https://tacchan.hatenablog.com/entry/2015/02/05/183845 【磐座と飛行物体】 より
磐座(いわくら)の謎について。
古代に空飛ぶ乗り物があったというと、ファンタジーかもしれませんが。
しかし記紀神話には、そういう記録があるから仕方なし。
たとえば最も最初のものでは、
イザナギとイザナミが、天空に浮かぶ天の浮橋から、天の沼矛で混沌の海をかきまわして、矛から滴る塩の塊が淤能碁呂島となった
ウィキペディア「国産み」より
「天の浮橋」とはイザナギとイザナミの乗り物だったと考えると、日本の神さまは宇宙空間からそうした仕事をしたようなんですね。天の沼矛というのは、地上の形を自由自在に整形できる、という超古代の科学技術だったとすると、現代科学よりずっと進んでる感じです。SF小説なんかでは、惑星を作てしまう内容の作品がありましたが(なんだっけ)。
「天の鳥船」「鳥之石楠船神」という神もあって、これは空飛ぶ船そのもの。
神武紀には、饒速日命が日向から大和へ飛び降ったという表現があったりして。
こうした日本神話を見ていくと、インドの古典『リク・ヴェーダ』に登場する空飛ぶ飛行物体「ヴィマナ」が思い起こされますね。これ、一分の情報によると、既に発掘されたとか。
そもそもインドの仏教建築の塔が、どうしてロケット型なのかというと、これは飛行物体ヴィマナの姿を具現化したのが本来の意味だとかそうでないとか。
メキシコのパレンケ遺跡の石棺は、宇宙船をモチーフにしたとか、昔のキリスト教の絵画にはUFOが描かれるのと同様ですね。日本の古代にも空飛ぶ乗り物が登場してたのです。
このサイトでは古代から中世にかけての空飛ぶ飛行物体の絵画を集めてます。
過去記事ではこんなのも。
紀元前2000年に描かれた機械的な壁画
日本の古い神社には「磐座(いわくら)」と呼ばれる巨石が存在してたりしますね。
実は「磐座というのは、本来空飛ぶ飛行物体を表している」としたら?
この「磐」という漢字は、「石の上に般=船」。
石の上に船を置くなんて、豚に小判か猫に真珠みたいな感覚で捉えられても困りますけど。
ところが「磐」の本来の姿を知ると、これは空中浮遊に関係する不思議な意味を帯びてくるのでした。
いつものように「学研漢和大字典」を引いてみる。
【磐】いわ
1いわ どっしりと平らに大きくすわった石。いわお。
2平らに広がる。平らに円をかく。ぐるぐる回る。
3あぐらをかいて、どっしりとすわる。わだかまる。ぐるぐると円を描いて回るだけでたち去らない。
古訓に、「チヒキノイシ」とある。
1番目が、磐の字義としてはよく知られたところ。岩とはどっしり座った石であり、それ以上でも以下でもないと。しかし不思議なことに、「円をかく」「ぐるぐる回る」意味がある。
神社の磐座とは、円を描く場所だったことに。ほんとに不思議なことで、どういう意味なんだろう。
古訓のチヒキノイシについてはすぐに思い当たりました。
『古事記』の「黄泉」の箇所を見てみる。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から脱出する場面で、以下のように書いてます。
「最後に其の妹(いも)伊耶那美命(いざなみのみこと)、身自(みずか)ら追い来つ。尓(しか)して千引の石(ちびきのいは)を其の黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞へ、其の石を中に置き、おのもおのも対ひ立ちて、事戸を度(わた)す時に、伊耶那美命言さく、「愛(うつく)しき我がなせの命、かく為たまはば、汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞り殺さむ」とまおす。尓して伊邪那岐命、詔(の)りたまはく、「愛しき我がなに妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまふ。是を以ち一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり」
『古事記現代語訳付き』(中村啓信=訳註)より。
