金網を抜けて黄菖蒲咲きにけり 高資
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勝手に設定されたされた限界を 抜けて 命の喜びを謳っているようですね。
色のシンボルのHPでは 黄色のシンボリックな意味を下のように紹介しています。
古代中国では、黄色は金色と共に幸運のシンボルとされていました。長い間世界の多くの場所で黄色は知恵と英知の色とされています。 楽観性、論理性、集中力を高める色です。また、新陳代謝を即座に刺激します。明るく元気な色で若者の陽気で無邪気な様子を表して います。
私が連想したのは映画「黄色いリボン」と「幸福の黄色いハンカチ」。
愛が終わらないことを伝えるシンボルに黄色が使われています。
逆にイエローカード、そして黄色信号、黄色い声のように黄色が使われたりもします。 黄色の表裏一体性でしょうか?
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アピール力があるのが共通項かもしれません。
自分をアピールする力は 楽観性、論理性、集中力,知恵と英知のなせる業になるのでしょうか?
幼子やペットは実に見事に自分をアピールします。
その天真爛漫さに思わず絆されて 相手の思うつぼに嵌る意志の弱さを痛感します。
躾けは厳しく、ルールを大事に・・・それが難しい!!!
ネグレクトも溺愛も アビューズ(abーuse)、虐待といわれます。
厳しい躾けを勧める一方で無条件に愛し受け入れることが勧められたりもします。
溺愛と無条件に愛し受け入れることはどのように違うのでしょう?
溺愛は癒着に傾いているからでしょうか?
ノーを言う力をなくしているからでしょうか?
しかし 独善に走らない限り真実のノーは言えません。
子どもは アタッチメントの形成があり、個別化の過程を経て社会化ができ、要約社会に適応できるといわれます。
溺愛は社会化の課題を習得できなくするから 虐待となるのでしょうか?
もしかしたらバランスの問題?
スタンスの問題?
また波を日の出る梅雨の晴間かな 高資
梅雨雲のうつほに日の輪ほのめけり 高資
広がる黒雲の上に 輝く太陽が!!!「地球を覆う黒雲が光をのみこむことがないよう」 祈る思いになりました。
五島高資 影が光と陰を包摂するように、太陽原理を超える大日は遍照金剛だから大丈夫だと思いますよ。
「光は闇に勝たなかった」…そうあってほしいと祈らずにおれません。
先生は「環太平洋火山帯の噴火、異常気象、月が地球から遠のいているという報告、そして ホーキンズの警告etc.」どのようにお考えでしょうか?
五島高資 宇宙という概念さえも、つまり時間を含めた四次元を超える五次元以上に生きる高い意識を持つことが大切だと思います。それには高い意識の波動を培う必要があります。 それはseinではなくsollenの中に明るく清く直く生きることそれ自体に開かれる、あるいはもう開かれているかもしれませんよ。
死と再生はセット、この世の死はあの世の生・・・大きな循環も総意の調和バランスの流れ・・・闇などはあり得ないということでしょうか?
五島高資 光と闇あるいは天国と地獄が二項対立的にすでに有る無しではなく、それらをそれとして実感する意識の問題だ思います。意識のレベルや千変万化によってそれらは様々と言うほかはないような気がします。 すべて選択とも言えますね。
緑蔭や南無大師遍照金剛 五島高資 場所: 多氣山 不動尊
一指李承憲@ILCHIjp
私たち一人ひとりは、与えられた時間と生命をどのように使い、そして去っていくのかを選択し、決めることができます。これは、私たちに与えられた最も偉大な力であり、権利です。ところが、不幸にもほんの少数の人だけがその力を適切に使っています。
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