日本詩の芸術性と音楽性

https://yykamisaka8.goat.me/Ds0A9k07MA 【日本詩の芸術性と音楽性 ⑴ ―若い詩人の皆さんへ「自由韻文のすすめ」】より

【序に代えて】

詩は言葉の音楽であり、絵画であり映像であり思想でもあります。但し、音楽や歌は聴覚で、絵画や彫刻は視覚や触覚で創作者の感情、祈りや思想という表現物を五感に直接訴え掛ける事が出来ますが(そしてそれがつまり芸術と呼ばれるなら)、詩では楽器も使えず絵筆も持てず「音としての言葉であり記号としての言語をただ一つの表現手段とする」ので、五感への直接の働きかけが弱く、どうしても感情・魂への訴え掛けにインパクトが欠ける事は「芸術としての詩」の本質的な弱点であり、言ってみれば五感との関係で他の芸術を「直接芸術」と仮に呼ぶなら、詩は「間接芸術」の宿命にあります。

そこで詩が直接芸術に少しでも近付き、広く人々の心に訴え寄り添うためには、五感に出来るだけ直接近く働き掛ける仕組みであり仕掛けとしての「創作技術・技法」の助けがどうしても必要となります。音楽に音楽技法が、絵画に絵画技法が必要である以上に間接芸術である詩には特に優れた創作技術・詩作技法が必要不可欠であり、その技術技法を自由自在に使いこなせて初めて、詩人は独自の詩情を効果的に読者に伝える事が可能になります。

「詩=言語としての芸術」のための創作技術・技法は当然限られますが、主には「音としての言語」の側面ではリズム(音律)、メロディー(音韻・旋律)や擬音・擬声やリフレインといった音楽技法を存分に活用する事で疑似音楽として読者の感情感性を抑揚させ、「表記文字」の側面では漢字・ひらかな・カタカナや外国諸単語までも配合する事で詩全体の視覚印象効果を高める事などがあります。

しかし芸術としての詩にはそうした本質的な弱点がある一方で、人類固有の能力であり存在意義とも言える「言語」を表現手段とすることで、「意味やシンボルを直接表現することが出来る」と言う他芸術には無い独自で決定的な強みを持っています。

つまり詩は、言語により人間の大脳言語野に直接働き掛けて「人類固有にして最大の特殊能力である『想像力』をフル活用出来る稀有な芸術」としての本質を持つものなので、詩が迷路に迷い込んでいると言われる現代においても、芸術としての日本詩の創作技術・技法の基本である「日本詩の音楽性の仕組み」を理解しそれを存分に活用する事によって、現代においても再び日本詩を国民に愛される芸術として復興させることが出来る筈です。

音楽・絵画に、西行の侘び寂びの情緒知性を詩のように奥深く表現することは出来ず、萩原朔太郎の感性神経世界を詩以上に的確に描き出すことは決して出来ません。

従って、「芸術としての詩」を創作し自らの魂を人々に向けて表現しようとする詩人は、詩の弱点宿命をよく理解した上で、「詩の芸術性を高める技法」を常に錬成して自由自在な表現力の獲得に努力すべきでしょう。

次からは詩の芸術性の主要素である「音楽性」について具体的に見て行きましょう。

https://yykamisaka8.goat.me/Ds2hquBYm4 【日本詩の芸術性と音楽性 ⑵ ―若い詩人の皆さんへ「自由韻文のすすめ」―】 より

【日本詩歌の音楽性の仕組み】

俳句の五七五拍や短歌の五七五七七拍ほかの日本詩歌の定型音律(拍子)は、万葉時代以降に定まった「詩歌の枠組み、約束事」に過ぎません。(では何故その約束事がそう決まったのかについては様々な研究があるのでそちらに譲る事として、)時代時代の日本語の中にある詩歌のリズムはその定型・約束事だけに依存するものでは無く、それらの五と七の拍数の組合せにしか日本詩のリズムが無く、五と七の頭韻・脚韻・接韻にしかメロディーが無いとすれば、歌の表現手法や内容のみで主に差異化を図るしかなく、当然のことながら韻文として単調な事はこの上ありません。

ではなぜ俳句が数百年にわたり、特に短歌が千数百年にわたって韻文詩歌(古来、詩歌=韻文であったので、この言葉は本来重複用語ではありますが、)として愛唱され創作されて来たのでしょうか。

実際に古代以来の億万に及ぶ和歌の中には、個性的であり音楽性豊かなものが数多く存在しています。

それではその五七調の枠だけに縛られない和歌(ここでは以下、短歌について言及して行きます)の音楽性とは一体何なのでしょうか。

五七調の約束事を取り払った後に残るものは、わずか日本語「三十一文字」のみですが、この三十一文字の一体どこに短歌の音楽性の秘密があるのでしょうか。

これからその秘密を探って行く事にしましょう。

先ずは短歌のリズム(音律)に付いて言うと、定型・約束事である五七調(または七五調)がリズムの基本ではありますが、それらが決してリズムの全てではありません。

取り敢えず「五」と「七」の二種類の拍の中身については、「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」「7拍」の七種類の拍が内在しているとも見る事が出来ます。

つまり「五」では「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」の五種類の拍数、「七」では「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」「7拍」の七種類の拍数にそれぞれ分解可能という事になります。

