人生という旅

Facebook・船木 威徳さん投稿記事   ★★★ 誕生日記念に公開します ★★★

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50・60代の長男さん・長女さん必読!自宅で500名を看取った在宅医が教える失敗しない最後の「親孝行」の方法

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たくさんの誕生日メッセージをくださった世界中のみなさまに感謝を込めて。

おかげさまで、今日、私は49歳の誕生日を迎えることができました。

小学生の頃、私は、宇宙飛行士になるのが夢でした。中学にあがり、好きな鉄道で全国を

旅するうちに、人のなかで、人と一緒に、人の生活に関わる仕事に強い魅力を感じて、医師になりました。

半生を振り返り、これまでも、今も感じているのは本当に楽しく、幸せな人生を過ごしてきたということです。つくづくありがたいなあと感じます。

生きてゆくには、もちろんお金も必要です。

しかし、それ以上に、私は、「自分に与えられた使命=天命を知り、果たすために、すでに自分に与えられている才能=天才 を使い、さらに育てるために、勉強と仕事があるし、家族やお客さまをはじめ関わるすべての人たちが、魂のレベルでの人生という旅の友、同行者だ」と考えています。

毎週のように、私は、人の地上でのいのちの終わりを見ております。ひとり一人の顔に、

さまざまなことを思います。

そして、繰り返し考えるのは、たった一度の地上の人生を、自分のためだけに生きるのは

もったいない。個人的な快楽のためだけに才能を使うのは、非常につまらない、ということ。

私や、私の作った2つのクリニックに勤務する職員たちがなにを目指して、なぜ働くのかを

伝えるために冊子を作ってきました。

ステープラーで綴じた、自家製ですが、すでに800部以上を配布しました。

早朝からひっきりなしにいただく誕生日メッセージに、すべてお返事することができないと思います。

みなさまに普段、投稿をお読み頂いている感謝の印に、この冊子の内容を抜粋して差し上げます。

恐縮ですが、かなり長いです。

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「親孝行」を考えてみませんか?ある本に、「4大親孝行」が挙げられていました。

旅行、結婚、孫、老後の世話をプレゼントすることだそうですが、とは言うものの、時代の流れとともに、そのすべてを実行するのは、なかなか難しいと思います。

親孝行の本質は、親への感謝をかたちにして表し、親を幸せにすることでしょう。

そのやりかたに決まった形はないはずです。

親孝行は、いつになってもできるものではありません。

いつか、そのうちに・・・が、そのままになってしまうのは、残念なことです。

私たちは、医療に関わる者として、新しい親孝行の方法を提案したいと思い、この冊子を作りました。あなたの、親孝行のお手伝いができたら、それが私たちにとっての一番の喜びです。

親孝行の新しい方法。それが 「在宅医療」 です。

目次:

1. はじめに

2. 当院ができるまでの経緯

3. 王子北口内科クリニックが、開院10年目に入って

4. 在宅医療の対象となる方とは

5. なぜ、王子北口内科クリニックを選んで欲しいのか

6. 在宅医療選びは、私たちができる最高の親孝行のひとつ

7. 王子北口内科クリニックの勧める

「正しい在宅医選びのポイント10か条」

8. 王子北口内科クリニックの在宅医療のご相談手順

9. 当法人スタッフ紹介

10. 推薦のことば(現在作成中)

11. 「『奇跡』は、起きるもの。」

1. はじめに

私たちは、東京都北区王子という街で、王子北口内科クリニックというクリニックを開いております。内科のクリニックなので、もちろん外来診療をやっていますが、それと同時に、私たちが日夜、想いと力を込めている実践している在宅医療について、お話ししたいと思います。

2. 当院ができるまでの経緯

私たちについて、初めてお聞きになる方が多いと存じます。在宅医療や王子北口内科クリニックについて話す前に、なぜ当院院長がここにクリニックを作ったのかをお伝えする必要があると思います。まず院長をさせていただいております、船木威徳(ふなきたけのり)について、はじめに自己紹介をいたします。

●なぜ、私は医師になったのか?

小学生のころから鉄道が好きで、中学1年の夏休みに山陰を旅行したのをスタートに休みという休みは、ほとんど旅行に費やしていました。通学のバスの代わりに自転車に乗り、定期代を浮かしたり、農家でアルバイトをしたりしてお金を貯めたものです。

自分が仮死状態で生まれ、すぐには自宅に帰れなかったときの母の話をたびたび思い出したり、幼稚園の頃も病弱で、何十日も休んだことや、その際、私を診てくれていた小児科の医師のことを考えたりしながら、医師になりたいという気持ちは徐々に固まっていたと記憶しています。

鉄道旅行は、ほとんどがローカル線だったので地元の高齢者、通学の高校生とずいぶんと話してきました。そのなかでも、あるおばあさんのしてくれた話が忘れられません。

秋田・青森をまたいで走る車内で聞いた話をまとめると、「孫がちいさかったころ、すぐにかかることができる病院が家の近くになかった。街の大きな病院へかかったのだけど、なかなか病気がわからなかった。気づいたときには小児麻痺の症状がひどくなっていてずっと、何十年も、県境を越えて、片道2時間かかる病院に通うことになった、と。」

