写生を超える不易流行

https://72463743.at.webry.info/201403/article_3.html 【俳句の可能性・その1「写生を超えるとは?」】より

アネモネの些か開きすぎかとも 玉宗

創刊当時から所属している俳誌『栴檀』の結社賞「栴檀賞」の選考を任されている。

応募資格は会員同人に関わらず一人20句。今回は例年より少なく、30篇の応募であった。その中で特に注目した作品が一遍あった。それが従来の「栴檀」風な作品とは違った趣であることに驚くと共に、あらためて「俳句の軽み」や「現代俳句の傾向」といったことについて思いを巡らしている。要するにその作品は私好みの作品なのである。まだ受賞者は決めてはいないのだが、私の中ではこの一遍を強く推したいといった思いが固まっている。

ご存知のように「栴檀」誌は故・沢木欣一が戦後間もなく金沢で立ちあげた「風」の師系にある。沢木欣一亡き後、「風」は終刊。角川賞受賞作家でもある辻恵美子が主宰となって岐阜に於いて「栴檀」としてその俳句精神を受け継いで立ち上げた結社である。

「風」の理念と言えば「写生・写実・即物具象・社会性俳句・風土俳句」といった言葉が連想される。嘗て西東三鬼は戦後の俳句の王道は沢木欣一が継ぐであろうというような発言をしている。又、「風」同人でもあり、沢木欣一の姉さん女房でもあった細見綾子の清新で自在な詩精神も忘れてはならない。辻恵美子はそのような沢木欣一と細見綾子に親炙してその俳諧の誠を受け継いでいこうとしている。それはそのまま「栴檀」の基本的な結社の道標となっているだろう。

実を言うと、私はそのような「風」「栴檀」の中で余り結社の理念らしからぬ試行錯誤の作品を発表し続けていると自認している。そうではるが「風」賞も頂いているところから沢木主宰に注目されていたことは間違いないとも自惚れてもいる。

それはそれでいいのだが、「栴檀」10周年を過ぎて、辻恵美子が巻頭言でももの申しているように、「栴檀」もまた飛躍のときを迎えているのではないか、或いは飛躍しなければならないといった思いは私にもある。一言に「飛躍」と言っても雲を掴むような話しではあるが、俳句実作に於いては「写生・写実」の基本を踏まえた上で独自の世界を展開する志があってもいいのではなかろうか。これは私の独断ではなく、あの「写実一辺倒」と思われている沢木欣一が言挙げしたものの受け売りなのである。

基本ができていなければ飛躍も叶わなかろう。ジャンプするにはホップ、ステップの助走が欠かせないのが一般である。「栴檀」の十年はそのような位置付けができるだろうとは辻の言葉でもある。

今回、私が注目した作品は今風な、ポップな表現といったものである。それは例えば山本健吉が言うところの「俳句のかるみ」とは異質なものなのかどうか、未来があるのかどうか。「写生に即し、写生を超える」とはどういうことなのか、それは可能なのかどうか。

抽象的なことばかり書いたが、次からはもっと作品を挙げて具体的に考え、具体的に書いてみたい。(この記事続く)

https://72463743.at.webry.info/201403/article_4.html 【俳句の可能性・その2「写生という感性の世界」】より

灯台は背伸びのかたち鳥雲に 玉宗

写生といえば正岡子規であるが、子規がその膨大な俳句分類から得た月並を脱する手立てがまさに写生・写実であった。「月並」とは観念や理屈を弄んでいるような句であるといってよかろう。「松のことは松にならへ」とは対極にあるような代物でもあろうか。明治という時代精神もあろうが、自然主義、リアリズムを俳句革新の武器にしていった子規。彼には写実こそが俳句の再生、新しみを獲得する最良の手段であるという確信があったのではないか。宿痾に苛まれた子規にとって主観や理屈ほどあてにならないものはなかったであろう。病状六尺の天地を生きなければならない彼を慰めたのは俳句という無私なる、潔い文藝のかたちだった筈だ。リアリスト正岡子規の面目がそこにある。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  子規