そうすると、俳句の「五」「七」「五」、短歌の「五」「七」「五」「七」「七」では、各々の「五」と「七」を分解して出来る拍の組み合わせ数は、各拍数の階乗(それら全てを掛け合わせた積)となるので、先程の短歌の基本拍の種類を「5拍」「7拍」の二つではなく「1拍」「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」「7拍」の七種類と規定するだけで、日本詩の定型的な「五」と「七」の拍の組み合わせの中に、当然のことながら膨大な数の拍数の組合せ(無数のリズム)が存在している事になります。

ところで、日本語の名詞・動詞では2音節から4音節、助詞は1音節から4音節、副詞で2音節から4音節のものがほとんどです。形容詞では「甲斐甲斐しい」「痛々しい」「羨ましい」など6音節のものが結構ありますが、さすがに7音節以上のものは例外的にしかありません。

従って五七調・七五調の枠組みがあれば、日本語のほとんどの表現に対応出来る事になるので、音律の最大の拍数を「七」とし、対となる拍数を「五」とする事は日本語にとっては自然であり宿命的な事なのかも知れませんね。

https://note.com/yykamisaka8/n/n5c9130f09d74 【日本詩の芸術性と音楽性(3)】より 

心なき身にもあはれは知られけり

しぎ立つ沢の秋の夕暮れ

言うまでもなく西行の代表作ですが、本歌は新古今和歌集の白眉であるだけでなく日本詩歌の最高傑作の一つとも言えるでしょう。

この短い三十一拍に日本語のリズムとメロディーの音楽的技法が存分に駆使されていますが、シンボルとしての言葉の配合・構成から見ても秀逸で、秋の夕暮れの物悲しい静寂の中で飛び立つ鴫の一声が、その映像世界の静けさ寂しさを一層際立たせています。

まさに静寂の中の音楽性と映像性において日本の侘び寂びの精神世界を見事に描き出し、永遠に日本詩歌の読者の心を打ち続ける事でしょう。

Kokoro(3拍)naki(2拍)Minimo(3拍)awarewa(4拍)Shirarekeri(5拍)

Shigitatsu(4拍)Sawano(3拍)Akino(3拍)yuugure(4拍)

このように定型の五七五七七拍を意味も考慮して分解し、現代の我々にも分かり易いように敢えて現代語読みで子音母音をローマ字表記してみると、「各拍の組合せの妙(拍数の穏やかな連続変化)」と「拍と拍を結合する押韻の連鎖」(短詩なので必ずしも隣の拍同士である必要は無い)が見えて来ます。(拍数の表記も見やすいように英数字表記します)

但しこの拍数の分解の仕方については議論の分かれるところでしょうが、ここでは「押韻との関係を考慮して拍数分解を行う」事を基本とします。

先ずリズム構成はどうでしょうか。

初句は通常5拍と数えますが、この歌の場合は押韻効果の上から敢えて初句を3拍と2拍に分解します。

上の句は3拍からスタートして2拍に落としそこから3拍4拍5拍と拍数を増やして歌に勢いをつけて行きます。そして下の句へは上の句最後の第五拍目5拍から下の句頭の4拍3拍へと拍数を減少させ、最後に3拍4拍と復調させます。

歌全体に一貫しているのは、なだらかで穏やかな「2拍」から「5拍」までの拍数の変動、つまりこの歌独自のリズムの変化ですね。

次にメロディーの面も見てみましょう。

この歌の子音と母音は、歌全体を通して頭韻となり脚韻となり、母韻・子韻となって有機的に連携していますが、何と言ってもこの歌のメロディーの特筆は、第五拍目から第七拍目に掛けての子音Sの三連続頭韻であり、そのSの音質によって寂しさ侘しさを強調しています。

また上の句初句頭から現れる k の子韻( k の濁音 g を含む)は歌全体の骨格を引き締め、母韻 i の配置が歌にテンポと歯切れの良さを生み出しています。

そして第二拍目から現れる母音 a の頭韻と母音 o の脚韻も歌全体の連携には有効であり、その他の母音子音含めて構成される全ての拍が有機的に連携し合って見事なメロディーを奏で、o と a と i を全体の主母音としながら、最後にyuugureと u 押韻(拍内押韻)に転調して余韻を残して歌い締めています。

このように穏やかな拍数の変動つまりリズムの変化と各種押韻連鎖によるメロディーの彩りが、この歌の詫び寂びの詩情を音楽的にも見事に整合させ表現し尽くしているのではないでしょうか。

https://note.com/yykamisaka8/n/n6bcfacf6367a 【日本詩の芸術性と音楽性(4)】より

もう一つ、今度は皆さんもよくご存知の近代短歌を例に挙げましょう。

 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる

言わずと知れた石川啄木の代表歌の一つですが、一読して誰もがリズミカルで音楽性に富む歌だと感じますね。

さてその秘密はどこにあるのでしょうか。

先程と同じく、意味も考慮の上で四種の基本拍に分解しローマ字表記してみます。

Tokaino(5拍)kojimano(4拍)isono(3拍)shirasunani(5拍)ware(2拍)nakinurete(5拍)kanito(3拍)tawamuru(4拍)

西行の歌に比べてリズムの変化(拍数の変動)が大きい事が分かりますね。

この歌は、拍内の母音 o と子音 T, k, n の音質効果と拍内押韻が力強い上の句初句5拍から始まり、4拍3拍とリズムを落として勢いを減衰させて行きますが、そこからいったん第四拍目で5拍と上昇させています(但しこの5拍は、拍内の子母音が弱音であるため上の句内の連続性を阻害しません)。そして下の句では2拍5拍3拍4拍と変化に富んだ拍数の変動・リズム構成となっています。