そのおばあさんの横の無表情の女性。それがお孫さんでした。

旅行をすると、かなりの時間があります。車窓には、「こんなところにも人が住んでいるんだ・・・」という小さな集落が転々と流れます。「ここで生きている人たちはどんな生活をしているのか」、「ここで最期を迎える人生とはどんなものなのか」・・・。

そして、「自分が働く場所はどこなのだろう?」。それを考えることが増えました。高校生になる頃には、私は、田舎で、地域医療に従事する医師になりたいと、ほとんど志望が決まっており、卒業文集にも、私の夢は「医師になって地域の人たちに尽くすこと」だと書きました。

私は4人兄弟の長男で、父親は普通のサラリーマンでしたので、経済的には、ほとんど余裕はありませんでした。医師になるためには、医学部に行かねばなりませんが、学費や生活費を考えると、地方の国立大学しか選択肢はありません。しかし、担任の先生には、国立大学の医学部は、私の実力では、非常に難しいと言われました。

全国をあちこち回るうちに、もっとも好きな場所は、不思議なことに、私の生まれた北海道になっていました。鉄道と青函連絡船などの船で北海道に渡るたびに、なにかしっくりくるような、なつかしいような感覚を感じたものです。

数年した後のある3月末、ギリギリになっての、補欠合格の連絡があり、平成2年、4月。私は、行きたくてたまらなかった、国立旭川医科大学医学部の学生になりました。

医学部を卒業後、やはり、地域医療をやりたいという思いに変わりはありませんでしたが、であればこそ、救急医療を身につけたいと、札幌にある民間の総合病院に入りました。早朝から夜中まで働きながら、さらに月に8回くらいの当直をこなしながら、重症の病気、けがをした人たちを何百人と診察し、同時に、目の前で命の灯が消える瞬間を何度も見てきました。医師が数名しかいない離島の病院や、米国の総合病院を含む、3年間の厳しい研修で、私は、内科のなかでも重症の人たちを担当することの多い腎臓内科、透析医療をもっと学びたいと強く願うようになりました。2年以上診療を担当した透析患者さんたちが、私の手を握って「また札幌に帰ってきて。また私たちを診てください。」と涙目で見送ってくださったのが忘れられません。

●なぜ、私は東京に来たのか?

そこから、さらに専門の勉強をしてから、北海道に戻ろうと考え、東京の大学病院に勤務することになります。もう10年ものんびりした北海道で過ごした私にとって、東京は、暑くて、じめじめしていて、人の多すぎる街、でした。

平成12年4月から東京都荒川区の東京女子医医科大学附属第二病院(現・東医療センター)の内科に配属となり、内科の診療について、また大好きな腎臓病、透析医療(血液浄化療法)について、できるかぎりのことを学んできました。東京で出会う医師の先輩たちは、とんでもなく優秀な人が多く、そこで数え切れないほどの知識、技術を学んでゆきました。

たくさんの患者さんを診ながら、私が学びたかった透析治療をはじめとする血液浄化療法についても、そのほとんどすべてを経験しました。

医師として5年、10年と経験を積むにつれて、私は、あたかも自分が医師として「なんでもできる。すばらしいことをやっている。それだけの能力がある。」という、そんなおごった想いを持つようになっていきました。大学病院のなかで、たくさんのスタッフが力を合わせているからできていることも、なにか自分ひとりだけの努力で成し遂げた業績のように勘違いしていたのだと思います。

ある日、入院中の80代の血液透析患者さんを回診したときに、その方は、こう言いました。

 「先生。なぜ、私は家に帰れないのですか?」

疲れていた私は、病気がこうで、いまこんな状態だから、家に帰るわけにはいかないでしょう。そんなことを話したと思います。すると、患者さんは、こう尋ねてきました。

 「じゃあ、私はいつ帰れるのですか?」

それは・・・。それは分からない。いや、あなたは、おそらくもう、家には帰れないでしょう・・・。それを話すわけにもいかず、「いつか」帰れるでしょう、とごまかした私に、その次の日も、また次の日も、私の顔を見ながら、手を合わせて「家に帰してください」「お願いだから、帰してください」と繰り返しながら、徐々に弱っていきました。

最後は、もはや声も出せなくなったまま、それでも私の顔を見ながら、手を合わせて、まもなく息を引き取りました。

もはや、人が亡くなる場面を見ても、ほとんどなにも感じなくなっていた私が、隠れて、何年かぶりに泣きました。

私は、なんでもできるようになったはずの私は、いったいなにが実際、できるというのだろう、そう深く悩むようになりました。

「家に帰りたい。」涙ながらに、そう願う患者さんひとりの想いさえ、かなえてあげられていないではないか・・・。

血液透析を受けている方は、週に3回の何時間もの治療に通えることが条件になります。脳梗塞や、骨折を起こすなど、年齢が進んで足腰が弱ることで、通院ができなくなると、事実上一生入院生活をおくることになります。腹膜透析と言う、自宅でほとんど完結できる治療方法もあるのですが、それでも自宅に訪問してくれる医師と、充分な対応ができる家族がいなければ、入院は免れないことになります。

つまり、透析の治療に精通していて、訪問診療を行う医師がいれば、血液透析の患者さんであっても、透析法を変更して自宅に帰っていただけるはずなのです。しかし、そんな医師を探しても、まったくといっていいくらい見つかりませんでした。

それでも、またおひとり、次にひとりと、「できれば家に帰りたい。透析はしなくていいから、家に帰して欲しい。」という患者さんを、私は幾度も、病院の病室で見送りました。

●なぜ、私は東京都北区王子にクリニックを開いたのか?