松山や秋より高き天主閣

春や昔十五万石の城下哉

牡丹画いて絵の具は皿に残りけり

山吹も菜の花も咲く小庭哉

をとゝひのへちまの水も取らざりき

風呂敷をほどけば柿のころげけり

柿くふも今年ばかりと思ひけり

紫の蒲團に坐る春日かな

鶏頭の十四五本もありぬべし

子規の跡を継いだとされる虚子は「客観写生・花鳥諷詠」というお題目を掲げて時代の俳句界を牽引していったが、私には子規の「写生」と虚子の「写生」が似て非なるものに思えて久しい。写生と雖も表現であるから当然作者の主観の色合いが出る。人柄というか、匂いというか。言葉ひとつ斡旋するにも作者の感性がものを言う。

そういう意味でも、虚子には子規よりも際立った「主観の匂い」が漂っている。正岡子規にはよくも悪しくも「無味無臭」といった「実直さ・素心」がある。まっすぐ感じ、まっすぐ言葉を選んでいるようなところがある。虚子には鷹揚に見えて、抜き難い主観の色、匂いがある。客観写生という言挙げも、自己の主観の危うさを知った者のお世話に見えて来る。虚子は確かにその危うさに遊んでいる。

彼は自分の死んだ後、新しい月並が蔓延するであろうと語ったらしいが、それもまた主観の危うさを知悉していた虚子の抱いていた不安を物語っていよう。

遠山に日の当たりたる枯野かな  虚子

春風や闘志抱きて丘に立つ

たとふれば独楽のはじける如くなり

どかと解く夏帯に句を書けとこそ

凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり

初空や大悪人虚子の頭上に

初蝶を夢の如くに見失ふ

去年今年貫く棒の如きもの

正岡子規亡き後、虚子と共にその両翼を担った河東碧梧桐(1873-1937 明治-昭和時代前期の俳人)がいる。一時期、虚子の継いだホトトギスを凌ぐ勢いで俳句界を席巻した。その俳句世界は新傾向俳句、無季語俳句、自由律俳句、ルビ俳句と変遷し、竟には行き詰まり俳句から引退した。

赤い椿白い椿と落ちにけり  碧梧桐

春寒し水田の上の根なし雲

愕然として昼寝覚めたる一人かな

思はずもヒヨコ生れぬ冬薔薇

この道の富士になり行く芒かな

相撲乗せし便船のなど時化(しけ)となり

曳かれる牛が辻でずっと見回した秋空だ

露深し胸毛の濡るる朝の鹿

ところで碧梧桐の俳句は虚子らが忌み嫌った主観俳句だろうか?といった疑問が私にはある。人物的には小さいころより、虚子の方が余程直情型だったらしい。虚子は情の人間だったというのが私の観察である。当然ようにその俳句の上の色合い、匂い、響き、光り、翳がつき纏うだろう。人間の感性が言葉という感性とぶつかり合うのが文藝の舞台裏での現場である。

河東碧梧桐の方が余程、正岡子規の写生・写実精神に近いのではないかと思っている。そこにはつまらない主観があるのではない、恐らくつまらない作品があるのだ。碧梧桐は主観を述べようとしているようにみえて主観を超えたところを述べようとしているように見える。碧梧桐が行き詰ったのは俳句が感性の所産であることの裏腹なのではないかと私は思っている。要するに碧梧桐は虚子より人が良すぎたのである。それこそが二代目を継げなかった致命的な欠点だったのかもしれない。虚子も又ある意味感性の化け物である。「写生」の世界には作者の闇と光が反映する所以でもあろう。

さて、現代俳句をみるとき、「写生」という方法論は死語になるのではないかとさえ思えることがある。実際のところ「写生」という言葉は大雑把ではある。写生といえばなにもかも写生ではある。いずれにしても現代俳句に展開しているのは如何なる人間の感性なのであるか、或いは如何なる感性の人間なのであるか。現代俳句は月並を脱しているのだろうか。おそらくそこには作者の人間性の問題が横たわっているのかもしれない。 (この記事つづく)

https://72463743.at.webry.info/201403/article_5.html 【俳句の可能性・その3「写生俳句実作の現場」】より

春の波打ち寄せ白き手を伸ばす 玉宗

今回、「栴檀」賞応募作品で私が注目した作品を紹介する前に、「栴檀」3月号の掲載されている「同人句会」と「栴檀犬山句会」に於ける辻恵美子主宰の選と講評が如何なるものであるか、参考までに書きだしてみよう。