イザナギが黄泉から逃げ帰るとき、鬼と化したイザナミが追いかけてきたのですが、千引の石で出口を塞いだことで、黄泉の国とイザナミ=黄泉大神を封じたのです。しかしイザナミの呪いの力は完全に封じ込められず、「一日に千人殺す」と言ったのに対して、イザナギは「じゃ1500人増やす」と対抗したというお話なのです。
ここに登場する「千引の石」が、「磐=チヒキノイシ」であるようなのです。
つまり神社の磐座というのは、チヒキノイシであり、黄泉の国の出口を塞いでいる結界であるとの解釈を昔の人は持ってたようです。
それがいつしか忘れ去られたようで、「学研漢和大字典」に収録した古訓に残るのみとなったとか。
この前の記事
極論だけど日本の神様の起源はエジプトの神にあると思った件
が関係してますけど。
そういえば和歌山県熊野市有馬に「花窟神社」がありますね。ここ『日本書紀』でイザナミが葬られたとある熊野有馬村に比定されております。花窟神社ではイザナミと軻遇突智(かぐつち)を祀ってるんですけど。軻遇突智は生まれた時に炎によってイザナミを死なせてしまったために、父イザナギに斬り殺された不条理を地で行く火の神さま。
花窟神社には高さ45メートルの巨大な磐座があって、その名を「陰石」といい、「ほと穴」と呼ばれる穴があいてるそうな。ここも伊耶那美命を封じたという意味合いが本来はあったんでは。
しかしこれだけでは「磐」の意味にあった「回転する」、「ぐるぐる回る」の意味がわかりませんね。
そこで「磐」の字の上半分の「般」についても字典を見てみる。
【般】ハン
1 めぐる めぐらす 中心からまるく平らに広がる。円をえがいてまわる。また、そのさま。
2はこぶ 中心に集めた物を円形に広げることから、物を移しはこぶ。
3かえす かえる もとへもどす。また、もどる。
古訓には「オホフネ」とある。大船のこと。
これは凄い。
般=船とは、中心からぐるぐる回って、元へ戻る(天空へ戻る)意味だというのです。古訓は大きい船であるから、船がぐるぐる回りながら天空へ飛翔する場所だということになるんですけど。空飛ぶ船の発着場・・・
磐座って、そういう場所だったんですね。
磐座には、「イザナギが黄泉の国を塞ぐ」「ぐるぐる回りながら天空へ飛翔する」意味があって、「イザナギが黄泉を塞いで高天原へ戻る」という日本神話の行動原理が反映されてたようなのです。
そういえばイザナギが天の浮橋から天の沼矛を「こおろこおろ(ぐるぐる)とかき回したり、国生みの時には天の御柱の周囲をぐるぐる回ったりしてるんですよ。イザナギ・イザナミのパワーは、やたらと回転力だったみたいな。
そもそも回転力と揚力(浮遊する力)が関係しているというのは、近年になり明らかになったことなんですけどね。例えば野球の投手が、ボールに強力な回転をかけながら投げることで、ボールは重力に反発して一時的に浮き上がったりすることですよ。また或いはヘリコプターはローター(プロペラ)の回転によって揚力を得ます。
そういえば「物体が回転すると軽くなる」という現象は否定されがちですが、「教えてgoo」に以下のような書き込みが。
非常に薄い記憶ですが、どこか(・・・確か、オストラリアだったと思う。)の大学で、「独楽」の研究をやっている研究室の方々が、軸の両端に回転する円盤を取り付け、その軸自体を円盤の回転面と直角の面で回転させられる装置を滑車に取り付け、反対側に水の入ったバケツをぶらさげてバランスを取り、装置を稼働させると装置側が軽くなって、バケツが下がるという実験をテレビで放送していました。
番組名など詳細は覚えていないのですが、かなりまじめな番組でした。
独楽の「歳差運動」の研究をしている方達で、ある条件を満たすと「軽くなる」という現象を放送していました。
ともかく古代の日本人のなかでは、何故か回転力と浮遊の関係が知られてたので、回転し浮き上がるという意味の「磐座」と言う漢字が当てられてたんですかね。
しかし磐の上の船ということで、「机上の空論」と言われても仕方なしな件。
https://manyoshu-japan.com/9324/ 【第19巻 4254番歌】 より
巻 第19巻
歌番号 4254番歌
