Facebook・岡本 よりたかさん投稿記事 「命の選別」
大西つねき氏の動画を観て、どう表現したら良いのか、しばし言葉を失った。僕は世捨て人ではない。だから、生死にも無関心ではない。母が緩和ケアに入った時、医師から延命措置をするかと訊かれた。母に相談する勇気はなく、「しません」と答えた。
先に死にゆく母を病院のベッドに縛りつけ、チューブを繋ぎ、胃ろうをしながら生きながらえさせる。延命措置をしていた叔母の状態を見ていたから、僕は断った。本人も家族も辛そうだった。叔母の介護をする従兄弟の話を聞いていたことが、延命措置を断った最大の理由だったのかもしれない。
多くの時間を奪われていく。それが不幸がどうかは別にして。母が意識を失っていく中、父はポツンと言った。「延命措置なぁ…」そこで言葉を止めた。
したくないと言いたかったのか、した方がいいかなと言いたかったのか。僕はしないと決めていたから、その瞬間、胸を掻き毟られる感覚だった。目頭が熱くなった。
今は、死に向き合うことが少ない。気がつけば、葬儀の連絡だけが来る。
いつも他人事で、自分が死ぬことを受け入れていない。
そんな世の中であれば、延命措置をすることで多くの若い人の時間が奪われていく、と言う主張は理解できる。
しかし、自分が死ぬより他人が死ぬことを望むことは命の選別ではなかろうか。
動物を食べることは、命の選別ではないのだろうか。
僕とて、母の死に関して、命の選別をしたことになる。
今の医療の延期措置を拒否したのだから。
つまり、誰もが無意識に命の選別をしているのである。
僕は、命の選別を不自然なものにしてしまったのは、今の経済社会だと思っている。
他人より抜きん出ることが善であり、競争に負けることが悪である経済社会。
だからこそ、経済社会の申し子のような大西つねき氏が、命の選別について語ることに、違和感があったのかもしれない。
その昔、人は多くの命を育て、そしてその命を絶ち、生きながらえてきた。
先祖は今の自分を世に産むための存在であったし、延命措置など考える必要もなかった。そこには経済社会は存在しない。権力も政治もない。あるのは、家族という社会であった。命の選別は、同じ命のラインに並ぶ子孫、そして家族の問題だけであるべきなのだろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c5ff0319643e571f6100b5ab0f51fc300da4d291 【「命の選択」が物議 コロナ治療に優先度はある?】 7/10(金) より
れいわ新選組の公認候補がどこまで高齢者を長生きさせるのかと命の選別について発言し、その後に謝罪しました。一方でコロナ第2波を前に、感染した場合に高度治療を若者に譲るとの意思表示をするカードが話題を呼んでいます。
大西つねき氏:「高齢の方から逝ってもらうしかないです」
れいわ新選組の公認候補として去年、参議院選挙を戦った大西つねき氏の発言が物議を醸してます。
大西つねき氏:「高齢者をもうちょっとでも長生きさせるために子どもたちか若者たちの時間を使うのかってことは真剣に議論する必要があると思います」
問題視されているのは3日に配信された動画。大西氏は医療費や介護費の負担もあるとしながら高齢者のために若者の時間を使うことを問題とし、命の選別について言及しました。
大西つねき氏:「こういう話、多分、政治家怖くてできないと思いますよ。ま、『命の選別するのか』とか言われるでしょ。生命、選別しないと駄目だと思いますよ。もうはっきり言いますけど、何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。その選択するんであれば、えっと、もちろん高齢の方から逝ってもらうしかないです」
この発言は多くの批判を浴びて現在、動画は削除され、大西氏は発言を撤回して謝罪…。れいわ新選組はこの発言を「看過できない」とし、除名はしないものの、ネットで公開する形で大西氏に対して生命の尊重に関するレクチャーを行うとしています。
この、命の選別。つい最近もコロナの感染拡大を受け、議論となりました。
ジェローム・ピノ医師:「集中治療室に入れる患者を選ばなければならない。その決断に強いストレスを感じます」
新型コロナウイルス患者が激増した3月から4月ごろ、イタリアやスペインなどヨーロッパ各国は医療体制が逼迫(ひっぱく)、人工呼吸器の数も限られ、生存の可能性が高い命と、そうでない命を選別しなければならない事態に。その結果、若い世代への治療が優先され、措置されなかった高齢者が亡くなるケースもありました。
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