このように定型「五」と「七」の各拍を、押韻効果を踏まえて細かく分解する事で、その歌独自のリズムの変動が見えて来るようになります。

時代は大きく違えども先程の西行の歌と比較すると、西行の「詫び寂びの情緒と穏やかなリズムの変動の整合性」に対して、啄木の「感情的な詩情と大きく波打つリズムの連動性」の対比が非常に鮮やかですね。

つまり優れた詩歌においては、「詩歌の情緒の抑揚」と三十一文字に内在する「基本拍数の組合せ方によるリズム」は連動し整合しており、言い換えれば「基本拍数の独自の組合せ方によるリズムにより」作者である歌人は、「自身の心臓の鼓動、魂の拍動を描き出している」とも言えるでしょう。

さて啄木の歌のメロディーについてはどうでしょうか。

上の句第三拍目迄の各拍が母音 o で頭韻だけでなく脚韻もしていますが、それだけではなく各拍が母音 o でそれぞれ拍内押韻していることが分かります。しかも i 母韻でも各拍が連結されているためこれら三つの拍は非常に強固な押韻連鎖を構成していますが、第三拍目から第四拍目へは i 母韻と s 子韻でスムーズに連続して上の句の見事なメロディーを作り上げています。

また上の句全ての四つの拍をn子韻が貫いている事で、上の句の一体性をより高めているとも言えそうです。

更に第四拍目の二つの母音aは、下の句の主母音a とも連携し、上の句と下の句の端境に有って歌全体の押韻連鎖の繋ぎ役でもあります。

また下の句の四つの拍は打って変わり、四拍連続の a 頭韻で上の句の主母音 o と i から転調させながら下の句全体を連結させており、最後の拍でa a u uと拍内連続押韻して歌い締めています。

さらに注目すべきは、上の句第一拍目から第三拍目まで5拍4拍3拍と拍数を下げて行きますが、同時にローマ字表記部で一目瞭然の通り各拍の子母音効果により発声強度も強・中・弱と連動しており、その上に力強い初句「東海の」から順に「小島の」「磯の」「白砂に」と空間的にズームアップしながら下の句頭の「われ」へと辿り着き、下の句において「こんなちっぽけなわれ」の自己憐憫を効果的に歌い上げます。

この歌は、四種の拍の非常に変化に富む組合せをリズムの基本として、母音、子音の各種押韻の連鎖で有機的に各拍を連結しながら、上の句と下の句を転調させて更に歌全体に変化をつけ見事な音楽性を紡ぎ出しているだけではなく、その彩り豊かな音楽性とドラマチックに連動した映像効果の高さで作者の心象風景を鮮やかに映し出していますね。

わずか三十一拍の短歌の中にこれだけの創作技法を凝縮した例は、一千数百年の短歌の膨大な宝庫の中でも一体どれだけ有るのでしょうか。

この歌の詩情への評価はさておき、音楽性と映像性の見事な連携により一度読んだら忘れられないこの短歌は、その鮮やかな創作技法に裏打ちされた芸術性において、少なくとも日本近代詩歌を代表する名作中の名作と言えそうです。

以上これらは、代表的な短歌のほんの二例に過ぎませんが、読者自身が音楽的だと感じる他の短歌の中にも、先程の「日本詩歌の音楽性の基本式」がどのように脈打っているかを、是非その眼でその感性で確かめて頂ければと思います。

https://note.com/yykamisaka8/n/n999b0d7e0edc 【日本詩の芸術性と音楽性(5)】より

次に近代自由詩に目を向け、その中でも日本語表記文字の特性と音楽性を少数文字に凝縮した「一行詩」に焦点を当ててみる事にしましょう。

【日本詩の視覚効果】

 てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った

近代詩人である安西冬衛の有名な一行詩「春」ですが、「てふてふ」と「韃靼海峡」の音質対比と文字形態の視覚印象対比が際立ち、そこに言語のシンボル性が相まって、読者はこの一行詩が描き出す底知れぬ不安な世界に引き込まれることになります。(この「てふてふ」と「韃靼海峡」の対比こそ、後ほど触れる事になる欧米言語や中国語等では表現出来ない日本語独自の表記能力の象徴といえます。)

またそこには前述の本質的な日本詩のリズムとメロディーがやや破調的ではあるものの、詩の意味性を強化する音楽を奏でています。

因みにこの詩の勢いと連続性で言えば八八七と読むのが妥当でしょうが、押韻との関係では次のように「5拍」「3拍」「3拍」「5拍」「4拍」「3拍」と分解されます。

   てふてふが一匹  韃靼海峡を  渡って行った

  TehuTehuga Ippiki Dattan Kaikyouwo Watatte Itta     てふてふが  一匹  韃靼  海峡を  渡って 行った

この詩のメロディーを牽引する音は、言うまでもなく子音の T と母音の i ですが、 DatTanの D は T の濁音としてその単語のみで拍内頭韻しており、DatTanの Ta は次の Watatte の ta 及び最後の Itta の ta とも押韻しています。また視覚上は関連のない TehuTehu の T との子韻も音楽上は有効なものとなっています。

ついでに敢えて言えば、Ippiki は Kaikyou の i と子韻して最後の締めの Itta で完結。

また「てふてふ」は ChouChou と読むべからず、TehuTehu の T はこの詩全体の押韻連鎖を主導すると共に、微弱で儚げな羽音と Dattan Kaikyou の非常に硬質な音感及び視覚イメージの対比を際立たせ、和語と漢語の中でも軟硬両極に位置する単語を一行詩の中に凝縮して音楽効果と共に見事な視覚印象効果を上げています。