作者 大伴家持
題詞 向京路上依興預作侍宴應詔歌一首[并短歌]
原文 蜻嶋 山跡國乎 天雲尓 磐船浮 等母尓倍尓 真可伊繁貫 伊許藝都遣 國看之勢志C 安母里麻之 掃平 千代累 弥嗣継尓 所知来流 天之日継等 神奈我良 吾皇乃 天下 治賜者 物乃布能 八十友之雄乎 撫賜 等登能倍賜 食國毛 四方之人乎母 安<夫>左波受 ヌ賜者 従古昔 無利之瑞 多婢<末>祢久 申多麻比奴 手拱而 事無御代等 天地 日月等登聞仁 万世尓 記續牟曽 八隅知之 吾大皇 秋花 之我色々尓 見賜 明米多麻比 酒見附 榮流今日之 安夜尓貴左
訓読 蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ
かな あきづしま やまとのくにを あまくもに いはふねうかべ ともにへに まかいしじぬき いこぎつつ くにみしせして あもりまし はらひたひらげ ちよかさね いやつぎつぎに しらしくる あまのひつぎと かむながら わがおほきみの あめのした をさめたまへば もののふの やそとものをを なでたまひ ととのへたまひ をすくにも よものひとをも あぶさはず めぐみたまへば いにしへゆ なかりししるし たびまねく まをしたまひぬ たむだきて ことなきみよと あめつち ひつきとともに よろづよに しるしつがむぞ やすみしし わがおほきみ あきのはな しがいろいろに めしたまひ あきらめたまひ さかみづき さかゆるけふの あやにたふとさ
英語(ローマ字) AKIDUSHIMA YAMATONOKUNIWO AMAKUMONI IHAFUNEUKABE TOMONIHENI MAKAISHIJINUKI IKOGITSUTSU KUNIMISHISESHITE AMORIMASHI HARAHITAHIRAGE CHIYOKASANE IYATSUGITSUGINI SHIRASHIKURU AMANOHITSUGITO KAMUNAGARA WAGAOHOKIMINO AMENOSHITA WOSAMETAMAHEBA MONONOFUNO YASOTOMONOWOWO NADETAMAHI TOTONOHETAMAHI WOSUKUNIMO YOMONOHITOWOMO ABUSAHAZU MEGUMITAMAHEBA INISHIHEYU NAKARISHISHIRUSHI TABIMANEKU MAWOSHITAMAHINU TAMUDAKITE KOTONAKIMIYOTO AMETSUCHI HITSUKITOTOMONI YORODUYONI SHIRUSHITSUGAMUZO YASUMISHISHI WAGAOHOKIMI AKINOHANA SHIGAIROIRONI MESHITAMAHI AKIRAMETAMAHI SAKAMIDUKI SAKAYURUKEFUNO AYANITAFUTOSA
訳 蜻蛉島(あきづしま)大和の国、天雲浮かぶ大空に磐舟を浮かべ、船尾から船首まで梶をとりつけ、船を漕いで国見をなさりながら天降りなさった。抵抗する者は払いのけ平定なさる。幾代も重ねて次々と治めて来られた日の神、その後継ぎとして神のままとして、大君は天下をお治めになってこられた。数多くの官人たちをいつくしまれ、整然と整備されてきた。支配なさっている国々も四方の人々も漏れなく 恵みをお与えになったので、昔からあらわれなかった瑞兆(吉事)もたびたび表れ、大君に奏上された。腕組みをしていても何事も起こらない平穏な御代として、天地や日月と同様、万代(よろづよ)に記録され、受け継がれていくだろう。やすみしし我が大君が色とりどりの秋の花々をご覧になり、御心を晴らされる酒宴がにぎやかに開かれる今日という日の実に尊いことよ。
左注 –
校異 之 [元] 乃 / 毛 [紀][細] 之 / 天 夫 [万葉集略解] / 未 末 [代匠記精撰本] / 等[元] 尓
用語 天平勝宝3年8月5日、年紀、作者:大伴家持、依興、予作、儀礼歌、応詔、宴席、枕詞、架空、羈旅、寿歌
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