https://jphaiku.jp/how/index.html 【俳句の作り方 基本事項】より
五・七・五の音楽
俳句は五・七・五の言葉からなる音楽です。
言葉には意味の他に、リズム(拍子)があります。
人間の耳に心地よく響く言葉のリズムが、五・七・五の定型なのです。
五・七・五の原則は、一見すると無意味に決まってる堅苦しい規制のように思えてしまい、俳句を敷居の高いものに感じさせてしまいます。
しかし、これは日本語の性質から自然にこの形になったものであり、ちゃんと意味があるものなのです。
例えば、
古い池に蛙が飛び込んで、水の音がした。
これは単に事実を説明しているのに過ぎない文章です。
これを以下のようにするとどうでしょうか?
古池や蛙飛びこむ水の音
松尾芭蕉
小学校の国語の教科書にも出てくる有名な松尾芭蕉の句です。
意味は同じでも、下の句では、その場の情景が映像を伴って、ありありと浮かんで来ないでしょうか?
また、五・七・五のリズムを刻む句は、口ずさみやすく、耳に残りやすいです。
古い池に蛙が飛び込んで、水の音がした。
では、意味を拾った後にすぐに忘れさられてしまうでしょう。
音楽は記憶に残って口ずさまれるけれども、説明文はその場限りの情報伝達の役割しか果たさないのです。
これが俳句と、ふつうの文章の違いです。
口ずさみやすく、人々の心に余韻を残す名句は、記憶に残り、結果、後生まで語り継がれるのです。
「きょ」「ー」「っ」の扱い方
俳句では、「兄弟」、「握手」、「少女」などに含まれる「きょ」「しゅ」「しょ」といった二字(拗音)を一音に数えます。
「ボート」、「クリーム」、「ボール」といった音を伸ばす際に使われる「ー」長音符も一音として扱います。
また、「バット」「タッチ」といった「っ」「ッ」で表記される小さい「つ」、促音も一音となります。
用語集
上五(かみご) 五・七・五の最初の五音のこと。
中七(なかしち) 真ん中の七音のこと。
下五(しもご) 座五(ざご) 最後の五音のこと。
字余り・字足らず・自由律
俳句は、五七五の十七音であることが基本ですが、五音が六音以上になったり、七音が八音以上になったりして、十七音の定型から外れた「字余り」の句もあります。
赤い椿白い椿と落ちにけり
河東碧梧桐
こちらの句では、最初の五音が「赤い椿(あかいつばき)」と六音になっています。
また、これとは逆に、五音、七音より音の数が少ない「字足らず」の句もあります。
虹が出るああ鼻先に軍艦 秋元不死男
この句では、最後の五音が「軍艦(ぐんかん)」と四音になっています。
さらに、これらとは別に、十七音の原則に囚われない「自由律」の句もあります。
自由律俳句は、音数だけでなく、もう一つの俳句の原則である「季語」にさえ囚われずに作ることができます。
分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火
こちらの句は、上五と中七が六音と、定型から外れている上、季語さえもありません。
自由律俳句の代表的な俳人としては、種田山頭火(たねだ さんとうか)が有名です。
このように五七五の定型から外れた「字余り」「字足らず」「自由律」の名句も存在していますが、あくまで原則は五七五であることを念頭に置いておきましょう。
これらの句は「字余りだけれど名句だよね」というように、原則に則った句より一段低い物として扱われることが一般的です。
用語集
字余り 音の数が、五七五の原則より多くなっていること。
字足らず 音の数が、五七五の原則より少なくなっていること。
あまり例がありません。
自由律
五七五の原則に囚われずに句を作ること。またはその句。
季語について
俳句の大事な約束事として、『季語を入れる』というのがあります。
俳句は、五七五の十七音の定型中に季語入れることによって成立します。
このような約束事に囚われない自由律俳句というのもありますが、一般的ではありません。
季語とは、春、夏、秋、冬、新年の五つの季節を象徴的に表す言葉です。
例えば、『桜』といえば、春を代表する花で、四月初旬頃の光景や空気を連想すると思います。
これが季語が持つ力です。
さまざまの事思ひ出す桜かな
松尾芭蕉
『桜』という季語を入れることによって、俳句の中に深い世界の広がりや、時の流れを感じ取ることができ、作品に深みが増すのです。
季語は次の3つの特性を持っていると言われます。
・季節感
