冬の陽をさ噛む細波や鳶一羽 五島高資
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入日へとつづく光や鷹の海 高資
冬落暉見送る鳶や波の音 高資
よく知られた聖書の言葉に「空の鳥、野の花を見よ」 マタイの福音書6章25-34節という一節があります。
鳥は群れを作る生き物。
人間も群れが必要。
大空をただ一羽で飛び立つ姿に 心が振るえます。
自らが点にすぎない存在でありながら 波動として宇宙に蔓延するエネルギーの分身、宇宙という肉体の 零であり無限であるいち原子。
この鳶は自らの小ささに圧倒されることなく、今日の一日を果敢に、ただ一羽で飛び立つのです。
何がこの生きる勇気を支えているのでしょう? 本能のまま、本質のまま、自然のままだから 自然と響きあい 一羽である不安さえも持たない雄々しい姿であり続けられるのでしょうか?
「自己とは自己自身に関係する所の関係である。すなわち、関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている──それで自己とは単なる関係でなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである。」キルケゴールの言葉です。
人という漢字も、人の間と書く人間も 私たちが関係存在であることを あまりにも明確に語ります。 しかし関係が成り立つには 別々の主体、意志が必要です。
<孤独に耐えて人は愛を育て「表現すること」で、人は孤独を超える>三木清。
飛び立つことは自己を生きること、自己を表現すること。
その時、人は関係存在としての自己を取り戻し、孤独を超えた人間になるといえるのではないでしょうか?
コメント
僕も同感です!
人生あっという間 この瞬間瞬間の中に永遠があり 永遠の中に瞬間があると思います。
銀河宇宙と一緒に自立して公転していきましょう。
かりがねや日高見国晴れ渡る 高資
日高見と定めて雁の渡りけり 高資
天飛ぶや雁の降り立つ壇の松 高資
一指李承憲@ILCHIjp
ヒナが孵化するには内と外から親鳥と雛鳥が互いに殻をつつく必要があります。でも、最終的に殻を破って出るのは雛鳥自身です。子供が自分自身と対話して自分の答えを見つけられるように脳の力を育ててあげましょう。自分が選択した夢を堂々と言える子は自分の人生に責任を持てる魅力的な大人になります
西日へと天翔る白智鳥かな 高資
白鷺の崩れんとして飛び立てり 高資
ごらんよ空の鳥
野の白百合を
まきもせずつむぎもせずに
安らかに生きる。
こんなに小さないのちにでさえ
心をかける父がいる。
友よ、友よ今日も、
湛えて歌おう
すべてのものに沁みとおる
天の父の慈しみを。
鷹化して鳩となりたる巌かな 高資
短日の鳶の見つめる波間かな 五島高資
巴なす鷹や天皇誕生日 高資
翡翠の飛ばぬ曲水(わたみ)の文目かな 高資
白鷺の八重に佇む御諸かな 高資
On sacred woods
a lot of egrets are perching
with each dignity Takatoshi Goto
丹頂にいくたび咲ける椿かな 高資
木洩れ日に残れる鶴となりにけり 高資
椿咲いて残れる鶴のかたちかな 高資
檻に咲き檻の外なる椿かな 高資ー 場所: 八幡山公園
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