高齢の方々は、入院してから日がたち、それでも退院できないと知ると、ほとんど話すこともなくなり、深い悲しみ、絶望がその目から消えることがないままに、何かを言いたそうにして、亡くなってゆきます。そんな人たちを見送りながら、私は、「私が、クリニックを作って、患者さんの家に出てゆくしかない」と考えるようになりました。

私は、この自宅で行える腹膜透析について、手術を含めた必要な技術のほぼすべてを身につけました。また、大学病院でほとんどすべてのがん治療の経過も診てきました。

勤務していた大学病院で、私に、医師としてなにをしなければならないかを教えてくれたのは、荒川区や足立区、北区といった、私にとっては第二のふるさとになりつつあった、東京の大好きな下町の患者さんたちでした。

大好きな北海道に戻って、一生、地域のひとたちのために働きたいという想いもありましたが、これからの自分の人生をかけて、なにかをやってゆくなら、すでに私を待ってくれている、目の前のおひとりのためにがんばろうと決めたのです。

高度先進医療をになう、大きな病院で、あらゆる医療機器が揃っていても、それでもできないことがあるのです。簡単に言えば、病院で行われる施設医療の先に、在宅医療があることに、ようやく気づいた私は、これから2025年にむけて、在宅医療を必要とする人たちが全国でもっとも増えることがはっきりしている、この東京で、そして慣れ親しんだ、大好きな人たちの住む街で、自分の人生をかけて働いてゆこうと決心しました。

そもそも、本来は、在宅医療の対象とならないよう、できれば、働きざかりの時期にしっかり病気を予防し、仮に病気があっても、その進行を食い止めるべきです。しかし、これまでたくさんの人たちを診てきて思うのですが、現代人は忙しすぎます。ですから、私は、同時に、夜遅くまで内科の外来診療を並行して行うべきだと考え、忙しい人たちが通勤途中に、気軽に立ち寄れるターミナル駅の近くにこだわって、王子駅近くにクリニックを開設しました。

3. 王子北口内科クリニックが、開院10年目を迎えて。

 平成23年2月1日。はじめは医師ひとり、非常勤の看護師、事務員ひとりずつでスタートした王子北口内科クリニックも、現在では、医師4名、看護師1名、医事課職員3名、在宅療養コディネーター7名の体制で在宅医療(訪問診療)、外来診療にあたっております。

ご自宅や介護施設にいらっしゃる250名の患者さんを診ており、看取りをさせていただく方の数も、年々、増加しています。(平成30年7月1日現在で、合計患者数278名、死亡患者数は67名で、うち53名(79.1%)をご自宅で看取りました。なお、1年間の訪問診療は3,757回、往診は660回(うち緊急往診85回)でした。)

訪問診療のエリアも、規則の定める半径16km圏にひろがっており、東京都北区、足立区、荒川区、文京区、豊島区、板橋区、葛飾区、さらには、埼玉県の草加市、川口市、蕨市、八潮市になります。患者さんのお住まいのエリアに、腹膜透析治療に関われる医師がいないということで、さらに遠隔地にも伺う場合もあります。

4. 在宅医療の対象となる方とは

一般に、在宅医療(訪問診療)の対象となる患者さんは、主に、3つの場合に当てはまる方が中心となります。

●はじめに、日常生活の行動性の低下した高齢者(いわゆる寝たきり)のみなさまや、認知機能の低下が見られ、独力での通院が困難(いわゆる認知症)となったみなさま。

●次に、神経難病患者さん、外傷後遺症患者などの小児・若年の障害者のみなさま。

●そして、悪性疾患(がん)の末期患者のみなさまです。

ただ、これまで充分な診断がなされていない場合など、上記の状態に必ずしもあてはまらない場合もあります。また訪問診療をおこなっていても、病状の改善により、ふたたび外来通院に戻られるケースもあります。一度訪問診療が開始されたら、必ず自宅での診療を受け続けなければならないわけではありません。

5. なぜ、王子北口内科クリニック、埼玉みなみクリニックを選んで欲しいのか

 ここまで、私たちが、院長の考えのもと、どんなクリニックを作ろうとしてきたかを、かいつまんで話してきました。

 私たちが思い描く、王子北口内科クリニックのミッション(当院の使命・社会的役割)は、

お客さまが望んできた通りの、

豊かな人生を実現するために

必要な知識、知恵を届けることです。

そして、私たちの法人(ビジョナリーとは「先見の明のある人」の意です)の名にも、想いを込めて、そのことばを選んだように、私たち、王子北口内科クリニックのビジョン(当院が目指している将来像)は、