髪切りて顔の大きく冬に入る    大平勝子

 上五中七のおもしろさ。俳諧味のある句。ここまで秋、ここから冬という事を表現している。「冬に入る」がとても良い。

真つ先に裸木となる欅かな   原口洋子

 欅にいっぱい付いている葉が散って散って全部落ちてしまった景。「真つ先に裸となる」の感慨を巧みに切り取られた。枝も豊かに張っている大きな欅と想像される。

やせ細る街路樹の影十二月    大平勝子

 「やせ細る影」に魅かれた。ようやく十二月に入ったという感じが出ている。

風花やちひろ遺愛の筆の束    氏家知子

 筆の束を置かれているのを発見。優しい季語「風花」が「ちひろ」に合っている。

椋に群れ棚田一枚埋めつくす    浅野 威

 椋の群れが渡りをしているのか、腹ごしらえをしている場面か、オーバーでもなく「棚田一枚」が具体的で良い。椋鳥の渡ってくるシーズンを言い表している。

連衆と別れていよよ日の短か    後藤和朗

 それまであまり感じなかったが、別れてから急に短いことを感じた。連衆を大切にと、心を合わせている思いが出ている。

うつくしき雨降り続き蓮枯るる    小畠和男

 主観が強いかもしれないが、「降り続き」が良い。「うつくしき雨」で句になっているが、具体的に表せるともっといい。

推敲の食卓にある金鈴子    左高冨美

 「推敲の」の語をよくここに置かれた。「金鈴子」に目を休め推敲している。物がよく活きている。

親鸞の画数かぞへ日向ぼこ    中谷佳南

 「日向ぼこ」の暇にまかせ画数を数えている。「親鸞」だから良い。

風呂吹の湯気の向かうに誰も居ず    木本益子

 上十二までは常套句に言われるが下五が意表をついている。おもしろい。

かなぶんの骸にむすぶ露の珠    小畠和男

 「露」が主季語。シーズンの境目の句。おかしみもあるが裏にかなしみもあり、よくみている。

冬の虹雲にまぎれてしまひけり    鈴木和香

 「冬の虹」はこうしたものであるが、哀れな冬の虹の様子が出ている。

滝の風途切れるところ雪婆    後藤はるみ

 「雪婆」が季語。「滝」は素材。「雪婆」が良かった。「滝」とのとりあわせで強調された。

霧襖小鳥の声を聞き分ける    谷村たみこ

 中七、下五はよい。「霧襖」できれるので仕立て方を考える。「霧の中小鳥の声を聞き分ける」

鳥威しは鮑貝殻蓑虫庵    鈴木和香

 「鮑貝殻」がおもしろい。蓑虫庵に鳥威しがあったことがおもしろいがこの場合「蓑虫庵」は報告ぽい。

【その他】

括られしまま枯菊となりにけり

 惜しい句。その通りすぎてもう一つ欲しい。「枯菊となりにけり」が事柄となってしまった。例として葉がどうなっていたとかの写生をする。

母いつも同じ鼻歌障子貼る

 季語が動く。「いつも鼻歌」もピッとこない。

読み下す法案全文日の短か

 「読み下す」は読んで理解する事。法案を読んでいたら日が短くなりました。と、いかにも大雑把。

日向ぼこ墓地に出会ひの二人かな

 中七、下五の切りとり方がよい。季語が唐突なので代える。

日向ぼこ小言の何かみな忘れ

 「何か」はいらない。<妻の小言をみな忘れ>とか。

わづかなる焚火の匂ぬ僧に会ふ

 素材はおもしろいが「わづかなる」が分からない。僧の袈裟に焚火が匂ったにみで良い。

木枯や鏡の景色異郷めく

 「鏡の景色異郷めく」の発想は良いが季語がつきすぎでは。

三島忌や手の平熱きこといはれ

 「手の平熱き」はおもしろいが「三島忌」の季語に対し、少し弱いのでは。

実むらさき虫籠よりの声ひそと

 「ひそと」がポイントで秋であるから多分窓は閉めてあり「ひそと」は常套。ポイントを考える。

画像

以前UPした内容と重複するが、「俳句」は「感性による認識詩」であるという立場で言わせて貰う。

「写生」といえば、「主観を先立てないで、見たママ、ありのまま、感じたままを描写しろ」と指摘されるのであるが、本人は「見たまんまです」と弁明することがままある。「見たママ」が「詩的表現」になり得ているかどうかが試されているのであって、散文の切れはしの様な「報告俳句」「事柄俳句」になっていることに気付かない。単なる「報告」のどこが面白いのだろうと首を傾げざるを得ないのである。大雑把に過ぎて、要するに「感動の正体」が明らかでない。句意が明快でない。「俳句をつくる」以前に自分の「感動」や「発見」をこそはっきりさせなければならない。いのち光るものを捉えることが先決であろうと言いたくなる。「こころ」とは如何にも思念的と取られるかもしれないが、「いのち」のことである。「五感・六感」のことである。