・連想力
・象徴力
昭和の名俳人、石田波郷(いしだ はきょうは、その主宰誌「鶴」の戦後復刊第一号(昭和二十一年三月号)中で「俳句は生活の裡に満目季節をのぞみ、蕭々又浪々たる打坐即刻のうた也」と述べました。
日本人は季節の移り変わりと共に生きており、俳句はこれを詠った物という意味です。
季節を賛美することは、日本の詩人たちが古来から行なって来たことで、905年(延喜5年)に醍醐天皇の勅命によって、優れた短歌を集めて作られた『古今和歌集』は、春歌、夏歌、秋歌、冬歌といった季節の詩から始ります。
鎌倉幕府が成立する頃になると、連歌の最初の歌(発句)には、必ず「季の詞」(季語)を入れなくてならない、という決まりができました。
俳句は、連歌から派生したものなので、この決まり事を継承しているのです。
松尾芭蕉が残した作品には、無季の句はほんのわずかしかありません。江戸時代初期には、有季定型(季語が入っている五七五の定型)という俳句の基本形が成立しているのです。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規
この句では、『柿』が季語となります。秋の夕暮れの空の下で、しんみりと柿を食べている情景が眼に浮かびます。
どこまでも鐘の音が響いていくような世界の広がりを感じさせる名句です。
五月雨や大河を前に家二軒
与謝蕪村
この句の季語は「五月雨」です。五月雨は、梅雨の時期、六月頃に降る雨です。川が増水して水流の勢いが増す様子が連想されます。
季語は以下の九項目に分類されます。
時候:季節の気候。例えば、春の季語である『春分』など。
天文:天候、気象に関すること。例えば、秋の季語である『秋雨』など。
地理:山・川・海・陸地に関すること。例えば、夏の季語である『青田』など。
人事:生活に関すること。例えば、冬の季語である『こたつ』など。
行事:年中行事。例えば、春の季語である『卒業式』など。
忌日:有名な人の忌日。例えば、松尾芭蕉の忌日である芭蕉忌は10月12日で秋の季語となります。
動物:季節によって姿を
「切れ」「切れ字」とは?
俳句は「俳諧の連歌」の発句が独立したものです。
最初の句である発句に下の句を次々に付けていく遊びが連歌です。
このため、発句には、どのような下の句でも考えられるような独立性が求められ、強く言い切ることが必要とされました。
このようにして生み出されたのが「切れ」です。
鮎と茄子今日特売の夕餉かな 日比野啓子
この句の末尾には「かな」という感動・詠嘆を表す切れ字が使われています。
切れ字というのは、強く言い切る働きをする語で、切れを生み出すのに使われます。
現代の俳句では、「や」「かな」「けり」の三つの切れ字が使われています。
この句では、「鮎と茄子」の部分でも、いったん句の流れが切れています。
「鮎と茄子」と言い切って、間を作ることで、読み手に、「なぜ鮎と茄子なのかな?」という気持ちを抱かせ、句の中に引き込んでしまう効果を発揮しています。
このようにして、読者に想像の余地を与えて、句の中に引き込み、句に余韻を与えることが、切れの最大の役目です。
いかに良い切れを作り出すかが、俳句作りの醍醐味で、これが作品の善し悪しを決めます。
古池や蛙飛びこむ水の音
松尾芭蕉
この句では、「古池や」の部分で、切れています。
ここで一拍置くことで、読者は、作者である松尾芭蕉の置かれた状況や古池の情景を頭に思い浮かべてしまう仕掛けになっています。
これによって、下に続く「蛙飛びこむ 水の音」に強く引き込まれ、句に大きな余韻も生まれるようになっています。
用語集
切れ字
切れを生み出す「かな」「や」「けり」の三つの語。音調を整える役割もあります。
「かな」は末尾に使われることが多く、感動、詠嘆を表します。
「や」は上の句に使われることが多く、詠嘆や呼びかけを表します。
「けり」は末尾に使われることが多く、断言するような強い調子を与えます。また、過去を表す助動詞であることから、過去の事実を断定するような意味合いを与えます。
切れ字十八字
連歌・俳諧で秘伝とされた18の切れ字のことです。
「かな・もがな・し・じ・や・らん・か・けり・よ・ぞ・つ・せ・ず・れ・ぬ・へ・け・いかに」
現在の俳句では、このうちの「かな」「や」「けり」しか使われていません。
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