人がこの世に生まれ、いま生きているのは、

それだけですばらしく価値のあることなのだと、

お客さまが常に、実感できる社会を作ることです。

 医療人として、みなさまに価値ある知識・知恵を届けることこそ、私たちの願うすべてです。真に価値のある知識や知恵は、人が人に、愛を持って、運んでゆくものです。ともすると、小手先のテクニックや肩書きが幅をきかせる世の中だからこそ、私たちは、担当させていただくすべての患者様に、愛を込めて医療サービスを届けるという、あたりまえの基本に立ち返りたいと考えています。

 私は、院長として、当院のスタッフひとりひとりを誇りに思っております。スタッフが互いに助け合い、教えあい、高め合って、なにより私たちの提供する在宅医療そのもの、私たちの仕事を、愛し、誇りに思いながら、日々業務に当たってきたことを誰よりも知っているからです。

「私たちに、ご主人や奥さん、親御さんを任せてください。」

 私は、そうはっきりお伝えできます。私たちが、どんなことをやってきたか、という努力や実績にも少々の誇りを感じます。しかし、それよりも私たちが見てきた、患者さんたちの最後の笑顔、ご家族の、涙を流しながらも満足げな、輝くほほえみをたくさん見せてもらってきたからこそ、言えるのだと思います。家族が亡くなった悲しみや、喪失感を乗り越えて、なお、クリニックにごあいさつに見える方がたびたびおられます。

 そこで、残されたご家族と一緒に、何度も何度も、うれし涙を流してきたからこそ、私たちは、あなたの大切なご家族を、私たち自身に、どんどん任せて欲しいと、そう思うのです。

6. 在宅医療選びは、できる最高の親孝行のひとつ

 院長である私は、これまで医師として、数え切れない方々の最期を見てきました。病院のさびしい部屋で、たくさんの管につながった状態で、話すことさえできないまま、あえぎながら、天井を見上げて亡くなる方。ご自宅で、伴侶に手を握られ、子どもさん、お孫さんに囲まれて、文字通り枯れてゆくように、それでも満足げな表情を残して逝かれる方。お一人暮らしであっても、地域のさまざまな専門職のみなさんに囲まれ、深い感謝の思いをことばで伝えて亡くなる方もいらっしゃいました。

 私もそうですが、時代が変わり、かつてのような大家族で生活されている方はほんとうに減ってしまいました。同居する家族がいても、日中はひとりで過ごされる方が非常に多いです。

 たとえ家族がいても、それぞれがご自身の生活に必死で、日々の仕事、子育てに汗する毎日の方がほとんどだと思います。決して、親や家族をないがしろにしたくてそうしているわけではないでしょう。

 「孝行のしたい時分に、親はなし。」

 それでも、人は老いてゆきます。伴侶も親も、私たちが、なんとなく描いているイメージ以上のスピードで、着実に弱くなってゆくものなのです。そして、その変化は、ゆっくり進むばかりでなく、大きな病気やけがで急激な変化をみることもまれではありません。だからといって、いま、仕事や育児をやめて、家族の介護にかかりっきりになることはほとんど不可能な時代にあるのです。

 だからこそ、在宅医療という、新しいタイプの医療があることを、ぜひ知って欲しいと考えています。

 訪問診療とは、ただ計画的にご自宅やご施設に医師が診療に伺ったり、いざという場合に、往診をおこなったりするだけ、を言うのではありません。ケアマネジャー、相談員、訪問看護師、訪問薬剤師、理学療法士や行政担当者、地域の病院の医師・看護師などと、密接な連携を取り合って、「患者さんご本人が心から望む生活」に、少しでも近づけてゆくチームプレーです。それぞれの職種が、担当している得意分野のスキルを結集して、みんなでなにができるかを、日夜考え続けております。

 訪問診療を始める患者さんのお宅に集まって、最初は「どうしようか・・・」と、頭を悩ませるケースがたくさんあります。ご本人の思い、家族の考え、医療や介護の専門職の提案が、まるで一致しない、バラバラな状態から始まることも少なくありません。

それでも、患者さんやご家族と何度も何度も、じっくり話し合いをしながら、チームのメンバーと情報を共有するうちに、まずこうやろう、患者さんの状態、それをご覧になった家族の意見を、また聞いて、軌道修正をしてゆこう、となってゆくのです。

 その過程で、ご主人、奥さん、娘さん、お嫁さん、息子さんたちの、いろんな想いをお聞きします。だいたいは、ご本人、ご家族しか知らない、もう忘れかけていた昔のことを思い出されるようです。

 大切なお父さん、お母さんが、これまでどんな生き方をしてきたか。気を遣いすぎる、人前で格好をつけすぎる。誰の意見も聞かない人だった・・・。こうかも知れない。あんなこともあった・・・。徐々に、少しずつ、少しずつ、家族も、チームの専門職も、「患者さんご自身が、もっとも望むことはなにか?」に、自然に集中して想いを巡らすようになり、治療や介護の方針がひとつになるということをよく経験します。

 もういちど、家族がひとつになります。バラバラだった想いや考えも、ひとつになってゆくものです。年老いて、自分のことが自分でうまくおこなえない、1時間前のことも忘れてしまっている・・・。それでも、その患者さんがここでは主人公になるのです。

