http://okabeakemi.com/blog/?p=1076 【Power of Being】より
〜あなたの人生の体験の全てが、あなたの存在の魅力、存在の力、人間の器になる、そんな生き方をしたい人のために〜
人生のデッドゾーン(行き詰まり)は、未来からの招待状
手放すことがすごく怖かった
この人生がこれからもずっと続くのなら、生きていたって何も面白くない。
なんでこんなにしんどい人生なんだろう。人生を変えたい、生き方を変えたい。
もっと違う道があるのなら、その道に進んでみたい。
そう思いながらも、今手にしているものを手放すことがものすごくこわかった。
知らない世界に行くことが途方もなく不安だった。そんなある日、突然、とんでもないことが人生に起きた。しかし、これでもう人生が終わるという体験こそが、自分が本当に生きたい道に押し出してくれたのだった。人生最悪の出来事は、どれほどの人生の贈り物を携えていたことだろう。
今の私は、あの頃、知らない世界はこわいと思っていた世界で生きているのだから、人生とは不思議なものだ。
今は、仕事柄、あの頃の自分がどんな人生のステージにいて、心の中で何が起きていたのかがわかる。
文中の「あなた」は、あの頃の「私」なのだが、人生を本気で変えたいと今思っている「あなた」であるのかもしれない。
自分だけじゃない
自分が慣れ親しんだ「既知なる道」(これまで・今まで)から、今まで一度も歩いたことがない「未知なる道」(これから)に進もうとする時、人は無意識に「エッジ」に立つ。エッジというのは、不安や怖れからの無意識の抵抗、回避、障壁のこと。
未知なる道は、予測がつかないから、不安や怖れが出てくる。
でもこれは個人的なものではなく、安全、安心を求める「自我の構造」そのものなのだ。
自分だけじゃないということ。自我(エゴ)は、「怖れ」と「欲求」でできている。
自我は、「自己防衛本能」と「自己保存本能」で人生をサバイバルしていくエンジンなので、未知なる世界や、わからないことには不安と怖れがでてきても自然なのだ。
前に進ませないための言い訳
人生に安全保障など本当は何もないのだけれど、自我は変化に伴うリスクが死ぬほどこわいから、どんなにしんどくても、これまでの慣れ親しんできた自分、よく知っている道(コンフォートゾーン)にしがみつく。
前に進ませないためのマインド(思考)・エゴ(自我)の言い訳は、一見最もそうな理由でいくらでも出てくる。
マインド(思考)は実に巧妙で、まことしやかに「危険だからやめといた方がいいよ」
「いまのままで充分じゃない」「うまくいかなかったらどうするの?」「それで食べて行けるの? 何の根拠があって?」「本当に幸せになれる保証はあるの?」「それは、あの人だからできたことで、自分なんか、、、」「もう年だし、今さら、、、」などと、囁いてくる。
でも、もっと奥の方のエゴの声は、単に、
失敗したくないから 批判されたくないから 笑われたくないから 怒られたくないから
否定されたくないから 今あるものを失いたくないから たいしたことないじゃんって言われたくないから 言ってるほどじゃないねって言われたくないから
要は、自分が傷つきたくないだけ 自分がカッコ悪い思いをしたくないだけ 自分が恥をかきたくないだけ 手放したくないだけ
あなたの過去とは関係ないところからの声
自我(エゴ)はここまでして、あなたが痛い思いをしないように、惨めにならないように、
必死で「今までの自分」と「プライド」と「体としての自分」を守ろうとする。
エゴがなかったら危険を察知できないし、腐ったものや毒の入ったものを口に入れた瞬間吐き出すことを体はしない。何よりこの自分で生き延びようとはしないのだ。
しかし、人生に行き詰まった時というのは、実は、あなたの無意識が、別の選択をしようとしているサインなのだ。
心の最奥にある本来のあなたーエゴを超えたあなたの「たましい」からの呼びかけが、
現実への違和感を通して、直感、インスピレーションを通して何かを伝えてくる。
その声は、あなたの欲望や現実的制限や条件なんてお構いなしのところからあなたの過去がどうだったかなんて関係ないところから「こっちだよ」と囁いてくる。
自我が生き延びる戦略
人生に大きな変容が起きたという体験をした人は皆、これまで自分が握りしめていたものを手放している。何を握りしめていたかという「執着」は、人それぞれ。
それらは、今まで自分が所有している(と、思いこんでいた)人、モノ、お金、地位、立場、役割、関係性、経験、キャリア(実績)、やり方、価値観、想い、考え 、信念体系。
自分の居場所(と、思いこんでいた)ところ。所属している場所ー会社や家庭や諸々の組織。
苦しみ、葛藤の根源には、この「所有している」「所属している」と、思い込んでいるものとの「自己同一化」がある。
それは、同一化している対象への「執着」と、それを「喪失」することへの「恐怖」を生む。