【散文短詩について】

先の一行詩を含めて現代でも愛唱される近代口語自由詩や、散文詩家である山頭火の代表的俳句等は、日本詩の規律である五七調を破ったものであると言われますが、先に述べたように「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」を主な構成要素としてみれば、それほど大きく日本詩本来のリズムを外しているとは言えません。別の意味で言えば、日本語で詩歌を作る限り日本詩歌の本質的な基本リズムの組み合わせと云う必要条件を無視しては、広く愛唱される作品を作ることは困難ではないでしょうか。

  うしろ姿のしぐれてゆくか

うしろ姿の しぐれてゆくか

  Ushiro sugatano shigurete yukuka

うしろ  姿の  しぐれて  ゆくか

山頭火のこの句は詩の勢いでは七七ですが、押韻との関係では「3拍」「4拍」「4拍」「3拍」の計四拍に分解出来ます。この十四文字の中に、子音 s と母音 u を主音とする子韻と母韻が有機的に配置されて簡潔なメロディーを奏で、「うしろ姿」と「しぐれてゆく」のたった二つの言葉のシンボルを音楽的に結合して、その心証を見事に映像化しています。口語散文詩を極めようとした山頭火ですが、彼の幾多の短詩の中で現代でも人口に膾炙する詩には、やはり日本詩の芸術性の本質が脈打っていると言えるでしょう。

以上迄で「音楽性の基本式」についての簡単な実例分析を終えますが、次に追記的ながら「日本語は本当に詩作に適した言語ではないのか?」の論点についても簡単に述べておきます。

 【詩における日本語の優位性】

「日本語は特に欧米言語や中国語等に比べて、母音子音が単調な上に発声の抑揚が少なく押韻効果は乏しい」との指摘は音楽性の一面ではその通りでしょうが、「漢字」「ひらかな」「カタカナ」に加え「アルファベット」等も含めて3~4種以上の表音文字と表意文字を文中で自由に使いこなし使い分けが出来る事は、他言語に対する日本語の大きな特異性であり優位性でもあります。

特に「詩歌」という非常に少ない文字数の文学・表現芸術にとっては、この日本語の特異性、特徴は極めて大きなメリットとなります。漢字は一文字での表意が可能で、表音文字であるひらがな、カタカナ、アルファベット等との組み合わせにより他言語に比べて「より少ない文字数で意味を直感的に表現出来る」と共に、「各文字の視覚及び音質特性を活かした変幻自在な表現のポテンシャルを持つ」ことは、発声における抑揚面での他言語に対する劣等面を充分カバーする「詩作における日本語の優位性」であると言えます。

つまり「日本語は詩作に適した言語である」「文字数に制限のない自由詩においてこそ、日本語の優位性を存分に発揮出来る」事を日本語で詩作しようとする者は自覚し、また自信を持つべきではないでしょうか。

以上ここにおいては詩の論説を書こうとするものではないので、短歌と短詩のみを取り上げましたが、さらに長い自由詩であっても本質的なことは何ら変わらないでしょう。むしろ長文であればあるほど芸術としての日本詩歌の創作技法を存分に活用する事で、現代詩においても芸術性・音楽性豊かな自由詩への道は開けてくるはずです。

そこでいよいよここからは現代詩について少し述べる事にしましょう。

https://note.com/yykamisaka8/n/ndbc321302fbd 【日本詩の芸術性と音楽性(6)】より 

【現代詩について】

日本古来の発声のみの和語の世界に表記文字としての漢語が伝来した古代以来、ひら仮名が生まれカタカナが派生した中世を経て、西洋言語を貪欲に吸収し続ける現代に至るまで、時代の変遷による語彙・発声の変化こそあれ日本語に脈打つ言の葉の精髄が古代から伝承され続けていることは、音訳意訳の凡その助けがあれば我々現代人でも容易に万葉以来の和歌の世界に没入する事が出来る、という事実で実感する事が出来ます。

そうすると、前述の「伝統詩歌の音楽性の基本式」は「現代詩においても有効である」、という仮説を立てる事は決して的外れではないでしょう。

若い詩人の方々には、先に述べた通り五七調は単なる枠組み・約束事であり、その枠組みを取り払った後にも日本語には本来無数のリズムとメロディーが内在しているので、「音楽性豊かな自由な韻文の創作は現代詩においても十分可能である」との認識と自信を持って頂きたいと思います。

先の「日本詩歌の音楽性の基本式」を意識しながら詩作を続ける事で、最初はぎこちない韻文もどきであったとしても、段々と音楽性に富む詩人独自の「自由韻文詩の世界」が開けてくるはずです。

但し、先程の「音楽性の仕組み(基本式)」は、「詩歌=短歌」についての基本式でしたので、現代自由詩の音楽性の仕組み(基本式)となると若干定義を追加変更する必要があります。

一つには、定型五文字と七文字の制約のために長年顧みられずに眠っていた「6拍」のリズムが自由詩の世界で颯爽と復活し、基本拍が「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」「6拍」の五種類となったこと。

もう一つは、これも三十一文字に縛られるが故に短歌では採用し辛かった擬音擬声やリフレイン等の音楽的技法を、自由詩だからこそ存分に使える事になったという福音です。

従って「現代自由詩の音楽性の基本式」は以下の通り定義し直す事が出来ます。

「音楽性豊かな現代自由詩(=自由韻文詩)の基本式」=

「五種の基本拍の組合せ方によるリズム創成」×「各種押韻連鎖によるメロディー彩色」

+「擬音擬声やリフレインなど各種音楽技法による調整・仕上げ」

この基本式からは次のようなことも言えます。

つまり「自由詩」とは「散文だろうが何だろうが自由に詩を名乗れる」の意味ではなく、「古来の定型五七調・七五調の枠組み・約束事と、文字数制約からの自由」とシンプルに解釈すべきでしょう。

何故ならこの基本式を踏まえれば、定型詩よりもはるかに自由で音楽性豊かな韻文詩(=自由韻文詩)創作の基本技法を我々は既に手に入れている事になるのですから、現代詩が「散文を敢えて詩と呼ぶ事にこだわる」必要性があるのか、という疑問が湧いて来ませんか?