 家族に介護で迷惑をかけたくない。だからといって、経済的な負担を自分だけでは負えない・・・。そんな想いで、言いたいことも言えなくなっているお父さん、お母さんを、私たちと一緒に作る舞台に堂々と上げてほしいのです。生まれたばかりの赤ちゃんが、家族中の関心の的になるように、これまで一生懸命がんばってきたご主人、奥さん、お父さん、お母さんを、もう一度「主人公」にしてあげてほしいのです。

 そうすることが、私は、最高の、そして最後の、親孝行、家族孝行だと信じていますし、私たちには、その実現をお手伝いできるだけの経験とスキルがあります。

 世に多くの在宅医療を展開している診療所・病院があり、たがいに切磋琢磨している現状です。あなたがいま、大切な人を一緒に支えてゆくための在宅医を探しておられるなら、次の「正しい在宅医選びのポイント10か条」を参考にしていただけると幸いです。

7. 王子北口内科クリニック、埼玉みなみクリニックの勧める

「正しい在宅医選びのポイント10か条」

(当院スタッフ全員で話し合いを重ねて作ったものです。)

①もっとも大事なのは、本人、家族の希望をていねいに聞き、不安や恐れをできるだけ軽くしてくれる医師に出会うことです。率直に話をしたときの様子で、医師の人柄をよく知りましょう。

②医師の経歴だけではなく、なぜ、在宅医療をやっているのか、その動機や、在宅医療にかける情熱、想いを必ず聞いてください。

③医師だけではなく、クリニックや病院のスタッフとの相性も大切です。実際に医療機関を訪れて、提供されるサービスの内容や料金のことを詳しく説明してくれることを確認し、スタッフたちの人柄、ことばづかいも見ておきましょう。医師が複数いる施設では、その人数と、どのように分担しているのかも教えてもらいましょう。

④「24時間・365日の対応」を掲げているだけではなく、実際の診療実績(訪問診療回数、緊急往診回数)を尋ねましょう。特に、在宅医療に相当の実績のある「在宅療養支援診療所」は、毎年の実績を管轄の厚生局に報告する義務があります。その報告書(「在宅療養支援診療所に係る報告書」)を見せてもらいましょう。

⑤実際の、緊急時の対応の手順について、よく確認しましょう。状態によって、対応にどんな違いがあるのか、パターンをあらかじめ知っておくことも、いざというときのために大切です。

⑥患者さんの状態によって、検査やそれまでなかった病気の急ぎの治療、ご家族の休養を目的とした入院(レスパイト入院)が必要になる場合があります。その際、主治医として、地域の病院の機能にあわせた入院先選びが大切になります。主治医が、そうした地域病院の各分野の医師と、スムーズなやりとりができるか、普段どういった病院と交流があるかを確認しておきましょう。

⑦そのクリニック、病院について、患者様のお住まいの地域の「プロ」の評判を聞いてみましょう。地域包括支援センターの職員さん、訪問看護ステーションの看護師さん、居宅療養支援事業所のケアマネジャーさん、病院の退院相談窓口のスタッフさんがくわしいです。

⑧医療機関の看取りの実績を必ず聞きましょう。その際、担当していた患者さんのうち、全体のどれぐらいの方を、自宅や施設内で看取ったのか、先の「在宅療養支援診療所に係る報告書」をよく見せてもらいましょう。

⑨いつでも、担当医の変更、医療機関の変更・キャンセルができることを確認しましょう。緊急時の対応が事前の説明と異なる、料金の説明に納得がいかない、新しい担当医となんとなく合わない・・・。患者様、ご家族は、当然いつでも診療の契約をキャンセルすることができます。余計な気を遣う必要はまったくありませんし、疑問点があれば、どんどん尋ねましょう。

⑩実際に、在宅の看取りを経験されたご家族を紹介してもらえるなら、ぜひ、お話を聞いてみてください。ご家族の平穏な最期を経験された方々は、その後もクリニックと親しい関係を続けておられることが多いです。ご家族にしか分からない苦労や喜びについて、生の声を聞いてください。

8. 王子北口内科クリニック、埼玉みなみクリニックの在宅医療のご相談手順

①まず、お電話ください。

1) 電話 070-5466-0710 (統括マネージャー・大島久子)

2) 電話 03-5948-1717 (王子北口内科クリニック代表)

1) 2)の順にお電話ください。相談業務中などですぐに電話対応できないときは、速やかにおかけ直しいたします。

ご本人、ご家族だけではなく、外来や入院先の担当医の先生、病院の退院相談窓口の看護師さんや社会福祉士さん、ケアマネジャーさん、地域包括支援センター担当者さん、訪問看護師さんから、お電話をいただいてもかまいません。特に、退院を急ぐ場合などは、土日もご相談に対応致します。

②事前面談の日程を決めます。

ここでは、どんな病気で、どんなことに困っておられるか、不安を持っておられるかをお聞きし、ご自宅やご施設、入院中の病院に伺う日程の予定をたてます。入院中の方であれば、主治医の先生、ご家族を交え、病院内で「退院前カンファレンス」を開くことも可能です。お急ぎの場合は、事前面談を④初回訪問診療と同時に行うことも可能ですので、遠慮なくご相談ください。