自我(エゴ)が生き延びる戦略は、「こうすれば自分を守れる」「こうしていれば傷つけられずに済む」「これが安全と安心を自分にもたらしてくれるもの」と思っていた“自己防衛パターン”と、「こうすれば人生はうまくいく」と信じてきた生き延びるための“サバイバル戦略”だ。これらがもう通用しなくなる時が人生に訪れる時がくる。
心理学で言われる人生の「デッドゾーン」というのステージだ。
自分をもうごまかせない
「デッドゾーン」のステージでは、具体的にとてもつらいことが出来事として人生に起きてくる。
ネガティブな心の状態がずっと続いて、自分ではもうどうしていいかわからなくなるので、そのステージに入ったことがわかる。
具体的にはーバーンアウト(燃え尽き症候群)、病気、事故、離婚、失恋、離職、倒産、失業、喪失、孤立、他者からの裏切り行為、人間関係の確執による関係性の破綻など。
これまでの人生が強制終了させられ、心が死んだような状態になる時期がまさに人生のデッドゾーンだ。
デッドゾーンのステージは、過去のやり方や生き方が「もう、うまく作動しなくっている」ことに、実はうすうす気づき始めているのに、気づかないふりをして進んできた先の「行き止まり」自分をごまかして生きていくことがもうできなくなったという「行き詰まり感」だ。
自分の本音に気づいてしまうことは、実はかなりこわいものだ。何かを失うかもしれない
居場所がなくなるかもしれない何かを変えなくてはいけないのかもしれない
自分の人生に責任を持たなくてはいけないのかもしれない
うまくいっていない今の人生の状況を誰のせいにもできなくなるのかもしれない、、、
七転八倒、右往左往
でも、来るときには、来るのだ。人生の変化の大波は、、、この時人はやはり、ジタバタ、オロオロしてしまうものだ。
虚しさ、寂しさ、怒り、憎しみ、恐れ、悲しみの感情に覆われ、無力感、無価値観、罪悪感に苛まれることもある。
とにかく、人生のデッドゾーンのステージは、七転八倒、右往左往、五里霧中。
ある意味、今までの人生の卒業式なので、蛍の光がずっと鳴り響いている状態だ。
心の成長、進化は、必ずしもなだらかな坂を登っていくようには進まず、あるところでは断崖絶壁のような崖を超えなければならない時がくる。
バンジージャンプを必要とする時が、、、。
このバンジージャンプの時に実存的変容と呼ばれるものが起こることも少なくない。
量子力学でいう、クオンタム・ヒーリング、クオンタム・リープ(非連続的飛躍、量子的飛躍)だ。古い自分が死んで、新しい自分が生まれる
これは、サナギから蝶への変身にもたとえられる。
サナギ自身は、蝶になるとうことは、自分が死ぬことを意味するのでものすごい恐怖が出てくる。
実際は、変容するだけで、サナギの状態が、次の段階でのテキスチャー(下敷き)になっていくだけなのだが。
サナギは、このサナギの形、この状態が自分だと思い込んでいるので死にもの狂いで変化、変容に対して抵抗する。
でも、どんなに抵抗しようとも、次の展開、次のステージに行かなければならない時は、
起こるべきことがちゃんと起きてくるのだ。
蝶として羽ばたくときが来た時には、サナギは死ななければならない。
実際は、死ぬわけではない。
「再誕生」だ。
古い自分が死んで、新しい自分が生まれ、新しい人生が始まる本当に大きなチャンスだ。
危機とは、「危険」のように感じる大いなる「機会」なのだ。
人生を劇的に変えたいと思って勇気を出して歩み出す人もいれば、
望んでもいないのに(顕在意識では)、人生の方から挑戦を受けるような出来事が起きて、
結果、人生が劇的に変わっていく人もいる。
さなぎから、蝶として羽ばたく時
種もまた、自分とは種だと思っているから、割れることを怖れている。
自分が花になるための種子であり、今それが割れて、
いのちの花が咲く開花のプロセスを生きているということが、種にはわからないからだ。
でも、その人の中から本来の自分が生まれる時、
新しい自分が生まれる時というのは、無意識の叡智が、その人を運んでいくのです。
自分にとって必要な場所へ 必要な人へ 必要な情報へ 必要な体験へ
さなぎから、 蝶として羽ばたく時 、 種が割れ、芽を出す時 、 それは自ずとやってくる。時、満ちて・・・
未来からの招待状
デッドゾーンとは、実は、未来からの「招待状」なのだ。新しい人生の扉を開ける「鍵」もその中には入っている。
しかし、この鍵は潜在意識の中に隠れているので、自己探求なしに見つけることはかなり難しい。デッドゾーンと言えるほどの出来事は起きていないけれど、生きていることにあまり喜びが感じられなかったり、このままの人生が続くのは、もううんざりだと考えていたり、
次のステージがきているような気がすると感じている人は、もう新しい扉の前に立っているのだ。
扉の向こうにはどんな新しい地平が広がっているだろうか。
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