無人島にある日本版ストーンヘンジ「王位石」の謎

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Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事「NASAから撮影した地球日本が美しい」

夜の闇に浮かび上がった日本列島の、神秘的なまでの美しさにご注目を!

ちっぽけな自分の存在さえそこにあるのかと思うと、なんだか涙がでてきそうになりました。

地球上の日本列島は、まるで天空に向かって上昇する龍の雄姿のように見えます。

外国人の声

・アジアに横たわる龍だ!

・衝撃的な美しさだ。

・私の夢の国。

・日出づる国。


https://dailyportalz.jp/kiji/150319193013 【無人島にある日本版ストーンヘンジ「王位石」の謎】より

鳥肌たちました。

長崎県は野崎島に、「王位石(おえいし)」という日本版ストーンヘンジとも言うべき謎の巨石がある。

サークル状にこそなってないものの、巨大な石が鳥居のように積み重なっている。その大きさは高さ24メートル。上に乗ってるテーブル状の石の大きさが5m×3m。人工物なのか自然にできたものなのかすらわかってないという。

これに間近まで迫ってきたのでレポートしたい。

王位石がある野崎島は、完全な無人島となるのを避けるために一人だけ住民表を置いてる人がいる「ほぼ無人島」。そこには世界遺産候補になっている教会があったり野生の鹿が住んでいたりして、昨年訪れて大変感銘を受けた。

その時も行きたかったが行けなかったのが王位石だ。

なにしろ船が1日2便しかなく、野崎島に行くだけでもなかなか行けないというのに、さらにHPの情報によれば往復5時間以上の登山をしないと辿り着けない。

で、2度目の野崎島訪問となる今回はここを目指した。

遠くから望遠で見た王位石。巨大な石が鳥居のカタチに組んである。その下に見えるのは神社。沖ノ神島神社という。

遠くから望遠で見た王位石。巨大な石が鳥居のカタチに組んである。その下に見えるのは神社。沖ノ神島神社という。

まずは小値賀島(おぢかじま)へ私が住む長崎から野崎島までの行程は以下。

長崎 → 佐世保 → 小値賀島 → 野崎島同じ県内なのに3ホップもかかる。いわんや県外をや。

小値賀で一泊し、翌朝の便で野崎島へと渡る。「以下略」


https://www.travel.co.jp/guide/article/35428/ 【長崎五島の世界遺産・野崎島のルーツ!王位石へのトレッキングツアー】 より:

新たに世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。構成資産の一つである野崎島は潜伏キリシタンが移り住んだ島であり、旧野首教会が佇んでいることで知られています。

一方で潜伏キリシタンが移住してくる遥か以前より、野崎島は「王位石(おえいし)」という御神体が鎮座する神の島として知られていました。いわば野崎島のルーツともいえる「王位石」のトレッキングツアーに参加してみてはいかがでしょう。

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五島列島は日本と大陸を繋ぐ航路上にあり、古くより数多くの交易船が行き来していました。その証拠として、野崎島の西隣に位置する小値賀島には、古代中国船の停泊に使われていた碇石(いかりいし)が残されています。

また平坦な土地が少ない五島列島の人々は漁業で生計を立てていたということもあり、野崎島に聳え立つ「王位石」は海上安全を祈願する沖ノ神島(おきのこうじま)神社の御神体として、五島列島一帯から信仰を集めるようになったのです。

小値賀島の東海岸に位置する前方(まえがた)集落には、野崎島の沖ノ神島神社と対を成す地ノ神島(ちのこうじま)神社が鎮座しています。その鳥居は野崎島に面して建てられており、そこから王位石を望むことができるようになっています。小値賀島の人々は地ノ神島神社から王位石を遥拝し、あるいは船で野崎島に渡って沖ノ神島神社に参拝していました。

野崎島は隆起によって形成された島であり、険しい山々が南北に連なる地形となっています。比較的なだらかな島中央部の東岸には沖ノ神島神社の氏子が住み、神官屋敷を中心とする野崎集落を形成していました。神の島である野崎島の住人は、長らくこの野崎集落のみでした。

神の島に移住してきた潜伏キリシタ

江戸時代の後期になると、五島藩の開拓移民政策によって西彼杵(にしそのぎ)半島の外海地区に住む人々が五島列島の各島に移り住んできました。実はこれらの移民は潜伏キリシタンであり、江戸幕府の禁教令による弾圧から逃れるべく新天地を目指して移住してきたのです。

野崎島にも野首集落と舟森集落の二つの潜伏キリシタン集落が形成されました。明治6年に禁教令が解除されるとカトリックへ復帰し、両集落に教会堂が建てられています。しかしながら高度経済成長期による集団離村によって野崎島の全集落が廃村となり、実質の無人島になってしまいました。

潜伏キリシタンの歴史が評価されて世界遺産になった野崎島ですが、そもそもなぜ野崎島が移住先として選ばれたのかというと、ズバリ沖ノ神島神社とその御神体である王位石があったから。古くから信仰されてきた神の島の住民であれば、キリシタンだと疑わる可能性は低いだろうと考えたのです。

要するに王位石は野崎島に潜伏キリシタンの集落が築かれるに至った要因と言え、訪れる価値は大いにあります。

かつて野崎島は、小値賀島に住む人々の薪取り場として利用されていましたが、沖ノ神島神社の周囲だけは神域として原生林が保たれています。尾根から沖ノ神島神社へ下る最後の道に沿って巨木や巨石が続いており、これぞ神域というべき神秘的な雰囲気です。

最後の石段を上って沖ノ神島神社の社殿に到達すると、その頭上には巨大な王位石が聳えています。24mもの高さがある二つの立石に、テーブルのような横石が乗るその形状はまるで鳥居のよう。あまりにもできすぎた造形のため、自然の産物なのか人の手によって築かれたものなのか定かではありません。

社殿の裏手をよじ登ると、王位石を間近で見ることができます。複雑な形状に組み上げられた巨石は圧巻の一言。かつては石の上で神楽が奉納されていたともいい、まさに神を感じるにふさわしい磐座です。


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