③事前面談を行います。

患者様のお身体の状態、ご家族のご様子を詳しく聴き取らせていただいた上で、どれくらいの頻度でどんな訪問診療を行うか、またどれくらいの介護サービスを利用できるかをお話しさせていただきます。経済的負担がどれくらいになるか、はっきりさせておくのも非常に大切なことです。行政の援助に関する説明も充分に行えますので、ご心配ごとは、なんでもお聞きください。

④診療プラン作り・医療介護のチーム作りを行います。

事前面談のお話をもとに、連携する医療機関、介護事業所などと相談し、患者様の医療・介護をおこなってゆくチームを作ります。

当院は介護事業所(居宅介護支援・福祉用具)を併設しており、ケアマネジャー、福祉用具専門員もおります。訪問診療だけではなく、適切な介護をスムーズにお受けいただけるよう、地域の各種事業所とすみやかに連携をとってまいります。

⑤初回の訪問診療を行います。

改めて、医師・看護師からこれまでの経過、病状についてお聞きし、ご家族や担当のチームメンバーと、これからの診療方針を話し合ってゆくので、1~2時間ほどを要します。

⑥定期的な訪問診療に入ります。

24時間365日、当院医師が主治医として対応いたします。必要に応じて、土日・祝日や夜間も緊急往診をおこない、終末期の状態にある患者さんについては、ご本人・ご家族の希望に沿って、ご自宅でのお看取りまで担当致します。あくまで、ご本人・ご家族の希望が最優先されます。その内容が変わってゆくこともごく自然なことですし、方針はクリニックの全職員で共有されますので、遠慮なくお話しください。

参考までに、新聞に取材を受けた記事を引用しておきます。

【 内科クリニックの診療時間をもっと便利に。 】

(抜粋訳)

 病気で症状が出るのは日中とは限りません。会社勤めをする人の多くが、症状があって診察に行きたくても、通常のクリニックの診療時間の診察に間に合わず困るという経験をしています。東京北区にある王子北口内科クリニックは、朝7時半から8時半、9時から正午までに加えて、夕方6時半から夜10時にかけて開院し、そのような通常の診療時間外の診療を受けたいというニーズに応えています・・・(中略)。腎臓病を専門とする船木医師は、腹膜透析治療をクリニックにて提供するほか、内科全般にわたる診察を行い、さらに必要に応じて訪問診療も行っています・・・(中略)。

 ・・・船木医師は、医師は人生の最後の瞬間まで患者を診るのが当然だという哲学のもと、在宅医療を提供しています。

 「きちんと患者さんを診たければ、医師の外来での診察に患者様が通えなくなった後が大事な時なのです。私にとって、そもそも医療というものは患者さんのもとを訪ねることであり、在宅医療に同じ意味を持っていました。外来の患者さんを受け入れることは、そのまま在宅医療を提供することに繋がっていくのです。」

 船木医師は、クリニックを経営していく上で、医師とともに夜遅くまで働くスタッフの存在を重視しています。高い使命感を持って、スタッフが勤務についてくれるように、医師はクリニックの使命と経営理念を文書化しており、おかげで自身もぶれることなく、独りよがりになることなくいられるといいます(後略)・・・。

(2017年11月17日 The Japan Times)

9. 当法人スタッフ紹介

■ 診療部・医師

・船木威徳

(ふなきたけのり・王子北口内科クリニック院長)

北海道出身・旭川医科大学医学部卒

・棚瀬健仁

(たなせたけひと・埼玉みなみクリニック院長)

岐阜県出身・福井医科大学医学部卒

・菊川利奈(きくかわりな)

宮城県出身・東北大学医学部卒

・川上悠介(かわかみゆうすけ)

山口県出身・長崎大学医学部卒

■ 統括マネージャー

・大島久子(おおしまひさこ) 東京都出身

■ 看護部・看護師

・谷口香(たにぐちかおり) 岩手県出身

■ 医事課

・榎本ふみ子(えのもとふみこ) 東京都出身

・秋山恭江(あきやまやすえ) 広島県出身

・西村悦子(にしむらえつこ) 東京都出身

■ 在宅療養連携推進室

・庄司恵(しょうじめぐみ) 埼玉県出身

・髙岡利幸(たかおかとしゆき) 神奈川県出身

・阿部勝(あべまさる) 宮城県出身

・藤井俊之(ふじいとしゆき) 愛知県出身

・大島銀士(おおしまぎんじ) 埼玉県出身

10. 推薦のことば

作成中・省略

11. 「『奇跡』は、起きるもの。」

最後に、私が2016年3月に経験した、ある患者さんのことを記しておきます。私、そして、当院のスタッフたちはたびたび、患者様のまわりに起きる奇跡を体験しています。「『奇跡』は、起きるもの。」私はそう、信じています。

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【 おじさんの顔をした「天使」がいた部屋 】

「先生の言うとおりにさ、やってもらおうよ。布団じゃ、おれたちもお前の世話大変だよ。ベッドにしてもらおう。」

私たちが半年ほど訪問診療を続けていた70代の男性が、自宅内で転び、痛みのため立てなくなって数日。すでに肺の病気で、自宅内ではずっと、酸素を吸いながら(在宅酸素療法)の生活だったAさんを中心に、私と、お友達の「たかしさん(仮名)」「わたるさん(仮名)」とでようやくベッドを入れることを受け入れてもらいました。