日本の近代以降この「自由韻文詩の基本式」を理解した最大の表現者は萩原朔太郎でした。彼の代表的な「口語自由詩」と呼ばれる自由韻文詩の数々を読めば、その事は一目瞭然でしょう。

残念ながら現代詩の超えるべき敵のようになってしまった萩原朔太郎ですが、彼は十年以上に及ぶ短歌への傾注を通じて日本詩歌の芸術的本質、日本語韻文詩の創作技法を完璧な迄に習得し、同時に日本語という言霊に依存する日本詩歌の(敢えて言えば日本人の)情緒の宿命的本質をも深く理解していました。

そしてその一千数百年に亘る日本詩歌の精髄習得の基礎の上に、生来の突出した詩人の本能と才能が朔太郎にあの時代の日本口語を自由自在に操らせ、変幻自在のリズムや押韻や擬声擬音やリフレインなどの音楽技法を存分に駆使しながら、象徴詩としての特異な世界観、病んだ神経世界を表現して日本近代自由詩を正に色鮮やかなものとして確立しました。

現代詩人は古来の伝統詩歌に日本韻文の精髄を学ぶ事に併せて、伝統的な五七調七五調の呪縛からの解放に悪戦苦闘した近代自由詩人達に、とりわけその頂点であった萩原朔太郎の詩作技法・創作技術にこそ学ぶべきではないでしょうか。

(但しここで言う「朔太郎に学ぶ」の意味は決して象徴詩を推奨しているのではなく、写実派であれ生活派であれ社会派であれ、現代詩人の表現したい千差万別のテーマは当然独自のものとして尊重すべきもので、ここではその「創作に当たっての技法・技術についてのみ言及している」事を改めて申し添えておきます。)

日本古来の短歌という伝統的詩作技法の習得から始まり「守」「破」「離」して到達した、日本近代自由詩の頂点である萩原朔太郎の詩作技法を断絶させることは、日本詩の現在と未来にとっての大いなる喪失であり自殺行為とも言えます。

どのような技術・学術・芸術であろうと、先ずは伝統先達の築いた基本・精髄を「守」として習得し、そこから個性を発揮して「破」に進み、最終的に独自の世界を構築して「離」に至るのが技芸進化の原則のはずです。

ピタゴラスの定理を始め、古来の数学の先達たちが発見し築いた歴史的な定理や公式の数々を覚えずに、新しい独自の数学定理を導き出す事は果たして可能でしょうか?

あの独創的な抽象画家である天才ピカソが、神技の様なデッサン力を幼少期から発揮していたというのは偶然なのでしょうか。

「日本現代詩」なるものが読者を失った主原因が、「散文化と難解性」にある事は既に広く認識されている事と思いますが、「頭で理解する散文」とは違って「詩は心で読むもの」という詩本来の存在意義を否定しているところにそもそも根本的な自己矛盾があります。

そしてこの自己矛盾を解消する一つの指針が、これまで述べて来た本稿の内容そのものだとも言えるでしょう。

https://note.com/yykamisaka8/n/n52da766fda84 【日本詩の芸術性と音楽性(7)】より 

我が国一千数百年の誇るべき日本詩歌の宝庫である短歌を始め、俳句・近代詩を含めた伝統的日本詩から日本詩創作の本質を学んで現代日本語の中にも無数に内在するリズムとメロディーを紡ぎ出し磨き上げ、詩人独自の詩情を音楽性と芸術性豊かに高らかに創作する事こそ、現代日本に生まれ合わせた詩人の歴史的使命ではないでしょうか。

そしてまたその創作過程に自ら立ち会える事こそが、現世で報われる事の少ない宿命に生まれた詩人本人のみが享受出来る大きな至福ともいえるでしょう。

萩原朔太郎の詩の音楽性とは、「情緒そのものが音楽である」との本人の主張にも関わらず、彼の独特の情緒個性を的確に或いは本人の意図以上に詩文に表現する、確たる創作技術・技法の裏付けがあって初めて実現されたものである事は論を待たないでしょう。

ほんの数例をあげれば、月に吠えるの「竹」や「春夜」、青猫における「鶏」「軍隊」等は音楽的技法(西行や啄木にも共通する「情緒と詩文リズムの一致」「音質押韻効果の最大化」、に加えて「擬音擬声リフレインの彩り」等)や詩全体の視覚印象効果を合わせた全ての創作技法が完璧なまでに発揮されており、そうだからこそ読者は「朔太郎の特異な詩情や思想を詩という文字だけで」音や色や形という五感に頼らずとも「彼の心の拍動を疑似体験し、想像力を最大限に刺激されてその詩の世界を正に目の当たりにする事で、詩人の魂との一体化を体験する事になる」と言えるでしょう。