「見たママ」「ありのまま」であるとの弁明も、本人がそう思いこんでいるだけ。というより「ありのまま」が表現足り得ていない。だれのありのまなのであるか?客観的?それは散文の世界の話ではないのか?韻文足り得ていない。つまり感性の所産であることを逸脱しているか、又は感動の焦点が絞り切れていないか、はたまたひとりよがりに過ぎるのである。そのような「ありのまま・見たママ」が他者の共感・共鳴を得るほど俳句というよしなしごとは甘くない。五七五の字数を揃えているだけ。表現としての言葉が足らない、もしくは不適当なのである。写生俳句と雖も文芸はどこまでも「自己表現」であろう。表現するに正確であるに越したことはない。

見ること、感じることの実際とは「辛抱強さ」のようなものが欠かせない。こちら側が鏡のようにまっさらであったり、光や水を受け入れる器の度量を備えているに越したことはない。それには生来的なものもあるかもしれないが、何がしかの鍛錬も必要のようである。何事も荒削りでは具合が悪い。洗練、研ぎ澄まされてこそ表現者というものであろう。自戒を込めて言うのであるが、写生がつまらないのではない。つまらない写生句がときにあるということだ。それはつまり作者の眼力・想像力・言葉力の問題であるということだろう。

 

要するに、それこそが「写生不足」なのではないか。自己の世界をも含め「現実」とはそう容易く手に入るものではない。ましていわんや俳句と言う最短定型詩の作品を獲得する作業である。言葉はどこまでも正確でなければならない。まさにスケッチ力が試される。

「写生句」に対しては未だに組み易いとか、或いは顧みるに足らないといった偏見があるようだが、大概は「ありのまま」という幻想に目を覆われているといってよい。或いは、見える世界より観念に重点を置きたがる俳句への傾斜がある。見えない世界こそが表現の彼岸であるとは聞こえはいいが、それは如何にも思わせぶりなもの言いである。「意は似せ易く、姿は似せ難し」これは最短定型詩に於いてもあてはまる真実であろう。

生を写す」という理念では人の営みの全てがその対象となる。「いのちを写す」ことこそ文芸の本質であることを誰も否定はしないであろう。作者が「いのち」へどれほど切り込んでいけるか。作者の「いのち」がどれほどのものなのか。月並を脱するには方法論的にも、主体的にも自己模倣、自己偶像化を避ける潔さがなくてはならない。表現とは当に「腸」の話なのである。それだけが試されていると思いたい。現代俳句の作者に腸がないというつもりはない。そうではあるが、ときに自己増殖に陥り腐敗臭を放ってはいないかと点検するのも無駄ではなかろう。況や、俳句実作以前の俳壇事情に振り回せれる愚かさにおいてをやである。自戒を込めて言うのである。(この記事続く)

https://72463743.at.webry.info/201403/article_6.html 【俳句の可能性・その4「不易流行を支えるもの」】より

随分と生きたね雪割草に屈む 玉宗

今回の「俳句の可能性」シリーズのきっかけは「栴檀」賞に応募してきた注目作品から、「写生・写実」を作句理念としている結社「栴檀」の中で、「写生を越える」ということ、又は「不易流行」ということについて思いが及んだからのことである。従来の「栴檀」誌上では余り見られなかった作風に私が少しばかり考えさせられているということなのである。

どの句にも古典からの本歌取りの響きや類句類相の匂いもする。然し、私にとってそれは大した問題ではない。なんども言うが、現代俳句を垣間見るとき、特に若い世代の作風を醸し出していると私は捉えている。これもまた作者の感性の所産であるには間違いない。いくらかの教養と理屈の枠組みが見えないこともないが、それを割り引いても今、現在の解放された感性のひろやかさ、柔軟さ、何気なさ、面白さ、偽りのなさ、生活感情、時代精神といったものを感じる。感じることを誤魔化したくはない。定型、かたちを手玉に取って窮屈さがないのである。月並な句にある予定調和や単なる理屈に堕していない。少なくとも世の理屈や常識を笑っていよう。