この半年、不思議なことが起きすぎました。そもそも、このAさんが、「なぜ、生きているのか?」が私には不思議でしょうがないのです。

小さなパンを一かじり~半分。そして、プラスチックのコップに半分か1/3くらいのコーヒー牛乳、せいぜい50~100mlが、Aさんの「一日の食事のすべて」です。ほかに何も飲まず、何も食べていません。それに、そもそも、独身のAさんの部屋でこまかく世話を焼いてくれる「たかしさん」「わたるさん」。洗濯機もない部屋で、手洗いで友人の衣服を洗い下の世話もする。毎日毎日、その世話を続けていました。

「親友なんでしょうか?」看護師が聞いてきます。

いや、いくら男たちの友情が強くても、自分たちの生活をそっちのけに、ここまでできるだろうか?私はただ不思議に思うばかりでした。いつ、訪問しても、はあはあ言いながら、椅子にかけているAさんを、同じ70代の比較的力仕事の得意な「たかしさん」、いろいろな事務的な雑務、電話応対をこなす同じ70代の「わたるさん」が囲むように、あたたかいまなざしで、それでいて、強く励ましながら、支えていました。

いつも、男同志、3人の部屋。

友達らしい2人はもちろん同居ではなく、毎日、何時間もの間、Aさんの自宅に集まり家事、下着、寝間着の洗濯、掃除などをして帰って行くのです。なぜか、いつも、あたたかく穏やかな空気と不思議な時間が流れていました。

それでも・・・。お別れは、あっけなく訪れます。

ある日の夕方、「たかしさん」から私に電話が入りました。「先生ね。あいつ(Aさん)さ、息してないんだよ。」すぐに、行程を変更して、Aさんの自宅に急ぎました。まだ、ベッドに変更する余裕もないまま、Aさんは、穏やかな寝顔のままで、眠り慣れた「いつものよごれた」布団にくるまったままで、なくなっていました。

「あいつね、とっくに前にね、親兄弟とは縁切れちゃってるからね。おれたちふたりでさ、おれたちしかいないからね、せめて最後まで見送りますよ。」私は、ここは、医者として断言できるのが、彼ら2人の「親友」がいたから、Aさんはここまで生きていられたのだということ。

2人の「親友」は、さみしさと、それでいて、何かをやり遂げた「満足」も感じさせるような目で、なくなったAさんを見つめていました。

私は、Aさんの訪問診療を始めた時点で、生きられて、長くて数週間だろうと考えていました。それが、もうすでに半年以上。

「入院はしねえよ。ずっと家にいたいよ。」と最期まで自宅で過ごすという、当初のAさんの希望もかなえることができて私も寂しいながらも、「よかった」と思います。

が、改めて思い返すと、なにかが、おかしいのです。やっぱり、おかしい。私たちは、半年もの間、Aさん、親友(らしい)「たかしさん」「わたるさん」の3人とさんざん話をしながら、彼ら3人のことはなにも知らないのです。こんなに個人的な情報を聞き出せないケースは正直初めてです。彼らが、もともと何をしていてどこで出会い、なぜ、こんなにも尽くしてあげられるのか?友情、とか、愛情だけで、果たして説明ができるものなのか?

いったい、「たかしさん」「わたるさん」は誰なのか?彼らが、近所に住んでいるらしいことは聞いていましたが、家族がいるのかさえなぜか知らない。ケアマネジャーさんも、訪問看護師さんもヘルパーさんも、彼らと話しているはずなのに、だれも「彼ら」の素性を知らない。私は、いままで、「生と死がすれ違う場所」で長く、仕事をしてきましたが、断言できるのは

『奇跡は起きる』ということ。

亡くなろうとしている人の上に、その人を愛してやまない人々の上に、たしかに「奇跡」は起きます。おそるおそる、「たかしさん」の携帯に電話しましたがその後、通じることはありません。

「ああ、そうなんだ・・・」今なら、私は、当たり前のように納得できます。色黒で力持ちの「たかしさん」も、色白で事務系の「わたるさん」もなにかの理由があって、Aさんのもとに遣わされた「天使」だったんだということ。これらすべては、人には触ることが許されていない世界でおきていることだと思いますが、そのごく「一部分」だけでも見せてもらえる、医療という自分の仕事が、私は自分で、幸せでしかたがない毎日です。

Aさん、たかしさん、わたるさんに出会えてよかったと、改めて思います。そして、明日もまた、この世にたくさん起きている『奇跡』のかけらを見つけたくて、患者さんの家に行こうと思うのです。ひとりひとりが、誰もが、一度限りの人生、二度と来ない今日を生きています。今日も、誰かが、誰かを思う強い思いが交差するところに『奇跡』は起きているのです。それは、きっと、あなたの大切な人のもとにも、起きることなのです。

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私の好きな「アンパンマンのマーチ」にこんな歌詞があります。

何のために生まれて、何をして生きるのか

答えられないなんてそんなのは嫌だ!