 「竹」 

ますぐなるもの地面に生え、

するどき青きもの地面に生え、

凍れる冬をつらぬきて、

そのみどり葉光る朝の空路に、

なみだたれ、

なみだをたれ、

いまはや懺悔をはれる肩の上より、

けぶれる竹の根はひろごり、

するどき青きもの地面に生え。

 「竹」

 

光る地面に竹が生え、

青竹が生え、

地下には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より繊毛が生え、

かすかにけぶる繊毛が生え、

かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、

地上にするどく竹が生え、

まつしぐらに竹が生え、

凍れる節節りんりんと、

青空のもとに竹が生え、

竹、竹、竹が生え。

      みよすべての罪はしるされたり、

      されどすべては我にあらざりき

      まことにわれに現はれしは、

      かげなき青き炎の幻影のみ、

      雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、

      ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、

      すべては青きほのほの幻影のみ。

                 (萩原朔太郎「月に吠える」より)

 

 「鶏」

しののめきたるまへ

家家の戸の外で鳴いてゐるのは鷄にはとりです

声をばながくふるはして

さむしい田舍の自然からよびあげる母の声です

とをてくう、とをるもう、とをるもう。

朝のつめたい臥床ふしどの中で

私のたましひは羽ばたきをする

この雨戸の隙間からみれば

よもの景色はあかるくかがやいてゐるやうです

されどもしののめきたるまへ

私の臥床にしのびこむひとつの憂愁

けぶれる木木の梢をこえ

遠い田舍の自然からよびあげる鷄とりのこゑです

とをてくう、とをるもう、とをるもう。

恋びとよ

恋びとよ

有明のつめたい障子のかげに

私はかぐ ほのかなる菊のにほひを

病みたる心靈のにほひのやうに

かすかにくされゆく白菊のはなのにほひを

恋びとよ

恋びとよ。

しののめきたるまへ

私の心は墓場のかげをさまよひあるく

ああ なにものか私をよぶ苦しきひとつの焦燥

このうすい紅べにいろの空氣にはたへられない

恋びとよ

母上よ

早くきてともしびの光を消してよ

私はきく 遠い地角のはてを吹く大風たいふうのひびきを

とをてくう、とをるもう、とをるもう。

                  (萩原朔太郎「青猫」より)

ここまで来たら、彼のうら若き日のみずみずしい名作二編も付け加えておきましょう。

 「夜汽車」

有明のうすらあかりは

硝子戸に指のあとつめたく

ほの白みゆく山の端は

みづがねのごとくにしめやかなれども

まだ旅びとのねむりさめやらねば

つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや。

あまたるきにすのにほひも

そこはかとなきはまきたばこの烟さへ

夜汽車にてあれたる舌には侘しきを

いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。

まだ山科やましなは過ぎずや

空氣まくらの口金くちがねをゆるめて

そつと息をぬいてみる女ごころ

ふと二人かなしさに身をすりよせ

しののめちかき汽車の窓より外そとをながむれば

ところもしらぬ山里に

さも白く咲きてゐたるをだまきの花。

 「旅上」

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。

                  (萩原朔太郎「純情小曲集」より)

現代日本語の中に無限に存在するリズムとメロディーを主体とする音楽性を諦めずに磨き出し、その上に多様な日本語特性の変幻自在な活用による印象効果等を注意深く重ね合わせることで、日本の詩人は初めて自らの感情・情緒・思考・思想を現代人にも受け入れ易く的確に表現する事が可能となるでしょう。

またそうする事で現代詩は再び万人に愛される芸術として、現代文学の檜舞台に再登場する事が出来るはずです。

さて最後になりますが、「現代自由詩の音楽性の基本式」の再確認をしておきましょう。

「音楽性豊かな現代自由詩(=自由韻文詩)の基本式」=

「五種の基本拍の組合せ方によるリズム創成」×「各種押韻連鎖によるメロディー彩色」

+「擬音擬声やリフレインなど各種音楽技法による調整・仕上げ」

「日本詩の芸術性と音楽性(4)」の中で次のように述べました。 

『つまり優れた詩歌においては、「詩歌の情緒の抑揚」と三十一文字に内在する「基本拍数の組合せ方によるリズム」は連動し整合しており、言い換えれば「基本拍数の独自の組合せ方によるリズムにより」作者である歌人は、「自身の心臓の鼓動、魂の拍動を描き出している」とも言えるでしょう。』

この事に加えて、メロディーの主要素である「押韻連鎖」は作者の「感性そのもの」とも言えるでしょう。

そしてこの基本式において「リズム」と「メロディー」は掛け算となっていますが、それは、「どれだけ一方が優れていようと他方の劣後により作品の価値が大きく損なわれる」事を意味しています。

つまり「リズム(基本拍の組合せ方)とメロディー(押韻連鎖)の相互連携こそが日本詩の音楽性の根幹である」ことをどうか忘れずに戴きたいと思います。

今まで述べて来たことは全て、現代詩が見失っている「日本詩歌の芸術性の精髄を」先ずは「守」の段階として「基本に立ち返り学び直しませんか」、との皆さんへの提案であり呼び掛けでもあります。

「自由韻文詩の基本式」を常に念頭に繰り返し繰り返し創作を重ねる内に、この基本式が皆さん自身の潜在意識・無意識下に浸透して、「頭で詩作することなく」感情感性の高まりと共に「魂の拍動がリズムとなり、心が魂と一体となって韻を踏む」体験をする事になるでしょう。

