http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-1084.html【天空を翔ける「天の岩船」】より
大阪府柏原市国分市場にある松岳山古墳には、用途不明の不思議な立石がありました。
埋葬施設の前後に立つのは、高さ2.3メートル×幅1.4メートルの南石と、高さ1.8メートル×幅1.4メートルの北石です。
これはいったい何なのか?
柏原市立歴史資料館で専門家の方が言われた、
「船を表しているという説もあります」という言葉が脳裏にこびりついています。
二枚の岩は、船の舳先(へさき)と舳(とも)を表しているのではないかというのです。
となると、ひょっとしてこれは、「天の岩船」であり、被葬者の魂を送り迎えする信仰儀礼の装置なのではないのか・・・
もともとこの古墳の埋葬部分は、積石塚のような形状だったらしいのです。となると二枚の石板の間に、高さ数十センチメートルの積石を重ねれば、立派な岩船になります。
この松岳山古墳から柏原市立歴史資料館までの距離は700~800メートルしかありませんが、資料館の横にある高井田横穴には、船を描いた線刻壁画がありました。第3支群5号横穴の「人物と船」や、第2支群12横穴の「船」などです。
この地域の古代には、死者の魂を乗せる船の観念があったのでしょう。
となれば、松岳山古墳の被葬者の魂を、古墳頂上の岩船に乗せた、あるいは埋めたというのは必然性があります。
下は、ギザの大ピラミッド付近で発見された、太陽神ラーの太陽の船です。
ファラオは、神々の子孫とされ、「ラーの息子」と捉えられた。ファラオが死ぬとホルスと共に地上に梯子を降ろし、太陽の船にファラオの霊を招くと言われている。
(写真、文ともウィキペディアより)
死者と船の関係は、珍しいものではなさそうです。しかし、なぜ日本では重そうな「磐船」あるいは「岩船」なのでしょうか。
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淡路島の山王神社にある舟形岩。
聖なる磐座群にある舟形の岩には、海や天空を自由に行き来するイメージが重なったのでしょうか。
さらに、大阪府交野市私市にある磐船神社。
ご神体は、天野川沿いにそそり立つ高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩「天の磐船」です。
先代旧事本紀には、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯に降臨したと記されます。
また、滋賀県東近江市猪子町の猪子山中腹に鎮座する岩船神社にも、巨大な岩船があります。
とりわけ重要なのは、京都府亀岡市の出雲大神宮。
「元出雲」といわれる古いお社です。
本殿前という重要な位置に、舟岩がありました。
本殿背後にある、最も重要な磐座を横から見ると、私には古代の船に見えます。
きわめて重要なことは、私が巨大な船の磐座だと思うこの背後には、古墳の石室が口を開けている事です。
古墳と聖なる岩船、松岳山古墳と同じ組み合わせは、単なる偶然でしょうか。
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能の「岩船」は祝言の曲です。
シテ「げに旅人はよも知らじ。天も納受喜見城の。宝を君に捧げ申さんと。天の岩船雲の波に。高麗唐土の宝の御船を。唯今こゝに寄すべきなり
また藤原顕仲に、
彦星のあまの岩ふねふなでして今夜(こよひ)や磯にいそ枕するという歌があります。(12世紀初頭)日本文化に、「天の岩船」はしっかりと息づいていました。
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各地の神社にも、岩船はあちこちにあります。
山梨県都留市朝日馬場の石船神社は、護良親王の頭蓋骨と伝えられる首が祭られており、毎年1月15日に行われる祭礼当番引き継ぎの神事の際に開帳されています。
頭蓋骨には金箔や漆が塗られており、目には水晶が入っているなどで有名ですが、由緒沿革には
人皇第九六代後醍醐天皇の御代延元二年七月高根山頂の清地に祠を造営。石船明神を奉斎
とあり、本来は山頂に石船明神を祀っていたようです。
このように、後世に祀る対象や祭神は変化しても、もとは岩船を祀っていた痕跡のある神社仏閣も多いことでしょう。
UFOのように天翔ける「岩船」。
なんともロマンのある、謎めいた古代文化だと思います。
https://4travel.jp/travelogue/10637130 【奥の細道を訪ねて第12回⑱芭蕉の句碑が建つ乙宝寺 in 村上】より
芭蕉達は村上出発の朝、浄念寺を訪れた足で、南に進み、石川を岩船神社の近くの岩船橋で渡り、”北国浜街道を塩谷迄行き、そこから道を逸れて乙(きのと)村の乙宝寺を訪れる。
乙宝寺は天平に時代(729~745)聖武天皇と御白河天皇の勅願所だったという新潟屈指の古寺。
この寺を開山した二人の僧の内、インド僧婆羅門僧正がお釈迦様の左目を納めて乙寺と名付け、さらに御白河天皇が左目を納める金塔を寄進したことから、乙寺から乙宝寺と改名されたと云う。
(乙宝寺配布資料より)
仁王門を潜ると右手に見えてくる鬱蒼とした木立ちを背景にした三重塔が素晴らしい。国の重要文化財。
正面に大日堂と呼ばれる立派な金堂が立ちはだかる。
この寺には楽しい伝説が沢山残る。
弘法大師が独鈷(とっこ:金剛杖の一種)で地面をつついたところ清水が湧きだした。
この清水を地元では”どっこん水”と呼び、名水の誉が高い。
又”和尚の写経により,2匹の猿が人間に生まれ変わった”という言い伝えも残り、探し巡った末この寺の境内の奥の木陰に、思いのほか立派な猿塚の石塔が2基建っているのを発見。
しかし我々がここを訪れた主たる目的は猿塚の石塔ではなく、芭蕉の句碑。
芭蕉の句碑は大日堂の右手、観音堂の前の浮世塚と呼ばれている場所の一角にある。
そこには複数の碑が建っていて、一瞬どれが芭蕉の句碑か迷ったが、芭蕉の句碑は岩陰の円盤風の思ったより小振りの碑であった。
うらやまし 浮世の北の山桜
この辺りは当初から桜の名所でもあったらしい。
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