今を生きることで 熱いこころ燃える

だから君は行くんだ 微笑んで

何が君の幸せ 何をして喜ぶ

解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

忘れないで夢を 零(こぼ)さないで涙

だから君は飛ぶんだ 何処までも

時は早く過ぎる 光る星は消える

だから君は行くんだ 微笑んで

確かに、時は早く過ぎてゆきます。

光る星もいつかは消えます。

たとえどんな親と子であっても、そして、これまで、

互いにどんなできごとや、悲しい想いを経験してきたと

しても、でも、父、母がいたから、私が、ここにいる

ことができて、今を生きることができているのだという

ことを、この歌を聴くたびに、私は思い出しています。

忘れないで夢を 零(こぼ)さないで涙

だから君は飛ぶんだ 何処までも

どうか、あなたの想いが、

大切なひとのもとに届きますように。

※「アンパンマンのマーチ(作詞 やなせたかし)」

より引用

理事長・院長 船木威徳(ふなきたけのり)経歴

北海道函館市生まれ。山口県、兵庫県神戸市、明石市に育ち、

灘高等学校卒業後、

1996年、国立旭川医科大学医学部医学科を卒業。

1997年、北海道札幌市の札幌徳洲会病院にて初期研修。

1998年、米国ハワイ州、クイーンズメディカルセンターにて国外研修。

1999年、鹿児島県与論町、与論病院に勤務。

2000年~2019年、東京女子医科大学附属第二病院

(現・東医療センター)内科・血液浄化部に勤務。

2011年、夜間診療専門の内科クリニックを東京都北区王子に開設。腹膜透析診療も並行しておこなうと同時に、腹膜透析患者の在宅医療を積極的に進め、透析患者の定期的な訪問診療件数は全国トップとなる。2016年から始めたHOPE(Home-care Oriented Peritoneal dialysis Encouragement)プログラムは、「どんな病態、どんな事情があっても患者様の望む場所での腹膜透析をサポートする」というミッションを達成するため現在も医師4名の体制で、広範囲の診療を展開している。

専門: 腎臓病、血液浄化療法学全般。

2002年より行った、光触媒技術を応用した透析液浄化装置の開発に関する研究では、欧州透析移植学会にてブルーリボン賞、日本人工臓器学会にてオリジナル賞を、それぞれ受賞している。

医師

王子北口内科クリニック 院長

埼玉みなみクリニック 担当医師

医療法人社団ビジョナリー 理事長

東京大学医学部 臨床指導医

一般社団法人生活習慣病コーディネーター協会 理事

東京都北区医師会在宅療養支援診療所委員会 委員

東京都(保健福祉局)指定 認知症サポート医

東京都北区医師会もの忘れ相談医

難病指定医

私の好きなことば:

● 数え切れないほど、悔しい思いをしてきたけれど

その度にお袋の「我慢しなさい」って言葉を思い浮かべて、

なんとか笑ってきたんです。 

~手塚治虫 (日本の漫画家、医学博士/1928-1989)

● どんな薬より、どんな手術より、

やっぱり生きたいという気持ちが大切だ。 

~須磨久善 (兵庫県出身の心臓外科医:

NHK プロジェクトX 挑戦者たちリーダーたちの言葉

第2部 魂をゆさぶる生き方 24:50)

★王子北口内科クリニックが

テレビで紹介されました。

テレビ埼玉「Doctor’s eye」 (2017年9月放送)

https://youtu.be/47fom3oXozs

■ 当法人が対応している診療の範囲

すべての分野の在宅医療です。

○すべての認知症治療 ○すべてのがん治療 ○ターミナル・ケア(終末期医療) ○すべての指定難病 ○中心静脈栄養(IVH) ○胃ろう ○膀胱ろう ○腎ろう ○人工肛門 ○在宅酸素療法 ○在宅人工呼吸器 (気管切開、非侵襲的陽圧換気を含む) ○すべてのカテーテル管理 ○持続注射をふくむすべてのタイプの麻薬による疼痛管理 ○在宅透析(CAPD)療法 ○トリガーポイント注射 ○関節腔内注射(肩・膝) ○すべての褥瘡処置 など。その他の医療機器など、ご不明の点はおたずねください。

■ 当法人が訪問診療を実施しているエリア

○ 王子北口内科クリニック(東京都・北区)

東京都・北区、足立区、荒川区、文京区、豊島区、板橋区、墨田区、埼玉県・草加市、川口市、蕨市、八潮市など、半径16km範囲内です。ただし近くに腹膜透析に対応する医療機関がない場合はご相談下さい。

○ 埼玉みなみクリニック(埼玉県・八潮市)

埼玉県・八潮市、草加市、川口市、蕨市、三郷市、流山市、東京都・足立区、葛飾区、墨田区、など、半径16km範囲内です。

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みなさま。あらためてありがとうございます。不思議なご縁でつながっているみなさまに

価値ある時間をお届けできますよう、今後も、学び続けてまいります。

※当法人の訪問診療エリアに関係なく、在宅医療(訪問診療)に関するご相談は、随時無料でお受け致します。メッセンジャーでお寄せください。

※また、都内、埼玉県南エリアで実際にご家族などの訪問診療をご希望になる方は、文中、8の手順でご連絡ください。

~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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