そこから初めて、「破に進み」「離に入る」事が出来るようになる、という一見遠回りの道程を経ることが現代自由詩再興への近道ではないでしょうか。

詩を一個の宝石とすれば、詩人は一人の宝石職人に過ぎません。

詩の原石はその民族の永い記憶の鉱脈に無数に埋もれていますが、ただ本当の詩人のみが「民族言語の本質的な芸術性を極めて、そこに眠る詩の原石を見出し宝石にまで磨き上げよ」との宿命を受けてこの現世に生まれ出て来たのです。

 目覚めよ、言葉の芸術家よ 

 歌え、日本詩の音楽家達よ

 呟きをやめて高らかに歌え

 自らの宝石の輝きを信じて

https://note.com/yykamisaka8/n/nee1e73f3ff42 【日本詩の芸術性と音楽性(8)】より

【あとがきに代えて】

ご参考までに拙作から短詩四編・中詩二編・長詩一編をご紹介します。

朔太郎の無上の詩編の後に拙作を載せる事には忸怩たる思いがありますが、本稿内容への文責上から、より現代詩に近い年代の自由韻文詩例として敢えて掲載する事にしました。

短詩一編は「押韻のみ」、三編は各「押韻+リフレイン」の例。A4紙1枚程度の中詩一編は「押韻+擬音」、もう一編は「押韻+リフレイン」の例になります。またA4紙3枚程度の長詩一編では、この長さでも現代口語の自由韻文詩として耐えられるかどうかの検証をして頂ければと思います。(ここでは音楽的技法の効果が分かり易い数編を選び例示したので、詩想の一貫性が無い事はご容赦下さい。)

朔太郎の様な大きな才能がなくとも「自由韻文詩の基本式」を踏まえれば、現代口語を用いても音楽性のある自由詩=自由韻文詩を作る事が出来る、という一片の証左にでもなれば幸いです。

しかし、もし読者がこれらの詩に音楽性も芸術性も感じる事が出来ないなら、それはひとえに創作者の非才の故ですので、間違っても「自由韻文詩」の否定に繋げる事はお止め下さい。

何故なら、一千数百年の歴史を誇る日本詩歌の天空には、現代と呼ばれるこの時代において一時的に雲が掛かっているに過ぎず、雲の彼方には数多の韻文詩歌の巨星たちが煌めいており、その中でも取り分け現代自由詩が道標とすべき萩原朔太郎が、「自由韻文詩の北極星」として常に燦然と輝き続けているのですから。

【現代口語自由韻文詩の実例】

 「別れ」

あなたはその身を水色みずいろに染め

きれいな瞳ひとみに

微笑みはなかった

もう永遠えいえんに別れゆく人

君にショパンの別れのワルツを

「夜明け」

存在の音を聞いている

存在の光を俺は見ている

 

美しい夜明けだ

バラ色の女神が瞳ひとみを開いて

再び世界の有り明けが来たのだ

 

存在の音を聞いているのだ

存在の光を俺﹅は見ている

 「マドンナ」 ―ムンクに寄せて―

やわらかにうねり流れるあなたの黒髪

みどりの瞳ひとみは深淵をただよい

その蒼白あおじろい乳房ちぶさが恍惚へといざなう

マドンナよ

死のマドンナよ

私はあなたに

私はあなたに永遠えいえんにいだかれ

    

  「光」

この砂っしゃがれた光の裏には

美しい暁あかつきの輝きがある

無窮の時は清らかに流れ

しめやかに波打つ

永遠えいえんの微笑みが世界に広がる

燃え立てよ光!

燃え立てよ光!

この一切の幻影マーヤーを滅ぼし尽くして

日本詩の芸術性と音楽性(9)に続く

https://note.com/yykamisaka8/n/n095f3a41b11a 【日本詩の芸術性と音楽性(9)】より

【現代口語自由韻文詩の実例】中詩二編

 「都会」 ー朔太郎「帽子の下に顔がある」ー

風にあなたの黒髪が吹かれて

さらさらさらと流れる都会の夕暮れ時どき

そろそろ街は水銀灯に

怪しく青く輝き始めて

空には白い月がくすんでいます

もう早や ほうら 

あっちの巨大なビルから

こっちの巨大なビルから

ゾロゾロゾロゾロ ウヨウヨウヨウヨ 

溢れ出し 流れ出し 

群れて這い出す 人ひと、人ひと、人ひとの塊まり

俯うつむきながら 項垂うなだれながら

ともかくも急ぎ歩く 人間﹅﹅ 人間﹅﹅ 人間﹅﹅ 人間﹅﹅

それにしてもどの姿も

随分陰鬱な影に食われてしまっているではありませんか

干からび切った道路の方では 

車 車 車がひしめき合って狂奔し

人間を腹一杯に詰め込んだ運搬列車が

奇怪な夕暮れのビルの谷間を

けたたましく吼えながら行き交う

グオー グオー グオー

ウオーン ウオーン ウオーン ウオーン

全くこれは何という光景なんでしょう

ねえ?顔のあるお嬢さん

 「意志の王国」

今宵幾千の龍は空に舞い踊り

地上に人々は獅子の眠りを眠る

この悲しみの夜の彼方に

意志の王国は今

燦然たる眠りについているのだ

君よ 

君よ 僕は飛翔ひしょうするんだ

あの力強き国へ

あの雄々しき意志の王国へと

輝かしきあの王国の目覚めの時

幾千の龍は

凄まじき紅蓮ぐれんの炎でその天空を燃え立たせ

果てしなき大地は

轟然たる咆哮を燃える世界に轟かせる

そうして人々はその眩くるめきを全身に浴びて

力強き目覚めの時を早はや迎えるのだ

その瞳ひとみには永遠を輝かせ

その獅子の足取りには大地の堅牢を漲みなぎらせ

人々は堂々の歩みを開始する

雄々しき意志の輝きとなって

逞たくましき意欲の煌きらめきとなって

その不滅への歩みを開始するのだ

不滅へ 不滅へ

不滅へと向かって!

