枝垂桜の句など好きな句の筆頭に上げる若手も多い。彼らはこの情緒安定にどういう魅力を見出しているのであろうか。

前置きが長くなったが、眸さんはそういう二人の師に認められて、先ずは通念的「現代女性」を演出した。

育ちの良いお嬢様で、働く女性が珍しかった頃の日本橋オフィスガール。言ってみれば時代の最先端を行くモガである。

夫愛すはうれん草の紅愛す  眸

この句、眸さんの代表句の一つとされているらしい。

夫は真面目で頼りがいがあって優しくて本当にいい男で私は愛していますと言えばべたべたの通念で、ハンカチはくしゃくしゃで、脱いだズボンはそのままにしてあるし、お行儀の悪い熊さんみたいだけど私そこが好きなのと言えば通念を脱した新しい告白か。

映画の中で倍賞千恵子とデートした高倉健がカレーライスを頼む。それを皿ごと持ってがつがつとかっ食らう健さんを、その粗野に見えるところが素朴で男らしくて好もしいという眼差しで微笑みながら倍賞が見ている。この句、その程度のオノロケでしょ。うちの亭主ほうれん草の紅の部分みたいな人、でも私その部分好きなのよ。

そんなこと言われてもなあ。

うちの人、本当に狡猾で好色なんだけど私そこが好きなの、くらい言われれば別だけど。

品も教養もあるお偉いさんが「へえ、このオナゴ良く言いおるわい」と呵呵大笑する程度のユーモアだ。師が「ちょっと」驚くくらいの内容が肝心。やりすぎて眉をひそめられても逆効果なのだ。眸さんのバランス感覚をうかがうことはできる。

わが母とゐるごとく居て炭火美し

ふところに一枚の櫛雪山へ

気働き目に出て少女山葡萄

いやあ、巧いよなあ、しかし。

「ゐるごとく居て」で既にいないということをちゃんと言う。櫛が女の命であるのは通俗的発想だけど雪山と櫛一枚の大小の対照が見事だ。少女にして気働きは「おしん」の情緒だけど「山葡萄」の付け方は才能だ。かくのごとく眸さんは明治生まれの師も大衆も納得させつつきちんと新味を添付している。これこそ気働きというべき。

眠り欲る小鳥のごとく夜着かむり

りんだうや机に倚れば東山

青柚子や生活の中の旅二日

脛白き休日の父地蔵盆

濤激すまま夜明けたり菊枕

銀漢や齢の中に戦の日

こでまりや帯解き了へし息深く

美しき冷えをうぐひす餅といふ

ほんとうにどんだけえ、というくらいの技術。

自分を小鳥に喩えるナルシズムはこれもまあ爺さん向けだが夜着かむりは才気そのもの。りんだうと東山、青柚子と旅そして女のつましい旅。休日に脛を見せる「父」の日本的な本意。菊枕の古典的情緒。通念的一般的回想の中の戦。帯を解いてみせる女性性。うぐいす餅の句に見せる情緒と型の踏襲。

かかる小さき墓で足る死のさはやかに

などは

菫ほどな小さき人に生まれたし 漱石

を意識しているだろう。破調の場合も前例をちゃんと踏んでいる。破目の外し方もお行儀良いのだ。

これらのバランスの見事さはアタマの良さ、センスの良さ、言葉を駆使する運動神経のごときものの鋭敏さなどを示している。完全に伝統俳句という馬を乗りこなしている印象。

しかし、敢えて言うと、計ったように伝統に親和した上で自己を添加する技術は文学の本質とはズレるのではないか。ここにはどの科目にも試験の上位を外さないような学級副委員長(昔は女性は副委員長だった)のイメージがある。伝統的なさまざまな規範を超えてどうしても突出せざるを得ないような個性の噴涌にこそ「詩」が存するのではないか。

そういうお前の文学観こそが通念だと嗤う人も居られようが。

僕は「岡本眸」の真骨頂は

海辺の町両手をひろげ冬が来る

水飲んで春の夕焼身に流す

青木の実寡黙なるとき吾が血濃し

振り返るわが家日当り末枯れぬ

枯深し欠伸を包むたなごころ

桃枯れてビルの奈落へ投げ込まる

毛虫の季節エレベーターに同性ばかり

鳰浮くを見届けざれば夜も思ふ

のごとき句にあると思う。

「両手を広げ」、「夕焼身に流す」の斬新な比喩。

自分、そして自分の「家」というものへの冷静な認識。たなごころに包むのはかつての女流に見られた蝶や螢ではなくて「欠伸」。醒めているのだ。枯れた桃やビルの奈落に象徴される「時代」への厳しい眼差し。同性に対する嫌悪感。潜ったあとの鳰に寄せる思い。

つまりどこかに悲劇への予感が見える。これらの句には学級副委員長の配慮をかなぐり捨てた「自分」がいる。

なんといっても白眉は

略奪の速さに過ぎて雪野汽車

僕はこの句を見たとき咄嗟にこの欄にも取り上げた佐々木ゆき子の

射程なる彼の八月の川渡る ゆき子

と同じ時代背景を思ったのだった。

二十年八月に不可侵条約を破棄して突如ソ満国境を越えて侵略してきたソ連軍による日本住民への殺戮、略奪、暴行である。

雪野を走る汽車が「略奪の速さ」であるという発想はそういう事実の体験無くしては生まれ難いように思えた。

しかし眸さんには大陸引き揚げの過去は無い。ただ昭和20年には空襲で自宅を二度も焼失している。そういう惨禍の記憶が脚本家「曾根朝子」を通して構成され俳人岡本眸の作品として現れたのではないか。被差別部落を描いたために放映に到らなかった脚本家曾根朝子の意識が生み出した物語がこの句に再現されている。

ここには橋本多佳子、桂信子、野澤節子らの女流が見せた絢爛な抒情や男心を魅了する女ぶりとはまったく異なった暗い内面性が見える。時代を負った内面性が。

もちろん二人の師の情緒安定ともまったく異なった世界である。

(了)

岡本眸三十句   今井聖 撰

わが母とゐるごとく居て炭火美し

眠り欲る小鳥のごとく夜着かむり

ふところに一枚の櫛雪山へ

りんだうや机に倚れば東山

青柚子や生活の中の旅二日

ねずみ捕り沈めて凍てし川の上

脛白き休日の父地蔵盆

水すまし平らに飽きて跳びにけり

まぼろしと繋ぐ手濡れて除夜詣

略奪の速さに過ぎて雪野汽車

膝さむく母へよきことのみ話す

振り返るわが家日当り末枯れぬ

気働き目に出て少女山葡萄

水にじむごとく夜が来てヒヤシンス

美しき冷えをうぐひす餅といふ

春日傘たたむ小さき眩暈かな

春夕焼向ひの家の鏡見ゆ

青木の実寡黙なるとき吾が血濃し

桃枯れてビルの奈落へ投げ込まる

毛虫の季節エレベーターに同性ばかり

雷兆す米櫃の中なまぬるき

枯深し欠伸を包むたなごころ

犬の耳やはらかく山枯れつくす

わが十指われにかしづく寒の入

近々と人の顔ある草の市

芋殻買ひ自分のことも少し話す

残りしか残されゐしか春の鴨

海辺の町両手をひろげ冬が来る

水飲んで春の夕焼身に流す

鳰浮くを見届けざれば夜も思ふ



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