古くから信仰の対象だった日本の森

若水を榕樹と分かつ島根かな  五島高資

— 場所: 樫の浦大アコウ樹

https://watashinomori.jp/study/basic_02-3.html  【古くから信仰の対象だった日本の森】より

日本の民俗宗教には、八百万(やおよろず)、と言われる程多種多様な神さまがいますが、それは、古代より日本人が山や海や木や岩など、身近な自然物のすべて、森羅万象を信仰の対象としてきたことと関係します。 また、古代の日本では、世界は人々が毎日を暮らす現実世界「ウツシヨ(現世、またはこの世)」と、永遠に変わらない、神や死者の世界「トコヨ(常世・常夜、またはあの世)」で成っていると考えられていました。興味深いことに「トコヨ」「あの世」は山の彼方や、海の彼方などにあるとされていて、大きな自然を「人知を越える境界」として怖れ敬っていた、と想像することができます。

(※1)出雲大社(島根県)。神無月には全国から八百万の神が集まり神議を行うとされる。

山や森を信仰の対象とした山岳信仰

古い日本の神道では、山や森を神が宿ったり降臨したりする場所としてまつってきました。これが山岳信仰です。雄大な山の威容や火山の圧倒的な力などに対する畏怖・畏敬の念や、水源・狩猟の場・鉱山・林業の場として、森林が人間の生活に多くの恵みをもたらしてくれることなどから、山や森を信仰の対象としたのでしょう。

多くの日本の山には神社があり、神社がない山を探す方が難しいといわれるほどですが、奈良県の大神(おおみわ)神社のように本殿を設けず、山そのものを神体として信仰の対象としているところもあります。また、神道だけでなく仏教でも、空海が高野山を、最澄が比叡山を開いたことなどは良く知られ、山を特別な霊場と考えていたことがわかります。密教や道教の流れをくんだ山伏などが、悟りを開くために山深くに入り修行を行い、山岳仏教も盛んになりました。

(※2)熊野山中でほら貝を吹き修行中の山伏

手つかずの自然を残す神域・禁足の地

神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域をさす言葉に「カムナビ(神奈備、カンナビ、カミナビとも)」という言葉があります。「カムナビ」は、神が宿るとされる巨岩や木などの自然物を指すことも、また、那智の滝(和歌山県)のように、特徴的な自然物のある場所一帯を指すこともあります。神社を囲む「鎮守の森」も「カムナビ」を代表する神域の一つです。

(※3)出雲大神宮(京都府)に祀られた岩。これも磐座(いわくら)というカムナビのひとつ。

(※4)由岐神社(京都府)近くに祀られている樹齢800年の杉の大木。

カムナビには、「この世」と「あの世」の境界や、人が踏み込んではならない結界という意味もあり、古くからの自然をそのままにに残す役割も果たしてきました。このため鎮守の森には、人間が手を入れる以前からあるその土地本来の植生がいまも残されているとされ、植物生態学の研究対象ともなっています。奈良県の大神神社のご神体の三輪山では、いまでも「山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをせず」とうたっています。

(※5)本殿を持たない大神神社。大鳥居は大三輪の神体山聖域への入り口です。

暮らしに関わる山の神と霊や妖怪

いろいろな顔を持つ、山の神

日本各地の農村部では、春になると山の神が里に降りて田の神となり、秋の収穫を終えると山に帰るという信仰があります。これは、山には農耕に欠かせない水の源があることと結びつくと思われます。

桜(サクラ)という言葉の「サ」は、穀物の神(田の神)を意味するという説があります。山の神が里に下りるとき、山と里との中間領域で休息する場所を、「サ」の「クラ」(鞍)、「サクラ」と呼び、それはちょうど山桜が色づいている頃の場所を示すというのです。ちなみに、田植え始めに田の神を迎える儀礼を「サ・オリ」、田植えが終わって、田の神を送る儀礼を「サ・ノボリ」と言い、田植えをする女(または田植え祭りに田の神に扮する少女)を「サ・オトメ」、この時期を「サ・ツキ」と呼ぶことなど、みんな田の神「サ」にちなんでいるそうです。

一方、猟師・木樵・炭焼きなどを生業とする山の民の場合、山の神は仕事の場である山を守護する神で、農民の田の神とはちがって常にその山にいるとされます。そして山の神は禁忌に厳しいとされ、例えば祭の日(一般に毎月12日など12にまつわる日)は山に入ることが禁止されています。この日は山の神が木の数を数える日なので、山に入ると木の下敷きになって死んでしまうといわれています。

山の神の性別は地域によって様々ですが、恐妻家が口にする「うちの山の神が」という言葉では女神として知られています。関東から東北にかけて山の神を安産の神とする地域も多く、出産時に夫が馬を引いて山へ入り山の神を迎える習慣がありました。山で馬が急に身震いして立ち止まると山の神が馬に乗ったしるしとされたそうです。

(※6)田の神

田んぼの畦に祀られた田の神。形はさまざまなものがあります。

(※7)山の神

吉野川上村に祀られた山の神。ここは女性の神様だそう。

死者の世界としての森

死者の魂(祖霊)は山の上の彼方から「トコヨ」に行ってしまうと信じられていたことから(「山上他界」という)、山や森を死者の霊の集まる異界や、その境界と位置づけることもあります。また、「常夜」と書く場合のトコヨは、暗い闇に閉ざされた黄泉の国や地獄を表すとされたので、山や森のそうした「異界」には、禍や災厄をもたらす恐ろしいものが現れるという伝承もたくさん残っています。

山や森に棲む妖怪の代表的なものとしては、大江山の酒呑童子のような鬼、山の支配者である天狗、人をとって食うという山姥、とてつもない巨人のダイダラボッチ(大太法師)、山の上から長い手足を伸ばして海を行く船や麓の村人をとって食う手長足長、人の心を見抜いて言い当てるサトリ(覚)などがあります。他にも、古木に隠れている砂かけ婆、古い大木の下で算盤をはじくような音を立てる算盤坊主や人面樹など木にまつわる妖怪もたくさんいます。

ダイダラボッチ 山姥

山姥

八百万の神の国・日本では、神さまから妖怪まで、その形はさまざまですが、わたしたち日本人は、山や森そのものや、森の奥に住む存在を常に身近に感じて、崇拝したり畏れたりしてきたことがよくわかります。そしてこのような深い精神的な結びつきこそが、山や森が日本人の心のふるさとの一つであり、文化的な豊かさの根っこであることを感じさせてくれるのです。

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