不滅へと向かって!

君よ

君よ 僕は飛翔するんだ

あの力強き国へ

あの雄々しき意志の王国へと

この悲しみの夜の彼方に

意志の王国は今

燦然たる眠りについているのだ

https://note.com/yykamisaka8/n/n6bae3e51c3eb 【日本詩の芸術性と音楽性(10)最終回】より

【現代口語自由韻文詩の実例】長詩一編

  「悔恨」

陰惨な時の茨いばらの眠りにつく夜

私の魂は地上を飛び立ち

果てしない天空へと憧れて羽搏はばたく

自然を舞い立ち 暗黒を超え

哀しい銀河にその羽音はねおとを響かせて

私は飛翔とぶ

私は飛翔とぶ

・・・

・・・

私は彼方に光を見つけた

私は彼方に偉大な眼を見た

無限の石像の広がりの中に

琥珀に輝く偉大な一つの瞳であった

その眼が永遠を見詰めている

その眼が栄光を凝視している

しかし 私はその眼に戦慄を覚えた

輝くその眼が

私のどす黒いこの血を凍り付かせた

光は私の 底知れない恐怖の刃やいばであったのだ

その煌くるめきに慄きながら

私は飛翔とんだ 再び飛翔とんだ

はるかな暗闇を目指して飛翔とんだ

・・・

・・・

そこは女の乳房ちぶさであった

女神が黄昏たそがれと囁ささやきを奏でる

艶めかしくも 優しく美しい薔薇色ばらいろの世界

その女神の柔らかな乳房であった

   

しなやかに息づき悩ましくうねり

天上の匂いに漂いながら

私はそこに涅槃を思った

私はそこに久遠を感じた

・・・

しかしそこにも

恐怖の目玉は厭らしく覗いた

私は女神の骨﹅を見たのだ

あの永遠を騙かたる忌まわしい作り物が

私の愛しい 涅槃の幻影であったのか

地上の嫌悪に歯噛みしながら

私は 孤独の旅へとまた羽搏いた

・・・

・・・

辿り着いたのは幼児の王国

真っ白い心と無垢の瞳ひとみの

清らかな幼児の王国であった

私の魂が 傷付き重たい翼を休めた時

幼児たちの清らかな瞳ひとみが

私の爛ただれたこの目を一斉に見つけた

その澄んで輝く幼児の眼、幼児の眼、幼児の眼、幼児の眼

愛らしくも無邪気な輝きの中から

残忍にもまさぐる視線であった

それは 恐れも悲しみも知らない者の

無慈悲で好奇の 冷酷な一瞥いちべつであったのだ

視線は私を 屈辱の奈落に引き摺り落とした

私はその眼に 狂おしいほどに嘔吐した

私は逃げた 私は逃げた

またしても私は逃げ出したのだ

もはや 希望の翼は無惨にも折れ果て

永劫の落差を急転直下

地獄への転落を悲しく急いだ

・・・

・・・

そこは死霊の舌先であった

妖しい紫色むらさきに美しく蠢うごめく

悩ましくも不気味な死霊の舌先

その冷たく絡みつく舌先であった

私は藻掻もがいた 私は藻掻もがいた

迫りくる死への恐怖に私は藻掻いた

地獄への恐怖に私は藻掻いた

・・・

・・・

しかしそこには苦痛は無かった

そこには私の 安らぎさえあったのだ

静けさと悦びに満たされながら

私は死霊の喉のど深く吞まれた

私の罪過はそこで粉々に嚙み砕かれるのだ

死霊よ私を

永遠に葬れ

                      【10回了】

今回の稿はこれで終了です。

第1回から通してお付き合い頂いた方は特にお疲れさまでした。

また最後に、特に現代というこの時代の空気に似つかわしくないテーマの自由韻文詩を掲載する事になりましたが、皆さんの感想は如何でしょうか?

現代詩の傾向は単語で表すと、「散文化」「難解」それと「つぶやき」でしょうか。

しかし「詩」、特に「抒情詩」とは本来「散文」の対極にあって、主観的・感情的な詩情を韻文に乗せて歌い上げるものでした。

色々な歴史的経緯があって現在の「散文詩」の時代に辿り着いたという訳ですが、いわゆる「現代詩」についてはほとんど「つぶやき」にしか聞こえてこないのは何故なのでしょうか?

一般的に芸術・文化は時代の鏡だと言われますが、そうであれば日本の「現代」とは感情抑制過多の時代であるのか、それとも感情表現の手段を持たぬが故に「つぶやき」レベルに抑圧されてしまっているのか、恐らく両方が真実であろうと感じています。

「詩で時代の深層を表現して発(あば)き出し、結果として人々の自覚と覚醒を促す」事は大変困難な事ではありますが、少なくとも効率的な感情表現手段を共有する事で「現代人の心に強く響く自由韻文抒情詩を創作して、散文詩の時代を変革したいと考える詩人」の出現の後押しをする事が、残り少ない余生の私自身の宿命・天命と考えています。

今一度、これからを担う若い詩人の皆さんに呼び掛けたいと思います。

「目覚めよ、言葉の芸術家よ 

 歌え、日本詩の音楽家達よ

 呟きをやめて高らかに歌え

 自らの宝石の輝きを信じて」

                        ーではまたー

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