写生だろうか。写生を越えているだろうか。思うに、そのような問題提起は無意味な事である。虚から実を生みだし、実から虚を生み出す。それをしも表現者とは言うのではないか。作品は作者の手を離れて独り歩きを強いられる。読む方もまた一人歩きで作品に真摯に、偽りなく対しなければ礼儀を欠くというものだろう。方法論の色眼鏡で鑑賞するのも一つの作法ではあろうが、木を見て森を見ずといった愚もある。鑑賞眼も又、塵、予見のないものがあってしかるべきではないか。ましていわんや、結社風のとか、協会風のとか言い出すに至っては俳句界を愈々狭い領域に自ら追い込んでいるようなものだ。

ところで 「不易流行」という言葉がある。

「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」

<去来抄>

「蕉門に、千歳不易(せんざいふえき)の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教え給へる、其の元は一つなり。」

<去来抄>

「師の風雅に万代不易あり。一時の変化あり。この二つ究(きはま)り、其の本は一つなり。その一つといふは、風雅の誠なり」

<三冊子>

蕉風俳諧の時代になると、俳諧を伝統的文芸のレベルにまで高めようという芭蕉たちの芸術的自覚にもとづき俳諧をも風雅と呼ぶようになった。芭蕉は〈風雅の誠〉が芸術としての俳諧の第一の存在根拠であると考えられていたからである。

沢木欣一先生の著書『俳句の基本』に次のような文章がある。

「ものの実(まこと)というのは物の本性・本意で、対象の本質を意味する。「松のことは松に、竹のことは竹に習え」のように、さかしらな私意(小主観)を離れ、対象の本質を把握せよ、というのである。物を尊重すると同時に芭蕉は「情」を重んじた。私意を離れなければ「誠の情」に至らない。「物の誠」と「情の誠」とをぴったり一致させるのが理想である。客体と主体の完全な合一が目標である。物と情は「誠」をせめることによって合体するといってもよい。これが芭蕉のいう「風雅の誠」であろう。後略」

芭蕉の門人・土芳は『三冊子』の中で、

「見るにあり、聞くにあり、作者感ずるや句となる所は、即ち俳諧の誠なり」と述べている。

俳諧の誠というのは私意や虚偽を排し、対象をよく観察し、傾聴して、そのありさまを十七文字で表現することに全力を傾けるという意味である。作句現場での生きた感覚に重きを置き、それが作品となるところに俳句の価値があるというのだろう。つまり、感性を尽くすこころざしの真偽が問われている。作句現場での生きた感覚に重きを置き、それが作品となるところに俳句の価値があるということ。

もっといえば、まさにそのような詩精神こそが俳諧の存在意義、真骨頂であるということ。生の、活きた短詩形文学の本質そのものであったということ。そこにこそ俳諧に遊ぶ楽しみ、苦しさ、醍醐味がある。句会をしたり、結社に入るということは本来そのような醍醐味を味わう事でなければならない。即興、即物、即境、即心。「かるみ」とは「もののみえたる光り」と言い得る「いのちの輝き」がなくては叶わないものであろう。流行とは生きている今の気息の事だ。日々更新しているいのちのあたらしみ、感性の働く現場の事だ。

常識や月並に止まっている限りそこに俳諧の「あたらしみ、かるみ、ひかり、いきいきさ」は期待できないのではないかと思っている。そしてそこに於いてこそ、作者の人間性が問題となってこよう。作者の「腸」の新鮮さ、本気さ加減が勝負なのである。俳諧などという「よしなきごと」と笑うなかれ。「夢」や「よしなしごと」でなければ表現できない「真」「誠」や「哲学」そして「詩」があるだろう。腐っても鯛である。俳人が文学者を気取りたいのならば、そのくらいの内実を要求されてしかるべきである。先生とか主宰とか受賞者とか、協会のなんだかんだとかなどと呼ばれて浮かれている場合ではない。

今回

の作品群がさかしらな小主観であるとも思えない。少なくとも対象の本質を捉えている。季語が再生している。世界と一つになろうとしている。自分の感性を表現するのに嘘偽りがない。私にはそんな風にみえるのである。

不易流行を支える俳諧の誠。俳句文芸もまた人である。そんな人に、そんな作品に心から巡り合いたい。

(市堀註・先に作品群を掲載しましたが、結果発表後に掲載し直します。)

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000